四十六、シャルル
「消えた・・?君、どういうことかな?」
エキドナの石化吐息が消失した後、石化しているはずの三人の姿が何処にも無い。
ロキは首を傾げつつ、シュライへ目を落とす。
吐血して膝を付くシュライ自身も状況は掴めずにいるが、そんなことを教えてなるものかと、無理に笑ってみせた。
「フッ・・、さぁな」
「防御した訳でもなく、姿を消した・・。アステリオスとかって奴にそんな力があるならクフトが欲しがってる筈だし、あの二人の何方かか。
そう言えば・・・、あの黒髪の子は壁の中に部屋を作れるんだったな。
さっきあいつらが居たのは通路の中央付近だった。
なら・・・下か?エキドナ、やれ」
指示されたエキドナは、カナタ達が立っていた辺りの床目掛けて黒い腕を振り落とす。
すると腕は岩盤を容易に破壊し、地下に続く穴を顕にした。
「あはぁ・・、そのまま穴の中で石になりたくなかったら出ておいでよ」
怪しい笑顔を浮かべ、穴の中へそんな声を投げ掛けるロキ。
その耳元で思いもよらぬ声が聞こえた。
「出て来たらその黒竜に八つ裂きにさせる気だろうが」
「えっーーー」
直後、血管を浮かび上がらせた歪な腕が、振り返ったロキの顔面を捉える。
「ーーーーうらぁああああああ!!血竜鬼拳!!」
その拳はロキの顔を歪ませながら後方へ吹き飛ばし、穴の側にて待機していた黒竜エキドナを巻き込んで、纏っていた赤い衝撃波を炸裂させた。
ロキを受け止める形となったエキドナは衝撃によって大きな体を後方へ押され、太い足で地面を削りつつ、百六階層付近で止まる。
体を覆う黒い岩の様な鱗は破れて剥がれ落ち血が流れてはいるものの、大きな体の一部を損傷した程度に留まっているようだ。
一方のロキはと言えば・・・。
「痛いなぁ・・・」
口を切ったのか、僅かに口から流れる血を拭い取ると何事もなかったかの様に立ち上がる。
袖に滲んだ血を見たロキは驚いた様子で、更に驚いた様子のグランを見た。
「へぇ・・、ただの打撃で僕に血を流させるなんて、やるねぇ。君、何者なんだい?」
グランはカナタの作った地下通路を使いロキの背後を取ると、竜の力、そして吸血鬼の力をフルに使い、本気の一撃をロキの顔面へ命中させた。
だと言うのに、ロキにダメージらしいダメージは皆無。
不意をついた本気の攻撃で仕留められないのならば、一体どうやって・・・。
グランの中を絶望が覆って行く。
「はぁ・・・、そう簡単に答えるわけないか。部分獣化を使ってたから人族では無いんだろうけど、見たこと無い生物なんだよなぁ。
僕に血を流させるくらいだし肉体が強い種族なのは間違いないんだろうけど・・・。
パッと見、近いのは竜人族ーーー、だけど何かしっくり来ないんだよ。
こんなことなら、ガルーが信用されてる内に直接聞かせとくんだった」
立ち上がったロキは腕を組んで一人長々とああでも無いこうでも無いと考察を重ね、動けなくなっているカナタやグランに代わるように、アステリオスが舌を打ってロキに斬りかかる。
グランの力を知るカナタはここで漸く、自分達がロキを、真神教という存在を侮っていたことに気が付いていた。
吸血鬼の力を使ったグランの攻撃が通用しないというのなら、不落之果実を使っても恐らくーーー。
そんな敵に力を失ったアステリオスが斬りかかったとて、出来ることは何も無いだろう。
やはり、アステリオスが言った通り逃げておくべきだった。
「アステーーーー」
そんな後悔と共にアステリオスを呼び止めようとするカナタの横を、ロキに斬りかかったアステリオスが通過する。
アステリオスは猛スピードで迷宮の岩盤に叩き付けられると、片膝と大剣を杖のように使いフラつく体で何とか立ち上がった。
「アステリオス!!逃げるんだ!!」
カナタが似たような言葉を口にしようとしていた時、シュライが数秒早く行動に出た。
ダメージの蓄積した体で折れた槍を持ち、腕を組んでグランの正体を考えるロキへ突撃したのだ。
「待てシュライ、どうする気だ!!!止めろ!!」
自殺行為としか言いようのないその行動に、アステリオスは憤慨し、口をこれ以上ないほど開けて叫ぶが、シュライがその声に耳を貸す様子は見られない。
アステリオスは軋む身体に鞭を打って立ち上がり、それを追い掛けるが、既に追い付ける距離ではなかった。
「あはぁーーー」
絶望したアステリオスを嘲笑するように、ロキの手刀が、無情にもシュライを貫こうと振るわれたーーーー。
「不落之果実!!」
********
白黒の世界。
ロキの手刀はシュライの胸元に迫り、シュライはなんと、目を閉じている。
これまでの人生を思い返しているのか、数瞬後に訪れる痛みを想像しているのか。
絶望しているのか、己の死を受け入れているのか。
シュライの考えをカナタに知ることは出来ないが、何にせよ、その表情にロキを仕留めてやろうという意思が込められていない事だけは明らかであった。
カナタは考える間も無く、シュライをロキの手刀の軌道から外れる位置に押し出すため、鍵の掛かったドアへタックルするようにしてぶつかる。
グランのようにカナタの力で動かせない可能性が過ぎるも、カナタのタックルを受けたシュライの体は、横に倒れるようにして斜めに傾いた所で固まった。
シュライの体がロキの手刀の軌道から逸れていることを確認すると、カナタは不折剣を握り締め、不吉に笑うロキを見た。
見た目は子供だが、何故だかカナタには微塵の躊躇も無い。
グランの攻撃が効かぬのなら、半端な攻撃では意味が無いと分かっているからだろうか。
ロキを仕留める為には、いや、暫く行動を止める為には、出来うる限り一点に、強く、多く、攻撃を当てる必要がある。
だが、力を込めれば込めるほど狙った箇所へ攻撃を当てることは難しく、竜包丁を使った場合は、剣術素人のカナタであれば尚更そのブレ幅は大きくなるだろう。
今のカナタの腕で、止まったままのロキの首目掛けて竜包丁を力一杯振り抜いたとすれば、恐らく十回中、二〜三回は顔や肩などにまで軌道が逸れてしまうことになる。
不落之果実の中では物質を破壊することも、カナタ自身のマナを使った方法ーーー、物質変形以外の方法で物を変形させることも不可能。
ならば、不落之果実発動中に於いては、特に、物質変形で変形させることが出来ない対象、即ち“生物”が相手だった場合は、一度斬った部分に傷口が残る事が無い。
ただでさえ同じ場所目掛けて攻撃することが難しいと言うのに、一度攻撃した場所に目印を残すことさえ出来ないのだ。
始めたばかりの毎朝の特訓によって、これらの条件を把握し、全く同じ箇所へ攻撃することの難しさを知ったカナタは、幾つかの秘策を用意していた。
シュライの脇を通過すると、カナタは不折剣を変形させる。
持ち手を両手で握り閉められるような長さと太さに調節し、刃だった部分は細い棒状に変え、先端付近に不折剣の大部分を集めて行く。
この、ハンマーの形を模した不折剣に名付けられた名は“不壊槌”。
カナタ風に気取った名を授けられてはいるが、要するに絶対に壊れない金槌だ。
カナタが不落之果実で岩を破壊しようとする時、全く同じ箇所を攻撃出来ない剣では、素人の剣撃が連続で近い位置に打ち付けられた時とさして変わらず、大きな破壊は起こせなかった。
一方で攻撃面積が大きく、衝撃が拡散し易いハンマーではある程度攻撃の位置がズレようと、確実に衝撃は蓄積され岩を粉砕することが可能となったのだ。
思わぬロキの肉体の強さを見たカナタは、グランのように岩のような重さを持った体を想像すると共に、グランが鳩尾に攻撃を受け、呼吸困難に陥った様子を思い出していた。
グランのような異端児でも、普通の人間の様な反応を見せるのだとすれば、ロキも恐らく・・・。
カナタは体を名一杯捻って不壊槌を構えると、真っ直ぐ横薙ぎに、ロキの側頭部目掛け振り抜いたーーー。
先端部に集められた鉄塊は遠心力を乗せ、ロキの側頭部を撃ち抜く。
後は、何度も何度も、可能な限り同じ動きを繰り返すだけだ。
しかし、そこに誤算があった。
岩や木に向かい、十秒間、出来るだけ重く、早い攻撃を繰り返す特訓を早朝に行っているカナタは、豆だらけの手で不壊槌を握り、いつもの様に岩を粉砕するようなイメージで、力の限り振り抜いた。
にも関わらずロキの体は、不壊槌の衝撃を受け吹き飛んでしまったのだ。
(なっーーーー!?)
岩によって受け止められる筈の不壊槌の衝撃は、まるで金槌で風船でも叩いたかのように突き抜けてしまう。
階段を降り切った筈がもう一段残っていたかのような思わぬ出来事に見舞われたカナタは、不壊槌の遠心力に負けて重心を崩しながら一回転し、地面に伏してしまった。
腰の痛みを感じつつも不壊槌を手放さなかった事に安堵するカナタは、咄嗟にロキを見る。
するとロキは、シュライを貫こうとした姿勢のまま、カナタから三メートル程の位置で、僅かに浮かんだまま止まっていた。
(ーーーおいおい!!これじゃ、次の攻撃が!!)
カナタが不壊槌の攻撃によって期待した効果は、脳震盪。
グランの攻撃が顔面を直撃したにも関わらず、表情を変えないロキが、たかだかカナタの力で側頭部にハンマーを当てられたくらいで脳震盪を起こすかは疑問だが、カナタはグランの攻撃が当たった直後だからこそ、衝撃を蓄積させればそれが可能なのではと考えていた。
しかし、それは連続で攻撃を加えられればこそ。
ロキの思わぬ軽さにより衝撃を受け流され、攻撃に全く手応えが感じられなかったカナタは、グランの攻撃が通用しなかった理由を垣間見たような気がしていた。
打撃が効かぬのならばと、カナタはロキへ向かって走りつつ不壊槌を竜包丁へと変化させると、ロキが動いてしまわぬよう、上から押し潰すように竜包丁を振り落とす。
だが又してもカナタは、切れぬ風船を斬ったような感覚を覚え、ロキは地面をバウンドして跳ね上がり、カナタから離れ、中空で止まってしまった。
既に視界の端に色は戻り始めており、時間は殆ど残されていない。
カナタは焦りを覚えながらも、用意していたもう一つの秘策を取るため、宝巾着に手を伸ばしつつロキへ向かって走り、中空へ止まるロキの片足を引いて地面に横たわらせると、宝巾着から取り出した、カナタの腕で程もある太い釘状の物体をロキの額に当て、其処へ不壊槌を振り下ろす。
より多くの衝撃を純粋に蓄積させたいのならば、同じ位置に、可能な限り一点に集中させた攻撃を加えられれば良い。
そこでカナタが至った結論が、これだった。
釘を手で固定し、不壊槌で何度も打ち込む。
だが生憎、今は何度も打ち込めるような時間が無い。
視界の色は限りなく中央まで色付き、時が戻るまで一秒を切っているだろう。
カナタは、切っ先を名一杯まで鋭く尖らせた釘を二度だけロキの額に打ち付けると、全速力でその場から遠ざかる。
周囲の者に能力の正体を知られることを防ぐため、可能であれば不落之果実を発動した場所にまで戻りたい所だが、もうそれは到底無理だろう。
であれば、自らの安全を確保するために、可能な限りロキから遠ざかる。
其れだけを目的として、カナタは走った。
傾いた状態で固まるシュライを見つつ、グランの居る場所を目指してーーーー。
(あれだけじゃ倒せねぇ事くらい分かってる!!だが、少しでも傷が付けばーーーーっ!
この、ユノの毒針で作った釘ならあいつを止められるかも知れねぇ!!)
世界に、完全に色が戻るーーー。