第三十五話――精神侵食(アーレシア・メンタ)
「必殺『神聖雷撃斬』」
ユリウスが聖剣エル・キャリバーを天高く掲げると、その刃に白き雷が直撃。
しかし生身の人間であるはずのユリウスはダメージを受けることなく、雷に宿し魔力を操り、その剣に帯電させ。
瞬時に間合いを詰め、ブリーゼに切りかかる――!
「ち」
とっさに無詠唱転移魔法で間合いを稼ぎ、回避するブリーゼ。
「悪・即・斬――ッ‼︎」
先ほどまでの落ち着いた態度とは一転し、眼をクワッと見開き、悪の組織を滅する特撮ヒーローの如く大仰な動作で切りかかってくるユリウスの雷光の斬撃は、岩をまるで豆腐のように切り裂く。
「『闇に消えよ』――」
ブリーゼの手より、ユリウスを亡き者にするべく放たれる、漆黒の光――
「無駄な努力がお好きなようで」
そう言ったフロセルビナは女神の微笑を崩さず。
そしてユリウスに命中したかと思われた漆黒の光は、しかし彼の直前で消滅。
神装『聖羊神鋼皮盾』の時空断絶とは、つまり異世界門を全方位に展開しているに等しい。
黒葬魔法が当たれば確実に敵を闇に葬る必殺の魔法といえど、ユリウスの周囲に展開された聖羊神鋼皮盾によってすべての攻撃は強制的に異世界に送られるので、当てようがないのだ。
そして攻撃後の隙を狙われ、すかさず撃ちこまれる、サーマの神法『爆裂滅殺天使砲』。
ユリウスの〈魔法殺し〉の剣に意識を向けていたブリーゼに、ただでさえ馬鹿げた攻撃範囲の広さを誇るサーマの天使砲を回避する術はなく、鋼鉄をも瞬時に蒸発させるこの破壊の一撃を今度こそまともに受け、彼女ははるか彼方へと、ふき飛ばされてしまった。
が――
「『裂けよ天空』――」
それは、かつて弟子が師匠に放った、圧倒的高熱の巨大な光球を空に出現させ、周囲一帯を破壊し尽くす超魔法。
本来なら長呪文の詠唱が必要なそれを、稀代の天才魔道士であるブリーゼは、あろうことか省略して放った。
本来大焦熱魔法のような高等魔法を扱うには膨大な魔力と呪文詠唱、何より精神集中が必要であり、それを省略するなどほとんどの――否、ブリーゼ以外の魔道士には不可能な芸当である。
サーマとユリウス、そしてフロセルビナは散開していたが、そんなことはまったく問題にならないほどに巨大な火球が天空に出現――
シーの放ったそれよりさらに十倍以上も大きなそれは。
ギュレネ峡谷の美しい奇岩群や大地をアイスクリームの如く融解させ。
成層圏まで届く巨大なキノコ状の土砂の壁を生み出した……‼︎
「うふふふふぅ〜。私の聖羊神鋼皮盾の前では、ただの暖房くらいにしかならないのでございますよ〜♪」
熱によって辺り一帯が灼熱色に焼けただれた地獄の景色の中を、まるでお花畑を散歩する貴婦人さながらに歩くフロセルビナ。
その複雑な幾何学模様の描かれた瞳は、周囲の地獄色とは対照的な淡青色に輝いている。
周囲を飛び回るサーマも、フロセルビナの後方、地を焼き続ける巨大な炎の中から歩み出てくるユリウスも、同じくフロセルビナの聖羊神鋼皮盾によって無傷。
焦熱の地獄を平気な顔で歩き迫るその姿は、天使というより悪魔のよう。
こちらの攻撃がいっさい通らない、不可思議。
漫画や映画、小説ならともかく、現実の戦場でわざわざ〈冥土への土産〉に自慢の能力をベラベラと解説する間抜けはいない。
天使長フロセルビナの神装『聖羊神鋼皮盾』の存在を、ブリーゼは知らなかった。
神装というのは教団でもごく一部の人間、あるいは天使しか知り得ない最高機密なのだ。
故にブリーゼは、手加減なしで放った大焦熱魔法が、フロセルビナはおろかサーマやユリウスにすら通用せず、しかも彼らが一切の防護魔法を展開していないという謎を、解かなければならない。
そのために、ブリーゼはすでに二つのトラップを仕掛けていた。
ひとつ目は、感染魔法。
この魔法は召喚魔法の一種で、空気感染する致死性の高い異世界の病原体を任意の場所に呼び寄せる。
そもそも身体の構造がまったく異なる天使には通用しない可能性が高いが、人間であるユリウスならば吸いこめば最後、数分で身体中の血管が破裂して死ぬ。
しかし彼は至って元気そうだ。
つまり感染魔法は、敵に届いていない。
もうひとつの魔法は呪音魔法。
通称〈悪魔の声〉とも呼ばれるこの魔法の正体は、大気中の精霊に干渉し、ある特殊な周波数の超音波を発生させる魔法だ。
空気振動を操り、音を発生させる魔法はいくつか存在するが、この呪音魔法は特定の周波数の音を相手に聴かせ、敵を発狂させることを目的とした魔法だ。
たとえるなら金属をひっかくような癇に障る音を強力な拡声器でさらに増幅させたものを延々と聴かされるとして、その百倍はひどい。
こちらも天使に有効かはわからないが、人間には通じるはず……なのだが、それも反応すらなし。
このふたつの試みにより、ブリーゼはサーマやユリウスを覆う〈膜〉が、熱エネルギーはおろか空気すらも完全に遮断しているのではないか、と、推察する。
ブリーゼの魔法辞書にそんな魔法は存在しない。
つまりそれは通常の防護魔法の範疇を超える、別の何か。
神の加護か――または高位の天使や神官だけに与えられる特別な装備、〈神装〉。
だが、自分には敵の姿が見えているし、向こうからも当然だがこちらの姿が見えている。
視界が通っているなら、あるいは――
この状況を打破できる魔法を、〈万魔典〉の異名を持つブリーゼは、いくつか知っている。
中でも最も適したものは――
「『盲従せよ』」
ブリーゼの瞳が、妖しく輝いた。
この魔法は精神侵食魔法の一種であり、眼をあわせた相手の精神を侵食、自我を崩壊させて操り人形にする。
以前シーが堕天男との魔法試合で披露した神経掌握魔法は相手の神経を支配して身体の動きを強制的に操る魔法だが、こちらは精神そのものを侵略して洗脳する。
フロセルビナは相変わらず自愛に満ちた女神の笑みで。
「無駄でございますよ。彼らには精神操作や汚染に対する抵抗術式もかけられて――」
しかし――すぐにその笑みは崩れ去った。
サーマがフロセルビナに向かって爆裂滅殺天使砲を放ったからだ。
超威力の破壊光線を、フロセルビナはしかし微動だにせず、その身ですべて受ける。
――が、やはりダメージはなし。
彼女本体はおろか、衣服が焦げた様子すらない。
フロセルビナは驚いた様子で口を開く。
「信じがたいですね。彼女には大教会きっての神官たちが抵抗術式を幾重にもかけていましたのに」
「私の精神侵食系が、単にそれを上回っただけよ」
さも当然、とでも言うように、ブリーゼは勝ち気に笑った。
精神を汚染させたり支配する魔法はいくつか存在するが、それに抗うための抵抗術式というものも存在する。
その関係はわかりやすくたとえるならコンピュータ・ウィルスとアンチウィルスソフトのようなもので、相手の精神活動を阻害する外部からの魔力干渉を発見し、遮断する仕掛けだ。
世界に蔓延するほとんどのウィルスはアンチウィルスソフトによって守られるが、中にはそれを突破してユーザーのパソコンを侵略、支配してしまうタチの悪いウィルスが存在するように、ブリーゼの精神侵食は、大教会の神官たちが束になって入念に仕込んだ抵抗術式を凌駕してしまった……!
「ユリウス。彼女の眼を見てはなりません。貴方の自我を破壊され、精神を支配――」
だが、返事はない。
「さあ、やっておしまいなさい。坊や。あなたの剣なら、あのいけ好かない女を殺れるはず」
ブリーゼの命令に従うように、ユリウスはフロセルビナに剣を向けた。
ユリウスの剣が魔力を喰らい、魔法による防護を無効化して敵を切り裂く魔剣だという事実に、ブリーゼは先ほどの一撃で気づいていたのだ。
「残念ながら、それは不可能でございますよ」
フロセルビナが不敵に微笑んだ。




