十八、パペットアース
「二階層はもう終わりか」
ゴブリンを倒した後、歩いたのはたったの数十秒。
その間にも分岐点はいくつもあったが、ガルーは真っ直ぐに縦穴のある場所へ辿り着いた。
「下に続く通路は幾らでもあるが、何処から降りるかで出会す魔物も、下の階層で歩く距離も大きく変わるんだ。
何も知らねぇ奴が四七階層を目指そうと思えば軽く数年は掛かるだろうな」
「ひえぇ、そんなにも・・・、さすがガルーさんだな」
一階層から降りた時と似たような縦穴を降りると、そこは一つの部屋の様になっている。
部屋からは三つの通路が出ており、その三つの通路からも幾つもの分岐点があり、それぞれの分岐点からもまた分岐がある。
広大な土地にそうした路が広がっているのだから、確かに知らぬ者が下を目指そうと思えばかなりの時間を要することとなるだろう。
ガルーは縦穴から降りて左にある通路へ入ると四つ目の分岐へ入り、さらに六つ目の分岐を左折する。
すると再び下へ続く縦穴へと辿り着いた。
「三階層も一瞬だったな」
「まあとりあえず十五階層くれぇまではこんな感じだ。森に魔狒々が出るくれぇだから何が起こるか分からんがな。
それと、ここを降りた場所に水場があるから喉が渇いてるなら補給しとけよ」
一行は魔物に会うことも無く三階層を突破し、四階層へ入る。
縦穴を降りた先は楕円形に広がった部屋のようになっており、ガルーが言った通り部屋の隅には壁の亀裂から染み出す水が溜まる場所がある。
ニケによると、森に降った雨は迷宮に染みて下層へと向かい、徐々にそれは集合して巨大な地下水脈へと姿を変えるため、上層には小規模な水場が多数点在しているようだ。
その他にも地下のマグマ熱によって熱湯が噴き出すような場所もあるらしく、この迷宮でレオ達と逸れた時、その場所の熱湯を使って肉や卵を茹でて飢えを凌いだ経験があるなどという思い出話を聞きつつ水分を補給した一行は、迷宮の奥を目指し再び出立する。
「そういえば、さっき十五階層まではこんな感じだって言ってたけど、十五階層に何かあるのか?」
「何ってわけでもねぇが魔物の質が少々変わんだよ。強い魔物も増えるが、罠を張って獲物を狩る魔獣がいるせいで、ただ歩くだけでも慎重なる必要があるし、群れで行動するやつらが巣を作りでもしてりゃ迂回の必要も出てくる」
「罠・・なんか迷宮っぽい響きだな・・。因みにどんな罠が?」
「まあ所詮は動物の作るような罠だ。穴を掘ったり、粘着質の液体を撒いてたり匂いで誘ってみたりな。
不自然にぬかるんだ場所や土が掘り返された痕があったりするから注意して見りゃ分かる。兎に角、違和感のある場所には近づくなってこった」
カナタは自分がそのような罠を看破出来るものなのか一抹の不安を覚えるが、ガルーは自分が居るのだから大丈夫だと胸を張って答える。
そんな調子で問題なく四階層からも順調に進み、一行が八階層に入ろうと、七階層から下に伸びる縦穴の前へ差し掛かった時だった。
突破、ガルーが腰の辺りで拳を握り立ち止まる。
事前に決められていた“止まれ”の手信号を見たニケとグランはすぐさま立ち止まり、余所見をして歩くカナタは少し遅れて足を止め、状況を確かめようとガルーの手信号に視線をやる。
その手からは指が一本立てられており、それ以上の動きは見られない。
魔物が一体居る、動くな。という内容だと理解したカナタは左右にいる二人に目をやるが、ニケもグランも指示通りに動きを止めている。
それを確認したカナタがもう一度ガルーの手信号に視線を戻そうとした時だったーーー。
「オメェら逃げろ!!!」
突然ガルーが体を反転させて大声を上げ、三人のいる方向へ走り始めた。
只ならぬ事態が起きていると本能的に悟ったカナタは、ガルーの背後にある縦穴へ目をやる間も無く体を反転させ、退避の体勢をとる。
だが、ニケとグランは違った。
ガルーの背後をジッと見て、その場から動こうとはしない。そんな二人を見たガルーは更に声を荒げて逃げろと忠告するが、グラン達は動く素振りを見せない。
そして何かを感じ取ったガルーは縦穴へ振り返り、舌を鳴らした。
「チッ!!もう来やがったか!!」
そう言って立ち止まり振り返るガルーに釣られるようにカナタも立ち止まると、四人の視線が集まる穴からは、二本の太い脚が突き出された。
明らかに動物ではなく虫の物だと分かるその脚は一本がカナタの胴体よりも太く、白っぽい針のような毛がビッシリと生え揃っている。
穴から突き出された二本の前脚は洞窟の天井に当たると方向を変えて通路の左右へ広がり、未だに縦穴の中にある胴体を引き上げようと壁を引っ掻く。
二本だった脚の外側からは新たな脚の先端部分が這い出て穴の淵に掛けられ、四本になった脚が連動して動くと、穴から胴体が引き上げられて複数の黒い眼を覗かせた。
黒い複眼が獲物の姿を捕えると、外に出した四本の脚を波打たせ、其れは穴から這い出る。
六本目の脚に続いて黒光りする胴体と八本目の脚を引き抜いた所でその全貌が明らかになったのは、巨大な蜘蛛型の魔獣。
カナタの知識の中で言うならばタランチュラに近い形をしているだろうか。
その姿を見たカナタは恐怖と嫌悪感に苛まれ、その強烈な不快感は全身の毛を逆立たせる。
「な・・・なぁ、一応聞くが、アレはGレベルの魔獣なのか?」
「んな訳があるか・・・っ!ありゃチュリアンって魔獣で、六十階層付近を根城にする魔物を喰うバケモンだ!
普段は巣を張って獲物が掛かるのを待ってるが、一度怒らせると魔狒々の数倍はヤベェぞ!!」
「数倍ってーーー」
その風貌から感じる強烈な存在感、そしてガルーの表情。戦闘素人のカナタでさえ目の前のチュリアンという巨体蜘蛛の危険度は一目で理解出来、まるで森の中で飛竜を目撃した時のような恐怖がカナタの中を駆け巡った。
その直後ーーーー突然、ギャリンという金属が擦り合わされたような音が響き渡る。
カナタの目では何が起こったのか把握することも出来なかったが、その金属音がカナタの耳に届いた時、既にニケは迷宮の岩壁を大きな手の形に変えてカナタの前に据えており、グランはガルーの前に飛び出ていた。
グランの居る周辺にはチュリアンの体に生えた体毛と同じような鋭い針が複数散乱し、その手にも同じ針が握られている。
「なっ、何が起こったんだ!?」
「チュリアンは強力な粘着質の糸を放出するだけでなく、さっきみたいに体を震わせて体中に生えた毒針を飛ばすです」
状況が分からず狼狽えるカナタを岩の手で護るニケは、いつもと変わらぬ様子で淡々と答える。
カナタにはチュリアンが体を震わせた所など一瞬たりとも視認出来なかったが、ニケの説明により聞こえた金属音の正体は理解出来た。
獣が濡れた体毛の水を飛ばすような要領で行われた超高速の身震いにより、硬い体毛が前方へ散弾のように飛ばされたのだ。
先ほど聞こえた金属音は、その際に金属質の体毛同士が触れ合った音なのだろう。
確認してみれば、チュリアンの左前脚の一部の体毛が無くなっており、それは体の一部だけを自在に震わせて必要な量の毒針を飛ばすことが可能なのだということを示していた。
「おいおい・・しかもあの毛って直ぐに生えてくんのかよ」
今し方、毛を飛ばしたばかりの部位からは直ぐに新たな毛が生え揃い元の状態に戻っている。
「あの毒針はチュリアンの体内で毒と一緒に固められた蜘蛛の糸なのです。マナが無くなるまでずっと生えてくるです」
「マジかよ・・。体中に生えてるってことは全方位へ超高速の攻撃が可能ってことだろ?それかずっと続くってのか」
「厄介なのはそこへ粘着質の糸を使った攻撃も織り交ぜてくることなのです。あの体毛が生える毛穴の全てから粘着質の糸を噴出可能なので、チュリアンの攻撃を生身で受けるのは馬鹿のすることなのです」
ニケはそう言って小馬鹿にしたようにグランを見る。
幸い今の攻撃は粘着力の無い硬い毒針の攻撃だったようだが、粘着性の糸が噴出されていればグランの体は糸に絡め取られていただろう。
しかもだーーー、とグランの背後で膝を着くガルーが続ける。
全てを避けられたかは疑問だが、カナタとは違い一応の回避行動はとっていたようだ。
「チュリアンは力も速さも甲殻の硬さも異常でな。近距離での肉弾戦だけでも俺より数段強えはずだ」
「何だよその無敵生物・・・」
「ニケ。そのまま二人を護ってろよ」
ガルーやニケの情報、それにチュリアン自身の持つ圧倒的な存在感がカナタに絶望の色を与える中、グランは口角を上げてチュリアンへ向けて歩みを進める。
チュリアンを強敵だと判断したのだと確信したカナタは喉を鳴らしてそれを見守り、毒針を受け止められた事で警戒を強めたチュリアンはその場を動かずほんの僅かに深く身構えた。
「止めるのです」
だが、ニケは歩み出るグランを抑制する。
「ああ!?何でだよ!?」
「チュリアンの粘着糸に触れると後々面倒なのです。肉弾戦しか能の無いバカは下がってるです」
「なっ!?俺だってーーー」
「だってじゃねぇぞボウズ。嬢ちゃんの言う通りだぜ。チュリアンの糸は簡単には取れねぇし、魔物を惹きつける匂いがある」
グランは出かけた言葉を飲み込む。
この狭い場所でチュリアンが全身から粘着糸を放出したら避けきれるだろうか?
仮に自分が避けきれたとして、他の三人はどうだろう。
放出ではなく、チュリアンが粘着糸で自分を覆ってしまったらーーー。
若いとは言え、これまで培って来た豊富な戦闘経験がそれらの可能性を思い浮かばせ、ガルーやニケの仲間を救出しなければならぬこの状況で無駄な時間の消耗は避けるべきだと、グランは忠告を聞き入れ前進を止めた。
グランは手を胸の前で組んでチュリアンへ背を向けると、先ほどまでいた位置に戻ろうとする。
「っておい!!油断し過ぎだ!!」
戦闘態勢に入った魔獣へ背を向けることがどれ程危険な行為なのか、わざわざ口に出して言うまでも無いだろう。
にも関わらずグランは平然とそれを行い、当然のようにチュリアンはそれを見逃さない。
曲げた八本脚に隠れるほど胴体を沈めたチュリアンは、地を蹴って宙に浮かび上がり体を通路一杯に広げる。
「全員逃げろぉぉおおお!!!」
チュリアンのこの行動が、数万にも及ぶ体中の毒針を一斉に総射する前触れの物であることを知っていたガルーは、有りっ丈の声を上げる。
この狭い通路で総射など行われれば逃げ場などある筈が無い。だが、それを分かっているからと言って、獲物が逃げる暇を与えるほどチュリアンは遅くない。
超高速の振動が全身に及ぶと、無情にも全ての毒針は総射された。
音を置き去りにするほどの速さで飛来する数万の毒針にガルーは絶望し、カナタは反応さえ出来ていない。
そんな中、チュリアンへ杖を向けたニケは軽い口調で言った。
「大地の化身」
直後、全ての毒針を受け止めるようにチュリアンとグランの中間地点から巨大な手が現れる。
カナタは意識の外から突然現れた巨大な手に驚いていると、少し前に聞いた金属音が手の向こう側で響いたことで状況を察知した。
ニケが創り出した岩盤の手を元に戻すと、其処には毛の無いチュリアンと大量の毒針が刺さった地面が露わになり、獲物を仕留め損なったと悟ったチュリアンは再び体を脚の中心へ沈めて、新たな毒針、もしくは粘着質の糸を放出する体勢をとる。
だがーーーー、
「もういいのです」
ニケはそう言うと退屈そうに、もう一度杖を軽く振った。
すると体を埋めるチュリアンの前後に二つの巨大な手が逃げ場を塞ぐようにして現れ、そしてーーーー。
「ぶっ潰れやがれ、です」
前後の手は合掌するように閉じられた。
手で虫を潰すとは言え岩石と岩石が高速でぶつかり合うその現象は、まるで大爆発でも起こったかのような轟音を巻き散らす。
音の反響する迷宮内で、それも間近でそれを聞いたカナタは近くに隕石でも落ちたのではないだろうかとさえ錯覚し、その余りの衝撃に自身が岩石に潰されるのでは無いかという恐怖に陥るほどだった。
岩石で作られた両手の隙間からは夥しい量の体液が周囲の壁へ飛び散り、それを確認したニケは二つの巨大な手を元の壁の姿へと戻す。
「す・・っげぇぇ・・・」
カナタからは感嘆の言葉が漏れ、その光景を前にしたガルーは、グランの戦闘を見た時のような顔で固まっている。
「迷宮の中でニケに敵う魔物はそう居ないのです」
「そう居ないってか、これって無敵なんじゃ・・・」
考えてみれば岩盤で囲まれた場所でそれを自在に操るニケが戦うのだから、それはもうチートという他無い。
敵がどれだけ強かろうが、どれだけ多かろうが、壁で逃げ道を塞ぎ潰してしまえばそれで終わり。
仮にそれで勝てない敵ならば通路を塞いで、あわよくば迷路のように道を作り変えてしまえばほぼ確実に逃げられるのだ。
そもそも、岩盤が崩れれば取り返しが付かなくなる地下迷宮という場所において、カナタのイメージの中では、“土魔法は厳禁”というものがあった。
無から土を生み出す訳ではなく周囲にある土や岩盤を使う以上、地形が変わってしまうのは必然であり、重みを支える柱の役目を持つ壁を破壊し過ぎれば、上にある岩盤が崩れ落ちるのは必然であるからだ。
しかしニケの大地の化身によって操られた岩盤は、その操作を解かれると綺麗に元どおりに戻っている。
チュリアンの棘が刺さった部分や、両手の衝突によって亀裂が入ってしまった部分は修復されていないが、少なくとも攻撃に使用した部分全てが崩れるような事にはなっていない。
これは、バロンの王都で狼馬の引く獣車に対して力を使った時も同じであったことから、この世界の土魔法もしくはニケの使う土魔法は無駄な破壊を引き起こさないのだとカナタに想像させ、同時にある疑問を浮かばせていた。
「というか・・・、土魔法を使える奴が居れば下に続く穴なんて探さなくてもいいんじゃないのか?」
「それは無理なのです」
壁を自在に操れるならば床に穴を開けてしまえばいいだけなのだから、これもまた当然の着想といえるだろう。
しかしニケは横に首を振り、本当にそれが可能なのならば苦労はないのだと、迷宮攻略に多くの時間を費やして来たガルーが口を開く。
「無理に決まってんだろ。大規模な土魔法なんて地下迷宮の中で使ってたら何が起こるか分かったもんじゃねぇし、そもそもこの迷宮の分厚い岩盤に穴を開けられるような魔道士なんて俺ゃ見た事がねぇし、居ても何度も繰り返しなんてのは絶対に無理だ。
何よりーーー、その嬢ちゃんが使ったのは普通の土魔法とは別物だ」
土魔法ではない。ガルーの口から出た予想外の言葉にカナタは疑問符を浮かべ、それを見たグランは不思議そうにその様子を伺い口を開く。
「あれ、カナタは気づいてなかったのか?ニケの大地の化身は特級魔法だぞ」
「特級魔法?ーーそうなのか!?」
「ああ。多分、自然の物を動かす力とかそんな感じの能力だろうな。さっき上で植物も操ってたし」
植物と言えばカナタに頼まれたニケが蔓を使って文字列を囲った時の事だろう。ガルーと戯れていたと言うのにちゃっかりとそれを見ていたグランの器用さにも驚いたが、賢者の加護を持たぬガルーまでもが土魔法で無いと言い切ったことには更に驚きを覚えるカナタ。
しかしガルー自身も力の正体を掴めずにヤキモキしていたのか、グランの台詞を聞いて漸く納得の言ったような顔を見せた。
「特級魔法か・・・、使っても壁が元に戻る土魔法なんて聞いたことねぇもんで驚いてたんだが、そういう理由か。
特級魔法持ちとは、流石に一国の最強の騎士に数えられるだけはあるぜ」
「ガルーさんが土魔法じゃないと分かったのはそう言う理由か・・・・。
だけどさ、グランの言う通りの力ならやっぱり縦穴なんか探さなくてもいいんじゃないのか?地面を掻き分けて進めばさ」
「無理なのです。
確かに地面に穴は開けられるですが、一度に動かす物が多ければそれだけ疲れるです。死の穴の岩盤は分厚い部分も多くて、一層を移動するだけでもマナの消費は馬鹿にならないのです」
特級魔法を持っていることを言い当てられたというのに、ニケは相変わらずの無表情で淡々と答える。
「そうか・・。下に行けば行くだけ強い魔物が居るってのに、少しの移動のために大量のマナを使い果たすのはバカのする事だな・・・」
先ほど見せたニケの圧倒的な力もマナがあってこその物であり、それを強敵と当たった時のために温存しておくのは当然のことだとカナタは理解し、ここでも自分の思慮の浅さを思い知る。
「がっはっはっ、まあそう落ち込むな!嬢ちゃんとボウズが居りゃ最短で四十七階層まで行ける」
一方、二人の実力を目に焼き付けたガルーはこの日一番の笑顔を見せ、三人を先導するように撒き散らされたチュリアンの体液を超えて縦穴へと入って行く。