79:勧誘と痴情のもつれ
再び、ミハルトン伯爵家の門をくぐり、建物に入る。
クレオたちの逃亡防止のため、予め見張りも置いていた。
屋敷は最低限片付けられただけで、凹んだ壁や家具、布に染み付いた血はそのままだ。
応接室では、疲れた表情の伯爵とクレオがソファーに並んで座っている。
乱戦の名残なのか、背もたれや手すりがところどころ傷ついていた。
「それで伯爵、俺は第一王子から事態の収拾を頼まれているんだけど……ミハルトン家を混乱に陥らせた弁明の準備はできた?」
クレアが問うと、伯爵は反抗的な態度で噛みついた。
「影武者風情が偉そうに! 拾ってやった恩を忘れたのか!!」
まだクレアが自分の支配下にあると疑いもしない様子だ。
しかし、クレアが何かを答える前に、伯爵の顔のすぐ右側に深々と長剣が突き刺さった。
「困ったな。うっかり手が滑った」
……サイファスだった。
「ごめんね伯爵、構わず話を続けてくれる?」
残虐鬼は、めちゃくちゃなことを言い出す。
その間に、護衛として同行したアデリオが、震える伯爵の傍で剣を回収した。
そして、いつでも突き刺せるぞと言う風に、それを持ったまま伯爵たちの背後に回る。
(完全に脅しでは?)
ミハルトン家の応接室は、かつてない緊張感に包まれた。
声も出ない伯爵に変わり、彼の隣に座っていた弟のクレオが改めて説明を始める。
「執事長らは伯爵家の牢に移動させたが、昨日の今日だからまだ何もできていない。掃除も、あれが限界だった」
襲撃者の投獄や最低限の片付けなどで手一杯だったに違いない。
しかも、実務に優れた優秀な執事長には頼れないのだ。
伯爵とクレオの二人には荷が重いだろう。
引き続き、クレアが話を進める。
「犯人らはこちらで引き取りたい。それから、伯爵とクレオの今後についてだが、第一王子からの要望があってな」
昨夜、さっそく王子の使者が来て、彼らの処遇について命令してきたのだ。
耳聡いにも程がある……
「ミハルトン伯爵は、本日を以て引退。クレオ・ミハルトンはエイミーナ・ローデルと籍を入れて伯爵位を継ぐこと。あとで王家からも連絡が来ると思う。しばらくは、そちらの意見に従うように」
簡潔に告げたクレアは、残りの問題を思い出してため息をついた。
「それと、クレオ。お前の愛人の件だが……」
言いかけると、クレオの眉間にしわが寄る。
「あの人は愛人なんかじゃない。もっと大切な女性だ」
いつもの皮肉めいたクレオらしからぬ、感情的な声だった。
「じゃあ、なんだ?」
「父親違いの姉だよ。花街では一緒に暮らしていた」
女性の名は、ハーレというらしい。
クレオとハーレの母親は同じ。
ただ、彼女の父親はミハルトン伯爵ではなく、どこの誰ともわからない。
ハーレは忙しい母に代わり、幼い頃からクレオの面倒を見ていた。
しかし、ミハルトン家にクレオとして引き取られたあと、母や姉のいた店が経営難に陥ってしまったらしい。
もともと病気がちだった母親は亡くなり、ハーレは路頭に迷っていた。
「……だから、放っておく訳にもいかず、クレオに成り代わるときに呼んだんだよ。そうしたら、周りが勝手に愛人扱いし始めた」
「なるほどな」
「僕は伯爵の一人息子のクレオだから、姉はいないことになっている。真実は言えない……」
「それで、愛人という噂を否定しなかったのか」
まったく、身代わりという存在は面倒だ。
「エイミーナには真相を説明しろよ。でないとお前、公爵に潰されても知らないからな」
第一王子や公爵は親切心だけで手を貸してくれるような、良心に満ちた人物ではない。
むしろその逆だ。
特に公爵は、ミハルトン家の急拡大を危惧していた。
ミハルトン伯爵は各地に子供を作り、密偵や暗殺者を管理する裏稼業に手を染めている。
便利な存在ではあるが、同時に危険視されてもいるのだ。
今回の件で、第一王子や彼を支持する公爵に、クレオは手綱を握られることになるだろう。
話し合いが一通り終わったので、クレアは牢屋にいる執事長に会いに行った。
クレアを発見した執事長は、自嘲気味に嗤う。
「なんですか。僕を馬鹿にしに来たのですか?」
「そこまで暇じゃない。あと、お前は俺が引き取る。以上だ」
「は? 何を言っているのです!」
意味がわからないという様子で、執事長が顔を上げる。
「いちいち反論すんなよ~、面倒だから」
「あなたこそ、他人に理解できる言葉で話しなさい!」
クレアは少し考えて告げた。
「……セバスチャンが、力仕事のできる部下が欲しいって話していたから、お前がやれ」
「セバスチャン!? 誰!?」
聞き慣れぬ名前に執事長は混乱している。
セバスチャンはアリスケレイヴ辺境伯家の優秀な執事長だ。
ただし老齢のため、体力仕事に使える助手がほしいと常々言っていた。
「断っておくが、アリスケレイヴ家で妙な真似ができると思うなよ? あの屋敷で働いている奴は、大抵お前より強いからな」
「…………」
絶句する執事長は、のちほど回収することにし、クレアはその足でサイファスの元へ向かう。
サイファスはクレオと一緒に、今後の伯爵家についての話をしているはずだ。
クレアとクレオでは、ことあるごとに喧嘩に発展して話が進まないので、彼が間に入ってくれたのだ。
クレオの姉は、ミハルトン伯爵の隠し子という設定にするらしい。
たくさんいるので、怪しまれないだろう。
歩いていると、行く手にアデリオが立っていた。
「アデリオ、迎えに来てくれたのか?」
聞けば、彼は無言で首を横に振る。
「クレアに話したいことがあったから、待っていたんだ」
「ん? なんだ?」
「色々、吹っ切れた顔をしているね。クレオとしてミハルトン家に返り咲くのは諦めた?」
「ああ、そうだな」
別に、今さらクレオにならなくてもいい気がしていた。
あんなに未練があったのに、今の自分はルナレイヴに戻りたいと望んでいる。
サイファスは、クレアを「家族」だと言ってくれた。
アリスケレイヴ家では、マルリエッタもセバスチャンも皆親切だ。
「アデリオは薄々わかっていただろう? 俺が伯爵から親離れできていなかったって」
「……」
無言は肯定だ。
何事も深く考え込んでしまうアデリオは、悩むあまり一周回って「何も言わない」という選択を取ることが多い。
クレア自身、そんな彼に救われていた部分もあった。
「残虐鬼を選ぶの?」
「サイファスが、俺を『この世で一番の妻』だと……誰よりも大切な、ただ一人の家族だと言ったんだ」
「で、これから先、ずっと辺境伯夫人として辺境で生きるんだ? クレア、一カ所にじっとしていられるの?」
いつものアデリオよりも、ほんの少し棘のある言葉だった。
「なんだ、気に入らないのか?」
「ああ、気に入らないね。クレアと長くいたのも、クレアのことを一番理解しているのも俺なのに。なんであいつなの? 俺が家族じゃ駄目なの?」
「アデリオだって、俺の弟分で家族のようなものだぞ?」
「そういうのじゃない!」
どこか不機嫌なアデリオは、クレアに詰め寄る。
「クレアは残虐鬼が好きなの? 異性との恋愛的な意味で?」
「……恋愛的というのがよくわからん。ただ、一緒にいたら落ち着かない気分になる。こんなのは初めてだ」
クレアの言葉に、さらに顔をしかめたアデリオは、サッときびすを返して行ってしまった。
「一体……何を怒っているんだ?」




