Dive.【後編】
「私の意思と感情は、戦いの中で生まれるものである」――Dive.の後編。
この作品は、とある文芸部の冊子に投稿し、加筆・修正を加えています(※部の規約上、作品の著作権は作者自身にあるので大丈夫なはず……)。問題があった場合は、削除するかもしれません。
目的地は廃工場地帯の一角、そこに標的である例の魔術師が居るという。中心地から離れた場所に位置し、周りには古びたビルが林立している。その間を縫うようにして川が流れており、かつては大量の廃棄物を〈下界の街〉――貧困と荒廃が突き進んだ成れの果て、とバンクには記録されている――へ排出していたらしい。元々それほど綺麗ではなかったようだが、ようやく本来の透明度を取り戻したらしく、今は静かにあちら側へ流水し続けている。
陽がすっかり落ちきった頃。私はワープ装置を使用し、廃工場地区の入り口まで訪れていた。ここからは自分の足で魔術師を探すことになる。とはいえ、大体の場所は既に把握済みのため、そのポイントまで〈力〉を利用して跳んで行く。的確かつ正確なポイントを指定しなければワープ装置は使えない。そこがこの機械の欠点である。つまり、あの魔術師がここに逃げ込んだという情報しか知らされていない私は、適当なポイントを指定してこの場所へやって来るしかなかったのだ。
私は足全体に〈力〉を纏い、地面を蹴って跳んだ。傾いた電柱の先端に着地し、そこからまた工場の壁にしがみ付き、軽々と上へ駆け上る。開けた場所に出て、一望。見晴らしは良くない。凹凸の激しい場所なのか、様々な形をした工場や雑居ビルが建ち並んでいる。私はより高い場所を目指して跳躍を再開した。
この地区内で一番高い場所、それは中でも群を抜く高さを誇っている高層ビルの建設途中の天辺だった。廃工場地区と都市の中心地の境目に建つ、地上十二階のビル。鉄筋や塗りかけの壁が剥き出しになっており、どこかのフロアになるはずのコンクリート状の床が屋上となっている。この建物の奇妙なところは、川の中流付近で橋のように川を跨いでビルが建設されていることだ。ビルの真下が川となっており、入り口が対岸の二つ。土台――その橋を支えるためにか、ビルの中央には直径五メートルほどの支柱が建っている。どうしてこのような立地でそのような建設の仕方を行ったのか、生憎バンクにインプットされている情報には記されていない。
淡々と上り詰め、屋上に到着する。私は目を見開いた。そこで待ち構えていたのは、例の魔術師――ルインという女性だった。
また、である。誰の気配も察知していなかったこともある。要は、完全に油断していた。逃亡を図ろうとしている者が何故、こんな目立つような建物に――それも屋上という見つかりやすい場所にいるのか。私には理解できず、同時に妙な寒気を覚えた。やはり、彼女には逃亡の意志が限りなく低い。
魔術師との最悪な再会、二度と対峙したくない相手、私が仕留め損ねた唯一の標的――つらつらとそんな言葉が思い浮かぶ。
「やあ、一日振りか」
再び命が狙われているというのに、彼女はまた呑気に煙草を吹かしていた。
「懲りずにリベンジしに来たのかい?」
指に挟んだ煙草の紫煙は夜風に流され、彼女の鋭い目が私を静かに捉えている。
「だけど生憎、私も忙しくてね。アンタとやり合っている暇はないんだ」
彼女はそう言いながら、煙草の先端を地面に押し付けて火を消した。
もう油断はしない、全力を持って殺す。私はその思いと〈力〉を足に込め、床を蹴り上げた。拳銃もナイフも使用しない。今回は始めから〈力〉を使う。これが彼女の弱点であるから。
私は一秒ほどで彼女との間合いを詰め、電気を纏ったアッパーを繰り出す。バチンと音を立てた拳は、仰け反りに紙一重で回避した彼女の顎を掠めることなく空を切った。私はすぐにその拳を引き、一歩踏み込んで反対の拳を突き出すが、またもスーツのジャケットにすら触れずに終わる。異常な彼女の反射神経、並大抵の人間ではない事を改めて悟る。私はひたすら、拳による怒涛の連打。電気を纏い、攻撃範囲を広げるも意味がまるで無い。完膚なきまで避けられる。
対して彼女は反撃をしてこない。する余裕がないのか、ただ様子を窺っているだけなのか不明だが、汗一つかかずに回避し続けているのを見ていると、後者の可能性が高い。
しかし、そう思ったのも束の間。彼女は指を軽快に鳴らし、足元に黒い獣を召喚する。驚異的なエネルギーの感知。ほんの僅かな一瞬、視線がそちらに向く。そして、反撃の右フックが襲い掛かる。反応に遅れ、すんでのところで電撃を放ちつつブロックするも、衝撃は受け流しきれなかった。数歩横によろめく。その隙を狙ってか、黒い獣は鋭い鉤爪を振るう。私は咄嗟に飛び退いて回避。ライダースーツの生地を掻っ攫っていき、皮膚が薄く裂かれて血が滲む。防刃でなければもっと酷いことになっていたに違いない。
黒い獣は距離を取った私に突進してくる。弾丸のように速い。しかし私は冷静に、右手に〈力〉を集中させる。掌で蒼い火花が散り始め、徐々に形を成していく。
【ATTACK:グングニルの槍】
二秒足らずで完成したのは槍だ。あの魔術師が作るものとは段違いの、本物の槍。バチバチと音を立てて光る稲妻が神々しく輝く。長さにして二メートル弱。これを形成し続けている間は〈力〉の密集を途絶えさせてはならない。私の手から離れた場合持って五秒、それ以降は空気中に霧散してしまう。
槍を見た彼女の顔は色を変えた。だが遅い。黒い獣は既に私の射程内に入っている。彼女が危険を察知して指を鳴らすよりも先に、私は自分の身丈以上にある槍を振りかざし、黒い獣が懐へ入った瞬間、思い切り地面に突き刺した。そして、更なる〈力〉を槍の先端に放出する。派手に火花が散り、視界が青白く光る。
剥き出しの牙が私の腸を抉ることなく、黒い獣の背中を貫通した槍。鼓膜を刺すような甲高い奇声を上げて何度か痙攣を起こし、黒い獣はそのままぐったりと地面に横たわった。一匹目を撃破。次なる標的へ視線を向けると、彼女は既に新たな黒い獣を右手に携え、巨大な顎を形成していた。大きく口を開け、今にも例の叫び声を上げようとしている。
【WARNING:マンドラゴラの根】
赤いテキストが表示され、思わず全身の総毛立った。
【PROGRAM:調律】
しかし、すぐにクリアなブルーの文字に切り替わった。その直後、聴覚が強制的にシャットダウンされる。無音の世界、自分の心臓の鼓動さえ聞こえない。平衡感覚を失い、危うく膝から崩れ落ちそうになる。
耳を劈くような、絶望に染まったあの悲しい叫び声は聞こえない。私は無事立っていられることに少し困惑しながらも、再び右手に〈力〉を密集させていく。
私が倒れないことに目を白黒させる彼女。黒い獣の顎を閉じ、再度開口させた喉の奥からは赤い光が確認できた。高熱のエネルギーを感知。そこから開いた口の中いっぱいに球体を成し、炎を纏ってあっという間に火球を生成する。それと変わらず、私の雷槍が完成。私が雷槍を直線的に投げつけるのと、彼女が黒い大きな顎から火球を吐き出すのはほぼ同時だった。
私と彼女の中間地点でそれらが接触、そして爆発。勢い良く巻き起こった爆風に私と彼女は包まれる。私は両腕を交差させて顔を守り、吹き飛ばされないように踏ん張る。視界が曇り塞がるも、私が見据えるその先には、彼女のシルエットが可視化フィルムによって確認できた。赤と黄色とオレンジの混じった靄。命の熱量を表す配色。
爆風の勢いが衰えた瞬間を狙い、私は黒煙の中を掻い潜り、彼女の懐まで入り込んだ。互いの視線が交錯する。私は最大出力に近い電圧を纏わせ、掌底打を叩き込む。顎を狙ったが、黒い獣を盾にされ防がれてしまう。稲妻が弾け、彼女は後方へ吹き飛ぶ。壁に衝突し、衝撃により壁は崩壊。瓦礫が降り注ぎ、土煙が彼女の姿を覆う。
例え耐電性のあるスーツを着用し、黒い獣を盾にしようとも、何十万ボルトという電圧をまともに食らってしまえば、生存率は限りなくゼロに近いだろう。現に、彼女からは命の熱量が薄れている。すなわち、生と死の狭間を意味する。
三度目の雷槍を形成した頃、土煙が晴れ、崩れた壁に力無く凭れ掛かる彼女の姿を捉えた。額から血を流し、酷くダメージを受けているのが分かる。意識が混濁しているのか俯いており、すぐに起き上がる様子はなかった。
私はそんな彼女に近寄っていく。目的は彼女死を間近で確認するため。もし彼女が意識を覚醒させて襲い掛かってきても、反応できるように警戒心は高めておく。雷槍を持つ右手に力が入る。
彼女との距離がついに二メートルを切った。そこで私は歩みを止める。だが、彼女がこちらを向く気配はない。むしろピクリともしない。本当に意識が落ちているようだ。その様はまさに死人のよう。
――もしかして、本当に死んでいる?
そんなことを一瞬思い立ってしまった自分を叱責する。いや、何を勘違いしているんだ私は。彼女は今瀕死の状態なだけであって、生命反応も確かにある。意識は無いものの、彼女は間違いなく生きているのだ。それを、今から私は殺す。自身の下した判断で動いてはいけない、確実な情報を見出すバンクに従うのだ。それが私、選ばれたアサシンとしての基本であり常識。私情などは以ての外である。
私は雷槍を振りかざした。彼女の心臓にこれを突き立てるだけで任務は完了、あとは帰還するだけ。一呼吸を置き、私は頭上で稲妻が弾ける雷槍を振り下ろす――。
すぐ間近でエネルギーを感知し、防衛本能に従って全身から稲妻が弾ける。その際に受け止めたのは、一つの銃弾だった。細長い形状からしてライフル弾だろう。それは虚しく地面に落ち、円を描いて回る。
――狙撃された?
ライフル弾を見て自ずと導かれた答えはそれだった。彼女の増援か何かだろう。しかし、疑問が残る。このタイミング――すなわち、彼女が瀕死状態に陥った状況で狙撃とは、妙に不自然である。彼女を助ける目的ならもっと前から狙撃で援助ができたはずだ。いや、もしくはスコープから彼女の命が危機に瀕したことに気付き、慌てて狙撃をしたという可能性も有り得る。どちらにしろ、予想外な敵が現れたことに違いはなかった。
バンクはすぐさま、ライフル弾が落ちた場所と角度から、増援が狙撃してきたポイントを計算する。南東六〇〇メートル先にある高層ビルの屋上。地区外からの狙撃。私はそちらに視線を向け、赤外線望遠鏡機能をオンにする。暗視モードに切り替え、ピントを合わせる。鉄柵の隙間から伏射でライフルのスコープを覗く一人の女性の姿を確認。しかし、正確な顔や身長などははっきりと把握できない。
銃口がほんの一瞬だけ光った。ライフル弾が発射した瞬間。私は再び全身に稲妻を纏い、それを地面に落とす。ざっと犯人の姿を捉えた私は、通常の視覚状態に戻し、攻撃モードに移行する。ポイントは掴んだ、後はそこに向けて雷槍を投擲するだけ。
邪魔者は排除――バンクが静かにそう告げる。
電圧により筋力が増幅、投手の如く大きく踏み込み、腰を捻って肩から前に〈力〉を思い切り押し出す。手元から離れた雷槍は高速で狙撃手の元へ一直線に吸い込まれる。着弾したのか、派手に青白い稲妻が迸り、小さな煙を上げる。私は狙撃手にズームを合わせ、状況を確認する――。
――腹部に強烈な熱を感じた。
私は訳も分からないまま膝を付いてしまう。痛みは遮断されていて感じない。だが、唐突に〈力〉を失った。バランスが保てなくなっている。
「やっぱり、アンタの死角はエネルギー探知でカバーしてるみたいだね。故に、それが弱点でもある」
意識を失っているはずの彼女の声が突然聞こえた。私は信じられないような目で彼女を睨む。
「それに頼りすぎてるんだよ、アンタは。だから、他のことに手を焼いてると微量なエネルギーが動いたことさえも見逃してしまうんだ、こんな風に」
彼女は手元に黒い渦を見せびらかし、そう説明した。しかし、それはすぐに彼女の手によって握り潰されてしまい、その正体が一体何であるのか目視できなかった。
「正直、大半は賭けに近かったが。要は起死回生ってやつだよ」
くつくつと厭らしく笑う彼女だが、口から血を吐き出して咳き込んだ。内臓がやられているらしい。
「まあ……死にかけていることに変わりはないがな」
負傷した腹を抱えて壁に凭れ掛かる彼女。口から血を垂らし、笑いながらも苦しそうに顔を歪ませている。
「退きな、寡黙なアサシン。このまま戦ったところで互いに良い結果は訪れない。この意味、そのちんけな頭を使わなくても分かるだろう?」
彼女はこめかみを人差し指で叩き、口角を吊り上げる。
「それは貴方だけ。私には関係ない。貴方を殺す」
初めて、私は彼女に向けて口を開いた。膝に手を置きつつ、ゆっくりと立ち上がる。素っ気や抑揚の無い、機械のような声で私は話す。
「お得意の電気を操れないのにか? 狙撃手にもマークされている。死ぬ気か?」
「死ぬとかも関係ない。私はアサシン、標的を殺すのが使命」
「哀れだね、猫は自由であるべきなのに」
彼女はそう言って手を掲げた。それが狙撃再開の合図であることを私は瞬時に悟る。
斜め前方に跳び退いた直後、私が立っていた近くで銃弾が地面を抉った。受け身を取って体勢を整えつつ、狙撃がしにくいよう死角を作る。どうやら、あの攻撃では狙撃手を仕留め損ねたらしい。ライフルごと潰したはずだったのだが――予備でも持って来ていたのだろうか。
私は考えるのを止めてナイフを取り出し、そこから駆け出して間合いを詰める。こうなれば通常の接近戦を仕掛けるしかない。距離が詰まれば、尚更狙撃はしにくくなるだろう。迂闊に撃てば、味方である彼女に当たってしまう可能性がある。私の行動の速さに、彼女自身も渋い顔をしている。
電気によるアシストが無いため、速度は普段と変わらない。首筋を狙ってナイフを水平に振るう。それを彼女は後方に下がりながら、片腕を犠牲にして受け止める。そして、反対の手でパチンと指を鳴らす。嫌な予感――私は黒い獣の登場を予測し、咄嗟に彼女との間合いを取った。
しかし、彼女の足元から黒い獣が現れることはなかった。不意に寒気が背筋を襲う。背後の状況が分からない、という恐怖。良くない感情が生まれ、胸の奥を支配する。バンクがまたしても異常を起こしたらしい。
「ハッタリだよ。こうも簡単に引っかかるとは、本当に普段からバンクに頼りっぱなしのようだな」
前腕から血を滴らせ、不敵に笑う彼女。対して私は顔を顰める。
「ここなら、丁度当たるな」
あらゆる状況の把握ができない今、最も恐ろしいのは狙撃によって頭部を撃ち抜かれること。それを分かっていながらも、私は彼女の言葉を聞くまでそのことに気付かなかった。恐怖によって全身が硬直していたことも原因の一つ。私は直感に任せ、横へ転がろうとする。完全に反応が遅れてしまった私の側頭部をライフル弾が掠めていく。血が噴き出る。視界が揺らぐ。
【PROGRAM:楽園への帰還】
命の危機を感知した私のバンクは強制的にプログラムを起動させたらしい。電気を操れないだけで、どうやら他の機能は辛うじて作動するようだ。
「――ッ!」
だが、問題が生じる。これが起動したとなれば、私は何があっても目の前の状況を放棄し、博士の居る研究室へ帰らねばならない。例え、あと一撃で標的を始末できる状況だとしても。
――許されないことだとは分かっている、だけどやっぱり私は……。
側頭部を掠めた傷口を庇いつつ、私は受け身を取ってすぐに起き上がる。ライフルは基本ボルトアクションを行うもの。つまり、一発撃つ毎に遊底を手動で操作し、それを行うことで狙撃の射撃精度を向上させるのだ。遠距離からの狙撃となれば、その可能性は十分に高い。要するに、次の狙撃までに少しの間隔が空く。そして、方角からして彼女が立つ場所の真下は丁度、下流に向かって川が流れている。狙撃から逃れる方法、それは――。
プログラムのテキストが点滅する中、私は再度地面を蹴った。その瞬間、彼女の顔が引き攣る。
「正気の沙汰とは思えないね……!」
彼女は苦し紛れにそう叫び、私の方に体を向けたまま後ろへ下がっていく。その先には、転落防止の柵などが無い屋上の淵がある。やはり、彼女自身も私と似通った逃走を図るようだ。もしかすると、最初からこれを狙ってこのビルを選んだのかもしれない。
彼女が行おうとしているのは川への落下だ。電気が操れない今、この高さから落ちれば下手をすれば私も命を落としかねない――すなわち、賭け。バンクが確率を叩き出す――生存率五三パーセント。ほぼ二分の一、まさに死ぬか生きるかの逃走。
先に落下を開始したのは彼女だった。背中から身を投じ、一瞬私の視界から消え去る。私もすぐに後を追う。身を真っ直ぐにして空気抵抗を少なくし、手の届く距離まで彼女に追い付く。手を伸ばしてジャケットの裾を掴むが、それを逆手に彼女はするりと脱ぎ捨てる。自由になったジャケットに空気が入り込み、僅かに彼女との距離が空いてしまう。私はそれから手を放し、再び距離を詰めようとするも、既に彼女の方が川の水面に近付いていた。ドボン、と派手に水飛沫を上げ、続いて私も水の中に着水する。視界を揺さぶる衝撃と冷たい感触。意識が飛びそうになる。
だがふと、脳裏に博士の顔が過ぎった。煙草を咥えて書類と睨めっこする博士の顔が。身が奮い立ち、水中に空気の泡を吐き出す。
振動を与えたためか、底に溜まった土や泥などで濁りが一気に増した。私は水面から顔を出し、可視化フィルムを頼りに急いで彼女の姿を探す。
――居た。
数メートル先。彼女の命の熱量が燃え尽きようとしていた。いや――あれはもはや、死に近い。もう長くは持たないだろう。私が何もしなくても勝手に死を迎えるほどの儚さ。水面へ着水した際の衝撃とダメージが大きかったのだろう。落ちる以前から既に瀕死状態だったのだから当然だ。つまり彼女はどの道、死を辿ることに違いはなかった。そう言ってしまえば結果論になってしまうが、結局はそういうことなのだろう。
自らの手でとどめを刺すか考える。する必要はあるか否か。彼女がこのまま流され、アンダータウンに辿り着いた頃にはもう、命が尽きていることだろう。水温も低く、彼女の場合は傷も深い。主に内臓をやっているのだ、容態からして助かる見込みは限りなくゼロに近い。
このことから導かれるのは、やはり死ぬことに変わりはない。ということはわざわざ追い掛けて殺す必要もない――バンクを通してそう判断した。こちらも負傷し、体温も奪われている。早く帰還するべきだろう。私は岸辺まで泳ぎ、陸へ上がる。首を振って髪や顔に付いた雫を落とす。そして、耳に装着しているピアス型の無線をオンにし、博士へコールする。五回目のコールでやっと繋がる。
「博士、終わった」
暫しの沈黙。
「……終わった、とは」
声が普段よりも低い。寝起きなのだろうか。そういえば目の下に隈を作っていた。博士の声が不機嫌そうに聞こえるのは気のせいだ。
博士の言葉は恐らく、無事殺したのかまた殺せなかったのかという意味なのだろう。私はどちらでもなかったので、言葉を変えた。
「死んだ。もう、あの魔術師が太陽や月の光を浴びることはないよ」
「そうか……」
安堵と何か、落胆や悲哀を感じさせるような声色が鼓膜を刺激した。何とも言えない不安――バンクがまたしても異常を起こしているのだろうか。
「なら早く帰って来い」
「でも、ワープ装置が水没して、なぜか〈力〉も使えないの。だからお迎えが欲しい」
無線の向こうで大きな溜め息が聞こえる。
「分かった。帰ったら色々と説教が待っていると思え」
「……はい」
手間をかけさせたことに怒っているのだろうか――近頃の博士は随分と短気だ。煙草を吸うペースや本数も増えている。ああいうのは体に良くない。可能な限り負担や苦労をかけないようにしないと、と私は胸の内で呟く。
長い戦闘が終わり、緊張していた体や神経が徐々に弛緩し始めた。私は濡れた体で雑草の生えた地面に倒れ込む。胸の奥から疲労が全身に浸透していく。万全とは程遠い状態からの激しい死闘。例え痛覚遮断を起動させていても、体の節々が悲鳴を上げていることに違いはなかった。
唐突な睡魔が襲い掛かってくる中、私は考える。私の存在意義とは一体何なのか、ということを。
私が選択する行動意思や決定権は一体どこにあるのか。バンクが導く情報でもなく、上層部や博士の言う命令でもない、私自身が選ぶ答えとは。そこに感情は存在しない。選択される情報や命令が正しいと信じて疑わない心があるだけ。
私はこれからも、暗殺者として生き続ける限りそれが変わることはないだろう。そんな気がしてならない。例え博士の言葉がバンクを過ぎることはあっても、それによって行動や選択が変わる可能性は絶望的に低い。そんなことを本人の前で口にしたら、果たしてあの人は悲しむのだろうか。
「――あ」
私は視界が滲んでいることに気付く。内側から溢れてくる熱を帯びた水滴。感覚を失っているはずなのに、何故かそれを感じ取る。瞬きをすると、水滴は静かに頬を伝っていった。その跡からは妙な痺れを感じ、私は手の甲でそれを拭い取る。
そしてそのまま、手を上空に伸ばす。僅かに煌めく星が指の隙間から見える。現実的な常識を踏まえれば、何億光年と離れた星など決して掴めない。そう分かっていながらも私は夜空と一緒に掴んでみる。どうやら疲労は、感じなくとも体には蓄積されているらしい。あらゆる感覚が遠退いていく。もし眠ってしまっても、また再び博士が起こしてくれるだろう。そうして私は周囲の闇と溶け合うように意識と星を手放した。
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