第七話――黒き翼の組合
まさに驚天動地というほかなかった。
今まで住んでいた世界がまるごと巨大な刑務所だったなどと言われて、驚かない者が果たしているだろうか?
しかし――いくつか思い当たる節はあった。
なぜあんな刑務所の囚人――いや中世の奴隷の如き人権蹂躙低賃金長時間労働、すなわちブラック労働が蔓延っていたのか。
――それは、罪人を罰するためだとすれば、説明はつく。
なぜ大多数の人間がブラック労働を問題と認識しているのに、放置されているのか。
――それは、何者かが仕組んでいたとすれば、辻褄があう。
「あなたの出自はわかりませんが、おそらく十年前の異教徒狩りで〈教団〉に捕まり、偽りの記憶を埋めこまれて〈第三世界〉、つまりあなたが今まで暮らしていた世界で、永久労働刑を受けることになったのでしょう。労働刑は死ねば魂が解放される死刑よりも重い刑罰です。たとえあちらの世界で死んだところで天使たちが魂を管理しているので、また別の人間として転生させられ、永遠に働かされる。さらにあなたの場合、〈第一世界〉に戻ってこられることを防ぐために、教団からの看守――すなわち天使が、私の見たかぎりでは二人ついていました。別の世界に行く方法はご存じの通りなくはないので、よほど脱獄を警戒されていたのでしょう。私としては、あなたがこちらの世界で何をしていたのか、個人的に興味が湧いてきました」
そんなバカな――⁉︎
堕天男はこの世の終わりとばかりに心の中で絶叫した。
死刑より重い刑罰だと?
俺がいったい何をしたっていうんだ!
「あなたが犯した罪はわかりませんが――」
シーが、堕天男の思考を読んだように返答する。
「教団――すなわち唯一神ガイウスを頂点として崇めるガイウス教団ですが、彼らは信者以外の全人類を邪教に染まった罪人だと見做しています。そして今、罪人のほとんどは第三世界で労働地獄に喘いでいる。おかげでこの第一世界は平和そのものですよ。……途方もない犠牲の上に成り立つ平和ですけど」
「つまりその――教団ってのが俺を記憶を消して偽りの記憶を吹きこみ、異世界の刑務所――あのクソブラック労働地獄に送りこんだ張本人だと、そう言うのか」
堕天男にはにわかに信じがたいことだった。
何せ彼の脳には三歳頃から今に至るまでの記憶が残っている。
幼少期や小学校時代くらいまでの記憶は時間の経過とともに朧げになりつつあるが、それでも幼い頃からあの毒母に監視、虐待され続けた記憶だけは、鮮明に残存している。
「そのとおりです」
「俺の母親は、天使だったのか」
「少し違います。アレはあなたの行動を監視するための看守であり、本当の母親はこちらの世界にいると思われます。もっとも異世界――第三世界に送られていなければ、の話ですが」
堕天男は激怒していた。
自分をまるで奴隷のごとくこき使ってきた会社に、店長に。
己を虐げてきた、母を騙った化物に。
そしてシーの言うことが真実なら、おそらくはその元締めである、〈教団〉とやらに。
「その話、嘘偽りはないんだな」
鋭い眼つきでシーをにらみつけ、堕天男は確認する。
「おやおや。せっかく監獄から解放して差しあげたのに、ずいぶんな態度ですね」
シーは堕天男の剣幕に怯むことなく、あくまで飄々と片眉を持ちあげ、肩を竦めた。
「いずれにせよ、あなたが第三世界から脱獄した以上、教団はあなたを連れ戻そうと躍起になるでしょう。私の話が嘘でないことは、すぐにわかります」
そして一拍置き、堕天男の眼を正面から見据え。
「では本題。黒野堕天男さん。我々〈黒き翼の組合〉に加入し、第三世界で虐げられている仲間を助け出す活動に、参加する意志はありますか?」
「黒き翼の組合……だと?」
怪しげな名前の組織に、堕天男は眉を顰めた。
その心を読み取ったかのように、シーは続ける。
「ご心配なく。組織というよりは、同じ志を持つ者たちの同盟のようなものです。参加資格は第三世界の同志たちを救い出す活動をするだけで、他には特に義務などはございません。……いかがでしょう?」
まっすぐに眼を見つめられ問われた堕天男に、迷いはなかった。
あの恐ろしい天使たちと戦うことが怖くないと言えば、嘘だった。
――が、皮肉にもブラック労働によって養成された精神力と憎悪、憤怒が、それを上回っていた。
「いいだろう……この俺をボロ雑巾のようにこき使いやがったクソカスどもを貴様らがぶち殺すというなら、手を貸してやる」
拳を掲げ、堕天男は宣言する。
「いや。俺にも殺らせろ。この手で、生まれたことを後悔させながら、天使どもを、教団のゴミどもを、ばらばらに引きちぎり! 殺してやる!」
殺意で眼をぎらつかせてそう叫ぶ堕天男を、しかしシーは不敵に笑った。
「それを聞いて安心しました。が――」
意味ありげにひと呼吸置き。
「――今のあなたの力では、天使を倒すことも教団から同志を救い出すことも不可能です」
堕天男は、ぎりりと歯噛みした。
悔しいが彼女の言う通りだった。
自分を虐げた母や店長とここで戦えと言われても、数秒で死体にされるだけだろう。
「もしあなたが望むなら、私はあなたに私の師匠を紹介することができますが、如何いたしましょう。ただし――」
シーの眼が細められた。
「――とても厳しい方なので、あなたの命の保障はできかねます」
唐突に低く抑揚のない声でそう言われ、堕天男は絶句した。