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第三世界収容所  作者: 富士見永人
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第三十九話――復活の堕天男(ニュー・ルシファー)

「ここは――どこだ」

 何だか長い眠りに就いていた気がする。

 真っ先に眼に入ってきたのは、煤の如き黒雲に閉ざされし空。

 荒れ果てた第二世界の荒野のど真ん中に大の字で寝そべるその男――堕天男(ルシファー)は、眼醒(めざ)めるや否や己の肉体の異変に気づく。

 何だ、この真っ白い腕は。

 彼の肌は今やシーやブリーゼと同様に透き通るように白かった。

 筋骨隆々としたミドル級のボクサーのような肉体は相変わらず。

「は――」

 脳裏に今までの記憶が急回想(フラッシュバック)し、ビクリと跳ね起きた。

「俺は、たしかあのクソ天使店長に腹をグチャグチャにされて――」

 忌まわしい記憶とともに蘇る、腹の不快な感触。

「何で裸なんだ、俺は」

 そう、堕天男はなぜか全裸体であった。

 近くに穴の開いた己の服が落ちていたため、急いで着た。

 それは暗黒神によって人間の肉体を消滅させられ、新しく魔族としての肉体を与えられたからなのだが、ずっと気を失っていた堕天男が知るはずもない。


「シー!」


 ようやく、すぐ近くで横たわっていたシーの存在に気づく。

 駆け寄り、抱き起こし、そして絶句する。


 彼女の、あまりの変貌ぶりに。


 深海のように青く美しかった髪は、老人の如く真っ白かつボサボサ。

 頬はこけ、肌は荒れ果てた砂漠の如し。

 まるで余命いくばくもないお婆ちゃんのよう。

「何があったんだ。しっかりしろ」

 ガクガクと揺すってみるが、眼が覚める気配はない。

 そこで初めて堕天男はシーの腕や足が折れていることに気づいた。

 下手に動かすべきではない、と判断した堕天男は、彼女を静かに地面に寝かせた。


「『浮遊せよ(フローテ)』」


 己とシーの体を魔法で浮かせ、しかし極力魔物との戦闘を避けるよう慎重に低空飛行しつつ、思考する。


 こころなしか、眼が醒めてから体中から力がみなぎってくる……気がする。

 シーを一刻も早くブリーゼの元へ連れていかねば。

 弟子にやたらと厳しい師匠だが、いくら何でも見殺しにはするまい……たぶん。

 問題はどうやって第一世界へ帰るかだ。

 岩陰に隠れ、大型の魔物たちをやり過ごしているうちに、堕天男はシーが第三世界から帰ってくる際にスマートフォンによく似た装置で仲間に連絡をとっていたのを思い出した。

 もしや、と、堕天男はシーの肩から垂れ下がるポシェットの蓋を開ける。案の定、中には黒光りする石版のような端末があった。

 手に取るとそれは自動的に光を放ち、現在時刻と、堕天男の知らない男がシーと一緒に写ったツーショット写真が浮かびあがってきた。彼女のプライバシーを侵害するようだが、今はそんなことは言ってられない。

「くそ。圏外か」

 画面の左上に小さく表示されている〈圏外〉の文字。異世界文字で書かれていたが、第一世界で広く普及している魔法文字は特殊な力で見る者すべてに意味がわかるスグレモノである。

 この端末でシーの所属する闇の翼の組合ダークウィング・ギルドの仲間に連絡がとれれば、第三世界から第一世界へ来た時のように、仲間に異世界門(ゲート)を開いてもらえるかもしれない。


 第三世界で可能だった第一世界との異世界間通信が、なぜ第二世界(ここ)ではできないのか。

 現代日本で田舎や山の中で圏外になるように、第二世界にも異世界間通信を実現するための設備がないのかもしれない。

 そもそもそんな簡単に仲間に連絡がとれるなら、シーはとっくにそうしているだろう。

 とりあえず、ここからシーの仲間に連絡をとるのは難しそうだ。

 さて、どうしたものか。

 魔王の城に第一世界への扉があると彼女は言ったが……


 堕天男は星を見るように、空を見上げる。


 あんな空の半分を覆う魔王(バケモノ)に勝てる確率は万にひとつもないだろう。

 自分はおろか、天使の軍勢――それこそあの店長(デカトリース)毒母(サーマ)級が束になってかかっても、勝てるとは思えない。


「くそ。来るな。来るな」


 ふと、何だか頼りなさそうな男の声が、堕天男の耳に入る。

 岩の間からそっと覗いてみると、先ほどの大型の魔物と戦う天使の姿があった。

 あれは――

 堕天男の脳裏にひとつのアイデアが浮かんだ。


「『闇に消えよ(ブラックレイ)』」


 放たれた漆黒の光が天使――ではなく、魔物に命中。

 展開された黒い球体に飲みこみ、葬った。

「ひ! とと、〈特異対象L〉! アア、アウトノアさんには、ゆゆ、指一本、触れさせないぞ!」

 そう、堕天男が助けたのは、天使メグロス。

 片翼を失い、愛する者(アウトノア)を守るべく魔物と戦っていたのだった。

 そして今度は堕天男からアウトノアを庇うように、両腕を広げて仁王立ちする。

 天使には感情がなかったんじゃないのか?

 疑念を抱きながら、しかしすぐにどうでもよくなった堕天男は、メグロスにある提案をする。

「特異……何だ、その変な名前は。それはそうと――取引しないか」

「な、何だと……?」天使メグロスは眉をひそめ、しばらく堕天男を見つめていた。

「俺はシー(こいつ)を助けたい。お前はその女天使を助けたい。そうだな」

「そ、そうだ」

 堕天男の言葉に、メグロスは何度も首肯する。

「利害は一致している。ここは互いに休戦にするってのはどうだ。お前らも第一世界から来たんだろう。ついでに俺たちも一緒に連れて帰れ。そうすりゃ全員元の世界に戻れて仲間も救える。万々歳だ」

「バ、バカな――! そんなことをしたらフロセルビナ様に、ここ、殺される……!」

「バレなきゃいいんだよ。バレなきゃ。まあ、俺は別にどっちでもいいぜ。だめなら魔王をぶち殺して帰るだけだ。お前らを闇に葬った後でな。ヤツの城にも第一世界へ通じる(ゲート)があると聞く」

 堕天男の右腕から以前とは比べ物にならぬほど禍々しい黒い靄(ダークオーラ)が発せられ、メグロスは恐れ慄いた。

 そして決意したように、首を縦に振る。

「いいだろう……ぼくひとりが罰を受けることで、ア、アウトノアさんを救えるならば……安いものだ」

「話のわかるヤツでよかったよ」


 かくして交渉は成立し、守るべき者を背負ったふたりの男たちは、第一世界へと戻るべく魔物たちと共闘を始めた。

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