第十九話――天使長
第一世界――すなわち現代日本人にとっては異世界での。
世界一の超大国、エル・ガイウス。
全世界の実に八割以上の国々を傘下に治めるこの宗主国は、堕天男たちのいるアルカイア大陸より東に二万キロメートル以上も離れた、ウルシア大陸の中央に位置する、世界の政治および経済の中心地である。
そしてその首都であるエル・キャピタンの、さらにその中央に。
高さゆうに二千メートルを超える、巨大な教会がそびえ立っていた。
そう、ここは〈教団〉――すなわち、ガイウス教の総本山。
「そうですか。〈特異対象L〉の捕獲に失敗した、と」
大型の船舶を丸ごと格納できるほど広大な聖堂の中央に、三つの人影。
――否、その背に大きな翼を持つ、天使たちの姿があった。
「申しわけありません、フロセルビナ様」
ふたり並んで跪くのは、堕天男を蹂躙していた店長と、堕天男の母。
彼らの視線の先に立つのは――金の巻毛が印象的な、美しい女性。
その背からは左右三枚ずつ、計六枚の翼が生えており。
頭上で輝く光輪は、デカトリースやサーマのそれよりもひと際大きく。
高空を想起させる深青色の瞳の中心には、サーマたちと同じ十字……ではない、複雑な幾何学模様が、幾重にも描かれていた。
「うぅ〜ん。困りましたねえ。このままじゃ私の責任問題に発展しちゃいますねえ」
フロセルビナと呼ばれた六翼の――天使の大部隊を統括する司令官である彼女は、先ほどまでの女神然とした態度から一転、やたらと人間くさい仕草で頭を抱え始めた。
「どんな罰でもお受けいたします」
サーマが、抑揚のない機械的な態度で、そう言った。
堕天男を嬉々といじめていた鬼畜母とは、まるで別人である。
否――彼女にとってはあちらが作られし仮初の人格なのであり、神に生み出された魔法生命に、本来感情、殊に死への恐怖は存在しない。
「そうねえ」
フロセルビナの顔に、今度は邪悪な微笑が、宿った。
瞬間――サーマの身体が、バラバラに切断された!
その様、まるでシュレッダーにかけられた書類の如し。
魔法生命にも血は通っているのか、人間のそれよりは幾分鮮やかな、やや桃色がかった血液が、周囲に飛散し。
一瞬にして町を壊滅させた怪物はあっけなく血の海に沈み、ビーフシチューのようにグチャグチャの肉塊と化してしまった……!
「あなたは、罰、要る?」
悪意のこもった眼でいじめるように、フロセルビナがデカトリースに詰問した。
「お――」
そう、本来死への恐怖心などないはずの魔法生命体〈天使〉であるデカトリースの額には、明らかに冷や汗が浮かんでいる。
「お、お言葉ですが、フロセルビナ様。死をもって償うことだけが、責任のとり方ではないかと、申しあげます。このデカトリース、全身全霊をもって、〈特異対象L〉の捜索を――」
「えいっ⭐︎」
フロセルビナが少女のように可愛らしい笑顔で右手を一閃すると。
デカトリースまでもが、サーマ同様バラバラに切断されてしまった……!
「まったく。まるで人間みたいな責任逃れをして。第三世界に長くいすぎたのかしらね、あなたは」
しばらくすると、バラバラになったサーマとデカトリースの肉片が、動き出す。
互いに這い寄り、グチュグチュ! と、グロテスクな音を立てて合体し――
数分後には、元ある姿を取り戻し、サーマとデカトリースは、何事もなかったかのように、フロセルビナに跪いていた。
そう、神の生み出した魔法生命である天使は、シーの爆裂魔法によってバラバラの肉片と化しても復活するほどの回復能力を有する。
心底めんどうくさそうにフロセルビナは頭を掻きながら、こう告げる。
「もうあなたがたには任せておけません。今後あなたがたは、私の指揮下に入っていただきます。〈特異対象L〉捕獲作戦の陣頭指揮はこの私、〈天使長〉フロセルビナ自ら執り行います。――ユリウス、お入りなさいな」
フロセルビナの命に応じ、聖堂の巨大な鋼鉄製の扉が、ゴゴゴ、と、うなるような音を立てて開き。
そこには純白の外套に全身を包んだ、金髪の若い男が立っていた。
フロセルビナが酷薄な微笑で、男に告げる。
「〈特異対象L〉の居場所については、すでに掴んでいます。かの暗黒神の下僕の〈魂〉を、このまま野放しにしておくわけにはいきません。殺しても構いませんので、捕獲し、第三世界収容所へ強制送還するのです」
「御意」
白マントの男は静かに首肯し、部屋を後にした。




