第2話:婚約の儀
途中、俺ら東京さ行くだを熱唱しだした芹那に辟易しながら揺られること1時間。着いた頃にはもうすでに夕方になっていて、日が傾いて影が濃くなり、ひぐらしが合唱を始めていた。
「庄司おじさん久しぶりー!」
真っ赤なスポーツカーから降りた芹那が、大きな木造の家の門の前で手を振っている初老の男性に手を振る。神咲庄司、俺の父親ではあるのだが、今回準備があるとかなんとかで母と先にこっちに来ていた。
「おお、これが芹那の新車かぁ……」
庄司は、芹那の真っ赤なスポーツカーをしげしげと眺める。
「そ、お父さんの仕送りを貯めて買ったの。あと20年ローン残ってるけど」
芹那はそう言いながら、トランクからキャスター付きの水色の旅行鞄を取り出す。それを庄司が受け取り、地面に置いた。
「おい、ミツキ。今日の主役はお前なんだ、早く中でおばあちゃん達に挨拶しなさい。芹那もだぞ亮司が待っている」
「お父さんも来てるんだー。神坂のおじちゃんたちも宮守の亮ちゃんもいるし……親類勢揃いじゃん。どしたの?」
庄司の話だと、神咲の本家の親戚も、分家の親類も遠縁の人たちも集まっているらしい。過去にあったことがある人たちではあるけど、それが勢揃いしたということはなかった。
「話はあとだ。早く来い」
そう言って庄司は芹那の旅行鞄を持って門の方へと歩いて行った。
「おお、よう来たなぁ芹那にミツキ。待っとったわ」
「今日はめでてぇ日じゃ。大盤振る舞いじゃ、たんと食え」
「おお、大きくなったな、ミツキ。芹那もべっぴんさんじゃ」
客間に入った瞬間、親戚親類のおじさんおばさん達からの盛大な歓迎を受けた。まず芹那と俺は豪勢な寿司が置いてあるテーブルの前に座らされて、酒の入ったおじさんおばさんから久しぶりじゃのう大きくなったのうともみくちゃにされた。
その後、芹那が年寄り連中の酒に付き合い出し、俺は端でテレビでバラエティ番組を見ていた。
ふと視線を感じて窓の外を見ると、日が沈んで真っ暗になっていた。しかし、そこには人っ子一人、獣すらいない。気のせいかと思っていると、今度は右のほうから視線を感じる。
「あ……亮ちゃん」
「よお」
それだけ言って、上着を脱いで俺の隣に座る宮守亮。昔から周りを刺すような視線は変わっていない。無精髭を生やし、疲れているのか、少し痩せこけているように見える。神咲家の分家の宮守の家業である神社を、4年前に宮守のおじさんとおばさんが事故で亡くなった時に16歳で継いで、今も家業を一人で守っているせいだろうか。
「なあ、ミツキ。お前、今日なんで呼ばれたか分かってるか?」
「え……?」
この前20を超えたばかりの亮がビールを一口飲み、唐突に切り出す。
「そりゃ知らないだろうな。俺たちだってこんなのは初めてなんだから」
「どういうこと?」
亮は、もう一口ビールを飲み、俺の方を向いてニヒルな笑みを浮かべる。それは愉しそうにも見えた。正直、ぞっとするような笑みだった。
「お前は山神様に見入られたんだよ」
「え……」
亮が何を言っているのかが分からない。山神に見入られた。それだけ言われても、なにが何だかさっぱり分からない。
「お前は、山神に選ばれた。山神の婿にな。正直俺も驚いたよ、そんなことがあるのかってよ」
亮は一人納得しているが、俺には状況が飲み込めない。山神の婿に選ばれた。俺が?
「山神って……」
「あの裏の大きな山があるだろ。あそこの山神だ」
亮が指差した、小さな山の後ろに悠然と聳え立つ大きな山を見る。あの山の神の婿に、俺が選ばれた。
「って、ちょっと待ってよ。急にそんなこと言われても分かんないよ!」
「そうだろうな……」
そう言って亮はビールを飲み、つまみに手を出す。
「でも、儀式は行う。なに、お前はただ寝ていればいいさ。朝には全部終わっているからな」
俺は、そうきっぱりと言い放った寮の横顔をぽかんと見つめていた。ありえない。どうしてこいつはこんなに親戚を売り渡すような真似ができるのだろう。
俺は、山神の婿に選ばれ、朝には全て終わっている。俺は、その山神っていうのに取り食われてしまうんじゃないだろうか。そんな、えもしれない不安がよぎる。
「大丈夫だ、お前は死んだりしない……そうだ、お前は確か童貞だったよな」
「……そうだよ」
唐突に亮が下ネタを切り出してきて、なんだかはぐらされたかのような気がしてイラっとくる。
「彼女もいないし」
「余計なお世話だ」
「なら、問題はないな」
「え……?」
なんだか話がおかしな方向へと曲がっている気がする。まさか、亮はそっちだったのか。
「山神は女の穢れを嫌うからな……って、どうした?」
「いや、なんでもない」
変な解釈をして、変な想像をしてしまった自分が恥ずかしくて、5メートルくらいの穴を掘ってその中で投身自殺を図りたい気分だった。
「そうか。それと、お前はこれから一生彼女はできないし、結婚もできない」
「うるさいな」
「真面目に聞け。それでも、神の親戚になり、生涯の身の栄は保証される。そして、死後には神になる」
唐突な話すぎて、俺の頭はショートしてパンクしそうだった。状況がよく読み込めない。なんだよ、山神って。そんなのがいるはずが無い。それに、結婚も彼女も出来ないなんて決まったわけじゃ無いし。
「だから安心してお前は山神様の婿になれ……そしたらお前も脱童貞なのか」
亮が言っていることが全部冗談にしか聞こえない。最後にぼそっと言った一言も、ただただ俺をからかっているようにしか聞こえなかった。
ムッときた俺は、テレビに没頭し、亮を無視することに決めた。
× × ×
そのまま、テレビの前で座布団を枕に寝息を立てていた俺は、誰かに揺り起こされた。
「おい、起きろ。儀式を始める」
「ん……亮? って、なんだよこんな時間に」
時計は11時46分を指していて、年寄り連中とガキはすでに寝て、僅かな大人たちの時間のはずだった。
「急げ。12時までにはお前を床に入れなきゃいけないんだ」
「床……?」
血が頭に登り、ガンガンと内側から何かが頭蓋を叩いている頭をゆっくりと持ち上げる。
「ただの布団だ。でも、その前にお前を清めなくちゃいかん」
そう言って、亮は俺を連れて客間を出て、俺を広間へと連れて来た。そこには簡易的な神棚があって、年寄り連中とガキどもが正装をして正座している。庄司なんか、来たこともないくせに羽織袴なんぞを着ている。そしてなんの冗談か、部屋は紅白の垂れ幕がかけられている。
本気で山神と結婚の儀式をするつもりだ。年寄り連中の肝の座った目が、それを俺に悟らせる。
「お前はここに座れ。儀式は神咲のじいさんがやる」
俺は亮に指示された座布団に正座する。後ろで異様なまでに畏まった年寄り連中の視線が背中に突き刺さり、生きた心地がしない。これから、山神との婚約の儀を本気で執り行おうとしている親類の本気さが、正直言って不気味すぎる。
暫くして、白い羽織袴に着替えた祖父が入ってきた。そして、神棚の前に座り、礼をする。それに倣って全員が礼をするもんだから、俺も慌てて頭を下げた。
そこから詔が始まり、日本酒を一口飲まされた。その後は俺の出る幕はなく、親類が次々に前に出て挨拶をし、ご祝儀を置いて難しい祝いの言葉を口にする。
全部終わってから、俺は白く薄い寝巻きに着替えさせられ、行灯だけの薄暗い離れに連れていかれる。そこには、人二人が入るくらいの大きな羽毛布団があった。
「お前は寝ているだけでいい。朝になったら全て終わっている」
それだけ言って、祖父は母屋に帰ってしまった。俺は言われた通りに布団の中で寝る。
最初は全然眠れなかったが、途中から睡魔がやって来て、俺の瞼をそっと撫でた。
その後、犬の鳴き声みたいなのが聞こえて、障子が開いて、何かを擦るような音がしてそれから……。