五、異世界サバイバル
「ギュラアアアァァ」
「なっ、何だ!?」
目の前に迫っていた怪物が突如上げた叫び声。
それはこれまでのようにカナタを威嚇するもとは違って悲鳴のようにも聞こえ、今し方までギョロつかせていた大きな目は背後の何かを見るように名一杯横へ向られている。
奇声を上げた怪物は洞穴の壁から突き出した岩へ必死にしがみ付くように噛み付くと、牙をスパイクのように使ってその場に踏み止まろうと足掻いていた。
洞穴の壁を牙で引っ掻く音が鳴り、岩肌と擦れた牙は火花を散らす。
カナタはそれを見て起きている事態を飲み込んだ。
目の前の怪物が外から何かに引っ張られている。そう理解するのとほぼ同時、グチャっという何かが潰れたような、千切れたような、そんな音をカナタの耳が捉えた。
引っ張り出されまいと必死に岩肌に食らい付いていた怪物の唸り声は消え、長い首と凶悪な頭部だけが洞穴の中に横たわる。
先程まで怪物の胴体に塞がれ真っ暗闇になっていた洞穴には外の光が差し込み、外で起こった事を如実に表すような光景を齎した。
「なん・・・だ・・・?」
今起きた事は至って単純。目の前で首だけになっているこの怪物の胴体は、更なる怪物によって捕食された。
しかし、これほどの怪物を襲う生物とは一体・・・。
カナタはそう考え街で見た地竜や狼馬の姿を思い浮かべていた。あれほどに大きく立派な輓獣達なら、この怪物に勝つ事も十分考えられるだろう。
怪物が洞穴に首を突っ込み、胴体を無防備に晒した状態なら尚更だ。しかし、あれ程巨大だったこの怪物の胴体を一瞬で噛みちぎることなど、地竜にも狼馬にも出来はしないだろう。
首の切断面は強い力で引っ張られたように千切れてズタズタになっており、少量の出血はあるものの、周囲に血が撒き散らされた様子はない。
つまり大量に出血している筈の胴体は、既に巨大な生物の口の中にあるということ。あれほど巨大な怪物を一飲みにする生物が外にいるということだった。
カナタは命が無事だったという安心感を感じることも出来ず、洞穴の中で体を丸め、顔を伏せた。
**********
更に数時間が経ち、外は薄暗くなっている。
既に外から生物の気配などは感じず、己を支配していた恐怖という感情からも解放されたカナタは、狭く薄暗い洞穴の中、暫く考え込んでいた。
不落之果実についてもそうだが、これからの事を考えなくてはならない。
時間停止が連発出来る能力で無いと分かった時点で、カナタには食料や安全な寝床の確保が困難となったからだ。
時々外を彷徨く見たこともない生物の姿や、森中から聞こえるけたたましい唸り声。
それらの情報から改めて此処が異世界で、恐ろしい森なのだという実感を強めるカナタは、絶望に暮れていた。
能力が使えない以上、今のカナタは文字通りの役立たず。極度の運動不足である人間が武器も持たず、化け物の彷徨く森で生き抜くなど不可能に決まっている。
だが、もし不落之果実が魔法やそれに類する力なのだとするなら、他にも魔法を使えるかもしれない。
カナタは、火や風、光や闇など己の思い浮かべられる魔法をイメージし、一つづつ塗り潰すように何処かで聞いたような呪文を唱えるが、ついに前方へ突き出した両手から魔法が放たれることは無かった。
「はぁ、はぁはぁ・・・、やっ、やっぱダメかああぁぁぁ・・・・・」
額に浮かんだ汗をヨレヨレのTシャツで拭い、地面に腰を落としへたり込むカナタ。
薄々感じてはいた様だが、いざ魔法が使えない現実を突きつけられると、やはり落胆の表情は禁じ得ない。
「はぁー、だからって此処に居てもなぁ・・・」
外に出て生き残れるとも思えないが、このまま洞穴に身を潜めて居ても近いうちに脱水症状や空腹、もしくは野犬などの生物に襲われ死ぬ事は明白。
何れにせよ、カナタに残された道は二つしかない。
一か八かで森を抜けてバロンの街を目指すか、この洞穴で誰かが通りかかるのを待つか。
「ぅうううむ。・・これは悩んだ所で問題は解決しないか・・。 少し考え方を変えてみよう。
ここが異世界で獣人ありきな世界である以上、ケモミミ美少女や金髪エルフ超絶美女との遭遇は必須と言ってもいい。
そう・・・。問題は、美少女を迎えに行くか、此処で待つかだ。それなら答えはーーーーー 」
その時、何かを決意したカナタを引き止めるように腹の虫が洞穴に鳴り響く。
立ち上がり今にも洞穴から飛び出しそうだったカナタは、冷静になれと言わんばかりのタイミングで鳴った自らの腹部を見て沈黙した後、横たわる怪物の頭部へ視線を向けた。
「・・・・こいつ、食えんのかな?」
暫くの熟考の後カナタは目の前の怪物を“見た目は悪いが恐らく鳥類だろう”と推察し食べてみることにした。
鱗や牙がある以上、爬虫類に近い可能性の方が高そうな物ではあるが、鳥類だろうが爬虫類だろうが肉であることに変わりは無い。
空腹で動き詰めの状態ではどうせ直ぐに動けなくなるだろうし、能力が使えなくなったのもそのせいかもしれない。
少々の不安はあるものの、生きる為には食べるしかないのだと心を決めたようだ。
だが流石にこれを生で食うのは無理だと、未経験の火起こしを決意したカナタは洞穴から顔を出して安全を確認した後、音を立てぬよう慎重に、そして迅速に、薪に使うための枯れ木を集めて洞穴に戻った。幸いにも数日間雨が降っていないのか、辺りには乾燥した植物が溢れておりそれほどの苦労は無かったようだ。
しかし、火起こし未経験の者が枯れ木を気長にキュルキュルと回していても、簡単には火など起こせないだう。
そこでカナタは徐に怪物の頭部がある場所にしゃがみ込むと、手頃な大きさの石を拾って、怪物の頭部から出る嘴に向けて、それを振り下ろした。
直後、高い金属音と共に洞穴の中に飛び散る火花。それを見たカナタは数時間ぶりに大声を上げて喜ぶ。
「おお!やっぱそうか!」
怪物の嘴が擦り合わさる度、何度も飛び散っていた火花のことを思い出したカナタは、もしや火打ち石として使えるのでは、と淡い期待を抱き、そしてそれが可能な事を証明してみせる。
火種にする為に作った、乾いた木の樹皮を解した物へ何度か火花を散らすと、そこからは直ぐに白い煙が上がる。
カナタは怪我をしている掌に痛みを感じながらも駄目押しとばかりにもう一度火花を散らすと、血の滲んだ石を放り投げ、出来た火種に息を吹きかける。
すると見事に樹皮からは小さな炎が立ち上った。
「よっしゃあぁぁ!!」
次にカナタは起こした炎を予め組んでおいた細い枝に移し、次第に太い木を焼べて行く。
乾燥していたおかげか特別燃えやすい木だったのか、見様見真似とは思えないほどあっさりと初の火起こしに成功したカナタ。
この世界に魔法があるのなら火起こしくらい火の魔法でパッと済ませたいものなのだが、使えないものは仕方がない。
少し落ち込みながらも、立ち昇る炎を見るカナタの顔はどこか満足気だ。
ジャングルや無人島が舞台となるサバイバル、所謂、“男子が一度は夢見る系”の知識は一通りネットを読み漁っていた事が功を奏したようで、それに気を良くしたカナタは薪集めの際に何個か拾っておいた石の中から二つを手に取り、大きな物を膝に乗せ、小さな石を使って石の端を叩き割り始めた。
こちらは火起こしよりも苦戦していたものの、何度か失敗を繰り返す内、其れなりに鋭利な黒曜石のナイフを作ることに成功したらしい。
石器と呼ばれるようなこのナイフや、石などを使って怪物の首から鱗を剥がす作戦のようで、分厚い鱗の隙間にナイフを差し込んで隙間を作ると、そこへ石をねじ込み、別の石で叩き込む。
そんな事を繰り返して少しずつ鱗を持ち上げて剥がしていくが、怪物の鱗はカナタの想像以上に頑丈なようで、一枚剥がすのに数分を要してしまった。
首だけしか無いとは言え、このペースで全ての鱗を剥がし終えるのは骨だと判断したカナタは、首の縦方向へ向かい真っ直ぐ線を入れるように鱗を剥がし、その下に現れた鶏皮のような分厚い皮に切れ込みを入れ、そこを起点に鹿や猪の毛皮を剥ぐ様な要領で、鱗が張り付いたままの皮をナイフを使って身から剥がしていく。
勿論、カナタに獣の毛皮等を剥いだ経験など無いのだが、家に来る筈もない女子に料理男子を自称するべく日頃から料理の腕を磨くカナタには、ある程度刃物を扱う技術や調理の知識が備わっていたようで、剥いだ皮には少し肉が残っているものの、初めてとしては中々の出来栄えだと言えるのではないだろうか。
「よし、こんなもんだろ」
鱗ごと火にくべて蒸し焼き風にしてしまえば楽だったのだが、焼いた後黒焦げになった肉を削ぐ手間や味、そして何よりこの怪物の嘴や丈夫な鱗は街で売り捌ける筈だと踏んだカナタは、当初の目的であった冒険者になる為の軍資金を稼ぎ出すべく、疲労困憊の中、根性で作業を終えた。
怪物に着せていた鎧を脱がせるようにして皮を剥ぎ取ったカナタは、鱗付きの皮を上にして広げて置くと、それをまな板代わりにして露わになった首の肉を切って枝に串刺しにする。
「さてと・・・・」
起こしていた焚き火が熾火に代わり肉を焼くのに適した状態へ変わっていることを確認したカナタは、熾火の周囲に串刺しにした肉が焼けるようセットし、その時を待つ。
「よいしょ・・っと。・・・手が汚れちまったな」
薪を集める際、近くに小川がある事を確認していたカナタは、少し迷いつつも周囲の様子を伺い、洞穴を後にした。
**********
《パチッ、パチパチッ》
すっかり暗くなった森の中で煌々と光る洞穴の入り口からは、偶に小さな火の粉が舞出て暗い空へ消えていく。
無事に小川で手を洗い戻ったカナタはそんな洞穴の様子を見るなり、押し殺していた恐怖から逃げ出すように足を早め、獣避けの為に入り口付近にセットしていた焚き火を飛び越えるようにして洞穴の中へ飛び込んだ。
狭い空間には肉の焼けるいい匂いが悶々と立ち込めており、洞窟内を照らす赤い炭の上では巨大串肉が熱によって色を変え、脂を滴らせている。
脂が滴る度に“ジュウゥゥ”と鳴る音、それから立ち昇る香りによって強烈に空腹を刺激されるカナタは、生唾を飲み込み、その時を待つ。
「・・もっ、もういいか?」
調味料も碌な道具も無く空腹により身体の末端が痺れているこの状況であっても、わざわざ熾火に変えた火で肉をじっくりと焼き上げるという手間を弄したのだから、どうせなら完璧な焼き加減で口に入れたいものである。
カナタは串刺し肉に手を伸ばし焼き加減を確認すると、もう一度大きく唾を飲んだ。
「よし・・さすがにもういいな」
溢れ続ける生唾を呑み込み、脂滴る豪快な肉塊を恐る恐る顔へ近づけ、名一杯口を広げ、最も肉厚であろう部分へかぶりつくーーー。
「ーーーふごっ!?ーーーーーかっ、硬えぇ!!
ーーーふぬううぅぅぅぅううおおあああ!!!!」
滴る脂の大さからは想像も出来ないような肉の硬さに驚いたカナタは、顔を赤らめながら斜め後ろに首を引き上げるようにして、肉を引き伸ばす。
するとその太く硬い繊維質の肉は限界まで伸びた所でゴムが千切れるような音を立てて肉塊から剥がれ、やっとのことでカナタの口に入った。
グニュグニュとした食感の肉を強く何度も何度も噛み締め、溢れ出る脂と唾液が絡み合うのを感じた所で、喉を鳴らしてそれを飲み込んだカナタ。
そして数秒の沈黙の後、一人で肉の感想を述べ始める。
「硬えぇぇ・・・・。
けど・・・・・・、ーーーーめっちゃ美味えぇぇえええ!!!なんだこの肉!!味付けなんてして無いのにスゲェ旨味だぞ!?」
この森にやって来る前から合わせ、約二日ぶりの食事に心底感動するカナタ。
この状況であれば大抵のものが美味しく感じるだろうが、この顎を破壊しそうな硬ささえ無ければ、日本に居たとしても十分過ぎるほど通用する味だろうと感じ、続けざまに肉へ齧り付く。
「ふぬううぅぅぅぅ!!!!」
肉は再び太いゴムが千切れる様な音を立ててカナタの口に入り、顎の力全てを使って噛む内に脂と旨味
が口一杯に広がり、それを堪らず飲み込む。
「ああぁぁぁ、やっぱ美味ぇぇぇ・・・。このブリンブリンとした食感は鶏肉ってより、牛の“ミノ”にやや近いか?
脂が乗ってるが・・・、噛めば噛むほど口の中に溢れる脂はスープみたいにサラッとしてて、そんでもって濃厚な旨味が含まれてる。
この旨味は・・・、干したホタテの貝柱と鳥のセセリの中間って感じか・・・“ゴキュン”。
くそぉぉぉ・・噛めば噛むほど美味しいからずっと噛んでたいのに!!
旨味と唾液に耐え切れず飲み込んじまう。
だけどやっぱ・・・、少し硬すぎるなぁ。
この肉はもう少し小さく切って焼肉くらいのサイズにしないとダメだな。そんで串焼きにするか、もしくはスープ向きだな。きっと極上の出汁が取れるはずだ」
カナタは一人でそんな講釈を垂れながら感動的な美味さに笑みと涙を同時に浮かべ、大きすぎた肉を黒曜石のナイフで削ぎ取って次々と飲み込んで行く。
安全な場所で、美味しい肉を食べる。
そんな時間に一入の感動を覚えるカナタは忘れていた。
カナタが口にする怪物、“ギリル鳥”の胴体を一飲みにした、本物の怪物の存在を。