7 家族をつくるぞ!
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スクルドの乳母になったのは、彼が生まれるまでは母親のダーナの侍女をしていたノルン=グリームニル。第三近衛騎士隊長カラドック=グリームニルの妻で、第二近衛騎士隊長ウォーレン伯爵の妹だった。
ノルンはダーナ側妃より少し前にやはり男児を出産していた。しかし数カ月でその赤ん坊を亡くしていた。
赤ん坊はもういないのに胸は張る。その痛みは心まで突き刺す。泣きながら乳を搾る妻の姿に夫も胸を痛めた。
赤ん坊がもういないのにノルンには溢れんばかりの母乳が出る。それなのに、赤ん坊がいて乳を望まれているダーナには、必要なだけの母乳が出なかった。
カラドックは母乳をわけてくれる女性を必死に探していたが、さすがに妻がかわいそうで、お前の乳をくれとは言えなかった。
しかし、ある日ノルンの方から夫に申し出た。アーノルド殿下にお乳を差し上げたいと。
「ありがたい話だが、本当にお前はそれでいいのか? いくら王子殿下とはいえ、他人の子供に乳を与えるなんて、お前は耐えられるのか? 俺はお前がこれ以上苦しむ姿は見たくない」
カラドックは悲痛な顔で妻にこう尋ねた。すると、ノルンはすっかり吹っ切れたよう顔をして微笑んだ。
「ご心配して頂いてありがとうございます。でももう大丈夫です。今朝、神殿で神の啓示を受けました。
アーノルド殿下、いえ、スクルド様はこの国を救って下さる方にお成りになるから、誠心誠意お仕えするようにと」
カラドックは驚いて妻を見つめ、その真意を確かめようと凝視した。
そしてその後、彼は急いで同僚で義兄のウォーレン伯爵の元へ行き、先程の話をした。すると彼はこう言った。
「君は妹の言う事を信じないのか? つまり妹を信じないと?」
「何を言う! 俺が愛するノルンを信じない訳がじゃないか。ただ、彼女は今普通の精神状態ではないから、無理にそんな事を言って自分を奮い立たせようとしているじゃないかって!」
興奮した友人の両肩をポンポンと叩いて落ち着かせながら、ウォーレン伯爵はこう言った。
「わかった、わかった。君が妹を心配してるという事は。でも、大丈夫だと思うぞ。神の啓示を受けたというのは本当だと思うし」
「えっ?」
「君も知っている通り、うちは代々神官をしている家だ。順番は関係なく、聖なる力を持つ者が神官の職に付き、それ以下の者が伯爵家を継ぐ。弟と妹には聖なる力があったので神官になり、それが無かった私が家を継いだわけだ。
これは身内しか知らない事だが、妹の持つ聖なる力は、初の女神官長になれるほど威大なんだ。神の啓示も何度も受けていて、それらは全部その通りになったよ」
幼馴染みで親友の言葉にカラドックは瞠目した。何故、そんな大事な事を黙っていたんだ。そんなに俺を信用出来なかったのか?
カラドックが苦悩の表情をして黙り込んでいると、親友はやれやれという顔をした。
「ノルンは幼い頃からお前の事が好きだったんだ。だから誰にも秘密にしていたし、お前にも言わなかった。お前が知ったら、ノルンに初の女神官長を目指せ!とか言い出しかねなかっただろう? そうしたら結婚できないじゃないか」
「ううっ、」
「それにノルンの力を知られたら、勢力争いに巻き込まれ、利用されるのは目に見えて明らかだ。だから私達家族は彼女を守りたかった」
「分かった。声を荒げてすまなかった」
妻のノルンがそれ程までに自分を思ってくれていたとはカラドックは思ってもいなかった。
ノルンは烏の濡れ羽色と呼ばれる艶のあるサラサラの長い黒髪に、雪のように白い肌をしたお人形のようにかわいらしい少女だった。
そしてカラドックの方も、彼女がまだ幼かった頃から、彼女の兄よりも傍にいて、あれこれと面倒をみるくらいに彼女の事が好きだったのだ。
ノルンは成長するほどに、神秘的な美しさを増していった。誰もが不謹慎と思いつつも、祈りを捧げる彼女にこっそりと目をやっていた。
このまま何もせずにいたらノルンを誰かに奪われてしまう。親兄弟、親戚、互いの職場、それらの根回しをする余裕さえなく、ある日抑えられない衝動に駆られたカラドックは、ミサの終了後に突然ノルンの両肩を掴んで言った。
「俺の妻になってくれ! 頼む!」
聖なる透明な白い顔は、一瞬で輝くピンク色に染まった。
火の国の巨人スルトを連想させる、真っ赤に燃える髪と濃紺色の瞳に鍛え抜かれた逞しい体躯の持ち主カラドック。そして、烏の濡れ羽色と呼ばれる艶のあるサラサラの長い黒髪に、神秘的な黒い瞳をした清廉な女神官ノルンの結婚は、城内でとても話題になった。
二人は人も羨むほど仲が良く、幸せな結婚生活を送っていたが、突然この二人に大きな不幸が襲った。最初に生まれた子が生まれてたった二か月で突然に亡くなってしまったのだ。父譲りの赤い髪に母親譲りの黒い瞳をしたかわいい男の子だった。
その悲しみが癒えないうちにノルンが第三王子アーノルドの乳母になった事で、夫のカドラックと国王の側室には王城中で批判が殺到した。
なんて思いやりのない夫なんだろう。なんて冷たい側室なのだろうと。ノルンは胸が張って辛いので、王子様に飲んで頂いているのですといくら言ってもわかってはもらえなかった。
アーノルドに乳を与える為に、ノルンの息子を死なせたのではないか、と言う者までいた。ノルン以外の乳母を探そうにも、本当に信用出来る人物はそうそう見つける事ができなかった。
それにしても、人とはどうしてもこう、自分に都合の良いように悪役と被害者を作っていくのであろう。
「私に神の啓示があったのです。アーノルド様に誠心誠意お使えせよと」
ノルンがこう言えば、周りも納得するかもそれないが、そんな事を言えば、今度は王妃と第一側室がどんな手でアーノルド王子の命を狙ってくるか分かったものではない。三人は的外れの誹謗中傷にただ耐えるしか無かった。
そしてそれから三年後、ノルンは今度は元気な女の子を授かった。母そっくりの黒い髪と黒い瞳の雪のように白い肌をした、本当に愛らしい娘だった。名前はアリアンとつけられた。
しかし周りでその子をアリアンと呼ぶ者はいなかった。何故なら、彼女の乳兄妹であるスクルドことアーノルド王子が、舌足らずの口調で『アリー、アリー!』と呼んでいたからであった。
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