四十九、敵前逃亡
ただグランを包んだだけに見える黒い靄はそのまま次第に薄れて行く。
何か物理的な破壊を齎したわけでもないのだが、その闇はグランから動きを奪ってしまった。
「グラン・・・!?」
呼び掛けに答えることもなく、ロキの目前に直立して動く気配の無いグラン。
「無駄だよ。もう彼が君の呼び掛けに答えることは無い」
「テメェ・・、グランに何しやがった!!!」
「何って、見たままだよ。
耐性の弱い者が超高濃度の闇を注入されると一瞬で絶命することになる。
それが無界だ。
僕の闇を吸い込んで生きてるだけこいつはマシだよ」
生きている。
動く様子こそないが、グランは生きている。
それを知ったカナタは叫んだ。
「生きてる・・・、生きてんだな!?おいグラン!!なら早くそっから逃げろ!!おい!!」
「無駄だって言ってるだろ。
こいつは動くことも話すことも出来ず、目も見えてなきゃ、君の声も聞こえない。ただ生きてるだけなんだよ」
そう言うとロキはエキドナへやったのと同じように、動かぬグランの腹部へ回し蹴りを叩き込む。
腹を抉られ、重い身体を容易に宙に浮かされて百六階層にまで飛ばされるグランは、壁に激突してその臓腑を撒き散らすが、それでも何ら反応は見られない。
ロキはカナタを見ると、ニヤケたままでゆっくりと手を挙げ、重ねた指を弾き鳴らした。
「能力施錠」
乾いた音が鳴り響く。
「まさか・・・」
「・・・あはぁ」
ロキが封じたのは、吸血鬼が持つ再生能力。
これにより、血と臓腑を垂れ流すグランの身体が再生されることは無くなったーーー。
血が垂れ流され傷が治らなければ、グランと雖もいずれ死に至ることになるだろう。
グランを運ぶことは出来ず、何より吸血鬼であるグランに治癒魔術は効かない。
カナタの中に絶望が広がって行くーーー。
「ゴフ・・ッ」
そんな時だった。
グランの口から突然、血が吐き出される。
息をしているのかすら分からない状態だったにも関わらず、血を吐き出すと同時に咽せ返り、苦しそうに悶え始めたのだ。
「グラン!?」
「ゴホッ、ゴホォッ・・!ガハァァ・・・ゼェ・・ゼェ・・、カ・・カナタ・・?」
「なんだ・・、何がどうなってる?こんな子供が僕の闇を取り込んで無事なわけ・・・」
ロキはグランが動き始めたことに驚きを隠せず、グランも又、自身の身に何が起こったのか理解出来ず、腹部を押さえて治らぬ傷に苦しみの表情を浮かべている。
「グラン、お前の再生能力はさっきそいつに封じられたんだ!!
動けるか!?」
傷が治らなければグランはいずれ死に至る。
だが再生能力の封印を解くためにはロキに攻撃を加える必要があり、その為にはグランが動ける状態でなければならない。
グラン自身もそれを理解し、すぐに脚に力を入れて立ち上がってみせた。
だがそれと同時、抉れた腹から出ていた内臓はその際の振動と重力の影響を受け、ビチャビチャと音を立てながら芋蔓式に地面へ引っ張り出されてしまう。
グランが震える足を押さえてロキへと歩みを進めるその度、腸は掃除機のコードのように引っ張り出され、撒き散らされた夥しい量の血が赤い道を作り出していた。
「あはぁ!!凄いなぁ君は・・・、僕をこんなにも楽しませてくれる奴は久しぶりだよ!!」
「ゼェ・・ゼェ・・笑ってられんのも・・今の内・・だ。
お前は絶てえに・・・オエエエェェ!!」
「絶対にーーー、何かな。随分と苦しそうだけど、大丈夫?
僕の無界を受け、その傷でまだ動けるのは大したものだけど、そんな状態で僕に攻撃を当てられるわけないだろ。
何ならその気合いに免じて、一発だけ殴られてやってもいいけどなぁ・・・。
なぁんてね!嘘、嘘!
再生能力なんてレアスキル、そう簡単に手放すわけないだろ?
アハハハ!!これでまた新しいオモチャを作れそうだ」
グランを嘲笑するロキに対し、カナタは拳を握り締めて怒りを抑え、グランの元へ駆け寄る。
「グラン、一瞬でもいい。さっきの赤くなる技はまだ使えるか?」
「紅蓮・・血相をか・・?ゼェ・・ゼェ・・・、いっ・・一瞬なら発動出来るけど・・・、あいつに当たんなきゃ多分ーーー」
死ぬ。
そう言おうとしている事はカナタにも分かった。
攻撃が当たらなければ再生能力は戻らない。
紅蓮血相の発動は、今のグランにとって命との引き換えになるような、深刻なダメージを齎す行為なのだろう。
それを分かっていて、カナタは真っ直ぐにグランを見て言った。
「当たるさ。俺が必ず当てさせてやるから信用しろ」
「・・・カナタ?し・・・信用はいい・・が・・・どうすりゃーーー」
「細けぇことは考えなくていい。
百六階層から出て技を発動したら、グランはただ全力で右の拳を振り抜け」
「・・・分かった。・・ハァ、ハァ。
それだけで・・・いいんだ・・・な?」
「それともう一つだ。今の俺たちじゃあいつには勝てねぇ。
あの野郎をぶっ飛ばしたら、直ぐに俺とアステリオスを抱えて百六階層に逃げてくれ」
百五階層で傷の再生が始まれば、その傷の再生は百六階層でも続く。
ロキが相手の能力を封じられるのは、相手が能力を発動しようとする瞬間、もしくは使っている最中に限られることはほぼ確実と言っていいだろう。
そして、百六階層に居るグランの再生能力をロキが封じることが出来たと言うことは、百五階層から百六階層へと入ったグランの再生は続いていたことになる。
それが、カナタの導き出した結論であった。
「・・分がった。あいつは遺産を・・手に入れたら・・、必ずぶっ飛ばしてやる・・・っ!」
「よし、その意気だ!俺が合図したら、迷わず振り抜いてくれ」
百六階層と百五階層との境界線まであと数歩。
カナタは、百五階層へ足を踏み入れる前にロキから攻撃を受けぬよう、あえて挑発してみせた。
「おい、ガキ。俺達が百五階層に出たらお前は終わりだ。
このまま歩かせてていいのかよ?」
「・・・終わり?君達が、そこから出ただけでかい?面白い冗談だね」
「冗談だと思うか?なら俺達が百五階層に出ても余裕だよな?
怖えなら今攻撃したっていいんだぜ。
何せ、お前は余裕ぶっこいたせいで、俺達みてぇな雑魚相手に血を見るハメになったんだからな」
「・・・何だと?
まさか君、あれ如きの血を僕に流させたくらいで勝ち誇ってるのかい?
だとすれば憐れ過ぎるな。生きてる価値もない・・・。
死ねよ」
百五階層まであと一歩。
カナタの予想に反しロキが掌を上げたその時、カナタはロキの背後、その先で横たわったままのアステリオスへ視線を飛ばす。
そんなカナタを見たロキは不審に思い、先程の光景を脳裏に描いた。
「まさか・・っ!」
今し方、油断により暴れるアステリオスの一撃を受けたことを思い出したロキは、自身の後ろで横たわっていたアステリオスのことを思い出したのだ。
何らかの方法で自分の支配が解かれたのかもしれない。
そしてアステリオスを嗾けるため、カナタはワザと自分へ注意を引きつけるよう挑発していたのかもしれない。
そう考えたロキは咄嗟に背後を振り返った。
「ーーーーなっ!」
だが、その視線の先にあったのは、倒れたままのアステリオスの姿。
嵌められたことを悟ったロキは、カナタ達へ振り返るーーー。
「紅蓮ーーー、竜星拳!!」
そこに、グランの紅に染まる拳が襲い掛かった。
「っ!?」
いつの間に此処まで距離を詰められた?
ロキはグランの拳に体を浮かされつつ不振に思い、ある違和感を覚えた。
弱いが、何かに体を掴まれたような感覚。
そして百六階層と百五階層の境界に描かれた紋様。
グランとカナタが足を踏み入れようとしていたその場所にあった筈の紋様が、何故か自分の側にあるのだ。
この感覚は先ほどもあった。
気付いた時にはダメージを受け、場所を移動させられていた。
それをやったのは恐らくーーーー。
ロキはグランの拳により顔を歪められつつカナタを見ると、赤い閃光に巻き込まれ遥か後方へ押し飛ばされてしまう。
グランは残ったエキドナや瓦礫の下に埋もれるクフトへなど目やらず、再生が開始されると同時に走り出すと、倒れるアステリオスと何故か硬直したまま動かないカナタを担ぎ上げ、ロキとは逆方向、百六階層へと姿を消したーーーー。
一方その頃、六獣騎士や師団長達が闘う百五階層の広場にて、戦士達に動揺が広がっていた。
「レオ様が・・・負けた・・・?」
*********
大剣を持った黒い狼の前に倒れる、金色の妖精猫族。
バロン王国第一大隊副隊長及び六獣騎士序列五位、レオ・A・レイフィールド。
レオル王の息子であるレオが、人狼族ガルーを前に力無く倒れている。
それを見た周囲の師団長や騎士達の中には不安が広がっいた。
「ネオ! 本気のレオでも通用しなかったのです・・・」
「にゃ〜、マズイにゃ。まさかガルーがあんなに強いとは思わなかったのにゃ・・・」
「レオ以上の力とネオ以上の技・・・、あれじゃまるでゼノス様なのです」
「にゃ〜・・・、おまけにニケは力を奪われてるのにゃ」
六獣騎士として口には出さないが、二人はこの時、ゼノスを思わせるような底の見えない強さを持つガルーを前に、全滅を覚悟していた。
ニケとネオは魔物達の対処を師団長達へ任せると、倒れるレオの元に駆け寄り、ガルーと対峙する。
そこで予想外の言葉を耳にすることとなった。
「はぁ・・・、だからよぉ、二人ともそんな目で俺を見るんじゃねぇ。
少しの間とは言え、俺達ゃ、寝食を共にし一緒に戦った仲間だぜ?」
「嘘つき狼は黙りやがれなのです。嘘つきは嫌いなのです」
ニケに拒絶されたガルーはネオを見るが、ネオから言葉が出ることは無い。
ニケと同意見、という意味なのだろうと察したガルーは再び溜息を吐くと、大剣を背に戻して両手を広げ、レオを見て弁明を始めた。
「だからよぉ、俺ゃその兄ちゃんにも言ったんだぜ?
かかって来なきゃ何もしねぇってよ。なのに剣を抜いて襲い掛かって来やがって・・・。
そりゃ俺だって自分の命は守りてぇし、やらざるを得なくなんだろ?」
「お前はバロンに仇なす悪者なのです。ぶっ殺すのは当然なのです」
「だから、勘違いすんじゃねぇっての!確かに俺ゃお前らを裏切った。
だがバロンを襲ってんのは俺じゃなくて、ロキ達だろうが!
俺は理由があってロキに協力しただけで、もうお前等に用事はねぇ。
現にそこに倒れてる兄ちゃんだって生かしてあんだろうが」
「そんなこと言って油断させる気なのです。それに、もし此処から逃したらバロンを潰しに向かうかも知れないのです」
「だからよぉ・・・はぁ・・。
逃したらってのは、俺より強え奴が言うことだろ?俺ゃ逃げたきゃ今すぐにでも逃げられんだ。
バロンを潰してぇならとっくに行ってんだろうが」
「じゃあ、用事が無いならどうしていつ迄も此処に居るです?
ニケ達を此処から出さないのが役目だからに決まってるのです」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。オメェ等如きが今更バロンに向かって出来る事なんて何もねぇよ。
俺ゃただ、聖獣ってのがどれ程のもんか見てぇから待ってるだけだ。
今お前等を殺す気はねぇし、聖獣を一目見りゃとっとと帰るからほっとけ」
一応の辻褄は合っているものの、相手は自分達を騙し続けていたガルー。
ニケ達は戦えば負けることは確定的と言ってもいいこの状況で、自分達の取るべき行動を決め兼ねていた。
そして気になる事がもう一つ。
ガルーは何故だか、此処で待っていれば聖獣の方から現れると思っているようだ。
確かに百六階層にある開かずの扉の前に聖獣が現れると言うのは、予言からニケ達も予想しており、バロンに内通者が居るとするならば、ガルーがそれを知っているのも頷ける。
だが、聖獣がニケ達の今居る道を選んで最下層を目指すかどうか、一体、いつ最下層に現れるのか、そんなことはニケ達にも分からない。
それを問いただそうとした時だった。
突如として、広場の片隅から大きな騒めきが起こったのだ。
ガルーは耳をピクピクと動かすと視線をそちらへ向け、ニケやレオも同じくガルーの視線の先、強烈な気配を纏った魔獣を見た。
其処に現れたのは、未だに多く残る魔物達を蹴散らし進む、一体の白く大きな魔獣。
「ほう・・・、あれが聖獣バロンの・・・」
ガルーがそう呟く中、冒険者達に被害が及ばぬよう、そして白い魔獣が冒険者達から攻撃を受けぬよう、騎士達は近くの冒険者達を退避させると、白い魔獣の動向を見守る。
「あれが・・・聖獣様か・・・・」
倒れていたレオもその気配を感じ取ると剣を杖代わりにして体を起こし、真っ直ぐに白い魔獣を見つめている。
「レオ、大丈夫なのです?」
「ああ・・、マナを使い過ぎただけだ。それより・・・・・マズイぞ」
白い魔獣は魔物達を蹴散らし進む中、何かを感じたように立ち止まりガルーを真っ直ぐに見据えると、進路を変えてガルーへ襲い掛かったーーー。
「ガハハハーーー!!」
白い魔獣は体から放電現象を起こしつつ、超スピードにてガルーへ左前脚を振り抜く。
だがガルーが後方へ飛んで容易にそれ躱すと、白い魔獣は其処で立ち止まってガルーを見据え、目を背けてしまったのだ。
それ以上、両者に動きが見られないことを確認したレオ達がホッと一息吐くと、ガルーが口を開く。
「ガッハッハッハ!!獣のくせに案外冷静じゃねぇか!」
もしガルーが本気になれば、覚醒もしていない聖獣が殺されてしまうことは火を見るより明らかであった。
それを理解していたレオ達は聖獣の気が変わらぬことを願いつつ、事態を静観する。
そんな中、ガルーは満足したように笑うとレオへ向けて言った。
「おいおい、お前等の役目は聖獣を護る事なんじゃねぇのか?
あいつは最下層に向かう気だぞ?」
「何故そのことを・・・、いやそれよりお前等を此処から逃がす訳には・・・っ!」
ガルーに背を向けた白い魔獣はカナタ達が姿を消した通路へ向かい、レオは後を追うべきか、ガルーの足止めをするべきか、迷いの表情を浮かべる。
「お前じゃ俺は止められねえ。もう分かってんだろうが。
俺はトンズラこかせて貰うから後は好きにやってくれや。
じゃあな」
聖獣とは反対方向へ振り返って手を挙げたガルーは、安全な街の中を歩くかのようにゆっくりと歩みを進める。
騎士や冒険者達が止めるべきか迷いつつも動けぬままだったのは幸いだったのかもしれない。
左右に分かれた人並木を歩くガルーに襲い掛かった複数の大型魔獣が、ガルーの指に弾かれ粉砕したのを見て、全員がそう感じていた。
「・・ネオ、ニケ。早急に聖獣様を追うぞ。師団長や冒険者で対処出来ぬ魔物は後どれくらい残っている?」
「にゃは〜、今ガルーが殺したのにゃ。ニケはどうするにゃ?」
「行くに決まってるのです。奪われた力を取り戻すにはあの子供をぶっ殺せばいいのです」
「だが怪我人の治療は・・・」
ニケの他にも治癒魔術を扱える者は居る。
だが、今のニケが最下層へ降りて出来る事は果たしてあるのだろうか?
力を奪われ、体術が得意ではないニケが最下層へ向かうより、その治癒の力を此処で振るうべきなのではないか?
確かに力を取り戻す必要はあるが、レオにはそれが成功する可能性は高くないように思えていた。
もしニケが死ぬようなことにでもなれば・・・。
レオは周囲の状況を見渡しつつ、最下層に向かう気満々といった様子のニケに何と声を掛けるべきだろうかと考えていた。
その時だった。
レオ達の目の前、何も無い空間が突如として水面のように揺れ、波紋が広がる。
其処から現れる青い髪の少女。
「此処はもう大丈夫だから行きなさい。妖精生歌」
少女はそう言うと、レオの返答を聞くことなく、両腕を広げて歌うように音階を変えつつ高い声を発する。
声は視認可能な波紋となって広がり、フロアに居る傷付いた者達を次々と癒して行くだけでなく、なんと魔物達にはダメージを与えているのだ。
少女に近い者ほどその波紋の影響を強く受け、ガルーとの戦いで負ったレオの傷は一瞬で消え、少女に襲い掛かろうとした魔獣は全身から血を吹き出して崩れ去る。
ものの数十秒ほどでフロアに散らばる複数の負傷者の傷を癒し、魔物達の半数程を壊滅させた少女は、立ち尽くしたままのレオ達を見て言った。
「グランとカナタを宜しくね」
満面の笑みを浮かべてそう言うと、少女は水面のような空間へと姿を消した。
起きたこと全てを見ていたレオ達は、何が起こったのか理解出来ず、唖然としていた。
少女は対象者に触れもせず、一度にどれだけの負傷者を癒し、一体どれだけの魔物を殺したのだろう?
治癒魔術を得意とするニケの師匠、ラミスですら到底不可能であろう高等魔法を前に、実力の高い者ほど驚き、その場に立ち尽くす。
あの少女は一体、何者なのだーーー?
レオ達に分かるのは、少女がカナタ達の関係者であるということだけだった。
「す・・・凄い・・のです」
「ぼ・・ボクも驚いたのにゃ・・・」
「信じられんが・・・、これで心置き無く最下層へ向かえる。
聖獣様をお守りしつつ、アオイ殿達と合流するそ」




