75:残虐鬼と赤い部屋
「サイファス?」
クレアが声をかけるが、サイファスはずんずん前に行ってしまう。
「今回の騒動はクレア一人で解決できるものかもしれない。だから、手助けしたいのは全部私の我が儘だ。けれど、どうかこの場を譲ってくれないかな。ほんの少しでも君が傷つく姿を見たくないんだ」
答えるよりも早く、サイファスは動いた。
「なんです、あなたは。クレアの部下ですか?」
彼を見た執事長は眉をひそめ、馬鹿にする様子で問いかける。
クレアよりは厄介でない相手と判断したのだ。
サイファスの見た目は優男風。
国一番の危険人物にもかかわらず、残虐鬼と言い当てる者はいない。
クレアの傍に立っていた少女が懐に持ったナイフでサイファスに襲いかかるが、あっさり躱され、無様に顔面から床へ突っ込んだ。彼女が手に握っていたナイフが部屋の隅へ飛んでいく。
すると、部屋の奥から、わらわらと新手が現れた。
しかし、彼らもまたサイファスの敵ではない。
次から次へと現れる刺客たちをものともせず、サイファスは問答無用で床に沈めていった。
血だまりができている。
おそらく、ここへ来るまでにサイファスは他の刺客を全滅させたに違いない。
部屋の外から駆けつける者は誰もいなかった。
彼の放つ殺気に脅え、部屋の中にいながら近づけない者も多数現れている。
執事長も異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。頬を引きつらせながら別の作戦に出た。
「こ、こいつがどうなってもいいのか!!」
腰が引けた状態でミハルトン伯爵を抱え、怒鳴り散らす執事長。
もはやそれだけが、彼の命綱だった。
けれど、サイファスは気にせず執事長へと一歩、また一歩と近づいていく。
「本気で伯爵を殺しますよ!?」
「やれるものなら、やってみればいい。その瞬間、お前の首が飛ぶけれど」
サイファスならやりかねないとでも思ったのだろうか、執事長の顔が青くなった。
「本当に、なんなのです、お前は!」
見かねたクレアが、サイファスの代わりに彼に答えてやる。
「サイファスは一応俺の夫で、ちまたで有名な残虐鬼だ」
「――――!!」
部屋にいる全員が言葉を失った。
サイファスは「一応じゃなくて、一生の夫だよ」などと訂正しているが、誰も聞いてはいなかった。
残虐鬼への恐怖心が上回り、それどころではなかったのだろう。
刺客どころか、囚われのミハルトン伯爵までガタガタと震えている。
ほぼ全員が恐慌状態に陥ったミハルトン伯爵の寝室で、サイファスは刺客全員を打ち倒し、執事長に迫る。
「は、伯爵の命は……っ」
「クレアの命には代えられないよ」
即答したサイファスは、まっすぐクレアを見つめる。
それを目にしたクレアの中で、居心地が悪いのと同時に不思議な感覚が湧き上がってきた。
彼の背中がとても安心できる。
こんな感覚を抱いたのは、始めて自分を迎えに来た父を目にして以来だろうか。
問題発言を投下した残虐鬼は、剣で執事長の手からナイフを弾き飛ばし、返す一撃で彼を床に縫い付けた。
彼には尋問が待っているので、殺すことはできない。
「君の部下はもう使い物にならない。物理的にダメージを受けているのと、恐怖で動けないのと、両方いるけれど」
危険が去ったとわかったミハルトン伯爵は、床を這って身動きのとれない息子、クレオの方へ移動する。
「クレオ、クレオ、無事か」
彼の目には、クレアも執事長も映らない。
理解していたが、現実を突きつけられたクレアは複雑な思いに駆られた。
ミハルトン伯爵にとっての息子は亡くなった前のクレオと、彼にそっくりな今のクレオだけなのだと。
どんなに頑張っても、自分は「替え玉」以外にはなれなかった。
サイファスの剣で床に固定されている執事長も、難しい表情で伯爵を見つめている。
改めてクレアは、執事長と自分は同じなのだと感じた。
「クレア……」
気分が沈んでいると伝わったのか、サイファスが後ろからクレアを抱きしめようとしたが、変な格好のまま固まる。
自分の返り血まみれの服に気づき、遠慮しているようだ。
「なにやってんだ、サイファス。どうせ俺も血まみれだよ」
ついでにいうと、部屋の中も入り口から続く廊下も真っ赤だ。
固まるサイファスをねぎらおうと、彼の肩に手を回すクレアだが、相手の背が高いので届かない。
そんなクレアを目にしたサイファスは、こわばった頬を緩めて正面からクレアを抱きしめた。
「クレア、怪我はない?」
「あるわけねーだろ。サイファスはどうなんだ?」
「もちろん、無傷だよ」
そしてどういうわけか、サイファスはクレアを抱き上げ、クレオに視線を移した。
「僕らはここでおいとまするけれど、君たちでも掃除くらいはできるよね?」
ほわほわした笑顔で、血まみれの屋敷をなんとかしろとクレオに無茶振りするサイファス。
にこにこしているが、クレオに対して内心かなり怒っているのかもしれない。
クレアは慌てて彼を制止する。
「サイファス、掃除はともかく俺にはまだやることがあるんだ。クレオから事情を聞かなきゃならない」
「そんなの明日でいいよ、クレア」
クレアは、サイファスが反論する理由に薄々気づいていた。
事件についてクレオを問い詰めると、ミハルトン伯爵が必ず彼を庇う。
そして、クレオとクレアに対する彼の愛情の差が浮き彫りになる。
優しい残虐鬼は、クレアが傷つかないよう余計な気を回しているのだ。




