2:血まみれの顔合わせ!?
半年ほど前、クレア以上にクレオに似た庶子の弟を拾ったミハルトン伯爵は、突如クレアに告げた。
「今日から、この子がクレオだ。お前は、ミハルトン家の令嬢――クレアとなれ」
いくら似ていてもクレアの中身は女。
同性の婚約者もいたが、性別を偽るには限界がある。
その点、新しいクレオは外見上の問題がなかった。
もちろん、拾われたばかりの弟は能力面において難がある。
だが、息子を溺愛していた伯爵は実務能力を無視して彼を強引に次期当主にした。
寂しかったのだろう。それまでの孤独を埋めるように伯爵は新しいクレオを、まるで息子だった本物のクレオのように大事に扱い始めた。
伯爵は自覚なく新しいクレオに対し精神的に依存していたのだ。
その姿は、冷徹で抜け目ないと噂のミハルトン伯爵とはかけ離れており、周囲の目には病的に映っていた。
その後は周りの予想通りで、次期当主の座を奪ったクレオは、今や堂々と彼の息子として屋敷に居座っている。
クレアは今まで自分が培ってきた全てが、新しいクレオに横取りされたような気分になった。
しかし、もはやどうすることもできない。
程なくして、伯爵はまるで厄介払いをするかのように、クレアを辺境に住む「残虐鬼」の元へ嫁がせることを決めた。
クレアをクレオの影武者として使う道もあったが、次期伯爵の地位を剥奪された娘が内心穏やかではないことに気づいていたのかもしれない。
クレアの嫁ぐ相手――「残虐鬼」という名前の持ち主は、化け物ではなく普通の人間だ。
東の果てを治める辺境伯のことを指している。
戦で次々に敵を殲滅していく彼の様子が恐ろしいということで、畏怖を込めてその名がつけられたそうだ。
正直言って残虐鬼の恐ろしさはどうでもいいとクレアは考えていた。
だが、会ったことのない男に嫁がされることが気に食わない。
そんなクレアにとって、逃げようというアデリオの誘いは魅力的だった。
国内は難しくとも、国外へ逃げれば自由に生きていけるだろう。
クレアもアデリオも腕っぷしには自信がある。
だが、クレアにはそれを選ぶ勇気がなかった。
父である伯爵がどう出るかも不安だが、なにより伯爵家の新しいクレオが、ちゃんとやっていけるか心配だったのだ。
ミハルトン家に不安を残したまま逃げるのは気が引ける。
(あいつに、次期伯爵が務まるのか?)
もし、今のクレオが伯爵として相応しくなければ――
クレアの心のどこかで「またミハルトン家の息子に返り咲けるのでは」という期待が頭をもたげる。
成り行きでついた地位だったが、クレアはクレオとして生きることに喜びやプライドを見出していた。
たとえそれが、強制的に与えられた役割でも。
だから、アデリオの藤色の瞳をまっすぐ見ながらクレアは答えた。
「俺は逃げない」
「ミハルトン伯爵に利用され続ける気?」
アデリオは露骨に眉を顰める。
「そんなつもりもない。ただ……」
「跡取りの座が再び降って来るかもしれないって、期待しているの? 確かに、今のクレオに何かあれば、再び呼び戻される可能性が出て来るかな。でも、あいつ超健康そうだし、図太いだろうね」
そう言われ、クレアは押し黙った。告げられたことの全部が図星だったからだ。
どう答えればいいか迷っていると、不意にたくさんの馬の蹄の音が聞こえてきた。
音は徐々にこちらへ近づいてきている。
「花嫁の出迎えにしては、様子がおかしいな。敵襲か?」
まだまだ、辺境伯の屋敷は先のはずである。
警戒するクレアに向かってアデリオが口を開いた。
「ミハルトン伯爵、または残虐鬼に恨みを持っている相手かな。ただの物取りという線もある。クレア……刺客と山賊、どっちに賭ける?」
アデリオもまた、これが襲撃であると予測したらしい。
彼はこの襲撃を面白がっている。
同じく面白いことが好きなクレアは、すかさず彼の提案に乗った。
「じゃあ、山賊に一万ジェリー賭けるよ」
ただ、賭け事をするだけでは物足りない。
クレアはアデリオの方を見てニヤリと笑い、口を開いた。
「馬車に押し込められてイライラしていたから、応戦しに行っていい?」
ドレスの裾を持って動き出したクレアを見て、さすがにアデリオが焦った声を出す。
「待ちなよ、クレア! 討伐には俺が行くから、その花嫁衣装で暴れるのはやめて! 逃げずに残虐鬼に嫁入りする気なんでしょ!? 血まみれドレスの花嫁なんて洒落にならないから!」
「フラれたら……そん時は出戻りだ。堂々と王都に帰れる」
けろっとした表情を浮かべて護衛から剣を借りたクレアは、馬車から降り、ブンブンとそれを素振りする。
膝上にたくし上げられ、無造作に結ばれた純白の花嫁衣装は、見るも無残な姿になっていた。
アデリオは遠い目をしている。
たくさんの蹄の音は、クレアたちのすぐ近くで止まった。
銀色の鎧に身を包んだ謎の一団が、馬に乗ったままぐるりとクレアたちを取り囲む。
その中の一人がクレアに声を掛けた。
「ミハルトン伯爵令嬢だな?」
アデリオもクレアも顔色を変えたりはしない。
元密偵という職業柄、荒事に慣れているのだ。
「クレア、山賊じゃなくて刺客みたいだよ。賭けの一万ジェリー、払ってね」
「……そんなことより、先に一暴れしようぜ」
支払いを誤魔化したクレアは、意気揚々と護衛から借りた剣を振り上げる。
だが、すぐ近くで嘶きが上がり、目の前に突如巨大な黒い馬の胴体が割り込んできた。
完全に前を塞がれた形である。
(……なんだ?)
クレアは口を開け、割り込んできた馬の尻尾を見つめる。よく手入れされた、いい毛並みだ。
馬上には、黒い鎧を着た細身の男がまたがっている。まるで騎士のような出で立ちだった。
彼はクレアを庇うような格好で刺客と向き合っている。
(敵ではなさそうだが、何がどうなっているんだ?)
唖然とするクレアたちに構うことなく、男はまっすぐ剣を抜いて、銀の鎧の集団に突っ込んでいった。
そうして問答無用で、次々に相手を血の海に沈めていく。
双方の力の差は歴然としていた。
(味方っぽいけど)
戦いに馴染み深いクレアには、男の技量が並外れて優れていることがわかる。
アデリオも刺客に対峙していたときより、顔に緊張を浮かべていた。
明らかに危険な相手だと判断しているのだ。
しばらくして敵が全滅すると、黒い兜を脱いだ男が馬から下りてクレアたちの方へ歩いてきた。
無骨な兜の中から、輝く金髪に青空色の瞳を持つ美しい青年が現れる。
クレアは緊張つつ彼を見た。
「……」
青年は返り血で濡れた鎧を着たまま、顔を引きつらせるクレアに向かってふわりと微笑んだ。