5:花の祝福と幼なじみの地雷
領民へのお披露目のための「塔」に到着したクレアは、サイファスに手を繋がれたまま階段を上っていく。
長いドレスの裾は、お付きの使用人が持ってくれていた。大層な移動だ。
「もうすぐだよ。この先に大きなバルコニーがあるから」
言われたとおり、すぐに外へ続く大きなバルコニーが現れた。
二人で出ると、方々から大きな歓声が上がる。
下を見ると、塔の周りは領民たちでごった返していた。
人々の投げる桃色の花弁が、ふわりと風に舞っている。
サイファスの結婚を祝福するルナレイヴの領民たちは、心の底から嬉しそうにクレアたちを祝福していた。
今の辺境伯は領民にとって本当に良い領主なのだろう。
やまない拍手の中、クレアはじっとその場に佇んだ。
「クレア、彼らに手を振ってあげて?」
「あ、ああ」
サイファスに指示され慌てて手を振ると、さらに歓声が大きく広がる。
「皆、君を歓迎しているんだよ」
澄んだ空色の瞳に見つめられ、クレアは少し居心地が悪くなった。
(俺には、本気でこの領地と向き合う覚悟がない。領民たちもサイファスも、辺境伯夫人となる花嫁を待ち望んでいたというのに)
領民たちは心から花嫁を歓迎している。
だというのに、自分はクレオに戻ることしか考えていない。
どうしようもなく、中途半端な存在だ。
芽生えた罪悪感に蓋をし、沈んだ気持ちで塔を後にする。
クレアは自分がとんでもない間違いを犯した気がした。
(アデリオの言った通り、ここへ来る前に逃げたら良かったのかもしれない。未練を断ち切って、異国で自由に生きる道もあったのに……できなかった)
花嫁の気持ちなど知らず、サイファスは優しくクレアの肩を抱き寄せた。
※
辺境伯の屋敷に戻ったクレアは、今後のために情報収集を開始した。
ずっとここに居座る気はないが、せめて辺境伯夫人をやる間くらいはサイファスの役に立とうと思ったのだ。
事前に嫁ぎ先について調べているものの、現地でしかわからないこともある。
密偵時代に培った技能をクレアはさっそく活用した。
とはいえ、情報収集は拍子抜けするほど楽だ。
基本、家族を放置する方針のミハルトン伯爵家とは違い、アリスケレイヴ辺境伯家では会う者が皆親切で、待望の花嫁をひ弱な令嬢と思い込み世話をやきたがる。
質問すれば、何でも答えてくれた。
今まで生きてきた環境との落差に、クレアは激しく困惑する。
用意された「奥様用」の部屋は、これぞ令嬢の部屋というような、ひらひらのレースやリボンつきのクロスに埋め尽くされた未知の空間だった。
ピンク色の壁、猫足の白い長椅子にテーブル、丸みを帯びた白い家具類に同じくふわふわの白いカーペット。
ちなみに、寝室のカーテンや寝具のカバーもレースやリボンにまみれている。
(誰の趣味?)
入った瞬間、クレアは項垂れそうになった。
(いや、見た目を気にしなければ不便はない)
クレアは、部屋を覆い尽くす怒涛のフリフリについて敢えて考えないようにした。
諸々の情報収集を終え、フリルまみれの寝台に倒れこんだクレアに向かって、アデリオがため息を吐きながら指摘する。
「ほら、言わんこっちゃない。俺と逃げればよかったろ?」
長い付き合いの彼は、誰よりもクレアのことをわかっていた。
アデリオはクレアの従者という立ち位置で、一緒にサイファスの屋敷――アリスケレイヴ辺境伯家に滞在する予定だ。
他の使用人や護衛は王都に帰ってしまったので、この領地に残った唯一の知り合いと言える。
「なあ、アデリオ。お前は残っていいのか? こんな辺境の地まで俺についてきて……他の奴らと一緒に帰っても良かったんだぞ?」
「バカなことを言わないでくれる? 俺は好きでクレアについて来ているの。クレアのいる場所が俺の居場所」
ふいとそっぽを向いた彼は、従者らしく部屋の点検を済ませると、未だ寝台に倒れたままのクレアの横に腰掛けた。
普段は体裁を取り繕うものの、共にスラム街の組織で育ったクレアやアデリオは、行儀作法を無視することが多い。ここでも、誰も見てないから良いだろうと自由奔放に過ごしていた。
今は他に誰もいないし、休息していい時間なのだ。
「というか、クレアこそ本当に辺境伯夫人をやるつもり? このままいけば、今夜あたりに初夜の儀式があるかもよ」
「……初夜?」
「クレア、そういうの疎いでしょ? そっち方面の教育係もいなかったのに大丈夫?」
「どうにかなるはず」
言いつつ、クレアは焦っていた。
男として育っているので、そっち方面の話はよく耳に入った。
娼婦と寝たことはないが、歓楽街に足を運んだことは何度もある。
しかし、それはあくまで「クレオとして」の仕事上のことだった。
こんな時、令嬢がどうすべきかはわからない。けれど、正直に話してアデリオに馬鹿にされるのは癪だ。
遠回しに情報を得ようと、クレアは悪あがきする。
「……そういうアデリオこそ、どうなんだ? 浮いた話は聞かないが、俺のことをとやかく言えるのか?」
すると、アデリオの機嫌が目に見えて悪くなった。