12:辺境伯の職場訪問
「あれは、何?」
クレアの問いかけに、マルリエッタが答える。
「また出兵でしょう、先日の争いのケリをつけるのかと。最初の奇襲は防ぎましたが、国境ではずっと膠着状態が続いているので。サイファス様も昨日は一旦帰って来られましたが、今後はしばらく砦に泊まり込みになるかと」
争いは思った以上に長続きしていた。
「サイファスからは、何も聞いていませんが」
「心配させまいというご配慮でしょうか、あるいは……いいえ、なんでもありません。サイファス様の留守中は、このマルリエッタが精一杯お相手を務めさせていただきますので」
「……ありがとう」
返事をしつつも心は上の空で、クレアは今後どうすべきか頭を悩ませた。
その間も、数名の兵士が戦場と屋敷を行ったり来たりしている。
「マルリエッタ、今回の戦いは長引きそうなのか?」
「おそらくは。こちらへ派遣されているアズム国の指揮官が、中々しぶとい人物のようでして」
「そいつがいなくなれば、サイファスは帰ってくるということか……」
「そうですわね。あの、クレア様、先ほどから話し方が……」
「あ……」
思わず素の状態に戻っていたようで、マルリエッタが困惑している。
クレアは慌てて言葉を続けた。
「お恥ずかしいですわ。伯爵家にいた頃は病弱で、あまり他人との交流がなくて……淑女教育もまともに受けられない体でしたから。こうしてたまに、当時の言葉が出てしまうのです」
苦しい言い訳を絞り出すと、彼女は悲壮な表情を浮かべてクレアに歩み寄る。
「まあ!? でしたら、言葉遣いなどお気になさらず。ここでは誰も気にしませんわ。それよりも、今の体調は大丈夫です!?」
こくりと頷いたクレアは、話し方に関してマルリエッタの言葉に甘えることにした。
これで、日常会話がずいぶん楽になる。
「それなら、お言葉に甘えて普通に話をさせてもらうけど……成長するにつれて元気になったから、嫁に出されたんだ。サイファスには申し訳ないと思うよ。こんな出来損ないの令嬢を娶らされて困っているだろう」
本音を伝えると、マルリエッタは大きく首を左右に振る。
「いいえ、そんなことはございません! クレア様は先入観なく旦那様に接してくださる希有なご令嬢です!」
マルリエッタの勢いに、クレアはしばし圧倒された。
「大丈夫ですわ、クレア様。残虐鬼と恐れられているサイファス様が、公の場に呼ばれる機会はほとんどないのです。話し方の件も、辺境では些細な問題に過ぎません。話しやすいように話してくださればいいのですよ。サイファス様や屋敷の者にも、クレア様の事情を伝えておきますね!」
「……そう言ってもらえると、助かる」
こうして、クレアは早々に重要な課題だった「話し方問題」を解決することができたのだった。
※
あれから数日……。
話し方を改め、クレアは幾らか気持ちが楽になった。
屋敷の者たちもクレアの事情を汲み、快く素のしゃべり方を受け入れてくれている。
あまりにあっさりと受け入れられたため、クレアのほうが戸惑ってしまった。
(親切すぎないか?)
しかし、言葉遣いに関しては解決したものの、「暇すぎる」問題は全く解決していない。
屋敷内の案内も、まだしてもらっていない。
(そういえば……)
クレアの頭の中に、悪しき考えがよぎった。
(さっさと敵を撤退させてしまえば、いいんじゃないか?)
密偵時代に優秀であったクレアは、ミハルトン伯爵に拾われてからも、跡取り代理をしつつ同様の仕事をこなすことが多かった。
要は父である伯爵に、便利に使われていたのである。
潜入や暗殺はお手の物で、時にはクレオとして騎士たちに混じり、行軍したこともあった。
辺境のルナレイヴを訪れた経験はない。
だが、アズム国が別ルートでゼシュテ国に侵入してきた際は、クレオとして兵を指揮したり、密偵として敵を探ったりと活躍してきた。
(とはいえ、いきなり敵の頭を叩きに行くのは無謀かな)
まずは、状況を見てみることにする。
幸い、サイファスのいる場所はここからそう離れておらず、行き来に時間は掛からなそうだ。
クレアは早速、今日も部屋で仕事をしているマルリエッタに声をかけた。
「なあ、マルリエッタ」
「なんでしょう、クレア様?」
「サイファスに差し入れを持って行きたいんだけど。駄目かな」
提案すると、マルリエッタは頬に手を当てて悩みながら答えた。
「前線から遠い場所でしたら大丈夫かもしれません。ですが、やはり危険ですので思い止まっていただきたいですね」
「どうしても駄目か?」
クレアはじっとマルリエッタを見つめて粘った。
ややあって、マルリエッタはそっっと視線を逸らせる。
「……そう、ですね。手前の砦に差し入れを渡しに行くだけなら、平気だとは思います。しかし、馬でも少し時間が掛かりますし、馬車となるとさらに難しいかと」
「乗馬は得意だから問題ない!」
「ええっ!? クレア様は病弱なのに、乗馬なんてできるのですか!?」
マルリエッタが驚いた様子でクレアを凝視する。
貴族の令嬢で乗馬を嗜む者もいるが、病弱なクレアにはそのような真似はできないと思われていたのだろう。
あとに引けなくなってしまったマルリエッタは、渋々といった様子で首を縦に振る。
「……わかりました。それでは差し入れを用意しましょう」
こうして、サイファスの職場への潜入計画が始動した。
用意された差し入れは、砦で働く兵士たちの分も含めると結構な量になる。
料理人が張り切ってくれた。
さっそく、クレアとマルリエッタは、使用人数人と共にサイファスの職場へ向かった。
目指すは、前線から少し離れた砦だ。
取り立てて何もない大地を進んでいくと、平地にぽつんと建つ簡素な建物が現れた。
(あれが砦か)
到着すると、サイファスの部下らしい若者が恐縮しながらクレアたちを出迎えた。
石造りで無骨な砦内の、広めの一室に通される。
床には古びた赤い絨毯が敷かれていた。
「申し訳ございません。辺境伯閣下はまだ業務の最中でして、執務室におられます」
女性の来訪に慣れていないのだろう。
ずっと砦勤務をしているというサイファスの部下は、しどろもどろになっていた。
ちょっと気の毒だ。
「こちらに来られるまで、もう少し時間が掛かるかと……」
「構わない。国境沿いの戦況は?」
「争いは膠着状態で双方に動きはありません」
サイファスは前線から砦に戻ってきているらしいが、何かと忙しいのだろう。
クレアはマルリエッタを見上げた。
「こっちからサイファスに会いに行っても大丈夫かな。職場での姿を見てみたいんだけど」
「まあ、クレア様。そうですね、いい考えだと思いますわ」
マルリエッタは、慌てるサイファスの部下に話を通す。
こうなった彼女を止められる者はいない。
クレアたちは彼に案内してもらって、サイファスがいる執務室へ向かった。
「ここが、閣下の執務室です」
「ありがとう」
気づかれないように、そっと扉を開けて中を覗いてみる。
すると、見たことのない険しい表情のサイファスが、部下たちと話をしているところだった。
戦況についての報告を受け、指示を出している様子だ。
(あんな顔もするんだなあ)
普段のほわほわしたサイファスとは、まるで別人である。
残虐鬼と呼ばれる辺境伯の片鱗を見ることができた気がした。
話が一段落したタイミングを見計らって、クレアは執務室へ突入する。
「お疲れ様、サイファス」
扉を全開にして声を掛けると、相手は信じられないという表情でクレアを見た。
「クレア、どうしてここに? 客室へ案内してもらったはずでは?」
「待ちきれなくて、差し入れを持って来たんだ。サイファスの仕事の様子も見たくて」
サイファスはしばし蕩けるような表情でクレアを見たあと、ブンブンと頭を左右に振って口を開く。
「クレア、砦内は飢えた野獣共の巣なんだ。そんな中を可愛い君がうろうろしたら……」
「心配すんな。皆、俺のことなんて気にしないって」
「……仕方ない。どうせ今から向かうところだったし、客室へ戻ろう」
クレアをふわりと抱き上げたサイファスは、足早にマルリエッタたちと客室へ向かった。
サイファスの部下たちが驚きの表情を浮かべ、表情の緩んだ上司を見ている。
「この砦、ボロいけど大きいな。後で見て回ってもいいか?」
「少しなら大丈夫だけど。私は仕事があって、クレアを案内してあげられない」
「いいよ、勝手に見て回るから」
そう告げた瞬間、サイファスが少し悲しげな表情になる。
「こんな状況でさえなければな……」
呟いたサイファスは、恨めしげな目で隣国のある方向を見やった。




