七、化け物の中の化け物
「飯が無し・・・・?なっ、何でだよ!?」
鳴るのかも分からぬ鐘の音を待つ間、時間稼ぎを兼ねて少しでも少年から情報を聞き出そうと駄目元で誘った食事にそこまで食い付くとは思いもよらないカナタであったが、それ以上に、このタイミングで鐘の音が鳴ったことに驚いていた。
例が少なくこれで確定とまでは言えないが、一日に不落之果実を発動できるのは二回まで、そして使用から丸一日経つと能力が再発動可能になるのだと、取り敢えずの目算を立てることができた。
だがしかし、恐らく今のカナタが二度不落之果実を発動しても到底倒せないであろう飛竜を倒す程の少年と、どう戦うべきなのか。
只でさえ洞穴を抜け出す時に力を使ってしまったが為に、残りの発動回数は一度きりだと言うのに。
逃げ出すという選択肢もあるだろうが、右も左も分からない現状では、少年の持っている情報は非常に貴重なものでもあり、何より少年から逃げる為だけに力を使ってしまえば森で魔獣に遭遇した時、生き残れるとは思えず、先程まで使っていた洞穴は瓦礫に埋もれており、そう都合よく新たな洞穴が見つかるとも思えない。
しかし、もしも少年に力を示すことが出来れば、少年の持つ情報を手に入れ、協力を取り付け、森を無事に抜けられるーーー、かも知れない。
カナタは逃げ出すという選択肢を捨て、ある提案を少年に持ち掛けることにした。
「それより、お前との勝負について相談があるんだが、いいか?」
「・・・・何だ?」
少年は空腹感を感じていたのか、少し残念そうな表情を浮かべてから答える。
「今でも一瞬だけなら全力で戦える。
だからこうしないか?勝負は、先に相手を吹き飛ばした方の勝ち。んで、それが終わったら飯にしよう!どうだ?」
「少し?完全に回復するまで待てばいいだろ」
「それだと明日以降になるし、それに・・・、お前が強いのは分かってるから、俺も本気の勝負になれば手加減は出来ない。お前を殺したく無いんだよ。だから一発勝負で終わりだ」
勝てるという確信は持てないが、カナタが少年を殺したくないという思いだけは本当だった。
分厚い鱗に全身を守られ、そもそも巨大な体を持つ飛竜であれば、何処を攻撃しようとカナタ程度の力では大したダメージを与えられるとは思えない。
だが、目の前の少年は別だ。
幾ら飛竜を倒したとは言え、不落之果実を発動してしまえば、速さなどはなんの意味も持たなくなるのだから、ガラ空きになった首を落としてあっさり終わりという可能性もある。
見た目こそ異様ではあるが、彼が会話の成り立つ子供であることに変わりはなく、そんな子供が無防備になった所へ本気で攻撃を加えて殺す事など、カナタには到底出来ないだろう。
とは言え手加減をして勝てる相手でもなく、中途半端な攻撃ではカナタの命が危険に晒されることになる。
何せ、恐らく次の不落之果実の発動後、カナタは約十秒間動けなくなるのだから。
そんな考えからこのような申し出を行ったのだが、少年はーーーーー不敵に口角を上げた。
「ハッ、そんなことか」
カナタの心配を嘲笑うかのように、少年は右腕を振り上げ、歪に膨らませて行く。
所々が生きているかのように自立して動く少年の腕はバランスこそ悪いが、その肥大化した腕は如何にも先程より力強くなっている。
そして少年は、振り上げた腕を、自身の左腕に向けて振り抜いたーーー。
「な・・・っ、おい、何やってんだよ!?」
少年の腕は地面に落ちて転がり、傷口からは血が撒き散らされる。
突然起こった信じ難い出来事に、カナタは唖然とする事しか出来ずその場に立ち尽くす。
「まぁ見てろよ」
再び上げられた口角を見たカナタは、直ぐに異変に気がついた。
(ーー血が止まってる!?)
止まらず撒き散らされる筈の血は既に流れておらず、その傷口には周囲の肉が集まって膨らみ、新たな肉を、骨を、皮を形成して行く。
そして、ものの数十秒ほどで腕は完全に元通りに生え、少年は感覚を確かめるように、指先を動かし始めた。
「さ・・っ、再生・・」
「わかったか?俺はそうそう死なねぇ。だから本気でやれ」
「ああ・・・、再生能力があるなら確かに・・、わかった。
ただし、本気でやるのはいいがやっぱり勝負は一発で終わりだからな。倒れるまでやってたらキリがない」
「まぁ・・いいけどよ。俺も此処で力を使い果たす気はねぇしな。
一応忠告してやるけど、油断してると死ぬぞ?」
「大丈夫だよ。呉々も言っとくが、一発勝負だからな?俺が勝ったら質問に答えるって約束も忘れんなよ?」
「わってるよ。んじゃ行くぞ?」
「おう!どっからでもーーーーー」
かかって来い。そう言いかけた時、下半身を膨らませ身を屈める少年の姿を見たカナタは、言葉を発する事を止め、迷いなく全てを止めた。
『不落之果実!!』
少年の戦闘を直接見たわけでは無いが、腕や体にべっとりと付着した血や倒れる怪物の至る場所に付いた傷、そして少年が体勢を低く構えたことから、カナタは少年が肉弾戦を得意とするタイプなのだろうと予想した。
いくら自分以外の全てを止められるとは言っても、それをするのは当然自分自身の意思によるものであり、自分の反射神経を超えるような動きをされた場合、一撃であの世行きとなる。
カナタは、少年が完全に踏み切ってから不落之果実を発動したのでは間に合わないと判断し、能力の発動を断行した。
ーーーそして、その判断は正しかった。
動きの止まった少年。その姿は今、カナタの目前にまで迫り空中で止まっている。
歪な形の腕を真っ直ぐに伸ばし、指先にある鋭い爪をカナタへ突き刺すように構えているのだ。
念には念をと早めに発動した不落之果実だったにも関わらず、少年の速さは更に想像の上を行く。
カナタはその事実に驚くと同時、好都合だとも感じていた。
不落之果実の発動時間は短く、その大半を移動に使うことになっては効果半減。
自分の全力が少年に何処まで通用するのかを知っておきたいカナタは、直ぐに行動を開始した。
飛竜との戦いで破けたのか、服の隙間から見える少年の背中や脇腹には所々に鱗がある。
しかし、攻撃に重点を置いたのか、将又これが少年の限界なのか、焼け爛れただけの皮膚が剥き出しになった場所も少なくない。
カナタはその場所を確認すると、即座に攻撃目標を確定させる。
より強いダメージを与えるには、鱗の無いその場所へ、できうる限り強く、多く、そして可能な限り一点に集中させた攻撃をする必要がある。
カナタは、時間切れのその時まで攻撃を続けて動き始めた少年の巻き添えを喰らわぬよう、少年の進行方向から逸れ、地面と平行になるような体勢で固まる少年の真横に立つと、黒曜石のナイフを握った両手を大きく頭上へ振りかぶった。
威力も弱く刺す位置もブレ易い片手で回数を稼ぐよりも、両手でしっかりと握ったナイフを突き立てる事を選んだカナタは、振り上げた黒いナイフを少年の背中目掛け力一杯振り下ろし、それと同時に地面を蹴って右膝を少年の腹へ向け打ち上げ、ナイフと膝で少年の腹部を挟むようにして攻撃を加える。
この空間の中でもカナタの力で動かせる物は動いてしまうため、自身より体の小さな少年に向けて本気で両手を振り下ろせば、恐らく少年の体は一回〜数回で地面に落ちてしまうだろう。
出来るだけ多くの攻撃を加えるには、この位置を保つ必要があるとの思いから取った行動であった。
それが功を奏したのか、少年の体は空中に止まったまま動くことは無い。
カナタは生物の体を攻撃しているとは思えないような硬さと密度を感じ、筋肉痛によって全身に走る痛みなど忘れるほど膝やナイフを握る手が激しく痛む。
だが時間切れ迄の間であれば脆い黒曜石のナイフだろうが、木の枝であろうが、絶対に折れることはない不屈の武器となるのだから、それを活かす為には、兎にも角にも只管に動き続けるしか無い。カナタは自身の体もナイフの一部なのだと暗示を掛け、掌や膝の肉が割れて血が噴き出そうとも決して止まることなく動き続ける。
たったの十秒とは言え極度の運動不足の青年が痛みに耐え、己の全てを賭けた攻撃を無呼吸で打ち込み続けるというのは決して楽な事ではないらしく、カナタの額からは汗が噴き出し、酸欠と合わさり視界が霞む。
歯を食いしばり、脚元をふらつかせながらも攻撃を繰り返し、視野の端から色が戻り始めた頃、カナタの手足からは感覚が消え攻撃には力が篭っておらず、散漫になり一定の箇所に定まってもいないが、それでも体を休めることだけはない。
そして、視界が全て色付いた時ーーー。
カナタの手に握られていた黒曜石のナイフは木っ端微塵に弾け飛び、それと同じくして少年の背中が、ーーーー張り裂けた。
「ガハアアァ・・・ッ!?」
**************
蓄積されたエネルギーが一度に解放され上下から腹部を挟まれる形となった少年は、体勢を崩して前方の崖へ向けて突っ込み、それが巨大な破壊を撒き散らす。
蜂の巣状に割れた崖と、カナタの攻撃を受けてもその場に止まる事なく直進し続けたという事実が、少年の突進力の凄まじさを如実に表していた。
「ゴハァ・・っ!!ーーーい・・きが・・っ!ガハァ・・、てっ・・テメェ!!何・・・しやが・・った!?」
崩れる岩盤と共に地に落ち、自身へのし掛かる岩盤の中から立ち上がった少年は、困惑と怒気を含んだ声をカナタへ投げ掛ける。
その背中は大きく抉れて血を撒き散らし、腹部には見た目にこそ変化は無いものの、完全なる不意の一撃として守りの薄い鳩尾へ走った衝撃は、飛竜を倒す実力者を持ってしても応えたのか呼吸困難に陥っている様子が伺える。
一方のカナタはといえば、揺り返しにより動くことは叶わず、ただその声を聞くのみ。
少年の怒りを感じようとも、動くことの出来ないカナタに出来るのは、この揺り返しも前回と同様に十秒間であること、そして己の無事を祈ることだけであった。
そんな心情など知る由もない少年は、一撃で終わりという約束を忘れたように、本能的にカナタからの追撃を恐れ、ダメージを残しながらも、何とかその場を離れようと試みている。
「オエエェェ・・・ッ!!ハァ・・ハァ!!くっそ・・・っ、テメ・・ェ」
しかし呼吸困難に陥り、思うように動くことが出来ずに地面に手をつく少年。
その間にも背中の傷は徐々に癒えているものの、小さな体の腹部に、ピンポイントでこれほどの衝撃を受けた経験が無かったのか、その苦しみに戸惑いを浮かべている様子だ。
傷があれば直ぐに再生するが、これに限っては自然の回復を待つより他無いらしく、カナタの攻撃力の低さが功を奏した形となっていた。
それでも少年は数秒で体を曲げつつもその場に立ち上がり、カナタに視線を送り声を荒げる。
「・・・俺が・・っ、ハァ、ハァ・・、回復すんのを待ってるたぁ、どういうつもりだお前!?」
自分を襲った衝撃、その攻撃に気づくことすら出来なかったのもそうだが、何より、今のカナタの態度が許せなかった。
「そんなトコに突っ立って・・ゼェ・・・・・どこ・・見てやがる!!?」
苦しみのたうち回る自分を黙って放置し、そんな自分を見ようともしないカナタに対し、怒りを露わにする少年。
お前はそれ程の存在でしかない、そう告げられているように感じ、悔しさと怒りが溢れていく。
完全に舐めているとしか思えないカナタの行動に憤りを露わにする少年は、足を前後に広げ地面に深く沈み込む。
その足は先ほどよりも更に歪な形に変化し、表皮に浮かぶ血管が更に多く、太く、赤くなって行く。
しかし、それでもカナタは口を開かず、動こうともしない。
「なっ・・・何とか、ハァ、ハァ・・・、何とか言え!!」
カナタを殺す為に変化させた体で、ありったけの殺気を放っているのにも関わらず、反応しないどころか、ピクリとも動かない。
そんなことがあるのか?
何か異変を感じた少年は、体を引き摺りながらカナタに近づき、その表情を間近で見て愕然とした。
「何だ・・・?その顔は・・・!!?」
少年が視界に入って手の届く距離にまで近づいているのに、それでもカナタはピクリとも動かず、これ以上無いほど少年を馬鹿にするような顔をしている。
カナタからすれば、時が動き出すのと同時に炸裂する衝撃を想像して反射的に目を閉じようとしただけなのだが、瞬きの瞬間に一時停止を食らったアイドルのような顔で止まるカナタを見た少年からすれば、馬鹿にされているように感じたのも無理はない。
カナタに挑発する意思はなく、現に今も内心では少年が落ち着きを取り戻してくれることを祈るばかりであるが、少年にそれを知る術があるはずもなく、この状態で巫山戯た顔をするカナタを見た少年が愕然としたのは、やはり当然のことと言えるだろう。
「舐めんじゃ・・・っ!!舐めんじゃねええええええぇぇぇ!!!!」
今までどんな奴だって、俺と戦ってそんな目はしなかった。
あの強かった飛竜だってーーーーーー。
ーーーー何だ?
少年は何処かに異変を感じ、もう一度カナタへ目をやる。
そしてある事に気がついた。
ーーーーこいつ、俺を見てない?
実際のところ、視線の位置自体は初めから変わっていない。だがこの時カナタの意識は確かに少年から外れていた。
無理な運動によって破裂しそうな心臓の鼓動は更に早まり、ある一点に意識を集中させていたのだ。
カナタの視線の先に何かを感じ取った少年は、咄嗟に後ろへ振り返る。
「ーーーーなっ!?」
「グラアアアアアアアアアァァァァァア!!!」
其処にあったのは、死んだ筈の飛竜の姿。
ボロボロに傷ついた体では既に空を飛ぶことは叶わず、地に伏しているままだ。
しかしーーーー、飛竜はその口を大きく縦に開き、少年へ狙いを定めていた。
「こいつーーーっ!まだ生きてーーーーー!!」
飛竜の口の中には炎が渦巻き、今まさに其れを放とうとしている。
少年は咄嗟に体を反転させ、カナタに向けて使おうとした力の全てを解放させた。
その焦りようからは、いくら少年であろうと飛竜の放とうとする力を近距離で食らえばただでは済まないだろうことが伺え、呼吸もままならぬまま飛竜へ向けて突進した。
「うおおおおぉぉぉぉ!!!」
歪に膨らんだ足で踏み切ると、大地がヒビ割れ凄まじい衝撃がカナタにまで届く。
少年は一瞬で飛竜の袂に詰め寄ると再び上に向けて大地を蹴り、飛竜の下顎に向けて拳を振るう。
凄まじい衝撃に打ち上げられた下顎によって、飛竜の口は完全に閉じ、首が捻曲がって完全に天を仰いだーーーーー直後。
少年へ向けて放とうとしたエネルギーは行き場を失い、爆発音を伴いつつ飛竜の口腔内で炸裂した。
大爆破は飛竜の頭部を完全に吹き飛ばし広範囲に血と肉片の雨を降らせ、それに巻き込まれた少年は煙を上げながらカナタの目前に転がり落ちる。
元から焼け爛れた肌は更に焼けて炭化し、身体中の鱗はヒビ割れ、或いは剥がれ落ち、その両腕は肘から先が完全に消滅していた。
頭部の爆ぜた飛竜は全身の力が抜けたように体を横たえて動かなくなり、少年は息こそしているが意識は朦朧としているようで、小さな唸り声をあげその場から動こうとはしない。
炭化した体の所々には火が燻っており、昨晩食べた串肉とはまた違った肉の焼ける嫌な匂いがカナタの鼻を刺激する
「お、おい・・・っ、大丈夫か!?・・待ってろ!今消してやるから!」
その直後、揺り返しの解けたカナタは咄嗟に少年へと駆け寄り、掘り返した土や砂をかけて消火を試みる。
「お前これーー、再生出来んだよな!?ーーー火が消えたら大丈夫だよな!?おい!」
固く乾燥した大地を掘り返す内に爪は剥げ、少年の体にかける砂が赤く染まっているが、体が燃える少年を前にそんなことを気にはしていられない。カナタは兎に角手を動かし、大声で必死に声をかけ続ける。
「よし、火はもう消えたぞ!?よかった、大したことなくて!!さぁ、早く再生しろよ!!なぁ!?」
・・・・
その問い掛けに暫く沈黙が流れカナタが焦りを見せる中、森の囀りに掻き消されそうな声で少年が声を発した。
「うっ・・・せぇ・・、気が散る・・から・・・黙ってろ」
腕から流れる血は少しすると止まったものの、カナタはその再生速度が一向に上がらない事に気づいて戸惑いを浮かべ、暫くすると少年の息は更に荒くなり、表情を歪ませ始める。
「・・・ゼェ・・血が・・足りねぇ」
「ち!?ーーー血のことか!?どうすりゃいい!?」
血が足りない。突然そんなバトル漫画の主人公のような台詞を吐かれても、少し何かを食わせたくらいで血が即座に回復するなら苦労はない。
オロオロと戸惑うカナタに、少年は目線を動かして何かを伝えようとしている。
「あ、あいつの所に運べばいいのか・・・?」
少年の視線の先には倒れた飛竜の姿があり、周囲には大量の血が飛び散っている。
状況こそあまり把握出来てはいないが、カナタの問いに少年が小さく頷いたことで、即座に行動へ移る。
だが、少年の体の隙間に腕を差し込み持ち上げようとした時、又しても想像外の事態が起こった。
「ーーー!?嘘だろ!?
ーーーーーぐぬううぅうぅああぁぁあ!!!」
なんとカナタは横になる少年の小さな体を、持ち上げることが出来ないのだ。
まるで鉄の塊を持っているような、そんな感覚に陥るほど重たい少年の体は、どれだけ力を込めようと浮かび上がることは無く、その硬さも尋常では無い。カナタの脳裏には少年の腹部に当てた膝の痛みが蘇っていた。
それを見た少年は少年で、鼻を大きくして顔を赤くするカナタを見て、信じられないといった表情を浮かべている。
目の前の人間が、自分にあれほどの攻撃を仕掛けた人物と同一とは思えなかったのだろうが、休まないと力を発揮出来ない旨の話を思い出し自己解決させたのか、少年は半ば諦めたかのように目を閉じた。
「おい!?起きろって!!ーーーおい!!」
少年が意識を失った場合、傷の再生は持続されるのか?それが分からないカナタは、必死に大声をあげて少年を起こそうと試みるが、一向に返事は返って来ない。
一見しただけでは傷の再生が進んでいるようには見えず、このまま放置すれば少年は死んでしまうかも知れない。
だが運ぶことも出来ず、助けを呼ぼうにもカナタは既に二度不落之果実を使用しており、森を抜けられるとも、その間少年が無事とも思えない。
少年の治癒能力に委ねて見守るしかないのかと、諦めかけたその時、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「カナタ!血を!!」
森の中で突然後ろから聞こえる声に驚き振り返るカナタ。
なんとそこに居たのは、蒼い髪の幼女。
「ソフィー!?何でここに!?」
しかし、バロンで道案内をしてくれた時とは何処か様子が違っている。
訳が分からず言葉を続けようとするカナタを遮り、幼女が口を開いた。
「説明はあと!早くグランに血を飲ませてあげて!マナが切れかけてるわ!」
「血を・・・飲ませる・・・?何言ってーー」
グランと言うのが少年の名だと言うことも、そのグランの魔力のようなものが切れかけていることも分かった。
だが、血を飲ませるとは一体ーーー?
ーーどうして?ーー誰の血を?
「いいから!手を貸りるね?」
そんな事を考え止まるカナタに駆け寄ったソフィーは、傷だらけになったその手を取ってグランの口の上へと翳す。
裂けた掌から流れ出る血は掌を伝い、爪の剥がれ落ちた指から出る血と合流し、真下へ向けて滴り落ちた。
ポタッ、ポタッーーー。
一滴、また一滴と赤い雫が口の中へ落ちると、少年はそれに反応するように喉を上下に動かす。
それを確認したソフィーは、このまま手を動かさないようにとカナタへ告げると、軽く指を鳴らし唱えた。
「空断箱」
すると突然、半透明の立方体がカナタ達の足元から現れ、三人の体を持ち上げ、移動を開始する。
「ーーーおお!!?す、すげぇ・・・!」
移動の最中ソフィーは続け様にもう一度同じ呪文を、今度は崖に向けて唱えた。
すると、崖の中から立方体に切り出された岩盤が、ジェンガのようにして引き抜かれたのだ。
立方体の岩盤はカナタ達を持ち上げている半透明の箱に覆われていることから、本来はこうして檻のように使う魔法なのかもしれないと、カナタはそんな事を考える。
そして新たに作られた四角い部屋に三人を降ろした半透明の立方体は、ゆっくりと地面に吸い込まれるようにして消え去った。
見るからに高度そうな魔法をいとも簡単に扱うこのソフィーが、本当にバロンで会ったあのソフィーなのか?
信じることが出来ず、青髪の幼女をまじまじと観察するカナタはふと、ある違いに気が付いた。
「ソフィー・・・じゃないのか?耳が無くなってるし、さっき俺のこともカナタって・・・」
「うーん、違うと言えば違うけど、違わないと言えば違わないかな?てへ」
カナタの質問に舌を出して首を傾げるソフィー。やはりバロンで見たソフィーとは何処か醸し出す雰囲気が違うように思える。
「てへって・・・・。というかどうやって此処までーーーって、さっきの魔法がありゃ来るくらいできるか。けど、何でこの場所が分かったんだ?
それに、そいつと俺を会わせた理由は何で、お前は何者だ?」
そう、目の前の幼女はもしかするとこの状況になる事も知っていたのかも知れない。
バロンの街で、猫耳付きのソフィーが道案内を引き受けたのも恐らく偶然などではないのだろう。
少年とカナタを引き合わせた理由、少年に血を飲ませる理由。カナタには分からない事だらけだ。
「そうだね。今から説明はするけどーーー、その前に手を出して?」
「ん?手ならもう出してるけど」
「そうじゃなくて、もう血は大丈夫だから治してあげるわ。手と、膝も・・というか身体中が傷だらけになってるじゃない」
「あ、ああ・・そういうことか、助かるよ。というか回復魔法まで使えんのか?」
「えへへぇ、まぁね! それじゃあ行くよ?」
バロンで見た猫耳ソフィーと同じような笑顔を浮かべたソフィーは、カナタの前に立つとただ両掌を前に突き出し「水治癒」と唱える。
すると、カナタの体は水球に包まれて浮かび上がり、身体中の傷が消え、服の汚れ迄もが無くなって行く。
水の中ではあるが服や髪が濡れる事はなく、息も出来る。
そんな不思議な感覚に感動していると、直ぐに治癒は終わりカナタは浮遊感から解放された。
「おお・・痛くなくなってる!!ーーありがとな、ソフィー!!」
「えへへ、どういたしまして!」
再び見えた笑顔に街のソフィーを重ねるカナタだったが、横になったままの少年のことを思い出し、表情を変える。
「ん?そういえば、そいつに血を飲ませたのって雰囲気的に考えると、魔力を補給させて傷の再生を促すためじゃなかったのか?」
「うん、そうだよ?」
「いや・・、それがなにか?みたいな顔されてもさ。
だからつまり、ソフィーが治してやれば良かったんじゃ・・・」
「それは無理だよ。グランに治癒系の魔法は逆効果になっちゃうからね」
「逆効果?なんだそのアンデッドみたいな設定・・・・・・・って、あれ?あいつ、あんなに綺麗な顔してたっけ・・・!?」
ゾンビなどのアンデッドモンスターに回復魔法や聖水が逆効果になるというのは、冒険物のゲームやアニメには良くある話だ。
ソフィーの口ぶりだとグランという名の少年が、まるでカナタの知るアンデッドであるかのように聞こえてしまう。
カナタは横たわる少年を見やり、その姿を前に困惑した。
先程まで黒く炭化していた皮膚が、白く綺麗な肌に変化を始めていたからだ。
洞穴へ差し込む陽射しに当たった左足だけを除き、元々あった鱗のような物や、火傷したように爛れていた筈の皮膚までもが綺麗に治り蘇っている。
治癒魔法が逆効果になり、太陽の当たる場所だけは焼け爛れたままの皮膚。そして、血。
「もしかしてーーーー、こいつ、吸血鬼なのか?」
「違わないけど、違うーーかな?グランは半吸血鬼だよ」