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第三世界収容所  作者: 富士見永人
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第一話――地獄の現代生活

 男の名は、黒野堕天男(ルシファー)

 ふざけた名前だが、れっきとした現代日本の成人男性であり、俗にいうキラキラネームなる呪われし贈り物を親から賜った不幸な二十三歳社会人二年目である。


 勤務先は大手家電量販店ビックリカメラ六出那(ろくでな)支店。無論、正社員などではない。ここに正社員という概念は存在しない。会社の都合でいつでも馘首(クビ)にされる百円ライターさながらの使い捨て非正規社員だ。

 ビックリカメラは現在、年末商戦に追われていた。

 先月引きあげられた消費税のせいで人はみな財布の紐を固く縛り、買い物を控えていたので売上は激減、その分を年末で穴埋めするべく各社員には厳しい売上ノルマが課せられており、皆が皆溺死寸前の水難者のごとくもがき苦しみ、職場は阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 堕天男はもともとあまり要領がいい方ではなく、売上成績が特に悪かった。

 今日は全スタッフ中名誉の最下位ということで、閉店後に店長室という名の拷問部屋に呼び出された。

 そう――ノルマを果たせなかった者は、勤務時間外に上司によって激しい叱責を受ける運命にあるのだ。


「黒野堕天男。本日の自分の予算(ノルマ)が達成できなかった原因を考え、自己批判しろ」

 険しい顔で堕天男に迫る、店長。

 堕天男はしばらく沈黙した。

 この受難の時間を早く終えて家に帰り、酒を飲んでだらだらしたかったので、それを実現するための最適解を模索していたのだ。

 が、すぐめんどうくさくなって考えるのをやめた。


「何なんだ、それは!」

 溜まりに溜まった鬱憤がとうとう堰を切ったように開放され、堕天男は上司の机を拳槌でがつんと殴りつけて叫んだ。

「品物が売れなかったのは、全部末端のせいなのか。売上が落ちたのは増税のせいじゃないか。他にも品物に魅力がなかったり、買う気のある客が来なかったり、値段が高かったり、ノルマの数字がそもそも無茶だったってこともあるんじゃないのか。何で全部俺の責任なんだ。俺が店中を駈けずり回っていた時、貴様はどこで何をしていた。さては自分の無能を棚に上げて全部俺に責任を押しつけようとしているな!」

「何だその口の利き方はァ――!?」

 店長は怒り心頭、髪の毛を逆立たせ、顔を石油ストーブのごとく紅潮させ、怒鳴りちらした。

「上司である私に向かって! お前は! 一体今まで、どういう教育を受けてきたのだ! 今日という今日は許さんぞ。終電まで……いや、お前が泣いて謝るまでは終電を過ぎてもたっぷり教育してやる。もちろん給料なんて出ないぞ。これは仕事ではなく、私の善意による啓発(ボランティア)なのだから。いっひっひっひ」

 唐突にサディスティックな笑みを浮かべた店長は、背後に立てかけてあった木刀を手にとった。その刀身には〈社会人精神注入〉と書かれていた。

「上等だ……俺は勤め人である前にひとりの人間だ。これは正当防衛になるな」

 堕天男はうおおと咆哮しながら店長に飛びかかり、プロボクサー顔負けの強烈な右ストレートを店長の顔面に向けて、放った。


 が――刹那、レンガで頭を殴られたかのごとき強烈な衝撃が、堕天男の頭を襲った。


「ぐわあ」

 思わず呻き、床を転げ回る。

 背後には、金属バットを持った、副店長。

 店長の指示なのか忖度したのかはわからないが、副店長は店長同様に邪悪な笑みを浮かべ、こう言った。

「まったく最近の若いのは。店長、この不埒者の成敗は私めにお任せを」

「何を言うのかね、持田(もちだ)くん。これは私の善意による教育(ボランティア)だよ。もう退勤時刻は過ぎている。さっさと帰宅しなさい。我が社は日本を代表するホワイト企業なのだから、残業などしてはいけない」

 ぺっ、と、堕天男は心の中で唾を吐いた。

 残業がないのではない、なかったことにされているだけだ。

「いえいえ。店長ひとりだけ置いておいそれと帰るわけにはいきますまい。この痴れ者は何をするかわかりませぬ故、給与を返上してでも折檻いたすべきでございまする。これも善意の――愛社精神の、なせる(わざ)。けけ、けけけけ」

 店長同様善意など欠片も見られず、他人を痛めつけることに快感を見出す獰猛なサディストの笑みを浮かべた副店長は、金属バットで再度堕天男の腕を殴りつけた。

「素晴らしい忠誠心だ、持田くん。いいだろう、では一緒にかわいい部下に愛の鞭をくれてやろうじゃないか。ただし! 骨折するまで殴ってはならぬ。入院させてしまってはそれこそただの負債になってしまうからな。あくまで仕事に支障を出さない範囲で、傷害罪として立件されぬ程度に、うまく痛めつけるのだ。それができて初めて一人前のリーダーといえよう」

 一点の曇りもない笑顔でさらっととんでもない暴論を吐く店長は、社会人精神注入棒を振りあげ、骨折しないぎりぎりの絶妙な力加減で、堕天男の足を殴りつけた。

「ぎゃあ」

 堕天男の悲鳴が、夜の店長室に、(こだま)する。


 助けに来る者など――いない。

 同じ立場の平社員、つまり同僚たちは堕天男の味方かといえばそんなことはなく、違法長時間労働が蔓延しているにもかかわらず、なぜかその怒りの矛先はもっとも立場の悪い堕天男に向けられる。

 おそらく彼に味方すれば自分の立場も危うくなると考え、「自分は会社の忠犬です」と証明するため、もしくはあの邪智暴虐な店長に私刑(リンチ)されるのが恐ろしいためか、とにかく良くて傍観者に徹するか、あるいは副店長のように堕天男いじめに加わることすらある始末。


 無論ただやられっぱなしの堕天男ではなく、この惨状を店長のさらに上司、地区長や部長に密告(チク)ったことはある。

 当然だ。これは立派な暴行罪。出るところに出れば勝てる。


 ――などと、法治国家にお住まいであろう読者諸兄はお思いだろうが、そんなことはない。


 ()()()の労働基準法においては社員の教育という名目でならある程度の体罰は黙認されるという〈教育無罪の原則〉がある。

 そして――上司に反逆することは社内の和を乱し、生産性を低下させるとの理由で〈反逆罪〉に問われ、五十万円以下の罰金刑に課されるのである!


 そんなわけで店長と副店長のふたりに〈教育〉――いや、サンドバッグにされた堕天男は、激痛の走る全身を引きずりながら終電に乗り、帰宅する。

 死人のような顔でつり革にぶら下がる彼は今、こう思っていた。


 俺の人生って、何なんだろう……

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