十七、G
「見えたです」
「やっぱあれがそうなのか。あの立て札には何が書いてあるんだ?」
崖の麓に開いた穴の横には蔓性植物に覆われた木の立て札があり、蔓の間から辛うじて見ることの出来る文字はカナタの知識には無い物だ。
「俺が読んでやる!
えっとだな・・・・・・・、ちょっと待てよ」
グランは立て札を覆う蔓を引きちぎると顔を近づけてゆっくりと文字を追うように視線を動かす。
「この先・・クルベーラ地下大迷宮・・・。だ!」
文字を追う視線は、まだ中間辺りにまでしか進んでいない。それを見越したガルーが助け舟を出す。
「がはっはっ!ガキにしちゃ上出来だ!
“この先クルベーラ地下大迷宮。立ち入る者は自己責任で“だ」
「邪魔すんじゃねぇよおっさん!俺にも読めたっつうんだよ!!」
「がっはっはっ!まぁそう言うな!俺がオメェくらいの歳の頃は字なんて読めなかったし、大人でも読めない奴なんぞ珍しくねぇんだ!自信をもっていいぞ?!」
頭を鷲掴みにされ撫でられるグランは不満そうな顔を浮かべ、ガルーを恨めしそうに睨む。
「この先クルベーラ地下大迷宮・・」
そんな中、グランがゆっくりと追っていた文字を見たカナタは前半に書かれた部分がそういう意味なのだろうと考えながら口に出す。
前から順に文字を追ってそれに合わせて言葉を発していたことから、この文字は日本語と文の成り立ちが似ているのかも知れないと考え、“この先”と“クルベーラ地下大迷宮”を表していると思われる文字を見て、それをなぞるように読み上げたのだ。
するとどうだろう。ついさっきまで見たこともなかった文字列の内、カナタの読み上げた部分だけに日本語が重なったように感じられ始めたのだ。
文字自体は見たことのない文字のままだが、その意味ははっきりと理解出来る。
「読み上げたところだけか・・・。ニケ、あの文字をもう一度読んでくれないか?」
「はいなのです。“この先、クルベーラ地下大迷宮。立ち入る者は自己責任で”、なのです!」
「立ち入る者は自己責任でーーーー」
まだ解読されていないその部分を口に出して読み上げるが、文字列に変化はない。
先ほどグランが文字を読み上げる姿から、どの文字がどの言葉に該当するのかを想像したことを思い出したカナタは、ニケに再び質問する。
「“立ち入る”と、“者は”と、“自己責任で”の三つにそれぞれ該当する文字はどれだ?」
するとニケは立て札へ向けて手を伸ばし呟く。
「大地の化身なのです」
すると、立て札の支柱に巻き付いていた蔓が生きているかのように動き始め、カナタの言う文字を円で囲むようにして止まる。
「そのパペットアースって土の魔法かと思ってたけど違うんだな。それとも植物は土から生まれるから、土魔法で操れるもんなのか?」
「土魔法で植物は操れないのです。それより、文字を囲ってどうするですか?です」
「おっと、そうだったな。“立ち入る、者は、自己責任で”」
ニケが囲った三つの文字列をそれぞれの意味を理解した上で読み上げる。
文字数まで同じの文字列を円で囲ってもらっているのだから、至って簡単な作業であった。
するとカナタの思惑通り、立て札に書かれた文字に日本語が重なるような感覚を覚え、そこに書かれた文字を理解出来るようになった。
「意味を理解して読み上げるといいわけか・・・。思い当たるとすりゃ加護の力だな・・・。ニケ、助かったよ!サンキューな」
「もういいですか?です」
不思議そうな顔をするニケは、言われるがままに蔓へ向けたままの手を下ろすし、円を作って固まっていた植物は立て札を離れ、倒れるように地面へと広がり落ちた。
それを見たカナタは、未だに言い争うグランとガルーへ声をかける。
「メイナさん達が待ってる。急ごう」
「そうだな・・。休憩はいらねぇな?」
その問い掛けに三人が頷くと、ガルーは顔を引き締め、巨大な崖に開いた穴へ向けて足を踏み出した。
**********
クルベーラ地下大迷宮の第一階層。
地下迷宮とは言え、崖の穴から入ったばかりのこの場所は地上と同じ高さにある。
そう広さの無い通路を進むと、直ぐに外から差し込む光は失われた。
「暗いな・・・」
その声が静かな洞窟の中に反響したことで焦るカナタは口を紡いだ。
「ハッ、大丈夫だよ。この辺りは冒険者の数が多いから魔物はそんなに居ねぇし、居ても弱えからな。それより、そうか・・・。
俺としたことが、人間の冒険者と地下迷宮に入るのは初めてだったもんで準備を怠った」
辺りを見るカナタは、自分以外の非人族の三名が外と変わらぬ様子で通路を進んでいることに気がついた。
グランに至っては太陽の光から遠ざかったことで絶好調のようで、早く体を動かしたいのか、気に入っていた笠を外そうとさえしている。
それを流れるように受け取りながら、カナタはガルーに答える。
「俺以外はこの暗闇でも普通に見えてるってことか?マジかよ、これだから人族ってやつは・・・」
「まぁどうにかなる。光が完全に無くなる場所ってのはそう多くねぇし、死の穴にはマチェラって名の油を多く含む植物が自生してる。
実は特によく燃えるが独特な匂いがするんで俺みてぇに鼻で魔物を探すような獣人は使わねぇんだが、人族の魔法を使えねぇ奴なんかは使うこともあるらしい」
油を多量に含みよく燃える植物ということは、マチェラという植物は恐らく松明として使えるのだろうと予測出来るが、地下にある迷宮の中が暗くないというのはどういうことなのか?話が見えていないカナタにニケが答える。
「迷宮の中には至る所に魔鉱石や魔晶石があって、それが輝石キセキという自ら輝く石の光を反射して通路全体を照らしてるです。
発光する生命体もいるですし、中は思ったほど暗くはないのです」
「そりゃ助かるな!・・・・けど、今のこの暗闇はいつ迄続くんだ?」
「灯光なのです」
足元の覚束ないカナタを見かねたニケがそう唱えると、カナタの少し前に野球ボール程の光球が浮かび上がる。
それはガルーとカナタの中間よりも少し前方、カナタが不便だと感じるかどうかという絶妙な距離を保ち足元を照らす。
「おお、そういえばニケは光の魔法が使えるんだったか。
ガルーさんの傷も光魔法の力で治してたし、流石の万能さだな・・・・。
けど叶うなら、もう少しだけあの光の球を俺に近づけてくれないか?予期せぬ場所の小石が見えずに足首が九十度になりかけた」
「がっはっは!ボウズ、そりゃお嬢ちゃんの気づかいだぜ?
例えばおめぇの上にソレがあったとして、周りに居やがる魔物共の標的になるのは一体誰だと思う?」
ニヤリと笑うガルーの口元から伸びる牙が、カナタを威圧するようにニケの灯した光を反射する。
背筋に悪寒を感じたカナタは、少しだけ光から遠ざかるように足を止めてから前進を始め、前を見てある事に気がついた。
「ん?その光って明らかにガルーさんの背中を照らすような位置にあるけど、大丈夫なのか?」
まるでガルーを囮にするかの如き所業に、若干引き気味のカナタ。
それを見たグランが答える。
「あれでいいんだよ。おっさんは強くもねぇけど、全然弱くもない。
この辺りの魔物に殺されることは絶対にないんだから、おっさんの背中にある剣が抜かれた時以外は俺達は後ろと、偶にある横穴を見ときゃいいから楽だ」
戦い慣れているとは言え、複数での行動などしたことがないはずのグランに自分以上の協調性が備わっていることに驚き、内心傷つくカナタ。
だがグランの冷静な分析に驚いたのは他の二人も同じだったようで、口をポカンと開けてグランを見ている。
「ほぅ・・・。さっきの魔狒々との戦闘を見る限り、隊列なんか気にしねぇで突っ走るタイプだと思ってたが、案外冷静じゃねぇか。
俺ぁどうやってボウズの暴走を止めようかと悩んでたんだが、要らねぇ心配だったぜ。
それと強くねぇは余計だ」
「驚いたです。・・・さすがニケの弟子なのです」
ニヤついた表情でそう言うニケに、苦虫を噛み潰したような顔を見せるグラン。
ガルーがいる以上、下手なことは言わないだろうと見越したニケなりの嫌がらせであった。
とは言え、グランが気づいた光球の位置に意味を持たせたのはニケであり、何食わぬ顔でそれを絶妙な距離に保ち続けるその実力はグランも認めるところである。
「けっ、いいから早く行こうぜ。それとカナタ、お前はいざって時まで戦わずに居てくれ。この中は何か嫌な感じがする」
「おう、任せろ!」
どちらにせよ数を熟せぬ性質上そうするしかないのだが、グランに頼まれたことで気兼ねなく三人に戦闘を任せ、尚且つ足手纏いという印象を払拭出来たカナタは気が楽になった途端、まるで有名な鍾乳洞へ旅行に来た修学旅行生の如く意気揚々として周囲を見渡し始めた。
ガルーには何処からどう見ても素人にしか見えないカナタがいざという時に役に立たつとは到底思えないままでいるが、グランの実力を目の当たりにした後ではそれをとやかく言おうとは思えないようで、ジッと前を見て入り組んだ通路を迷いなく進んで行く。
道中、見たことのない虫や飛行するコウモリなどはチラホラ見かけるが、やはり入り口付近という理由からか、魔物と出会うことなく急勾配の縦穴へと到達した。
「さて、此処から降りりゃ二階層だ」
急な道ではあるが、ゴツゴツとしたカナタの身長ほども無い岩から降りれば、その度に別の岩が足場となってまた其処から飛び降りる。
それが連なる謂わば天然の階段のような構造になっている縦穴で、カナタでも助けを必要とせずに降りられる程度の悪路である。
それでも他の三名と比べれば赤子のような速度で進むカナタに、ガルーは首を振りため息を吐く。
「おいおい、本当に大丈夫か?やっぱどう見てもその兄ちゃんの動きは素人以下だ。今ならまだ引き返せるぞ?」
「オッさんの言う二人組が本当にヤバいやつらで、俺とニケより強かったらどうすんだ?」
「確かにそれも十分にあり得る。だが、それとその兄ちゃんと何の関係があんだ?
天地がひっくり返ってもその兄ちゃんがあの二人に何か出来るとは思えねぇ。
戦闘では不利になるし、移動にも時間がかかるなら、そりゃ単なる足手纏いだ。
それとも何だ、その兄ちゃんがボウズ、お前より強いとでも言うのか?」
「だからそうだって言ってんだよ。カナタが本気を出した時はこの中の誰よりも強ぇ」
実際には本気を振り絞ってもグランの背中を抉るのがやっとだったのだが、その攻撃後の飛竜の登場にも全く動じていなかったカナタを見たグランは、カナタにはまだまだ余裕があったと感じたらしく、必要以上にその力を信奉している。
グランの言葉を受けて暫く考え込むガルーは、分かったと呟き、前を向く。
「此処からは魔物の数が増えるから気ぃ抜くなよ」
「ああ分かった。それとニケ、もう見えるから明かりは消してくれて構わない」
暗がりに慣れたというよりは、先ほどニケが言っていた輝石らしき小さな石が所々で迷宮内を照らしているお陰だろう。
決して明るいとは言えないが、十分に見通しの効く光度はある。
「はいなのです」
ニケが光に向けて杖を翳すと、浮かんでいた光球は小さくなって消滅した。
すると、やはり光球が無いと暗いかも知れないとの後悔の念が過ぎるカナタだったが、少しすれば活動するには困らないくらいには順応していた。
一階層からの縦穴を降りた場所からは少し路が広くなっており、その幅は五メートルくらいはあるだろうか。
幻想的な明りがあることも相まって、一階層よりは心の落ち着く空間であると感じるカナタに、ガルーの指信号が届く。
腰の後ろで爪の長い三本指を曲げ伸ばしするように動かしながら、同時に手首を捻って手をクルクルと回している。
この信号の意味は、“三体いる。そのまま前進しつつ周囲を警戒”といった物だ。
ガルーの使う手信号は至って単純な物のため、カナタを含めた全員が一度でその意味を理解している。
その指示の通りに変わらぬ速度で数分ほど進むと、一行の前に三体の人型生物が現れた。
背は人と比べても高いとは言えないが身体つきはガッシリとしており、その手には棍棒や剣を持ち、体には獣の毛皮のような物を纏っている。
所謂、ゴブリンと呼ばれるその生物の体臭か、確りと鞣していない毛皮が腐っているのか、鼻を突くような酷い匂いが辺りに充満し、それを嗅いだカナタは吐き気を覚えると同時、ガルーがかなり遠くに居たゴブリンを探知出来たのにも納得がいっていた。
人よりも嗅覚の優れるガルーならこの匂いを嗅ぎ分けることなど容易いことだろう。
「あれがゴブリンってやつか? ーーーくせぇな」
「ったく、ゴブリンを見るのも初めてなのか?いいか、こいつらの前では三つの鉄則ってのがある」
ガルーはそう言うと、背中の両手剣を抜いて片手で構え前進を続ける。
それを見た三体のゴブリンは奇声を上げてガルーに向かって走り始めた。
「まずは口で息をしろ。臭ぇからな」
ガルーはそう言うと、棍棒を振り上げるゴブリンへ向けて両手剣を横薙ぎに振るう。
するとその凄まじい剣速は、先に棍棒を振り上げた筈のゴブリンの両腕と首を同時に跳ね飛ばした。
「次に、死体に触るな。汚ねぇからな」
その言葉通りガルーは倒れる死体を避けてゆっくり前進し、そこへすぐに次のゴブリンが迫って刃毀れの酷い剣を前に突き出し、突進の姿勢を見せている。
ガルーは構わず両手剣を振り抜いていとも簡単にゴブリンの首を刎ねるが、突進の勢いに慣性が働き、頭部を失ったゴブリンの体から突き出された剣は止まらない。ガルーが迫るその剣先を指で軽く摘むと、剣だけを残し頭部のないゴブリンの体は力無く地に伏した。
「最後に、一匹いたら近くに百匹いると思え」
何処かで聞いたような言葉に突っ込みそうになるカナタは、そういえばゴブリンもGなのだと気付き感心する。
カナタがそんな事を考えているなどと知る由も無いガルーは、剣を持ったゴブリンのすぐ後ろから迫っていた個体の頭部を大剣の腹で払うと、それを受けたゴブリンは横方向へ吹き飛ばされて迷宮の壁に頭部を打ち付けられ内容物を撒き散らす。
しかしガルーはそれに目もくれず左手に摘んだままのゴブリンの剣を強く前方へ飛ばし、空気を切り裂くような音と共に闇へ消え去ったその剣は、前方からゴブリンの奇声と思われる声を迷宮内に響かせた。
ガルーの指示通りに止まる事なく前進を続けるカナタ達の進む先には、頭部に剣の刺さったゴブリンが倒れており、それを目で確認したカナタは漸く声を出す。
「凄えぇぇ・・・、一瞬で終わったな。さすがBランクの冒険者だ」
「ゴブリン如き相手にもなんねぇが、逃げてくれて助かったぜ」
「逃げてくれてってことは、こいつの他にも居たのか?」
「言ったろ?一匹いりゃーーーってよ。さすがに今この場に百は居なかったが、大勢を相手にすりゃそれを聞きつけたゴブリンが集まってくる。
一匹一匹の力は弱えが、大量のゴブリンを相手にした後は臭くて鼻が効かなくなるからな。
この先の迷宮攻略に大きく関わってくんだよ」
ガルーはそう言いながら剣を振ってゴブリンの血を飛ばし、服に忍ばせていた植物の葉で剣を拭いてから背に戻した。
「それって、来る途中に摘んでた木の葉っぱだよな?その為に採ってたのか」
「ああ、こりゃキシリって木の葉で消臭効果があってな。乾燥させときゃ水分もよく吸うから血も拭けるし、煎じて飲めば口臭予防にもなるから冒険者がよく使うんだよ。
覚えといて損はねぇぞ」
長年冒険者をやっているだけはあり、ガルーの知識は大いに役に立つ。
それに獣人は嗅覚が鋭いために体臭や口臭に敏感なように見受けられることから、カナタはケモミミ女子に嫌われないようにするため必死でキシリの葉の形を目に焼き付けていた。