9 過去を振り返るぞ!
するとヴァーリがアリアンの頭をトントンと優しく叩いた。
「大丈夫。叔母上は助かったよ」
「本当に?」
アリアンは青褪めた顔をしたまま従兄妹を見上げた。するとヴァーリは少し困った顔でこう言った。
「城で負った怪我はかなり深いものだったらしい。しかし反乱分子のすぐ後ろには第一と第三近衛騎士隊が追っていたんだ。それで・・・」
「うちの親父がノルンおばさんに癒し魔法をかけて応急処置をしたんだ」
ヴァーリの後をブラギが続けた。
四年前あの騒動があった時、ヴァーリはフレイヤ王国の大学へ留学していた。そしてフレイヤ王国の温情で、ルーカンド王国に引き渡される事なく、その地に留まって学校を卒業していた。それ故に家族とも祖国とも長らく連絡を取れなかったらしい。
それに比べ、自国の騎士学校へ通っていたブラギの方がルーカンド王国の事情に詳しかった。そもそも彼は第一近衛騎士隊の隊長であるモンドール子爵の息子で、幼馴染みの内で唯一王城に残っていたのだから。
「第一近衛騎士隊の副隊長にアリアンの母親を連れて第二騎士隊の後を追わせた後、残った第一と第三近衛騎士隊で反乱分子共を成敗したんだ。
ところが、あの恥知らず(皇后)が陛下の意識がなかった事をいいことに、反乱分子の親玉が第二と第三近衛騎士隊長だと声明文を出しやがったんだ」
「何故そんな事になるの? 子供の私にだって、反乱分子が皇后様とつるんでた事くらい分かっていたのに。第二と第三近衛騎士隊は第一近衛騎士隊同様に陛下に忠誠を誓った忠実な家臣で、隊長達は陛下の幼馴染みじゃないですか。それなのに、何故真逆の反乱分子の親玉にされたんですか?」
「城内の者なら皆そんな事は分かっているよ。しかし、一般の民はそんな事は知らない。元女神官が夫と兄を使って、彼女の仕えている側室を人質にして逃げたと嘘の情報を流したんだ。そうやってあの女は自分が起こした騒動を誤魔化したんだ。スクルド様が城に残った事で、ダーナ様が自ら逃げたというシナリオが作れなかったのだろう」
憎々しげにブラギが言った。
「それで結局、カラドックおじさんはお前を守る為に城を捨て、追っ手から逃げるしか手がなかった。その際俺の親父に、アリアンの記憶を消して欲しいと依頼したんだ。
ノルンおばさんとダーナ様がヴァーリの親父さん達と何処へ逃げたのかがわからない以上、いつまた再会出来るか分からない。だからお前の心を守る為に仕方なかったんだと思う」
第二近衛隊長ウォーレン伯爵とその部下、そして第一近衛副隊長はそれぞれの家族を連れて、ダーナ側妃やノルンと共に逃げた。大人数だったにも関わらず、その行方は全くわらなかった。
ダーナは平民といえど大富豪の娘だったので、実家の援助があったのだろう。仲間の商家達も王侯貴族達の命を聞くよりも、大富豪についた方が益があるとわかっていて、彼らを見逃がす手伝いをしたのだろう。
「それでは、ヴァーリ兄様はトゥルリー伯父様や伯母様、リリナー姉様ともずっとお会いしていないのですか?」
リリナーとはヴァーリの年子の妹で、アリアンにとっては実の姉のような存在の従姉妹だった。
「ああ。母と妹は父上と共に王都から脱出したはずだから。
それにしてもフレイヤ王国はさすが大国だよな。国家反逆罪として指名手配犯の息子だった私の引き渡しを拒否してくれたんだから。
『フレイヤ王国において、学びの場は学生の自治によって運営される。故にたとえ国であろうと一切口を出せないし、他国なら尚更口を出させない』
って」
「本当にフレイヤ王国は懐が深いですよね。ルーカンド王国とはえらい違いです。でも、兄様は今までどうやって国の情報を入手していたんですか?」
「そりゃ、もちろん俺からさ。親父は陛下を守るために王宮に残ったからね。ただしそれは最近の事だけどな。唯一ヴァーリの居場所だけは分かっていたから、追放組や俺達が連絡を取るとルーカンドの方も考えるのが普通だろう?
だからヴァーリもずっと情報が入らず辛かっただろう」
ブラギの言葉にヴァーリが顔を歪め、二人から顔を背けた。
ヴァーリ兄様はずっと孤独だったんだ。家族の消息も分からず、相談する相手もいず……
記憶を消された事を恨むなんて間違いだわ、とアリアンは思った。
「さすがにあの女もあの時陛下に崩御されたら、自分の生んだアホ王子じゃ国、いや城を維持でないと思ったんだろうよ。だから国一番の癒し魔法使いがいなくなったら困ると、親父には手を出さなかったんだ。
国の優秀な人材、ブレーンをほとんど追い出しちまうなんて、本当にあいつらなんにも考えちゃいないよな。
俺は騎士学校を出た後、親父からの情報を第二、第三騎士隊のメンバー達に流していたんだ。そして、ヴァーリや君の父上のカラドックおじさんとも連絡し合ってたんだよ。とは言っても、みんなと連絡が取れるようになってからだから、二年半位前からだけどね。
お前の事も遠くから様子を伺っていた」
「そうだったんだ。あっ、だから冒険者認定試験に二人も一緒に受験して、わざと私に負けてくれたんだ。でも、いくらなんでも私にだけあんなにあっさりと負けちゃ、ばればれだと思うけど」
アリアンは合点がいったとばかりに頷いた。ブラギもヴァーリも相当強い。それなのに何故あの時ああも簡単に負けたのかがずっと不思議だったのだ。
するとブラギは困ったようにガリガリと頭を掻いた。
「いや、わざと負けたんじゃない。本気で油断したんだ。昔のお前をイメージして対戦したんだな。あれからもお前は努力し、成長してたって事に気付かなかったなんて、本当に愚かだった。あれが実践だったら俺は死んでいたな。いい教訓になったよ」
「油断大敵だよ、ブラギ兄さん」
その懐かしい呼び名にブラギは嬉しそうに目を細めた。
「そう、まさしく油断大敵。そして私は自分が偏見を持っていた事を深く後悔した」
今度はヴァーリが呟くように言った。
「偏見って、女性を下に見るって事?」
「いや、女性の価値を下に見ていた訳じゃない。つまり、体力的な事だ。基礎体力というものは男女差があって当たり前だからな。
しかし、何も素手で一対一で戦うばかりじゃないんだから、男女差なんて個人差と大して変わらない。道具や作戦、知恵や俊敏さでいくらでも対応できる事だったんだ。お前に負けた時、ようやくその事に気付いた。
そしてリリナーに申し訳なく思った」
「リリナー姉様に?」
「ああ、あいつも私達と一緒に訓練を受けたがっていたんだ。一人仲間外れのようにされていて寂しかっただろうな」
「でも、私、何度も誘ったけど断られたよ、リリナー姉様に」
アリアンは小首を傾げた。アリアンが誘うと、自分は神官になるのだから、そんな野蛮な事はしませんと言っていた。
「私がリリナーにお前は無理だと言ったんだ。アリアンは特別なんだと。
しかし、創意工夫して訓練すれば、たとえアリアンのようにずば抜けた身体能力が無くとも、そこそこ自分の身くらいは守れるようにはなれたはずなんだ。お前に負けた時、私はようやくその事に気が付いた。
あいつはどうしているんだろうか。あいつが今どこにいるのかわからないんだ。母上と一緒ではないらしいし、父上は仲間と離れて単独行動しているようだし。もし、あいつに何かあったとしたら、私は自分を許せない」
ヴァーリは辛そうに、後悔するようにそう言ったのだった。