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第三世界収容所  作者: 富士見永人
38/42

第三十八話――暗黒の神(ドゥステルヌ・ヘル)

「ダーリン……まさか、()()()()というの……⁉︎」

 堕天男(ルシファー)は、何も答えなかった。

 ただ虫の息となったブリーゼを庇うように前に立ち、強大な未曾有(みぞう)の黒きオーラをその身から放出させ、フロセルビナを睨みつけるのみ。

「馬鹿な――〈万魔典(パンデモニアム)〉以外に()()を解けるはずが――」

「こりゃまた、ずいぶんな大物に出くわしたもんだな」

 堕天男の傍らに、身の丈ほどもある禍々しい魔剣を背負った小柄な男が、現れた。

「気をつけてください。グレイオ。天使長フロセルビナは〈見えざる剣〉を使うと聞きます」

 さらにもうひとり、黒装束をまとった白髪の女性が、並んだ。

 ブリーゼに全能眼(パーフェクトアイズ)をつぶされたフロセルビナに彼らの姿を確認する術はないが、堕天男に味方しており、友好的な雰囲気でないのは明らかだ。

 おそらく、闇の翼の組合ダークウィング・ギルドのメンバーだろう。

「フロセルビナ様。ここは撤退を。形勢はこちらが不利かと。ユリウスの蘇生も一刻を争います」

 狼狽(ろうばい)するフロセルビナの前に、肉片から復活したサーマが降り立ち、人形の如き無表情で言った。ブリーゼが瀕死の重傷を負うことによって、精神侵食(アーレシア・メンタ)の効力が弱まり、大教会の神官たちがサーマにかけた抵抗(レジスト)術式がそれを上回り、正気を取り戻したのだろう。

 死に瀕し、先ほどフロセルビナによって氷づけにされたユリウスは、サーマに片手で軽々と持ちあげられていた。

「……そうね。眼が見えなくなってしまったし、仕方ないわね……ハァ、ガイウス様に叱られる……」

 先ほどの怒りと殺意はどこふく風か、ガックリとうなだれながら、フロセルビナはサーマとともに飛び去っていった。


 堕天男たちはそれを深追いせずにただ黙って見送り、瀕死のブリーゼを抱え、どこかへと歩み去っていった。


   * *

 

 時刻は、堕天男が天使デカトリースと相討ちとなり、瀕死の重傷を負ったところまで遡る。

 天使軍のほとんどは魔王に蹂躙(じゅうりん)され、メグロスは魂魄毒(アルマ・エメラ)に冒されたアウトノアを救うために任務を放棄して〈大教会〉へと帰投。

 デカトリースに殴打(ホームラン)され、自らも重傷を負ってしまったシーは、手足を骨折しているため浮遊魔法(フローテ)で堕天男に接近、様子を確認する。

 ひどいありさまだった。

 デカトリースに社会人精神注入棒で腹を串刺しにされ、内臓をグチャグチャにひっかき回されてしまっている。

 人間ならどんな名医にかかっても助からないほどの致命傷。

 まだ息が残っているのが奇跡であろう。


「…………?」

 すでに意識が定かではない堕天男には、シーが何を言っているのかわからなかったであろう。

 ――これは賭けだ。

 堕天男の肉体から魂が引き剥がされるまでの。

〈第三世界〉、すなわち堕天男がかつて労働地獄を味わっていた現代日本では、肉体が死ねばその魂は天使に捕獲され、新しい労働者として転生させられた上でふたたび労働刑を受けることとなる。

 対して〈第一世界〉では肉体から分離した魂は、死者の国で生前の罪を清算した後、まったく別の生命に生まれ変わる。

 ――と、シーは義務教育で教わっていた。


 死者の行方が冥界なのか、あるいはそれは単なるお伽話で本当は蛋白(タンパク)質の塊と化すのか、それはわからない。

 肉体を離れた堕天男の魂が教団に捕獲され、第三世界収容所へ連れ戻されてしまう可能性も充分にある。

 ならまた第三世界へ侵入して連れ戻せばいいのか? という策が浮かんだが、シーは一瞬でそれを棄却。

 そもそも彼の魂がどうなるのかはまったくの未知で、第三世界に新しく転生した堕天男にはより多くの天使の監視がつき、奪還は困難になるであろう。

 私が、彼を救うしかない――

 それが、シーの導きだした結論だった。


 シーの思い描くある〈大魔法〉は、魔道士としては己より遥かに高位の師匠(ブリーゼ)に頼んだ方が確実だろう。

 しかし今は時間がない。

 ここでモタモタしていれば、堕天男が帰らぬ人となる、と。

 シーの直感が、告げていた。


 困ったら師匠が何とかしてくれるだろう……と、心のどこかで期待していたシーは、その考えを葬り去った。

 師が私たちに試練を課すために天使どもをよこしたとは思えない。

 ヤツらがここに奇襲を仕掛けてきたからには師の身にも何かあり、だからこそ愛しの堕天男が本当に死にかかっていても彼女は助けに現れないのだ、と、聡明なシーは気づいていた。

 よくファンタジー小説などでは死者を復活させる呪文が当たり前のように使われているが、この世界にそんな都合のいいものは存在しない。

 少なくとも魔法大学を首席で卒業したシーは、そんな魔法の存在を聞いたことすらなかった。

 最高神ガイウスの力〈神法〉を駆使する天使や神官ならば、あるいは可能なのかもしれないが、少なくともあの伝説級の大魔道士(ブリーゼ)ですら「そんなものは知らない」と言っていた。


 しかし――シーの脳裏に、昔の記憶が蘇る。


 それは、かつてブリーゼが、魔術修行によって死にかけたシーを救った方法であった。

 ブリーゼのような魔術の天才的素質(センス)と膨大な魔力(マナ)をもってはじめて成立する、()()()()()

 凡人が下手に手を出せば、瞬時に魔力を吸いつくされ発狂してしまうであろうそれを。

 師の如き天賦の才がないと自覚していたシーは、たとえ絶望的に低い可能性であっても。

 自分を守り、死に瀕している弟弟子(ルシファー)をこのまま見殺しにすることは、できなかった。


 全身のあちこちを骨折した重体であってなお、シーは激痛に気絶しそうになりながらも、魔法で作り出した氷のナイフで己の手首を切り裂いた。

 ドクドクと流れ落ちる、人類のそれよりは幾分黒い血液を、堕天男の全身にかけ、さらに擦りつけるようにして不気味で歪な魔法陣を描く。

 試したことはないが、魔法大学を首席で卒業したシーのその優秀な頭脳は、かつて師が自分に使用してくれた魔法の情報を鮮明に記憶していた。

 魔法陣と呪文の詠唱は憶えている。

 問題は自分の精神が耐えられるか。

 いや……やるしかない、と、意を決してシーは呪文を唱え出す。


「『|我貴神の血を受け継ぎし暗黒の従者イオ・ウ・ドゥステルヌ・ネヒト。|我が貴神の血を代償に祈り願う《ターレン・サング・へディル》――来たれ暗黒の神よプリーテ・ドゥステルヌ・ヘル』」


 途端――まるで己の体重が何倍にもなったかのような、錯覚。

 あまりに強烈な脱力感、そして直後に襲いかかる、頭を斧か何かで叩き割られたかのような、強烈な頭痛。


「ア……アァ……」

 ただでさえデカトリースに重傷を負わされている上、大焦熱魔法アサーラ・イルマ・イヒト大崩落魔法(クーラフス・テラ)などの超魔法で底を尽きかけた魔力を限界を超えて奪われてしまったのか、シーの夜空の如き藍の髪色は真っ白に抜け落ち、眼は充血し頬はやつれ、一気に二十歳くらい老けこんでしまったかのような、憔悴ぶりだった。

 魔力量が足りなかったせいか、現れた〈それ〉は。

 ブリーゼの時とは大きく異なり、ただ巨大な黒い(もや)の集合体であった。

顕現(けんげん)に失敗した……?)

 一度しか見たことのないシーに、〈それ〉が本物か否かを判別する(すべ)はない。


 しかし……ここで詠唱をやめれば、どのみち堕天男は助からない。

 魔力が尽きて気を失いそうになりながらも、決死の覚悟でシーは呪文の続きを唱える。


「『我請い望む(イオ・ペディル・)新たなる魔族の生誕をビルス・ノヴォ・テュフェル我が全魔力を代償にヴィーデン・セイネ・シーレ・アーテ・彼の魂を貴神に捧ぐターレン・ミ・ガンス・マナ――魔導転生ドゥステルヌ・リナスカ』――!」


 どうか、堕天男を助けてほしい。

 そう言わんばかりに声を枯らさんばかりに叫んだシーに対し。


我が子よ(ボーネ)――汝の願いを叶えよう(ファーグ・アレス)


 くぐもった低い声とともに、黒い(もや)の集合体の中心が、シーには心なしか笑ったように見えた。

 そして――次の瞬間。

 すでに枯渇しきったはずの魔力を、さらに底割れしたように恐ろしい勢いで吸われていく感覚がシーを襲う!

「うご……げ……ぐぇ……」

 否――魔力はすでに枯渇している。

 吸われているのは、何か別のモノ――生命力――魂――?

 満身創痍のシーにはそれが何なのかはわからなかったが。

 とにかく、魔力の代わりに何か不可欠なものを吸い出され。

 それは耐えがたい苦痛を、シーに与え続けた。


 薄れゆく意識の中で、堕天男の肉体がどす黒い炎で焼かれ、消滅していく……

 おそらく人間としての肉体が朽ち果て、魂が解き放たれたのだろう。

 だが――


 すでに堕天男の魂が剥離し、冥府へと連れ去られたのか。

 あるいはシーの残り魔力と魂が足りなかったのか――

 生まれ変わった堕天男の姿を見ることもなく。

 暗黒神と(おぼ)しき黒い(もや)は、雲散霧消してしまった……!


「あっ……そん……な……」

 現実は非情であった……

 自分のような未熟者に、師でさえも使用を躊躇(ためら)うほどの大魔法が、使えるはずもなかったのだ――


 絶望の果てに、シーの視界は暗転し。

 彼女はそのまま意識を失った……

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