Dive.【中編】
「私の意思と感情は、戦いの中で生まれるものである」――Dive.の中編。
この作品は、とある文芸部の冊子に投稿し、加筆・修正を加えています(※部の規約上、作品の著作権は作者自身にあるので大丈夫なはず……)。問題があった場合は、削除するかもしれません。
束の間のホワイトイン、網膜は無機質な白いタイル式の天井を映し出した。視界の端に現在の日付や時刻、バンクが正常に機能しているアイコンが表示される。
全身に感覚が呼び起こされていき、背中に硬い感触があることに気付いた。どうやら私は今、仰向けになっているらしい。上体を起こそうとしたが、腹部と右腕に違和感を覚え、上手く起き上がれなかった。そして、その動きによって上に掛けられていたシーツが捲れる。
「あぁ、動くな。せっかく縫合した傷が開いてしまうだろう」
女性にしては低めのハスキー声が私の耳に届いた。その声の方に視線を動かすと、見慣れた博士の顔が映った。
痛んだ銀色の長い髪を肩から流し、目の下に隈を作っているせいかいつも以上に目つきが悪く見える。不健康さが窺える青白い肌、骨格の人体模型を彷彿とさせる長身痩躯な体型。筋肉どころか肉があるのかさえ怪しい。
博士は肺を黒くする煙草を咥え、私の肩をそっと掴んで押し返した。博士が居るということは、ここは博士の研究室のようだ。つまり、私が今寝転んでいる場所もベッドの上らしい。
「博士、私は――」
「何も言わなくても分かっている。魔術師と正面から戦って、よくもまぁ生きて帰って――いや、お前を見つけた時はもはや瀕死状態だったか。何にしろ、無事で良かった」
博士の話によると、バンクのエラーを確認してから妙な胸騒ぎを覚えたらしい。体内に埋め込まれた発信機――もとい、GPSの電波を頼りに慌てて現場へ駆けつけると、ゴミの山に埋もれて倒れている私を発見したという。出血が酷く、バンクにも異常が多発していたようで、修復に時間が掛かって大変だったと、ついでに愚痴も聞かされる。通りで目の下に隈があるのか、と私は密かに納得した。
「しかし、お前でもあの魔術師は殺せなかったか」
博士は椅子に深く腰掛け、背もたれに腕を回す。煙草を骨張った長細い指で摘み、ふぅと紫煙を吐く。
「博士の知り合い?」
「まさか。私は魔術師とかいう紛い物は嫌いだ。相性が悪いのか、どうも好かん。科学者の敵だよ、本当に」
心底、魔術師を嫌っているようで、博士の表情がより険しくなった。指先で持った煙草を灰皿に強く押し付ける。陰鬱な気分を切り替えるように、博士は大きく溜め息を吐いた。
「それで、どうだった?」
「何が?」
「あの魔術師が使う悲鳴とやらを聴いた感想だ」
「……あぁ」
私はバンクから昨日の記憶を呼び起こす。鼓膜を突き破り、空間さえも歪めてしまいそうな、悲痛な叫び声。異形を成すあの真っ黒な顎から発せられたものとは思えない絶望と破壊力。不気味という言葉だけでは表現しきれないほどの恐ろしさが、私のあらゆる機能を不能にさせた。できれば、もう二度とあんなのは聴きたくない。
「……苦しかった」
「えらく抽象的な感想だな、まあ別に構わないが……いや、それもそうか。普通の人間が聴けば、脳細胞を破裂させられるらしいからな。即死も免れない。それを耐え切っただけでもお前は優秀だ」
さり気なく褒められたことに私は少し嬉しくなり、不意に胸の奥が熱くなった。
「そういえば博士」
「何?」
「その悲鳴を聞いたら、バンクに異常が生じたの。それ以前に、緊急用のプログラムの起動が遅かったし、ちょっと様子を見てほしい」
私はその時の状況を細やかに説明する。それを聞いた博士は「ふむ」と顎に手を添えた。これは何かを考える時の癖である。
「なら、一応メンテしておくか」
博士はそう言って椅子から立ち上がり、メンテナンスの準備を始める。私はその光景を傍観するだけ。
ケーブルの先端に付いた吸盤をペタペタと額やこめかみに貼り付けていく。それらをコンピュータと接続し、プログラムを起動する。マウスを動かしながら、激しくキーボードを叩く。私はコンピュータの画面上に映ったグラフや数字の羅列に目を移す。無論、ちんぷんかんぷんなのだが。
「異常は見受けられないが……もしかすると、その悲鳴にやられてプログラムが狂ったのかもしれないな」
「やっぱり……?」
「むしろ、そう考えるのが妥当だろう。今の今まで緊急用のプログラムが作動しなかった時があったか?」
「……ううん、無かった」
暫く考えてから私は答える。「そうだろう」と博士は頷いた。
「あぁそれと、修復がてらに魔術師との対決を映像で見せてもらった。気味の悪い使い魔を使役しているみたいだな。変化自在というべきか、あらゆる場所に潜める隠密性、瞬時に形を変える柔軟性、何より恐ろしいのはその攻撃力か。仮にデータとして奴のことを知っていても、実際にあんな狂気じみた化け物を目の当たりにすれば、否応なく体が拒絶反応を起こしてもおかしくはない。果たして敗北した条件はそれだけか……いや、お前の力が十分に発揮できなかったことも考えられる」
博士は肘を膝に置いて前屈みになり、暫く俯いて口を閉ざした。床のある一点を見つめたまま黙っている。深く思慮に耽っているらしく、その顔は少し険しい。
そうして三分が経過し、博士はようやく視線をこちらに戻した。
「可能性として最も高いのは、深層を突いた恐怖による心の支配、か。ふふっ、随分と非科学的な戦術を使ったものだな」
口角を吊り上げ、博士は椅子の背凭れに背中を預ける。金属が軋む音が響く。
「博士はよく難しいことを言う」
「そうか? 至って分かりやすい話だと思うがね」
博士はおどけた様子で肩を竦める。
「とまぁ、こんな憶測に過ぎない分析は言ったところで何も変わらない。今のお前に必要なのは、異質な魔術師に対抗できるスキルだ。待ってろ、構築したデータを変換してからお前のバンクに送信する」
くるりと椅子を回して博士はデスクと向かい合う。新たな煙草を取り出して無造作に火を付け、カチンと閉じたライターをデスクに置いた。暫しの沈黙が過ぎ行く。
「私はまた、あの魔術師と戦わないといけないの?」
「嫌か?」
パソコンの画面に視線を移したまま博士は聞き返す。
「ううん、違う……と思う」
「じゃあ何だ?」
直感的な思い込みに近い何か。あの魔術師は、他の魔術師とは違う何かを感じた。世界を滅亡させてやろうという野心や野望を一切感じなかったというか、今まで出会って殺してきた魔術師はそれに近いものを持っていたのだ。まるで――そう、この世界に興味が無いような、世界で渦巻く事象を欺くかのような、そんな風の魔術師らしい言動が見受けられなかった。
つまり、彼女を殺してしまうのは何だか気が引けたのだ。脅威的な存在とは思えなかった――少なくとも、私の胸の奥では。
「分からない……けど、次にまた戦ったら負けそうな気がする」
だが、その抽象的なことを現実主義者の博士にどう伝えればいいのか思い付かなかった私は、そう誤魔化すしか術は無かった。現に、バンクも処理が追い付いておらず、胸の内では妙な不安が膨れ上がっている。私の思索は混乱が生まれやすいらしい。
「お前が弱気になるとは珍しい。これもあの悲鳴の影響か……?」
こちらに向き直り、煙草を指の間に挟む。こちらを凝視する目は、何かを探っているかのように鋭かった。
「嫌なら降りればいい。上層部の奴らも、お前を失いたくはないはずだ。一度負けている、それを口実に拒むのも有りだろう」
博士は煙を吸い、ゆっくりと吐き出す。天井に煙が上っていくのを私は無意識に目で追う。
「だが、魔術師に対抗できるのは同じ魔術師、もしくはそれ相応の能力を持った人間しかいない」
「博士はどう思う? 戦うべきだと思う?」
「どうだろうな。これ以上お前が傷付くのは正直胸が痛むし、仕事も増えて面倒だ。とはいえ、やられ損もあまり好きではない」
「じゃあ、戦う。博士に迷惑が掛からないようにする。それで博士の復讐を果たす」
「復讐なんて大袈裟だ。まぁ、お前が本当にそう望むのならそれでいいがな」
博士はそう言って椅子を回し、再びキーボードを叩き始めた。その声に感情らしきものが込められていないように思ったのは私の聞き間違いだろうか。
私は考える。本当にそれは私自身が望むことなのだろうか? 思考回路を動かすも分からない。ルインとかいう魔術師と戦って、久し振りに死を間近に感じた。恐怖というものを久々に味わった。それが、魔術師との再戦を拒んでしまう原因なのだろうか。だとしたら、私は暗殺者として失格だ。常に冷徹な心と判断が求められる暗殺者が、たかが一人の魔術師に狂わされていては話にならない。博士のために何かができるのなら本望だと、そう信じ込むしか今はなかった。
胸の奥から込み上げてくるこの不安を抑え込む方法は、バンクのどこへアクセスしても見つからない。不透明な感覚をどう処理すればいいのか分からず、私は博士に答えを求めようと口を開こうとしたが、突然研究室内に鳴り響いたコールに遮られてしまった。
「上の奴らも随分とせっかちだな」
そんな悪態を吐きながら博士は受話器を取る。
「私だ――ああ、起きている――特に見受けられないが怪我をしている――あいつにその意思があるんなら――ああ、そうかい」
最後の一言は明らかに怒気が含まれており、博士は大きく舌打ちをしながら乱暴に受話器を元の場所に戻した。
「一体あの男は彼女を何だと思ってやがるんだ……」
博士は眉間の皺を指先で摘み、重々しい溜め息を零した。そして、私に視線を向ける。
「出動命令が出た」
「うん」
「行くのか?」
「うん」
私の返答に博士の表情は更に曇った。出動をあまり望んでいないような険しい表情である。
「本当に行けるのか? 傷も完全には塞がっていないんだぞ?」
分かっている。患部も、中に金属が埋め込まれているのではないかと錯覚しまうほどに重く、そこから鈍い痛みが神経とバンクを刺激する。
しかし、私は行かなくてはならない。私はアサシン、標的を殺すことが仕事であり使命。そのために私は選ばれた。それを放棄するなどあってはならない。バンクには深くそう刻まれている。
「大丈夫。これぐらいなら平気」
少々強がってみせ、私は今になってようやく上体を起こし、目視で傷の具合を確かめる。真新しい白の包帯が腹と右上腕に巻かれ、軽く動かすと電流が駆け抜けるような痛みが全身に走った。だが、これも一瞬だけ。それさえ我慢すれば戦えなくもなさそうだ。最悪、痛みがぶり返すようであれば痛覚遮断のプログラムを起動させればいい。
「着替えはそこの棚の上だ。お前が所持していた武器も一緒に置いてある」
博士の指差す方には、私が普段着用している真っ黒な防刃用のライダースーツが丁寧に畳まれて置かれていた。その横には拳銃と数本のナイフ。私は慣れた手つきで準備を始める。
「お前はアサシンだ。人を殺すことを生業にしている。お前がどんな奴を殺そうと私には関係ないし、むしろ興味も一切無い。好き勝手にやってくれたらいい。だが、そこにお前の命の危機があるとすれば話は別だ」
既に全体の半分を失った煙草を灰皿に押し付け、博士は背凭れに背中を預ける。
「私はお前のことを大切に思っている。死なないようにそれ専用のプログラムを構築し、インプットもさせている。本来のアサシンにはそんなもの必要無い。殺すか殺されるかの二択だからな。私は、お前にそんな道を辿ってほしくない。アサシンでありながらも自身の命と体を大切にする、人間らしいアサシンでいてほしいんだよ」
これが、博士の言う望みというのか。しかし、私ではそれに応えられそうにない。
「私は、博士の意見を尊重したい。だけど、それではいけないみたい。バンクに刷り込まれた優先事項には背けないし、何より上の命令には絶対に逆らえない。それこそ、死を意味するから」
今度こそ、博士の表情は破顔した。声を荒げる。
「お前はもう少し、自分の意思を持て! バンクや上層部に選択肢を任せるな!」
「うん、分かってる」
反面、私は静かに答える。こんなのは大嘘、理解しているつもりになっているだけ。
「クソっ……私にお前を好きに改造できる権利と資格があれば……」
前髪を掻き上げ、苛立ちを露わにする博士。ああ、そうか。博士はあくまで私の「世話」――すなわち、メンテナンスしかできないようにされているらしい。
このバンクの最深部を弄るには、専用のプロダクトコードが必要になってくる。最深部とは、バンクの中枢――言わば、人間としての根源である性質や感情を司る部分。私の場合、その部分からアサシンとして不必要なものが取り除かれ、逆に必要なものを刷り込まれている。
その事実がバンクの記憶から消されていないのは、恐らくどうでもいいと割り切れてしまえるようになっているから。疑問に思われないより、真実としてバンクに残っている方が、余計な拒絶反応を起こさずに済むのだろう。科学者もよく分からないことをする。
「……ちょっと来い」
「はい」
準備を万全に整えた私は博士の下に近寄る。後ろを向くように指示され、素直に従う。その直後、頸の部分にひんやりとした感触が伝わってきた。いつものあれ――コードが接続される感触だ。
「少し未完の箇所もあるが、一応さっき言っていたスキルを送り込んでおく」
キーボードを叩きながら、博士は説明を開始する。
「あいつが例の悲鳴を上げる際に、独特なエネルギーを発している。それを感知すると、これは瞬間的かつ自動的に起動する仕組みになっている」
【PROGRAM:調律】
「あの悲鳴に対抗できるが、注意すべき点がある。それは、こいつが起動すると聴覚が一切機能しなくなることだ。つまり、視覚からの情報が重要になってくる。加えて短期決戦を仕掛けなければ、徐々に体の平衡感覚も失われてしまう。何せ、音が聴こえないからな。自分がどこに居て、どう立っているのか分からなくなってくるんだ。気を付けろよ」
未完である理由はここにあるのだろう。聴覚をシャットダウンさせてもそれに付随するその他の機能も動作しなくなってしまう。それをカバーするための機能も作られていないとなれば、私自身がどうにかする――博士の言う通り、早々に決着をつけるなど――しかないらしい。短時間で作られたものなのだ。多少の不備があっても仕方ない。
「プログラムとして構築できないのは本当に不服だが、無いよりはマシだろう。言わば、おまじないだよ」
おまじない、その言葉の意味をバンクから検索する。神や仏から霊的な力を借りること――随分とオカルト的な言葉。科学で埋め尽くされたこの世界や私の体には全く縁のないもの、酷く非現実的だ。
だが、博士はこれが最後の希望というものであるらしい。表情がいつになく真剣だったから。
【CAUTION:楽園への帰還】
テキストが網膜に映し出される。見たことのない新しい名前。私が帰るべき場所を示す。
「何があってもこの命令には背くな。お前の命綱と言ってもいい。死ぬことは私が許さん」
プツリとコードが抜かれ、博士に軽く背中を押される。
「じゃあ行ってこい」
素っ気ない送り出しを受けるも、これが博士の愛情であることは、バンクの奥深くに刻まれていて知っている。しかし、今回はどこか力加減が違っているように感じた。
「――博士」
扉の前で私は振り返る。そのおまじないによって偶然知り得たこと。それは、家を出る前にする挨拶の存在と意味。
「ん?」
笑い方なんてとうの昔に忘れてしまったが、今ならそれとなくできそうな気がする。博士が笑う時と同じように、私自身も真似をすればいい。
「行ってきます」
-To Be Continued-




