11:険しい奥様生活
翌日の朝、クレアはサイファスの隣で目を覚ました。
よく眠ったおかげで、頭はスッキリしている。
(昨夜のサイファスは、一体何がしたかったんだ?)
一向に自分に触れる様子のなかった夫を不思議に思いつつ、クレアは彼の方へ体を向けた。
すると、薄く目を開けたサイファスが、クレアをじっと見つめている。
「おはようございます、サイファス」
「おはよう、クレア。よく眠れたかい?」
「おかげさまで」
「それはよかった」
サイファスは微妙な微笑みを浮かべ、寝台から体を起こした。
何を考えているのだろう。
結局それはわからずじまいのまま、彼は外へ出かける支度を始める。
「それじゃあクレア、私は今日の仕事があるから。君は朝食後もゆっくりしてくれていいからね」
ポンポンとクレアの頭を撫で、爽やかに去ろうとするサイファス。
結局彼は、昨夜一度もクレアに手を出さなかった。
それどころか、何事もなかったかのように、朝食すら摂らずに仕事に向かおうとしている。
おそらくサイファスは、今日も遅くまで仕事に追われるのだろう。
そんな彼に、クレアは後ろから声を掛けた。
「サイファス、いつになったらこの屋敷を案内してくれるのですか?」
「えっ……?」
「建物内を把握しておきたいんです。でも、マルリエッタが『旦那様が案内するから』と言って、何も教えてくれなくて。忙しいなら自分で回るから、彼女にそう言ってくださいませんか? 自分のいる建物の全容が把握できないのは気持ちが悪くて」
それは、かつて密偵だったクレアの職業病だった。
自分の目で周辺を把握できていないと不安になってしまう。
クレアの事情を知らないサイファスは、申し訳なさそうに目を泳がせた。
「ああ。いや、それは……」
「なんです?」
問い返すとサイファスは黙りこくってしまい、やや気まずい沈黙が落ちる。
クレアは首を傾げた。
「建物案内は、もう少しだけ待ってくれないかな。必ず時間を作るから!」
「いや、時間がないなら勝手に見て回りますので」
「必ず、作るから!」
そう言い置くと、サイファスは嵐のように走り去ってしまった。
(……なんなんだ、あいつは)
何がしたいのか分からない。
クレアは呆気にとられながら、彼の背中を見送った。
一人の食事を終え、マルリエッタと庭を散歩する。
屋敷内は駄目だが、庭は自由に見て回って構わないということになったのだ。
辺境の空は雲一つなく晴れていて、風が心地いい。
ちなみに、アデリオはマルリエッタが「この間男!」と言って、追い払ってしまった。
マルリエッタは、やたらと彼を警戒している。
アデリオはただの幼なじみであり、クレアにとっては弟分のようなものなのに。
薔薇の咲く生け垣に沿って散歩しながら、クレアは仕事熱心な侍女の庭案内に耳を傾ける。
「……というわけで、この薔薇園も旦那様がこのお屋敷に来る奥様のために、自ら用意されたのですよ。この地で薔薇は根付きにくいのですが、旦那様の努力の甲斐あって見事な庭園になったのです。向こうの一際綺麗な一角は、旦那様が自ら手入れをされています」
「サイファスは花が好きなのですか?」
「そうですね。ご自身も綺麗なものが好きでいらっしゃいます」
マルリエッタの話で、サイファスがものすごく良い人物だということはわかった。
辺境の地に妻が来るのを、それは楽しみにしていたということも。
しかし、クレアの心はずっと晴れない。
(することがなさ過ぎて、蕁麻疹が出そうだ……)
辺境伯の奥様としての生活は、三日目にして破綻しかけている。
主にクレアの心理的な原因によって。
辺境の上、危険地帯とされているルナレイヴでは、社交の仕事もさほどないという。
クレオとして、仕事に追われていた頃とは雲泥の差だ。
辺境ではサイファスもマルリエッタも、他の使用人たちも皆クレアに優しい。
無責任で我が儘なのは自分の方だというのは百も承知だ。
(だが、こんな生活は息が詰まる。俺には無理だ……!)
悶々としていると、生け垣の向こうを兵士たちが慌ただしく駆け抜けていくのが見えた。




