二、冒険者になろう
色が失われた世界ーーー。
全てが白黒に変わり、動きを止めている。
暴れていた狼馬は轡の隙間から涎を撒き散らし、街の住民は今から起こる惨劇を想像して、ある者は目を見開き、ある者は目を伏せて。
横転した獣車も、そこから飛び散る積み荷も、恐怖にかられる少女も。
全てが止まっている。
ーーーーその光景を見ている、たった一人を除いて。
(なっ・・・んだ・・・?)
自身が止まれと叫んだ瞬間、周囲の全てから色が消えた。
ーーーー何が起こってる?
そう声を発するも、その音が空間に伝わる事は無い。常軌を逸した光景を前にカナタは状況を飲み込めないでいた。
だがしかし、カナタの足は既にーーー、いや、一度も止まる事無くソフィーの元へ向い、固まる体を抱きかかえ狼馬の進む軌道から遠ざけていた。
散らばり止まる果物を踏み足を滑らせながらも、ソフィーを抱え二つの建物の隙間に駆け込むカナタは、其処へソフィーをそっと降ろして周囲を見渡す。
先程見た光景が間違いでは無いことを確認するように、狼馬や街の住人、獣車から撒き散らされ空中で静止する果実などへ視線を送り確信した。
(・・・・時間が・・止まってる・・)
現実離れした状況ではあるが、自分がこれをやったのだと、カナタには自覚があった。
“止まれ”と言ったタイミングで全てが止まった事や、その瞬間に脳内に巻き起こった全てが固まるような感覚。
表現し難いが、時計の針が止まるような感覚がカナタの中を駆け抜けていた。
その世界の中で自分だけが動けている。
この状況を作ったのは自分自身なのだと、周囲を観察する毎に実感を強めていく。
そしてーーー時間が止まってから、約十秒。
白黒の世界に色が戻り始めた。
着色はカナタの視界の端から始まり、中心に向かって進んで行く。
カナタは怒り狂う狼馬の的にならぬよう、ソフィーの居る建物の隙間に身を潜めてその時を待ち、数秒後、遂に視界の中心に色が戻ったーーーー。
「何が起こってるーー?」
カナタの耳が捉えた聞き覚えのあるその声。
それは数秒前、自らが発した言葉であった。
そして僅かに聞こえたその声を掻き消すように、そこら中で様々な音が鳴り響いている。
「きゃああああぁぁぁ!!!」
「お嬢ちゃん逃げろ!!」
ソフィーの無事を祈る者達の声や、その直後に露店へ突っ込む狼馬。そして、それに引き摺られる横転した獣車は止まる気配の無い狼馬によって引き摺られながら被害を拡大させていく。
しかし狼馬が暴れる中、観衆の目線は狼馬の進行方向では無く、その後ろへ向けられていた。
「女の子はどうなったの!?」
「どういうことだ!?今、確かに猫人族の女の子が居たと思ったんだが・・・」
「確かに俺も見た!」
「けど誰も居ないぞ・・・?」
それを見ていた多くの者達の間に騒めきが起こるも、その意識は直ぐに別の場所へ移る。
建物に獣車が突っ込み、尚も暴れ続ける狼馬。
そんな状況において、今居ない者を居たはずだと、しつこく探す者などいるはずもない。
人々の関心は、完全に我を失った狼馬へと向けられた。
「ああ!!狼馬が止まらない!!ーー誰か!!」
止まらぬ狼馬に引き摺られる獣車は、既に二軒の露店を破壊し、その勢いは衰える事なく次の店に向けられる。
乾燥させた何種類もの木の実や香辛料らしき物が並ぶ店の女店主は恐怖によってか、店を守る為か、いずれにしろ、迫る獣車を前に動こうとしない。
「ちっ、もう一度ーーーー」
それを建物の隙間から見ていたカナタは、状況が飲み込めない様子のソフィーを落ち着かせるように頭へ手を置き、もう一度“止まれ”と念じようと、意識を狼馬へと向けた、その時だ。
「ネオ、店主を。ニケは獣車だ」
「任せてにゃ!」
「ハイなのです」
狼馬の前に三人の妖精猫族が現れたのだ。
二足歩行の小さな体に、二本の尻尾。ただ、他の妖精猫族と明らかに違うのは、体毛の色だろう。
周囲に居る妖精猫族は、口の周辺や尻尾や手足の先に若干の白い毛があるものの、体の大半の部分を黒い毛が覆っている。
それぞれ顔は違えど体毛は皆、ほぼ黒一色なのだ。
それに対して、ネオと呼ばれた妖精猫族の青年は、茶色い毛並みに黒い斑点が見られ、豹やジャガーと言った動物に近い毛色をしており、ニケと呼ばれた少女は青みがかった品のある灰色毛。
二人に指示を出した妖精猫族の青年に関して言えば、金色の毛並み、そして顔の周囲には短い鬣のような毛が見て取れる。
異彩を放つ妖精猫族の登場に、カナタの意識が狼馬から外れた、その一瞬だった。
ネオと呼ばれた青年は女店主と獣車の間に瞬間移動したかの如き速度で現れ、小さな体で店主を抱きかかえ、あっという間に女店主を安全な場所へ運び終えてしまった。
ネオへ指示を出した鬣の青年はといえば、暴れる狼馬の首の辺りへ飛び乗り手綱を握ると、いとも簡単に凶暴化した狼馬を御してその動きを止めてしまい、それを確認したニケと呼ばれた少女は、右手に持った身の丈を超える長さの木製の杖を振り下ろす。
「大地の化身・大地の手ーーなのです!!」
すると突然、石畳みの地面が巨大な手の形に変化し、店に突っ込もうとする獣車を掴み取ってしまったではないか。
石畳みの手はそのまま横転した獣車を持ち上げると、そっと地面に置いて消えた。
結果的に三人は狼馬に怪我を負わせる事なく、獣車を完全に破壊することもなく、一瞬でこの状況を治めていた。
獣車から振り落とされた御者や数人の冒険者らしき獣人、人族の商人にも大きなゲガは見られず、周囲で経過を見守っていた群衆からは賛辞の声が多く上がっている。
「うおおおおぉぉぉ、すげぇな!!誰だあいつら!?」
「当たり前だ!彼らはバロンの誇る最強の騎士達だからな!!」
「きゃああぁぁ!!レオ様ぁ!!」
「“六獣騎士”がなぜここに!?」
「何でもいいさ!お陰で助かった!」
旅人達は三人の実力に驚きを隠せず、バロンの住民達は、滅多に姿を見せぬ騎士達がこの場に居ることが信じられない様子だ。
それはカナタ達にしても同じことのようで、二人は建物の隙間から体を乗り出し状況を見守っていた。
「見て!あの子、さっき狼馬の前にいた子じゃない? よかった、無事だったのね!!」
「きっとレオ様達が助けて下さったんだな!」
狼馬に轢き殺されかけていたソフィーの姿を見つけた観衆は安堵の声をあげ、再び妖精猫族の三人を持て囃す。
当の本人達はそんな群衆の歓声を気にも留めず、横転した獣車から振り落とされていた御者や用心棒らしき獣人、獣車の持ち主らしき商人風の男に視線をやり、その視線を受けた男は狼馬の無事と全壊を免れた獣車を確認すると、三名の妖精猫族に向かって頭を下げ、ネオと呼ばれた青年に抱えられる女店主に至っては、ただただ呆然としてネオの顔を見上げている。
「怪我人は無いようだな。ーーー時間が惜しい。行くぞ」
観衆の女性達にレオ様と呼ばれ、黄色い声を浴びる金色鬣の妖精猫族の青年は、この場に重傷者が居ないことを確認すると建物の隙間から身体を乗り出すカナタを一瞥し、ネオとニケを伴ってその場を後にする。
あっという間に建物の屋根から飛び上がって森の中へと消えてしまった三名を黙って見送る観衆は、その後もしばらくは三人の騎士の話題で盛り上がり、街に普段通りの喧騒が戻るのには少し時間を要した。
「カナタお兄ちゃん・・だよね?助けてくれたの。・・どうもありがとう!!」
そんな中、ソフィーはそう言ってカナタへ満面の笑みを向けた。気付いた時には狼馬の前から建物の隙間に移動していた。
何がどうなったかは理解できないものの、その時に自分を抱き締めていたカナタが何かをしたのだと、ソフィーは漠然とそう思ったようだ。
「お、おう!ーーー無事で良かったな。それよりさっきの奴等は?」
事なきを得たソフィーは、頼まれていたお使いを忘れたように再びカナタの質問に答え始める。
「さっきの騎士様はね、バロンにある騎士団の副長達だよ!すっっっごい強いんだって!」
「強いのは何となく分かったけど、副長なのか?さっき誰かが“六獣騎士”とかって言ってたのは何だったんだ?」
「六獣騎士は、兎に角強い六人の騎士様のことだよ!
バロンの騎士団には三つの大隊があって、一つの大隊は六つの師団から出来てるの。
つまり全部合わせると十八人の師団長がいて、その上には三つの大隊の大隊長と副大隊長の六人しか居ないんだ!
六獣騎士っていうのはこの六人の騎士のことで、王直属の騎士として特別な任務ばかりこなしてるみたいだよ!」
「ヘぇ〜!そりゃ強い筈だ。妖精ってだけでも強そうなのに、その妖精が住んでる国の騎士で、更にその中のトップ六人か・・・。えげつねぇな。
けど、あいつらはどうして他の妖精猫族達とは見た目が違うんだ?」
「特別な妖精猫族だからだよ。金色の毛のレオ様は、獅子の力を授かった妖精猫族、ネオ様は雲豹、ニケ様は妖仙猫の力を授かって副大隊長になったんだって!」
「力を授かる・・・?なら六獣騎士の残りの三人も変わった見た目なのか?」
「そうだよ!全ての妖精猫族の中で最も力を宿すのに相応しいと認められた六人には特別な力が授けられるって、そういう伝説があるんだ!
それでね、三人の大隊長は授かった力を開花させた存在だから他の副大隊長達よりもずっと強いんだって!
例えば一番大隊の大隊長・・つまりバロン王国の騎士団長はレオ様のお父様で、レオル様という方なんだけどね、レオル様は妖精猫族から妖精獅子族という境地に至った、このバロンで最強の存在なんだって!!」
「妖精・・獅子族・・。そりゃとんでもなく強そうだがーーーー、只でさえ強くて才能があるやつに更に力が宿るってのも不公平な話だな。
そんなんじゃ、他の奴等はハナから努力する気失くしちまうだろ。
金は金のある奴の所に集まる、みたいなもんでさ。
はぁ・・・嫌になるねぇ、まったく」
「ううん、むしろ逆だよ!力は常に一番相応しい者に宿る。って白猫亭のトトさんが言ってたもん!
宿る力には色んな種類があるけど、どんな時も選ばれるのはたったの六人だけだから、皆んな必死になって努力するんだって言ってた!
さっき居たネオ様なんて、六獣騎士になったのはつい最近の話しなんだよ!」
「ネオって言うと、豹柄の奴だったか?
ならあいつの代わりに六獣騎士だった誰かが力を失ったってことか?」
「うん・・・。三番大隊の副長だったロウレン様は雹猫の力を失って、今は師団長に戻ってるみたい」
「まじか・・・。案外、妖精の世界もドロドロしてんだな・・・」
妖精の国の思わぬ事情を知り、少し後悔するカナタ。
妖精というと、もう少しほのぼのとした森での生活をイメージしていたのだが、流石に他国との交易を行う国だけはあって、国防に大きく関わる騎士団の強化に一切の妥協が無いのは当然である。
一人でそう納得したカナタは、師団長に戻ったロウレンなる妖精の話など、聞けば聞くほどに心が重くなると判断してソフィーへの質問を終えた。
そもそもソフィーはお使いの途中であり、カナタには直ぐにでも取り組みたい目標がある。
早々にソフィーとの二度目の別れを済ませたカナタは、冒険者ギルドの扉を開いたーーー。
************
《カランカラーン》
木製のドアを開けるとそれを知らせる為の鐘の音が鳴り響き、建物内から多くの視線がカナタに集中する。
建物内部は入って正面方向に区切られた受け付けが五つ並んでおり、向かって右側には丸テーブルが並び、其処に座る者たちは軽食を取りながら談話している。
外と変わらず妖精猫族や獣人、亜人が多く、人族と思しき姿もチラホラと見られる。
屈強な肉体の持ち主が様々な武器な武具を装備し、その中には女性も少なからず居るようだが、カナタなど相手にならぬであろう立派な体つきの者ばかりだ。
時間的にもまだ呑んだくれる時間ではなく、それぞれが何やら冷静に話し合っていることからも、冒険者達が依頼へ向かう前の腹ごしらえをしつつ、作戦を練るのに使っている場所なのだろうと、カナタの目にはそう映った。
だがとりあえず用があるのは正面の受け付けであるため、集まる視線に対する緊張を押し殺し、臆する事なく正面の受け付けへ進む。
(もし変な奴に絡まれても、俺にはアレがある)
つい今し方ソフィーを救った力、“時間停止能力”。
それがある限り、異世界三大テンプレの一つ“突然チンピラが絡んでくる”が発生しようが何の問題も無い。寧ろ絡んで欲しいくらいだ。
そう考えているからこその余裕であった。
しかし、どう見てもひ弱そうな人族のカナタにライバル心を剥き出しにする者などいる筈も無く、何かを巻き上げようにも物を持っている様子もなければ、美女を連れて歩いているわけでもない。
カナタは問題に巻き込まれることなく無事に受け付けの女性の前にまで進み出た。
「いらっしゃいませ。こちらのご利用はーーー初めてですね!ご用件をお伺いします」
橙色の髪に猫耳が生えた、カナタの常識に照らし合わせれば二十代半ば程の外見の優しそうな雰囲気を持つ女性。
ソフィーに聞いた話しから考えるに、妖精猫族が擬人化しているか、本当に猫人族なのか、見分け方は尻尾の数だ。
目の前の女性には尻尾が一本しか無い事から、カナタは女性を猫人族だと判断した。
カナタが此処に来るのが初めてだと何故分かったのかは少し気にかかるが、自分の髪の色や服装はこの世界では珍しいようだし、一度見ればそうそう忘れないのだろうと想像し、其処にはあえて触れずに会話を始める。
「ああ、えっと、冒険者に成りたいんだけど、どうすればいいのかな?」
受け付けの女性は、カナタの身なりや身体つきを見て少し間を空けるが、直ぐに手続きの説明を始める。
見るからに戦い向きでは無さそうなカナタを見て何か思う所があったようだが、自分の職務を全うすることを選んだようだ。
「冒険者になるには、まずこちらの書類に必要事項を記入して提出していただきます。
そして、それらの情報を登録したギルドカードを作成すれば手続きは終了となります。
その際ギルドカード作成費用と登録料、合わせて大銀貨一枚が必要ですが、登録されますか?」
カナタはお金を持っていなかった。