第十六話――魔法試合
ブリーゼのその場の思いつきで急遽実現した姉弟弟子魔法対決。
先手を切ったのは、堕天男であった。
「『弾け――』」
「『弾けよ』!」
ほんの刹那の差。
堕天男よりも早く呪文を詠唱し終えたシーの手から、あの巨大な暗黒騎士をもふっ飛ばした強烈な衝撃波が放たれた。
「ぐぬッ!?」
堕天男は疾駆する巨象にでも撥ね飛ばされたように宙を飛び、壁にたたきつけられた。
わずか一瞬の、魔法展開速度の差。
しかしその一瞬には、初心者と上級者の、如何ともしがたい壁が存在する。
「勝負ありましたね、お師匠。少し強めにたたきつけたので、骨が砕けてしまったかもしれません。早く治療を――」
そう言って踵を返すシーに、しかし。
「『弾けよ』!」
堕天男が衝撃魔法を放つ。
「『浮遊せよ』」
だが――詠唱終了から魔法が放たれる、ごくわずかの時間に。
シーは素早く魔法を展開し、堕天男の魔法を回避した。
そしてすかさず次の呪文を唱える。
「『来た』――」
「『服従せよ』」
ふたたび一瞬早く魔法を唱え終わったシーから、透明な空気の歪みのような〈何か〉が放たれ。
堕天男の全身の感覚を、奪った。
「ああ、ちょっと。神経掌握魔法はダメよ。そんなことしたらトレーニングにならないでしょう」
すかさず審判からダメ出しが入る。
無理もない、神経掌握魔法とは読んで字の如く相手の神経の操作権を奪い、体の動きを意のままに操る魔法。
呪文の詠唱すらも、不可能になる。
人間を〈物体〉と定義するならば〈物体操作魔法〉の範疇、と、シーは考えたのだが、さすがにそんな屁理屈は通用しないらしい。
「あんなひどい罰ゲームを用意しておいて、よく言いますね。まったく……」
シーからの魔力供給が絶たれたのか、堕天男の全身の感覚が元に戻った。
試合は一方的だった。
魔法展開のスピードを決めるのは、詠唱以上に精神集中のスピードである。
ただ呪文を唱えただけでは、魔法は実現しない。
重要なのは詠唱と同時にすばやく具体的に魔法をイメージすることであり、これが初心者にとっては大変難しい。
イメージすると言っても初心者がいたずらに規模の大きな魔法を思い描いたところで、それは実現しない。
基本的に魔法とは、神や精霊、悪魔などの、契約に基づく力の行使であり、物体操作魔法や衝撃魔法は魔力を代償に万物に宿る精霊の力を借りる行為である。
考えてもみよう――プロの小説家に「百円あげるから三百冊の大長編を書いてうちで出版させてくれ! 利益はもちろん全部弊社のもので!」などというふざけた話を持ちかけて、受けてもらえるだろうか?
つまり使用者の器に見合わぬ魔法をイメージしたところで、対価として捧げる魔力の量が小さければ契約は成立せず、魔法は実現されない。
己の器に見合った魔法のイメージを、如何にすばやく精細に思い描くか。
これは度重なる訓練の賜物であり、一朝一夕で身につくものではなく、魔法を習い始めて数日の堕天男が、年単位で魔法を使ってきたシーに、敵う道理などないのである。
――が、しかし。
物体操作魔法や衝撃魔法で何度も壁や天井にたたきつけられてもなお、堕天男は立ちあがり続ける。
「気づいていますか、堕天男。私が徐々に魔法の力を強めていることに」
「……?」
堕天男には、シーの言っている意味がよくわからなかった。
「猛獣でも全身の骨が砕けるくらいの力はこめてるんですけどね」
呆れ気味に言うシーに。
「そりゃあ、私のダーリンだから♡」
うっとりしながら体をくねらせる、ブリーゼ。
堕天男の、一般人にしては立派すぎるその体型。
百八十センチの身長に八十八キログラムという体重は、成人男性の平均を大きく上回り、本来なら肥満体である。
だが堕天男はいつかあの毒親に眼にモノを見せてやろうと、筋力トレーニングにひたすら明け暮れていたため、体脂肪率は十パーセント前後であり、その体重のほとんどが筋肉であった。
加えて母や店長による暴力が、堕天男の身体をちょっとやそっとの衝撃ではへこたれぬほど強固に鍛えあげていたのである!
が、さすがにそろそろ限界が近いのか、酔っ払いの如くフラついている堕天男に、シーは冷たく言い放つ。
「降伏をお勧めします、堕天男。あなたはまだ一度も魔法を詠唱できていない。私も罰ゲームはゴメンなので、次からは三倍の力でいきます」
ブリーゼの顔から、笑みが消えた。




