18:残虐鬼の右フック(サイファス視点)
「いつになったらクレアとゆっくり過ごせるんだ……」
サイファスはいつになくイライラした。
ルナレイヴは国境の守備を担う重要な領地だ。しかし、国からの命令で他国を攻撃するのを禁じられている。
王からの許可がなければ、国境を越えられないのだ。
だから深追いして敵を叩けない。
それゆえ、膠着状態が続いている。
もちろん、大きな争いを引き起こしてはいけない重要性は理解している。
大国同士の戦で犠牲になるのは大勢の国民だ。
(敵の頭が国境を越えて来ればいいが、手下をけしかけるだけで姿を現さない。新たな対策を考えなければな)
同じ状況が続いているためか兵士たちの士気も下がり、気の緩んだ者が出てきた。
問題の隊長がそれだ。
油断をしていなければ、あんな愚かな行動を取れるはずがない。
(いや、あの男の場合、油断は関係ないか……)
問題を起こした部下は、王都に住む知人の高位貴族の子息だった。
その貴族は出来の悪い息子の処遇に困っており、将来を不安視していた。
だから、せめて国王陛下の騎士として役職を与えたいと思い立ったそうだ。
(周りの人間にしてみれば、いい迷惑だろうな……)
だが、高位貴族との軋轢を避けたいサイファスは、余計なことは言わなかった。
すると、その貴族は「名の知れた貴殿に、息子の訓練をお願いしたい」とサイファスに頼み込んできたのだ。曰く、今まで他の貴族にも訓練を頼んできたが、いまいち息子の実力が付かなかったらしい。
これは、厄介な案件の匂いがしてきた。
気は乗らないが、知り合いの頼みとあっては断れない。
サイファスは渋々、その息子を引き受けることに同意した。
そうしてしばらく後、件の貴族の息子がやってきた。
しかし、やはりというか、かなり問題のある人物だった。
親から辺境送りにされたことに憤り、拗ねて真面目に訓練を受けないのは序の口。
それどころか、サイファスに反発するがごとく、訓練中に余計なことばかりして周りの足を引っ張る。
大口を叩く割に、一年経っても辺境の兵士の訓練についてこられない。
地位とプライドだけは高いので、周りも彼の扱いに困っている。
関われば関わるほど、げんなりさせられる人物だった。
預かり期間は二年だが、彼を一人前の兵士にするのは絶望的だ。
体力面では新人にも後れを取っている。
その割に「自分は正当に評価されていない、本来なら隊長に抜擢されてしかるべきだ!」と喚く。
だから、サイファスは彼に「名誉職」を与えることにした。
とりあえず、「お飾りの隊長職」を与えて、黙っていてもらう作戦だ。
実戦から一番遠い、新人の指導係を任せた。
しかし、プライドの高い彼はそれもお気に召さなかったらしい。
昨夜の戦闘で、サイファスは後方支援を命じていたというのに……平気で命令違反をしてきた。
戦闘で華々しい成果をあげたかったのか、訓練も装備も不十分な新人を連れて、戦場の最前線に堂々と現れたのである。
色々なことが積み重なった結果、今回の事件に発展してしまった。
問題行動を起こさないでいてくれたら、他に何もしなくていい。
期限まで大人しくしていてくれるだけでいい。そう考えていた。
だというのに、この有様だ。
重い気分で問題の件の隊長のもとへ向かう。
「ようやくお出ましですか、辺境伯殿」
謹慎中の問題の隊長の部屋に入ると、相手は椅子から立って不満そうに鼻を鳴らした。
どこまでも、上から目線の男である。
親の身分と自分の身分が同等だと思っているのだろう。
彼の親は公爵で、彼自身も親の持つ爵位の中から子爵位をもらっている。
だが、残虐鬼であるサイファスを恐れてもいるため、チクリと嫌味を言うに留めたようだ。
あからさまに歯向かってくる気配はない。
「事後処理に時間が掛かったんだ。誰かさんのせいで」
言葉にとげがあるのは仕方がない。サイファスは話を続ける。
「レダンド子爵。今回の襲撃で新人兵士二十名のうち、十五名が死んだ。生き残った者で今後も兵士として戦える者はたった三人だ。残りは怪我や心の傷が原因で、もう戦場に立てない。普通の生活もままならない……君は、将来有望な若者の未来を十七人分潰したんだ。馬の支給も訓練さえもしていなかったそうだしな」
しかし、サイファスの声はレダンドに届いてはいないようだ。
問題を起こした本人は、ニヤニヤと気に障る笑みを浮かべている。
「またまた、大げさな。たかが十七名じゃありませんか。平民の新人なんて、いてもいなくても変わりありませんよ。それに経費の着服だって、王都では皆やっていることだ。田舎者の気質かもしれませんが、あなたは少し細かすぎる」
動きを止めたサイファスに気づかす、レダンドは更にまくし立てる。
「いや、私だって反省しているんですよ? やりすぎたってね……ちょっとした嫌がらせのつもりだったんですよ、私の実力を正当に評価しないあなたへの。いくら隊長各と言っても、子供のお守りではねえ?」
その先の言葉は続かなかった。サイファスがレダンドを殴り飛ばしたからだ。
さほど強く殴ったつもりはなかったが、レダンドの歯は折れ、口から出血している。
(ふざけるな)
レダンドのくだらない見栄と虚勢のために、何の罪もない辺境の新兵たちが大勢犠牲になった。
だというのに、当の本人は全く罪の意識を感じていない。
やりきれない気持ちと、わき上がる怒りをこらえ、サイファスはなんとか言葉を絞り出す。
「もう、君に与える役目はない。屋敷から出ず、王都へ戻る期限まで大人しくしていろ。君のお父上には、私から事実を伝えておく」
床に倒れたレダンドを放置し、サイファスは執務室へ戻るべく踵を返した。
(……新人兵士の件は私の責任だ)
忙しくて手が回らなかったとはいえ、レダンドへの監視を怠った。
(目を配れていれば、防げたことだった)
犠牲になった者たちを思うと罪悪感に押しつぶされそうだ。
(クレアに会いたい)
しかし、仕事はまだ山ほど残っている。
弱音を吐いている暇などないし、そんな真似は許されない。
今にも泣き言を言い出しそうな自分を叱咤し、サイファスは仕事を続けるのだった。




