四、不落之果実
森の木々は風に揺れ、森には色も、音も戻っている。景色を見る限り不落之果実は解除されていると言うのに、カナタは空を見上げたまま指一本、それどころか視線すらも動かす事が出来ないでいた。
(ーーー何が起こった?能力が解けた瞬間聞こえた音は・・・何かの衝撃音。
感覚的に言えば今の衝撃音はーーーーっ、くそっ、体が動かない!!
よりにもよって、なんで上を向いたまま止まっちまうんだ!?動けなくなるならそう言ってよ!!
知ってたらわざわざ悲壮感出すために空なんて見上げなかったよ!!つぅか木が邪魔で空なんて大して見えねぇし!
くっそ・・・どうすりゃいいんだ。多分ーーというか確実に能力を使った反動だろこれ。
場所が場所だけに、止まってる時間によっては命に関わる!
けど時間を止めるような力の反動だとするなら、俺にどうこう出来る訳もないし、黙って待つしかない。
喋れないけど。
幸いにも意識はあるんだから、ここは一度冷静になって出来ることをやるんだ。
まずはーーーよし。起こったことを順に整理しよう。
能力が解けた瞬間、下で音がしたと思ったら体が動かず、上を向いたまま固まっちまった。
以上!!
ワカンねぇよ!!!何も分かんねぇ!!
どうする・・・?そういえば動けなくなってどれくらい経った?五秒か、六秒ってとこか?
どうせ何も出来ないなら、どれくらいでこの“揺り返し”が解けるのか数えてみるか。
ーーーはーち。
ーーーーきゅーう。
ーーーーじゅーう。
ーーーじゅうい・・・・・おっ?
「おお、動いた・・・」
(こっちもだいたい十秒くらいか?
時間を止めた揺り返しが十秒動けなくなるだけなら、その代償は限りなく小さいと言えるか・・・。
そうだ、さっきの衝撃音は・・・!)
「何だ・・これ・・?」
カナタが目をやったのは、先程まで石を叩きつけていた木の幹。そこは大きく抉れ、枝を叩きつけるのに使っていたであろう石は幾つもの破片に分かれている。
膝に叩きつけ、石と木の幹に挟まれ衝撃を受け続けた枯れ枝に関しては、全体がバラバラに粉砕されて木屑のようになっているのか、木の幹の破片に紛れて班別が出来なくなっていた。
これらの現象からカナタは考察を開始する。
(さっきの衝撃音はこのせいか・・・。
・・・つまり、折れなかった枯れ枝と、枝を折る為に使った石や木の幹が、突然ーーー、いや、不落之果実が解除された後、衝撃音が聞こえた時に破壊されたってことだ。
それも、盛大に。
枝は兎も角、木の幹は俺の力でやったとは思えんくらい抉れてるし、石の粉砕具合にしてもそうだ。
能力発動中は普段なら絶対に壊せる物が壊せず、能力が解除されると俺には絶対出来ないってレベルの破壊現象が起きている。
不落之果実中に物を壊せないのは、与えた衝撃が蓄積されてるからーーーとかそういう理由か?
そんで能力が解除されると同時に貯まったエネルギーが解放される・・・。
・・・・うむ、あり得る。というか、今の所それしか考えられん。
枝が折れなかったのも、木の幹が大きく抉れてるのもそれで辻褄が合うしな。
つまり、全く同じ場所に三の威力の攻撃を十回繰り返すと、能力が解除された瞬間に三十の威力の衝撃が対象へ襲い掛かると・・・・。
可能性は高そうだけど、もうちょい試してみないと確実とは言えないか。
それはまた後で試すとして・・・・、俺の手から出血があったのは気になるな。
不落之果実の中で動けるのは俺だけだ。
俺の声すらも空間を伝わる事はないのに、血は手に滲んでた。
血は俺の体の一部なのか?
細かいことはどうでもいいが、痛いのはちょっとなぁ。
石で手が切れるのもそうだけど、枝を膝で折ろうとした時も変な感じだったよな・・・。
曲がらない枝を本気で蹴ったのに、鉄を蹴ったような感じとは違ってなんかこう、衝撃がゴムボールを蹴った時みたいに吸収されて消えた感じだった。
なのに枝が膝に当たった衝撃は確かに感じて、痛みもあって・・・。よく分かんねぇな。
あれか、夢の中で人を殴ったら全然効かない、みたいなもんか。
まあ怪我は困るけど、能力が解除された時、俺にまで一気に衝撃が帰って来てたら何回骨折すりゃいいのか分かんねぇしな・・・。寧ろ、ちゃんと一回ずつ衝撃が返って来るのは良かったと捉えるべきか。
まっ、よく分かんないけど原理とか何だっていいか。
俺は物理学者でも無ければーーーーーーーーーーー、
ーーーーはっ!
・・・・そう。俺は物理学者じゃないんだよ。
ニュートン?知らんがな。異世界に物理学なんて持ち込んでどうすんだ。というか、魔法や時間を止める能力なんて、本当の物理学者でも解析不可能に決まってんだろ。
だからこそ、俺はこの能力を“アンチニュートン”と名付けたんだよ!
はっはっはーっ!!
・・・・・うぅーん、やっぱり“インビジブルタイム”の方が必殺技っぽくて好きだ。ごめんな、ニュートン。
えぇっと、だから何だ・・・、とりあえず分かったっぽいのは、
能力発動中に物を壊したり、形を変えたりは出来ないってこと。
発生したエネルギーは蓄積されて能力解除後、一気に解放されるってこと。
俺の体はその限りじゃないってこととーーー、そういえば、俺の声は解除後に聞こえるみたいだから、これは何かに使えるかもしんないな。
それと、この力には“揺り返し”がある。一度目は何も無くて、二度目が大体十秒だったけど・・・、それだけじゃ次からの揺り返しの事はまだ分かんねぇか。
うむ。よしよし。何にしても、だ!)
「俺って、結構強いんじゃね?」
《ガサッ、ガサッ》
***********
冒険者ギルドでアルンと別れて数時間。
冒険者に成るべく森へ入ったカナタは、自身の持つ能力不落之果実の力を少しだけ理解したことで、安心感を強め盛大に油断した状態で、更に森の奥を目指していた。
カナタは自らの腹の虫が鳴いた事に気が付き、落ち着かせようと腹部に手を当てて歩いている。
「・・・そういや、徹夜で何も食ってなかった
っけ。あぁ・・腹減った・・・。
見た所、分かり易い食い物は皆無。ーーーーあそこに変なキノコみたいなのはあるが、怖すぎだ」
魔獣の彷徨く知らない森で装備も無く、かなりの空腹状態。
普通なら焦りまくる状況だが、カナタは割と落ちついていた。
何故なら・・・。
「くっくっくっ・・・、ふぁーっはっはーー!!!装備?食料?そんなモンどーうにでもなる。何たって俺は、全人類皆一度は考えた事のある夢のまた夢えええぇぇ!!!!
・・・そう。あの超絶最強能力を手に入れたのだからなぁ!!はああぁーっはっはあぁーー!!!」
継続時間の短さと揺り返しが少々ネックではあるが、それを差し引いても自分以外の全てを止めてしまう力ならば十分に最強と言っていい力だろう。
そんなことを考えるカナタは数秒後、自らに降りかかる悲劇のことなど想像出来るはずもなく、我が物顔で森を闊歩していた。
「それはそうと、どんな魔獣だと高く売れるのかも聞いときゃ良かったなぁ。
一回に運べる量なんて限られてーーーーーー」
その時、カナタの足が止まる。
背後から乾燥した草を掻き分けるような音を捉えたのだ。
カナタは咄嗟に振り返ると、声を荒げた。
「なんだっ!?誰か・・居るのか?」
その問い掛けに返答は無い。
心拍数が徐々に上がるのを感じたカナタは、無意識に身構え腰の位置を低くし、音が聞こえた藪の方向を注視する。
そしてもう一度、声を発しようとした時だ。茂みを掻き分ける音は急速に速度を上げて、真っ直ぐにカナタへと向い始めた。
「ーーーー魔獣かっ!!」
ついに来た。その姿を探し歩いていたとは言え、実際に森の中で、得体の知れない生物が自分目掛けて走って来るという事実に、カナタは喉を鳴らし、身を震わせた。
まだその姿を確認したわけでは無いが、明らかに人などではなさそうだ。
手遅れになる前に動きを止めてしまうべきだと判断したカナタは、強く念じた。
(不落之果実!!)
ーーーーだが。
無情にも、乾燥した草木の折れるようなその音が止まることはない。
「なんだ!?ーーーー何で止まらないっ!?」
(不落之果実!!)
カナタは更に思いを強めそう念じる。
ーーーしかし、やはり世界が止まることはなく、遂に深く密集する木々を次々に薙ぎ倒し、それが姿を現した。
「ギュラアアアアァァァァァ!!!!」
「うおおおおおおおおあああぁぁ!!」
現れたのは体高三メートルはあろうかと言う巨大な生物。
背には小さな翼があり、姿は鳥とトカゲの中間と言ったところか。
カナタの知識の中では竜というより駝鳥の形に近いが、その身体に羽毛は無く、代わりに全身が鈍い緑色の光を放つ鱗に覆われており、何より頭部がデカい。
嘴の中にビッシリと生え揃った牙の隙間からは涎を撒き散らし、カナタの姿を捉えた途端、その怪物は一心不乱に獲物目掛けて走り始めた。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいいいいいいぃぃぃぃ!!!」
その姿を見たカナタは本能的に“逃げ”を選択し、一瞬で自身の持つ最高速度を叩きだしていた。
逃げ回りつつ大声で叫ぶも、いくら謝ろうがそんなものが背後の怪物に伝わるわけもなく、その距離は一瞬にして縮まって行く。
「来るな!!不落之果実!!不落之果実ゥゥ!!ーーーくっそ!!“止まれええぇぇ”!!!」
既に念じる事など頭にはなく、折角名付けた名前すらも忘れて叫ぶカナタ。
だがそれでもその怪物が止まることはない。
「うおおおおおお!!誰か助けてえええええええ!!!!」
能力が使えない以上、カナタにこの怪物と戦う術は無く、移動速度でさえ勝負にもならない。
焦りながらもそれを見越したカナタは、森の茂みの深い方深い方へと逃げ込む事を選択した。
「ぬおおおおああああああぁぁぁぁ!!!」
密集する木々が、それらから無数に飛び出る棘の生えた枝が、カナタの行く手を阻む。
先程までとは比にならぬほど障害が多く、カナタは既に所々が傷ついている体を更にズタズタに切り裂かれ、身体中から出血が見られるようになっている。
だが、木々の密集する茂みを選んだその判断は正解だったらしく、両者の距離は少しずつ開いていた。
そんな時、木々を掻き分け全力で走るカナタの眼の端があるものを捉える。
「ーーーっ!!ーーーあれだっ!!」
木々の隙間を縫うように見つけたのは、山肌に空いた小さな穴。
丁度、人一人が通れるくらいの洞穴だ。
いくら怪物との距離が開いていようと、運動不足の体でこのまま動き続けられるわけも無く、力が尽きるのは時間の問題だった。
近づく限界を感じていたカナタは、その洞穴を発見すると、すぐさま進行方向を左へ直角に変えて茂みを抜ける。
「間にっ・・合ええええぇぇえええ!!」
最後の力を振り絞るように走るカナタ。すぐ背後から聞こえていた木々のなぎ倒される音は既に消えている。
これにより怪物も茂みを抜け出したのだと理解したカナタは、後ろを振り返る事をせず、ただ全力で直走る。
これまでに茂みで稼いでいた距離などまるで無かったかのように両者の距離は縮まり、使い慣れないカナタの脚からは力が抜けていく。
後で壮絶な筋肉痛と戦う事になるのは明白だろうが、なにせ命が掛かっているのだから、それどころではない。
カナタは力が抜け震える脚を、鼓舞するように叩いて地面を蹴り進む。
「ハァ、ハァ、ゼェ・・ま・・間に合え!うおおおおぉ!!!!」
怪物との距離は既にカナタ一人分もない。
口を大きく開ける怪物の臭気と涎の飛び散る音を感じ取ったカナタの背筋には悪寒が走り、脳裏には怪物によって噛みちぎられる自身の姿が浮かぶ。
カナタは目指す洞穴を目前にして膝を曲げて地に頭を近づけ、そして名一杯の力で飛んだ。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!」
体勢を低くした直後、頭上から聞こえるのは金属音。
自身を噛みちぎろうと閉じられた嘴から鳴る凄まじい音を聞いたカナタは、生まれて初めて本物の死を間近に感じ戦慄する。
その嘴から響く音質と音量。それらの迫力が、容易にカナタをズタズタに切断したであろう事は明白だった。
そして残響する金属音と重なるように、乾燥した土を滑る音が洞穴の中で共鳴し、やがて静まる。
一時の静寂にピクリとも動かないカナタだったが、再び迫る金属音によって瞬時に我に返った。
その強烈な音と、漂う獣臭。
それらがカナタの恐怖心を強く呼び起こした。
「ひいいぃぃぃぃ!!?」
怪物がその長い首を洞穴に突っ込んで嘴を開け閉めする度に、擦り合わさった箇所から火花が飛び散り、薄暗い洞穴の中を時折照らす。
その明かりによって現れる怪物の表情は、明らかに怒り狂っていた。
長い首の先にある胴体が狭い洞穴の入り口に引っかかり立往生している様子ではあるが、今も体を捩って少しづつカナタへと近づいていく。
それを目にしたカナタは残った力を振り絞って地を這い、洞穴の奥を目指そうとする。
だが、先ほどの無理のためか恐怖のためか、震える脚が思う様に動かず、その場から移動する事が出来ない。
怪物はそんなカナタを嘲笑うかのように凶悪な音と匂いと涎を撒き散らし、緑色の目をギョロつかせ、少しずつ、少しずつ迫ってくる。
「くっ、来るな・・っ!まっ、待ってくれ・・・」
徐々に、だが確実に迫る怪物。もう数秒もすればその牙が自分に届く。
それを理解したカナタには、大声を上げて喚き散らすことしか残されていなかった。
「誰か!!誰か助けてくれえええ!!
くそがっ・・・来んじゃねぇ!!!!
・・・・・やっ、やめろ。
・・・・・来んなよっ。
ーーーーーと・・・っ、止まれええええええぇぇ!!!!」
「ギュラアアアアァァァァァ!!!!!」