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Black Period  作者: 輝咲
Episode.1
2/6

False.【中編】

「僕が僕で在り続ける限り、僕は僕の信じた道を征く」――False.の中編。

 翌朝僕は、セットしていた目覚まし時計のアラームではなく、携帯端末の着信音によって起こされた。もぞもぞとベッドの中で動き、手を伸ばして携帯端末を手に取る。時刻は朝の六時。さすがに早すぎなのでは? と不満の声を喉の奥に追いやり、僕は着信ボタンをタップした。


「おはようございます」

『十回もコールを鳴らしてようやくお目覚めか』


 受話器の向こうから皮肉を言うのは無論、透明さんである。


「すみません。夢の中に居ました」

『御託はいい。十五分待ってやる。急いで支度して、君の近所にある公園に来い。一分でも遅れたら捜査から外す』

「分かりました、急ぎます」


 電話を切り、僕はベッドから転がり落ちる勢いで支度を開始する。着替えと洗顔を済ませ、そしてリビングの食卓に置かれていたトーストを口に挟み、必要な荷物を肩掛けカバンに詰めて家を飛び出た。その時点で要した時間はおよそ五分。これなら走らなくても目的の公園には間に合う。僕はトーストを齧りつつ、道中にあった自動販売機でミネラルウォーターを買った。トーストを口の中に詰め込み、冷えたミネラルウォーターで一気に流し込む。


 そうして一息を吐いた頃に、僕は公園へ到着していた。辺りを見渡して透明さんを探す。朝早いこともあり人影は殆ど無く、すぐに透明さんを見つけることができた。公園の外に駐車していた例のスポーティな車に凭れ掛かり、腕を組んで俯いている。今日も透明なため、周囲からすればそこに人は居ないと認識されるのだろう。幸いにも人は碌に居ないので、僕は「おはようございます」と挨拶しながら近寄って行く。


「おはよう。早速だが出発するぞ」


 透明さんはそそくさに車へと乗り込んだ。僕も昨日と同じように続く。シートベルトを着用しながら尋ねる。


「どこにですか?」

「昨日君が行っていた場所にだ。先に詳しく聞かせて貰おうか」


 彼女はシートに背中を預けてゆったりとする。対して僕は背筋を伸ばさずにはいられない。


「はい。僕の言う特別な場所というのは、郊外にあるパブのことです」

「パブ……酒場か。君には似つかわしくない場所だな」

「大丈夫です。そこは未成年がお酒を飲まない限り出入りは自由ですから。そのためか、色々と情報が集まりやすいんです。ネットには転がせないような裏のものまで」

「なるほど」

「ですが、場所も場所なので車で行くのは少し不向きかと。何せこの辺りでも目立ってしまいますし。どこかに置くか隠すかして行かないと、この車に何をされるか分かりません」

「それなら心配無用だ。これも私と同様、光学迷彩で透明化することができる」

「ハイテクですね」

「科学技術の進歩による賜物さ」


 差し込んだキーを捻ると、低く唸るようなエンジンが轟いた。透明さんはハンドルを握り、車を発進させる。朝の住宅街をスムーズに抜けていく。


「道案内を頼む」

「はい、とりあえずレグッチ駅の沿線近くを通って郊外へ向かって下さい。ここからだと……そうですね、二時間は掛かるかと」

「結構掛かるな。まぁ仕方あるまい。気長に行こう」

「はい」


 時折ナビゲートをしつつ、至って問題もなく道路を走っていく。朝が早いためか、大通りを走ってもすれ違う車は少ない。

 三十分は走っただろうか。車内はとても静かだった。ナビゲート以外特に話し掛ける用件も無かったので、少し緊張が解れた僕は頬杖を付いて車窓の景色を眺める。


「少年、外の景色が好きなのか?」

「はい。色みのある景色は特に」


「少年」と呼ばれて内心驚きながらも、僕は冷静に答える。地下鉄の車窓の景色とは比べ物にならないほどに鮮やかだった。街の中心部から離れると、自然的な色がちらほら見えてくる。目には刺激的だが心には優しい色、それが自然の中から生まれた本来の色そのもの。無彩色で塗り潰された都心はあまり好きになれなかった。


「そうか。なら今のうちに楽しんでおけ」

「はい、ありがとうございます」


 再び静寂が訪れる。それには不思議と息苦しさを感じなかった。

 ――時間が悪戯に過ぎ行く。景色が転じた。都市を抜けたらしい。錆びた廃ビルや標識が目に付くようになってきた。そうなれば、目的のパブまでは近い。用心を重ねるため、透明さんに車を目立たない所へ停めて貰い、車体に光学迷彩を施した。ここからは歩いて行く。十分も掛からないだろう。僕を先頭にして向かうことに。都市とは違い、薄汚れた身なりをした人と多くすれ違う。見慣れた光景、僕はそれに臆さず突き進んで行く。


「ありました、あそこです」


 辺りに誰も居ないことを確かめてから、指を指しつつ僕は透明さんに話し掛ける。古びた木製の看板にはアルファベットで「ディザイア」と書かれている。パブ「ディザイア」――この辺りでは有名かつ人気の酒場だ。透明さんは「どうするつもりだ?」と聞き返してきた。耳打ちをするように小声で僕は言う。


「この時間帯ならまだお客さんはちらほら居ると思います。僕は一応常連客なので顔も利きます。なので適当に話し掛けて情報を集めるつもりです。透明さんはその姿のまま、人とぶつからないように壁へ寄って周囲を警戒していて下さい」

「分かった」


 そして僕達はパブへ繋がる階段を下り、扉を開ける。扉の鈴がチリンチリンと鳴った。カウンターに立つ中年男性――ここの店主――がこちらを向く。


「ああ、久しぶりじゃないか。昨日も来なくて心配したぞ~」


 店主としてバーカウンターを受け持っているだけあって、明るくフレンドリーに接してきた。僕がこの店に通って間も無い頃も、確か今と然程変わらない性格をしている。この様子からして背後に立つ透明さんの姿は見えていないようだ。それに僕は安堵しつつ、薄暗い店内に足を踏み入れる。


「すみません、昨日は美術館に行っていたので来れなかったんです」

「ああ~、そう言えばそんなことも言ってたなぁ。んでどうだった?」

「大変素晴らしいものでした。また足を運んでみようと思います」

「そうかそうか。今日は何を飲む?」

「いつものジュースで」

「はいよ」


 注文をしてからようやくカウンターの席に腰を掛ける。透明さんは出入り口付近の壁に寄り掛かっていた。店内の人影は僕が思っていた以上に、それほど少なくなかった。数にして八人。一人で飲んでいる者も居れば、グループになって楽しんでいる者も居る。耳をすませば――やはり、昨日の事件について語り合っていた。


「レグッチ駅は今日も封鎖だ」

「やったのは青年らしいな。捕まったらしいけど」

「人をめった刺しにしたらしいぜ? よくやるよなぁ」


 嘘か真か分からないような情報のやり取りをしている。これには耳を貸さず、僕は店主に声を掛けた。


「そういえば昨日、美術館の帰りに駅で事件が起きたんですけど知ってますか?」

「ん? ああ、レグッチ駅で起きた無差別殺人事件、ってテレビじゃそう報道してるやつだろ?」


 そう答えながら店主はジュースを差し出してくれた。僕はそれを受け取り、一口飲んで口を潤す。


「はい、そうです。それに関して一つお聞きしたいことがありまして……。店主さんはどこまで仕入れてますか?」

「これは無差別殺人事件じゃなくてテロだってこと、犯人は一人じゃなくて複数居たこと。それと、犯人は操られてたってことぐらいかねぇ」


 初めて聞く内容に僕は耳を疑ってしまう。僕は身を乗り出し、小さな声で聞き返す。


「操られていた? どういうことですか?」


 店主もまた身を屈め、手を口元に添えて小声で話す。


「俺もよく理解してねぇんだが、一種の催眠術によって犯人は操られてたらしいぜ。知ってっか? その犯人は共通して『お前はトビーか?』と被害者に聞き回っていたらしいんだよ。それから想像するに、犯人を操ってた張本人はそのトビーって奴と深い関わりがある可能性が高いってことだ」

「トビーという人物はどんな人か分かりますか?」

「悪いがそこまでは調べ切れてねぇ。だけどよ、最近この店に変わった客が来たんだ」

「というと?」


 そう言いつつ、僕は更に身を乗り出す。一句たりとも聞き漏らさないためだ。


「どっかの教祖様なのか、豪華な冠と高級なシルク製のローブで着飾った奴でよ、一人でここに座ったんだ。時間は確か早朝だ。何を頼むかと聞いたら酒以外と抜かしたんでミルクを一杯置いてやったのさ。するとそいつは一人ぶつぶつと『ここにもう彼は居ない』やら『トビー、お前を蘇らせる』などとほざき始めたよ。そしたら唐突に『ここに迷える青年は居ないか?』と聞いてきたから『いねぇよ」と返してやった。んでそいつの眼を見たら、気色悪いことに真っ赤だった。充血じゃねぇ、瞳がだ。それを見たら急に寒気がしてよ、俺はこれ以上関わらねぇようにグラスを磨いてたら、程なくして帰ったよ。恐ろしいことに、出してやった生温いミルクを全部飲み干してな」


 僕は店主の言葉を頭の中で整理する。その教祖らしき人物はここへ来たが酒を頼まず、独り言を呟き、その中で「トビー」という名を口にした。眼は赤く染まり、教えを説く相手――それも青年と限定して探していた。ここまで来ると答えは自ずと導かれる。ちらりと視線を透明さんに向けると小さく頷いていた。「もうこれ以上はいいだろう」と言っているようだった。僕も眼でそれに応える。


「ありがとうございます。お礼はまた、後日お持ちします」

「ああ、そうしてくれ。全く、君はここのお得意さんだからついつい甘やかしてしまうよ。こういった貴重な情報は、その場で対価を払ってくれないと話さないんだがな」

「本当に毎度お世話になってます」


 僕は改めて頭を下げ、感謝の意を示す。店主にはちょっとした収集癖があり、今では珍しい形としての物を渡すと大概喜んでくれる。情報を集めることも含めると、それは仕事にも活かされているようだ。


「ああ、そうだ。一つ言い忘れてたんだが――おう、いらっしゃい」


 会話の途中で扉の鈴が鳴り、店主は入ってきた客に声を掛けた。僕もその視線に釣られて客を見る。骨格を弄っているのか、顎の大きい男だった。背丈や体躯も大きく、圧倒的な存在感に押し潰されてしまいそうだ。両肩を曝け出しており、両方とも義手であることは容易に確認できた。

 目が充血している。疲れているのだろうか。僕はそんなことを考えつつも、すぐに視線を店主に戻し続ける。

「何を言い忘れているんです?」

「あの教祖様についてだ。そういやそいつ、もう一つ聞いてきたことがあるんだ。それがよ――」


 店主がそう言葉を続けようとした瞬間だった。店内に衝撃音と振動が響き渡った。僕と店主は同時にその音がした方へ顔を向ける。僕はあまりの光景に目を疑った。そこには、先程の男が透明さんの首を掴んで床に叩き付けていたのだ。透明さんが押え付けられている床には窪みが生じ、どれほどの力が加えられているのか、考えずとも分かる。

 しかし透明さんは至って落ち着いていた。暴れたり悶えたりすることもなく、冷静に素早く拳銃を引き抜く。そして、押え付けている男の腕に銃口を当て、立て続けに引き金を絞った。くぐもった銃声が聞こえ、男の顔が歪む。男は火花を散らす腕を引き、代わりに反対の腕を振り上げ、硬く固めた拳を透明さんに叩き落とすも、拘束から解放された透明さんが先に動いて回避していた。横へ転がり、すぐに片膝を付いて体勢を整える。標的を失った拳はそのまま床に叩き付けられ、更なる振動が店内を揺らす。

 二人は対峙し、緊迫した空気が流れる。騒ついていた店内はいつの間にか静まり返っていた。


「軍がここに何の用だ!? 俺を消しに来たか!」


 怒声を上げる男の顔は真っ赤だ。頭に血が上っているらしい。


「どうしてそんなに気を立てている? こちらからは何もしてないが?」

「うるせぇ! 俺は俺だ! 俺の邪魔をするなッ!」


 男は更に声を荒げ、透明さんに殴り掛かる。だが、透明さんは男の腕を掻い潜り、懐へ潜り込んで拳を腹に叩き込む。男は呻き声を上げ、勢い良く後方へ吹き飛び、近くのテーブルを巻き込んで衝突した。僕以外の人からすれば、急に男の体が弾丸のように飛んで来たように見えただろう。


「全く……最近の荒くれ者はマナーがなってなくて困る」

 そう溜め息を吐いて、透明さんはパブを出て行った。


「野郎ッ!」


 男はすぐに起き上がり、悪態を吐きながら透明さんの後を追う。非常に良くない状況へと転がり始めた。僕は焦燥感に駆られながら席を立つ。


「すみません、失礼します」

「何だ? 君の知り合いか?」

「あっ、いえ……」


 僕は思わず言葉に詰まってしまう。ここが非合法のパブではないとはいえ、やはりここへ来る人達の中には軍や警察に敏感な者も居る。あまり口にはしたくなかった。


「何か事情があるんだな。大丈夫だ、内密にしておくよ」

「すみません、ありがとうございます」


 店主が優しい人で本当に良かった。僕はジュース代より少し多めの代金をカウンターに置き、パブを飛び出す。二人の背中を追い掛ける。裏路地へ入ったところで、二人はまたしても対峙していた。


「あそこじゃ情報を抜かれそうだったんで場所を移したよ。単刀直入に聞こうか。お前、新種の麻薬やってるだろ?」

「してたら何だって言うんだよ! 俺は消えねぇぞ!」

「無論、検挙に決まってるだろ。それが分からんぐらいまで知能が落ちたか?」


「なら報告書にはそう記しておかないとな」と本気か冗談か分からないことを口にし、透明さんは地面を蹴って男の眼前まで接近する。そこから電光石火の如く男の背後に回り込み、左腕を取って足を刈り、そのまま地面に叩き付けた。男が必死に抵抗するも透明さんは石像のように動かない。見かけによらず、圧倒的な力量の差だった。


「攻撃的な態度と、異様なまでに自己を保持しようとする口調、そして目の充血、新種の麻薬における副作用と同じだ」

「俺は俺のままだ! 他の奴にはならねぇ! 俺としての自分を守るんだッ!」

「分かったから少し黙ってろ」


 左腕の関節を思い切り外し、そして懐からスタンガンを取り出して男の頸に押し当てる。上下に激しく痙攣を起こし、男は沈黙した。気絶させたらしい。裏路地に静寂が戻ってくる。僕は何もできず、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。


「まだ顧客の漏れがあったか。これだとやはり、親玉を捕まえないことには終わらないな」


 愚痴を零すように透明さんは言った。もしかすると、透明さんも新種の麻薬における一斉捜査の時に参加していたのかもしれない。


「急ごう、目を覚ます前にこいつを近くの署まで運ぶ」

「はい」


 透明さんは男の襟首を掴む。どうやら引っ張って車まで連れて行くらしい。乱暴だなと思ったが口にはしなかった。


「トラブルがあったとはいえ、必要な情報は手に入った。よくやったぞ、少年」

「あ、ありがとうございます」


 褒められたことに驚きと喜びを感じる。胸の奥が唐突に熱を帯びた。

 そうして先頭をきって歩く透明さんの背中を、僕は覚えたての心地良い感覚に浸りながら黙々と追い掛けた。






 例の男を郊外と都市の境界線付近にあった署へ連れ込んだ直後、状況が一変した。本来は入手した情報を纏め、透明さんの部下に連絡して調べさせ、今日の捜査を終えた僕をこのまま家まで送り届ける手筈だった。

 それが起こったのは、透明さんに掛かってきた一本の緊急連絡からだ。その対応をしている最中、透明さんの声色は随分と苛立っていた。


「――分かった、急いで現場へ向かう。それと、昨日の事件における情報を得た。解析を頼む。特に、どこかの宗教の教祖とトビーという名の人物の接点で調べてほしい。――ああ、だから急いでくれ。――知らん、こっちが最優先事項だ!」


 ハンドルを握りながら部下との連絡をしていた透明さんは、苛立ちを露わにしてそう指示を出し、携帯端末の通信を切った。


「どうかされたんですか?」

「昨日の事件を引き起こしたと思われる人物、もしくはグループからの犯行予告が警察に送られてきたらしい。それがこいつだ」


 透明さんはそう答えつつ、光学迷彩を解除した携帯を僕に手渡す。飾り気のない文面にはこう書かれていた。


【角の無い牛が天を仰ぐ頃、同胞の墓場にて迷える魂の宴を開く】


「随分と詩的な犯行予告ですね」

「こういうのを送り付けてくる奴は大抵、本の虫だろうな」

「偏見ですか?」

「まさか、実際にそうだったからだ」


 アクセルを深く踏み込み、前方を走っていた車を車線変更もせずに抜かした。見るからに、先程から透明さんの運転が荒い。余程苛立っているのか、それともただ単に急いでいるだけなのか。僕はそのことにあえて知らない振りをして、推測を始める。

「悪戯という線は?」と尋ねると、透明さんは人差し指でハンドルを小突きながら「無いな」と即答した。


「その可能性があったら、もっと短絡的かつ分かりやすい文章を送り付けてきただろう」

「なるほど。でしたらこの文章からして……犯行時刻は正午で間違いないでしょうね」

「ああ、だから後二時間ほどしかない」

「ですが何よりの問題は――」

「犯行現場が分からない、という点だ」

「そうですね……。同胞の墓場、ですか……」


 僕は何故かこの単語と似たものに聞き覚えがあった。近いうちに、それを見たことがあるような気がするのだ。僕は必死に記憶の奥底から、最近の出来事を思い出す――。


「あっ」


 点と点が結び合う感覚と同時に、僕はカバンの中身を探っていた。すぐに見つけ、目的の物を取り出す。


「それは?」

「昨日行ってきた美術館のパンフレットです。ここに恐らく……あっ、ありました」


 冊子になっていたそれのページを捲り、一つの写真を探し当てる。僕は彼女にも見えるようにパンフレットを向けながら言う。


「タイトルは【海辺の墓場】、今から十年ほど前に書かれた絵です。作者は不明。ただ、空想と現実を織り交ぜた命の尊さと儚さを描き、設備の行き届いていない海辺の荒廃した雰囲気にこの美術館の館長は惹かれ、展示を行うことにしたそうです」


 海辺の砂浜には木の杭で作られた十字架が無数に刺さり、陰鬱さを演出するかのように空は雲に覆われ、海は鉄の色を帯びておりどこか寂しい。墓に花を手向ける人の姿はなく、潮風が静かに墓場を通り過ぎていくだけ。そんな侘しさと虚しさを描いたこの絵は、奇しくも館内の隅に飾られていた。


「これがどうした?」

「風景は偽物ですが、場所は実際に存在しています。ここですね」


 僕は携帯端末で地図を出して透明さんに見せる。透明さんは驚いているようだった。


「ここは今埋め立てをされ、巨大な複合商業施設となっている。なるほど、ここなら人がたくさんいてテロをするにはうってつけというわけか」

「そうです」

「だが、君の推測に確証はない。何せ同胞の意味は分かっていないからな。とはいえ、私達の方も打つ手がない。まあ、君の推測に乗ってみるのも悪くはないだろう」

「でももし、間違っていたら……」

「ああ、昨日のように大量の犠牲者が出るだろうな」


 僕は喉を鳴らした。背中から嫌な汗が噴き出す。決断という言葉が脳裏を過ぎり、如何にこの言葉に重みと責任があるのかを実感する。僕には向かない言葉だ。


「先に私達だけで向かおう。部下にはそう伝えておく。もし違っていたとしても、まだ手は回せる」

「……はい」


 更に車はスピードを上げる。ここからの距離なら三十分ほどで着くだろう。現場に近付いていくに連れて感じるプレス機のような緊張感に、僕の胸は跡形も無く押し潰されてしまいそうだった。

 十分程度入った頃に、透明さんの携帯端末が震えた。透明さんは前方を確認しながら通信に出る。


「どうした?――そうか、詳細は?――なるほど。――接点?――確かに、それは有り得るな。今回もその線が濃そうだ。私はとりあえずアクアステージに向かう。――そうだ、大型のショッピングモールだ。もしかするとそこが次のテロ現場になる可能性が高い。――ああ、確証は無いがね。――いや必要ない。違う現場ということも考慮すれば、私一人でどうにかする方が効率的だ。そっちは現場が違った時に備えておけ。――ああ、分かってるよ」


 向こうの会話までは聞こえないので、透明さんの言葉だけでも耳に入れておく。どうやら部下には僕のことを知らせてないらしい。僕は他のことに気を向けながら、高ぶる緊張感を無理に落ち着かせようとしていた。余計なことは詮索しないようにする。透明さんは通信を切り、携帯端末を懐に仕舞った。


「面白い結果が出たそうだ」

「と言いますと?」

「昨日、実行犯達の死体を解剖していたようでな、今になってようやく全て終わったそうだ。その結果、実行犯達の血液から共通して、新種の麻薬に含まれる成分が検出された。それも、多量のな」

「それはつまり……」

「ああ、彼らは重度の麻薬中毒者だったということだ」


 僕は少し違和感を覚える。


「だとしても、同じ麻薬を摂取していた中毒者が揃って一斉にテロなんて起こしますか? 僕には考えられません」

「わたしも同感だ。しかし実際に起きてしまった。それも、皆同じようなことを口にしながらな。今回もその可能性が十分に高い」

「『お前はトビーか?』ですね。店主さんもその人物についてはまだ情報を確保できてないそうです」


 僕は不意に閃く。犯行予告の文面に思い当たる節があったのだ。


「迷える魂……もしかすると、実行犯がこれに当てはまるかもしれませんね」

「なるほど。宴は殺戮。そうなれば、それぞれ言葉を置き換えると【今日の正午に、アクアガーデンにて麻薬中毒者が殺戮を行う】か。相変わらず同胞の意味は分からんままだが、そこは追々考えていくか」

「そうですね。それに、店主さんの言っていた教祖みたいな人も気になりますね。どうやらトビーの名を口にしていたそうですし」

「となると、やはりその教祖らしき人物もかなり怪しいということになるな。どちらにしろ、情報の開示には時間が掛かる。先に犯行予告の現場を押さるぞ」

「はい」


 そうして会話を交わしているうちに、僕達は現場へ到着した。休日ということもあり、駐車場はほぼ埋め尽くされ、何度か回った後にどうにか空きを見つけてそこに駐車。僕は早速降りようとしたが、透明さんに引き止められた。


「少年、耳にこれを付けておけ」


 透明さんはそう言って僕に手渡してきたのは小型のインカムだった。


「人目の多いところへ行くからな。これを付けて話していれば怪しまれないだろう」

「はい、ありがとうございます」


 そう礼を述べながら左耳に装着し、僕達は今度こそ車から降りて施設内へと入っていく。一階の正面入り口、やはり人でごった返していた。この中から明確に分かってもいない実行犯を捕まえるのは至難の技。透明さんは時刻を確認したのか、小さく舌打ちをしていた。


「後三十分も残ってないぞ」

「かなり厳しいですね」

「無闇に探し回っても、これだけの広さを全て見るのは不可能だ。しかし、唯一の手掛かりとして身体的な特徴がある」

「目が赤い、ということですか」

「そうだ。あとはやたらと落ち着きのない奴も入れていいだろう。この二つの点から実行犯を探し当てるしかない」

「分かりました。でもやはり、もう少し手掛かりが欲しいですね」

「ワガママを言っても始まらん。行くぞ。私は東側のエリアを上から下へ、君はここ西側を下から上がって来い。目標を見つけたらすぐにインカムで連絡しろ。十二時を過ぎて何も起きなければ外れだ、いいな?」

「了解です」


 僕達は別れて捜索を始める。透明さんは吹き抜けとなっているこの場所から床を蹴り、まるで曲芸師のように軽々と壁や手すりを踏み付けて上の階へと移動していった。それを見届けてから、僕は足早に歩き始める。人混みと喧騒に満ちたモール内を、最大限の視野を持って見渡していく。

 しかし脳裏にちらつく陰鬱な影。推測が当たってほしいと思う反面、正直に言うと外れてほしいと願うのだ。もし的中すれば僕の信頼度は大幅に上がるだろう。だが、当たった際にこの人混みから一体何人もの犠牲者が出るのかと想像すると、喉の奥からとてつもない吐き気が込み上げてくるのだ。

 本当に阻止できるのか。そう考えると全く以って現実味が無い。実行犯の数も分からない、第一にここが次のテロ現場になるとも限らないのだ。不安要素が付き纏う。迂闊に推理などしなければよかったと後悔の念が生まれる。決定的な確信が無い分、その中途半端な推測で透明さんをここに足止めさせてしまっているのだ。外れたとしても、透明さんが本当の現場に駆け付けるのにどれほどの時間を要してしまうのか――考えるだけで頭が痛い。責任を問われることを考えたら更に、胃が気持ち悪くなってくる。

 宙ぶらりんな状況を僕は作り上げてしまっている――このミスは大きな足枷だ。僕にとってではなく、透明さんにとっての。取り返しの付かない絶望を呼び起こすのではないか、そんな焦りが僕の足を前へと急き立てていた。

 一階のメインストリートを通り抜け、Y字路に展開した道を左に曲がる。今のところ怪しい人物は見つかっていない。残すところ遂に十分を切っていた。このY字路をぐるりと一周し、急いで二階へと向かう。エスカレーターを降り、一階とほぼ同じ道順で回って行く。

 道の隅に置かれたベンチやソファに座る人にも目を向けつつ――そして鳥肌が立った。自分でも心拍数が上がっているのが分かる。僕は震える手でインカムの電源を入れた。


「……すみません」

『どうした? 見つけたか?』

「はい。見つけて、しまいました」


 視線の先、ベンチに腰掛けて貧乏揺すりをしている一人の青年。正面を見据える目は異常なまでに赤く充血しており、どこか落ち着きがなかった。僕は遠くから様子を窺う。

 本当に居た――群衆に紛れて運命の時を待つ人が。青年はジャケットを羽織っている。その内側にナイフなどの凶器を隠しているのだろう。僕は思わず身震いをした。あの時に感じなかった死の恐怖からが湧き上がったからではなく、これから起き得るであろう惨劇を想像して恐怖を覚えたためである。


『なるほど、君の推測は見事に的中したというわけか……。場所は?』

「二階の上りエスカレーターの近くです」

『分かった。君はそこから動くな。目標だけを監視していろ。すぐに向かう』

「はい」


 そう指示を受け、僕は一旦青年から視線を逸らして大きく息を吐く。そしてすぐに戻す。心臓が痛い。こうも鼓動を意識するなんて、走った後の時ぐらいしか体験した記憶がない。


「――目標は?」


 背後から透明さんの声がして僕は振り返る。連絡を終えてから二分ほどしか経っていない。足の速さに感嘆する。


「向こうのベンチに座っています」


 僕が目線で促すと、透明さんは「確かにあれはやってるな」と小声で言葉を返した。僕も声のトーンを落とす。


「どうしますか?」

「今すぐ取り押さえてもいいが、如何せんここでは人目に付く。周囲に仲間が居た時、そいつらに逃げられる可能性もある。凶器を取り出して行動に移すまで、迂闊に動かん方が良さそうだな」

「ですが……」

「分かってるよ。こいつだけを見張っていても時間になれば他が暴れ始める。くそっ、人手が足りん。ここへ来る前に上と連絡したが到着には早くても二十分後だ。間に合わんぞ」


 僕は携帯端末で時刻を確認する。犯行予告まで後五分に迫っていた。非常に不味い状況だ。


「警備員も数人捕まえて事情を話したがそれでも厳しい。とりあえずこいつを時間丁度に押さえるしかない」

「はい」


 早口に状況を纏める透明さんに僕は頷くしかない。

 じっと観察していたのが不味かったのか。不意に青年の瞳がこちらを向いた。その瞬間、背筋に悪寒が走る。


「――あっ」


 目が合った。もうその時には遅かった。事態が急変する。気が付けば、隣に居たはずの透明さんは立ち上がった青年に向けて接近していた。青年が懐から何かを取り出そうとするのを透明さんはその腕を掴み、そのまま背後に回って一気に捻り上げる。足を引っ掛けて前へ転かし、懐からスタンガンを取り出して頸へ押し当て、意識を奪取。青年はぐったりと床に横たわった。僕は唖然とする。

 周囲で悲鳴が沸き起こった。皆が一斉に透明さんと気絶した青年から離れていく。そこには円の空間が出来上がっていた。透明さんはそんなことを気にする様子もなく、立ち上がって周囲を見渡している。僕も釣られて確認する。人混みの向こう側で、真っ赤な目を見開いている青年を発見した。


「透明さん! 向こうです!」


 指を指しながら呼び掛けると、透明さんは床を蹴って空中で一回転。群衆を跳び越え、着地と同時に逃げ出そうとしていた青年の背中を足で押し倒した。そして、頸にスタンガンを押し当てて気絶させる。


「少年はこの場で待機! 二人を見張れ! 念のため、警察に電話でもしとけ!」

「はい!」


 指示を受けた僕は早速、携帯端末を出してダイヤルを回す。警察に繋がり、的確かつ簡潔に事情を説明する。最初は戸惑っていたようだが、僕が更に細かく事情を伝えると、どうやら信憑性が増したらしい。すぐにここへパトカーを向かわせると言った。僕は了解の旨を伝え、電話を切る。透明さんはまた東側へ帰って行ったようだ。

 僕は透明さんに言われた通りに二人の青年を監視する。しかし、場所が遠い。どちらかを寄せた方が良いだろう。そう判断した僕は、背中を蹴られた青年の方に近寄り、腕を掴んでベンチ側へ引っ張ることにした。周囲の視線やどよめきに痛みを覚えつつも、僕は自身に課せられた任務を果たす。そんな意志を持って行わなければ、これに耐え得ることはできなかった。

 青年をベンチの方まで運び終えた直後、ホール内に鐘が鳴り響いた。教会にあるような高らかな音だ。それに反応して携帯端末を見ると、画面は十二時ジャストを示していた。何とも言えない寒気が僕の全身を襲う。反射的に顔を上げて辺りを見渡す。透明さんが消えて行った向こう側から、警備員らしき人が複数こちらへ駆け寄ってきた。


「犯人は!?」

「ここです」


 警備員の一人にそう尋ねられ、僕は手を挙げて知らせる。どうやら事態は把握しているようで、手短に事情を説明すると警備員らはすぐに行動を始めた。


「申し訳ございません。ただ今緊急事態が発生したため、本日の営業を終了させて頂きます。皆様には多大なご迷惑をお掛けしますが――」


 スピーカーを持った警備員がその場に居た利用客にそう案内をしていく。どよめきが更に大きくなる。それもそうだろう。目の前で青年が気絶させられ、状況の整理も今になって行われているのだ。混乱を招いている。利用客の様子は落ち着きがなかった。

 しかし、警備員の対応の早さに僕は驚く。これも透明さんが手配したものなのだろうか。僕はインカムの電源を入れる。


「あの」

『どうした?』

「あっ、いえ……警備員がこちらに来ました。どうすればいいでしょうか?」

『彼らには指示を出した。放っておいても勝手にどうにかしてくれる』

「でも凄いですよね、今も既にお客さんを誘導して避難させています」

『それが彼らの仕事だからな』


 透明さんはそれが当然のことのように言っている。僕には少し理解できない。まるで機械のように正確に行動しているのだ。次々と警備員がやって来る。利用客を案内する者、利用客の暴言や質疑に応答する者、気絶している犯人二人を拘束する者――何故、彼らには動揺や焦りが見受けられないのか。僕には不思議で仕方なかった。


『こちらも安全を確認した。暴走している人は見当たらない。私も君と合流する』

「分かりました」


 だが唯一感じているのは安心感だ。テロは未然に防げた。その事実に変わりはない。不安が完全に払拭されたわけではないが、ほんの少しだけ肩の荷が下りたような気がした。

 僕はインカムの電源を切って耳から取り外した。警備員の邪魔にならないよう、柱の陰で透明さんの帰りを待つ。僕の視線は利用客の群集に向けられていた。ここが商業施設だということを思い出す。老若男女が波に押されつつも、少しずつ出入り口の方に進んでいた。警備員らは的確かつ冷静に誘導していく。

 人混みの中央、僕は変わった人物を見つけた。何か目立った格好をしているわけではない。ただ、胸元で十字架を切っているだけ。その時点ではまだ目に付くような様子ではない。問題は表情だ。その人――男性は目を見開いたまま、何かうわごとを呟いているのか口を金魚のように動かしていたのである。その表情はどこか虚ろだ。人間性の危うさを感じさせる、そんな印象を受けた。

 周りの人達は男性の存在に気付いていないらしい――いや、気付くはずもない。非常事態に巻き込まれ、正常な視野を持っていないのだから。それ以前に、他者への干渉を好まない人が大多数を占めるこの世の中だ。男性の奇行など、見て見ぬ振りをしている可能性も十分にあり得る。

 僕はその人物を引き止めようか迷った。この場所から男性が居る距離と障害は遠くて多い。到底僕の体では無理だろう。せめて透明さんには報告しよう。そう思い立った時、僕を呼ぶ声がした。


「少年、私達も引き上げるぞ」


 意識を男性の方へ向けていたせいだろう。僕は透明さんの声に肩を跳ねさせた。


「どうした?」

「少し、気になった人を見かけただけです」

「どれだ?」


 透明さんがこちらに身を寄せてくる。同じ視点から確認したいのだろう。しかし、心臓がやけに大きく鼓動を刻んでいる。僕はそれを抑え込みつつ、例の男性に視線を戻そうとして戸惑う。姿が見当たらない。


「……すみません、見失ってしまいました」

「そうか、なら構わん。部下や警察がそろそろ到着する。後は奴らに任せて私達はさっさと帰るぞ」

「はい」


 僕はそう返事をしつつ、先に歩き始めた透明さんの後を追い掛けた。






 事態の収拾を終えた僕達は一度、透明さんの管轄内にある署へ戻っていた。目的は情報の整理を行うため。その頃には陽が暮れ、夕焼けがやけに眩しかった。

 僕はここ数時間であることを知る。それは、透明さんの地位がそれなりに高く、そして単独行動をしていても咎める者は居なかったということだ。部下からの信頼も厚いようで、透明さんが携帯端末越しに会話する言葉からそれは容易に把握することができた。相変わらず指示や命令を大量に出すが、返す言葉が一言二言で済んでいるのはそのためだろう。僕は思わず羨望を感じてしまい、ついでに胸の痛みも覚えた。

 三十分は待っただろうか。署への報告を終わるまで、僕は車内で待機するよう透明さんに言われた。酷く静かな空間に一人取り残された感覚は、どこか浮遊感に似ている。署の地下駐車場には人影は一切無く、異様な静けさとショッピングモールの一件から解放された安心感のせいか、僕の瞼は自然と重くなっていた。思考が覚束なくなる。微睡みが心地良い。感覚が徐々に座席とシートと同化していく――。

 突然の振動に僕の肩は飛び跳ねた。心臓の叩き付けるような鼓動に痛みを覚えつつも、僕は瞼を開けて目をそちらに移す。そこには車のドアを開けた透明さんが滑り込むように運転席へ座ろうとしていた。


「やはり幼いな」

「えっ?」


 シートに腰を下ろしてドアを閉めた瞬間、透明さんはそんなことを口にした。僕は戸惑ってしまう。


「寝顔だよ。冷静に考えてみれば、私はこんな幼い子供を危ない場所へ連れ回していたんだ。大人として情けない」


 透明さんの声色は酷く沈んでいた。


「上司に本当のことを報告したら、酷くどやされたよ。職務違反の以前に、非道だってね。それもそうだ」

「そんなことありません。透明さんはとても頑張っていました。ちゃんとこの目で見ています。なので間違いありません。僕が証人になります」


 僕が語調を強めてそう言うと、透明さんは暫し僕の顔を見つめた後、盛大に笑い始めた。僕はポカンとしてしまう。


「何だ、励ましてくれているのか? 面白いな、君は」


 拳で口元を隠して笑っている。その顔が見られないのが残念だった。


「だが、君をこれ以上巻き込むわけにはいかない。今日でお別れだ」


しかし笑い声を止め、透明さんは真剣な声色でそんなことを言った。僕は胸に痛みを覚える。嫌な感覚だった。


「嫌ですよそんなの。ここまで来たんです。僕にもまだ手伝えることはあります」

「そういう問題じゃない。君自身の身の安全を配慮しているんだよ」

「どうして今更そんなこと言うんですか。僕は渡された書類にサインをして提出しています。それに――」


 僕は一旦、言葉を区切る。ここまで来られた決意を透明さんに伝える。


「僕はあなたについて行くと決めたんです。あなたが何を言おうと僕は最後まで真実を見届け、この事件の観測者になります」


 そのために、僕はここまでやって来たのだ。今更引き返すことなど、決してしたくはなかった。


「君の決心は固いな」

「当たり前です。そうでなければ、僕はこの捜査に参加させて下さいとは言っていません」

「そうか……。まずは車を走らせよう」


 エンジンを掛け、車は地下駐車場を出て行く。外は既に日が暮れ、街灯の明かりが点いていた。


「先程、頼んでいた部下から情報の開示がされた」


 その言葉に僕の背筋は勝手に真っ直ぐになった。


「まず結論を述べよう。今回のテロ事件の首謀者が判明した」

「ど、どういうことです?」

「繋がったんだよ。パプの店主が見かけた教祖とトビーという名の人物がね」


心臓が跳ねる。真相に近付いてきているようだ。


「教祖の名はギアンツ・フェダー。とある宗教団体のトップに立つ男だ。そしてトビーという青年――トビー・デイズはその宗教団体に所属しており、丁度一週間前に病気で亡くなっている」

「病気、ですか?」

「ああ。だが実際は病気で処理されただけで、本当は殺されたのではないかと被害者の周りで噂されていたらしい。私自身も、それに関する資料を見て思ったよ。あまりにも不自然な死因だったからな」

「と言いますと?」

「外傷が酷いのに、死因は麻薬の大量摂取による急性中毒とされていた。刃物で何十箇所も刺されたような傷があり、出血も酷かった。つまり、死んでから刺されたとしか考えられない。だが不思議なことに、その血液からは大量のアドレナリンが検出された」

「よく分からないですね」


 僕は考える。刺し傷があるのなら、それは間違いなく殺人だ。しかし、順番が違うらしい。急性中毒によって死んだとすれば確かに病死とされる。可能性としては、それを大量に服用してから、その死体を誰かが滅茶苦茶にしたのだろうか。だが何のために? もし殺人が目的なら、急性中毒で倒れているトビーを放置すれば済む話だ。他に何か、傷だらけにしなければいけない理由でもあったのだろうか。駄目だ、どう考えても彼の死が不自然に思えて仕方ない。それに何故、彼の血液がアドレナリンが検出されたのかも気になる。


「真相が分からない今、太い繋がりを持ったギアンツに聞く方が早いだろう。彼ならトビーの本当の死因を知っている可能性が高いからな。ギアンツの居場所も特定している。だが、この情報を持っているのは私が所属する部隊のみだ。他には知らせていない。私が先行してそいつの身柄を確保するよう命令も受けた」

「今から急行するんですか?」

「ああ、これ以上この都市で暴れられるのは迷惑だからな。首謀者も単独犯さ。私なら容易だろう」


 今向かっている先は首謀者が居るポイントなのだろう。僕もそこへ行くのだと考えると、形容し難い緊張感に心臓が高鳴っていた。


「上司が言っていた。あの目は恐らく、魔術的な何かが深く関与していると」


 透明さんはしみじみと、しかし深刻そうに呟いた。あの目とは恐らく、実行犯の青年達の瞳のことだろう。確かに、あれをじっと見ていると心の波が逆立った。とんでもない恐怖や狂気を孕ませていたのだ。

 魔術――それは人の欲望に取り憑く、謂わば悪魔のような術式。科学の進歩によってその存在自体は否定されてきたが、今も尚それを習得しようとする人間も少なくはないという。科学だけでは成し遂げることのできない、人間の根源に潜む欲や願いを叶えることができると言われている。


「そして君は、それに打ち勝つ力を持っている。その力を貸してほしい」


 僕は驚いてしまう。元からその気だったとはいえ、こうして透明さんからお願いをされたのは予想外だった。


「もしそいつも同じような症状を持っていた場合、私は圧倒的に不利だ。何せ、君とは違い、その術に対する耐性は無いからね」

「勿論、お貸ししますよ。透明さんの役に立つのなら是非とも使って下さい」

「ありがとう。君ならそう言ってくれると思っていたよ」


 その感謝の言葉に僕は胸の内で喜びを感じる。初めて透明さんに認めて貰えたような気がした。


「それで、その首謀者――教祖は一体どこに居るんですか?」

「都市の中心部から外れた教会だよ。そこが首謀者の根城だ」


 一刻も早くその教会へ辿り着きたいのか、巧みなハンドル捌きで次々と前方の車を抜かしていく。遊園地のアトラクションに乗っているかのようなスリルと迫力に、僕の胃は少し気持ち悪くなった。それも表に出さず堪え、ただ引力に逆らいつつ無事目的地へ到着することを願う。こんな荒々しい運転で事故が起きてもおかしくはない。警察関連の仕事をしているとはいえ、これは流石に捕まるのではないかと思う。そんな心配も他所に、車は華麗に車間を上手くすり抜けていく。

 道路のアスファルトを照らす車のライトが濃くなり始めた頃、車は寂れた教会の前に停車した。僕はよろめきながら車を降り、その教会を見上げる。コンクリートで固められた古風の教会だ。屋根の上には苔の生えた十字架、青々と茂る木々に囲まれている。

 僕は久々にこの目で、実在する本物の自然を目の当たりにした。緊張し続けていた心の隙間に喜びの感情が入り混ざる。幾分か楽になったような気がした。


「行くぞ」

「――あの」


 教会を見上げていた僕の横を、いつの間にか透明さんは通り過ぎていた。僕は慌てて引き止める。


「何だ?」

「できればまず、僕が教祖の説得を試みたいのですが」

「何故だ?」

「ただ拘束するだけでは、僕が真実を知れないからです。僕はどうしても確かめたいんです、この事件の真相を」


 言葉一つ一つを相手へ浸透させるようにゆっくりと、そしてはっきりと透明さんに告げた。僕の目は今、透明さんとかち合っている。


「……犯人が暴走したら真っ先に止めるからな」

「はい」


 僕はそう答え、教会の扉を重々しく押し開け、木の軋んだ音と共に薄暗い教会内へ足を踏み入れる。小さな教会だ。壁際の大きなステンドガラスから透過した灰色の陽射しが、中空に舞う埃を照らしている。内部もかなり古びているようで、壁や天井のあちこちでタイルが剥がれ落ちており、僕は危うくその落ちていた破片を踏みそうになった。

 視線の先には、十字架に聖人が張り付けにされた石像が立ち、その前で片膝を付いて祈りを捧げる一人の男性が居た。白いローブに身を包み、頭には豪華な冠を乗せている。まさに教祖らしい格好だ。

 扉の開閉音に反応し、男性はこちらに振り向きながら立ち上がる。微笑んでいるようだが、酷くやつれた頬骨が印象的だった。しかし、瞳は赤くない。

 僕はこの顔に見覚えがあった。虚ろな表情と似ている。アクアステージの騒動の中に居た男だ。あの時、十字架を切っていたことを踏まえると、この男が宗教的な何かに関わっていることは明白だった。現場にこの男が居た――つまり、テロ事件の首謀者であることに間違いはなさそうだった。


「おや、神へのお祈りを捧げにやって来たのですか?」


 男性は僕の方を見ながらそう尋ねてきた。視線は確実にこちらを向いている。すなわち、透明さんの姿は見えていないということ。僕は密かに安堵し、彼の目を見つめて首を振った。


「いいえ、違います。僕は、神の下で真実を暴きに来ました」


 僕はそうはっきりと言葉にしながら通路を歩く。硬い床を踏み締め、等間隔に並べられた長椅子の間を通る。

「つまり、罪の懺悔ですか?」

「はい。僕ではなく貴方のです、ギアンツさん」


 名前を告げると彼は目を丸くした。柔和な表情が硬くなっていく。


「何を仰っているのでしょう? 私は神に明かさねばならないほど、大きな罪は犯していませんが?」

「貴方が今行っていたことですよ。神の前に跪いて祈っていたじゃありませんか。ただ、そこで告白をするだけでいいんですよ。自分は酷い罪を犯してしまったと」

「訳が分かりませんね。人は罪を抱えて生きていくものです。大小様々な罪を、誰にも明かすことなく孤独に」

「その中には決して許されないものも混ざっているはずですよ。特に、貴方の場合は」

「君は何が言いたいのでしょうか? 話が全く噛み合いませんが」


 どうやら回りくどいやり方では埒が明かないらしい。僕は溜め息を一つ零し、核心に触れた。


「トビーという青年をご存知ですか?」


 その名前を聞いた彼が眉を僅かに跳ねさせたのを、僕は見逃さなかった。


「いいえ、知りませんが。その方がどうされたのです?」

「嘘を吐くんですね。貴方を慕っていた心優しい青年でしたのに」

「――君にトビーの何が分かるッ!」


 まさに激昂だった。教会内の静寂な空気が震える。彼の瞳は血のように真っ赤になっていた。見覚えのあるそれに僕は戦慄する。

 ――脳に流れ込む記憶の洪水。網膜に映し出される走馬燈。僕ではない誰かの笑顔。憎悪と絶望による暗転――そして決別の赤い海。


「君はトビーの何を知っていると言うんだッ!」

「……何も知りませんよ。貴方によって作られたトビーという、青年のこと以外は」


 送り込まれてきた情報量に眩暈を起こすも、僕は咄嗟に長椅子の背凭れを持って体を支えた。頭が重く、情報の整理が追い付かない。だが、その中で確信したことが一つだけあった。


「なるほど……これは、貴方が作ったトビーの面影なんですね」


 僕は網膜に映る、楽しそうに笑っている青年を一心に見つめていた。他人の記憶が僕の脳内で勝手に再生される。制御は不可、映像を止めることはできない。この奇妙な現象をどう言葉にすればいいのだろうか。

 景色が切り替わる。薄暗い路地。視界が激しく揺れている。走っているのだろうか。無音で流れる映像は途切れ途切れだ。一部始終を見終え、僕はトビーの終末を知る。


「トビーは麻薬のバイヤーから命を狙われていた。原因は……なるほど、彼から新種の麻薬を奪うためですか。そっちの方がお金になりますし、貴方とのパイプがあったのも気付かれていたみたいですね。彼は殺されて奪われるぐらいなら自分で使って死ぬ方が良いと考えた。その結果、手持ちにあった新種の麻薬を全部摂取し、麻薬の急性中毒を起こして倒れた。その腹いせを、バイヤーは彼の体に刻んで殺した。これが彼の本当の結末」


 僕は頭を抱えて痛みを堪える。脂汗が頬を伝う。


「貴方は他者の記憶を偽造、もしくはそのまま他人に流し込むことができる。そんな異能力じみた芸当が、貴方には可能というわけですか。まるで魔術師だ」


 記憶は、その人の全てを象る唯一無二の媒体。記憶が無ければ知識も人格も形にはならない。今の僕はトビーの記憶と共に話している。僕の知らない事実も、その記憶から鮮明に浮かび上がってくる。


「科学的な根拠が無いにしろ、あり得るのはそれぐらいです。薬――それも貴方が作ったとされる、最近話題となっている新種の麻薬を使えば、それも容易いということでしょうね」


 僕ではない僕が、トビーの言葉を借りて真実を紡いでいる――そんな感覚。地に足が付いていないような感覚と似ていた。


「貴方は薬の売人となって、トビーと同じ年頃の青年に麻薬を勧めては服用させ、テロを起こさせる自身の駒とした。つまり、調教ということですね。トビーという人物像はその際に直接、貴方が彼らの脳内に送り込んだ。今僕に向けてやったように」


 僕はこめかみを人差し指で小突く。今ここに、〈僕〉の生きた証が蠢いている。


「麻薬の主な副作用として、攻撃的になりやすく、瞳が赤色に染まることです。今と貴方と同じですよ。トビーの血液からは大量のアドレナリンが検出されたそうです。恐らくトビー本人も、貴方の作った麻薬を摂取していたのでしょう。そうでなければ、今回のテロ事件でその麻薬を摂取した人物が皆揃って、実行犯になるわけがありません。そして、実行犯が全員青年という年頃であったことから、貴方のトビーに対する執着心は窺えます」


「以上がテロの全容です」と最後にそう付け加える。この推理は、トビーの記憶と混濁しているからこそできたのだと、僕は密かに感じていた。僕だけの知識だけでは、こんな風に達者な言葉は出てこない。


「トビーも、君のように秀才だったよ。頭の回転が速く、厚い正義感を持っていた」


 トビーを懐かしむように、彼は天井を仰いで独り言ちた。


「君の言う通りだ。私は関係のない迷える青年達を利用し、テロへ加担した。トビーを消した社会への恨みを晴らし、同時に恐怖を与えてやるためにね。ある意味、テロは成功した。トビーの記憶は社会の一部に刻まれたからね。悔いは無いよ。まあ、二回目のテロは失敗に終わったがね」


 彼は自虐的に笑い、教壇の上に飾られた十字架に背を預ける。神に全てを委ねているかのような、諦めを感じさせるように見えた。


「無差別にトビーの記憶を植え付けたのは愚行だったな。どうも私は正常な判断を怠ったらしい。だが、譲れないものはまだあるッ!」


 十字架から背を離し、彼は僕を睨む。僕は彼の瞳から逃れられなかった。


「君がトビーの意志を継ぐんだッ!」


 濃く淀んだ赤い瞳が僕の眼を捉える。恐怖と支配――記憶の奥深くにトビーの存在が浸食してくる。逃れられない。体内に水が染み渡るように、あらゆる感覚や思考が飲み込まれていく。高速に切り替わる視界。僕が僕でなくなっていく恐怖だけが鮮明に刻まれる。黒い染みが徐々に視界を覆う。僕の記憶を消そうと、僕の心を圧殺しようとしている。本当の僕が蝕まれるように失われていく――。


「――少年!」


 遠くで女性の声がした。目の前で僕の顔を覗き込む、目を見張るような美しい女性――僕は〈彼女〉を知っている。協力してテロ事件の犯人を捜していた人物。つい先程まで行動を共にしていたはずなのに、名前が思い出せない。


「君の眼には一体何が視えているッ!?」


 脳髄を震わすような、地表に雷が打ち付けたかのような、鋭く尖った力強い〈彼女〉の声。全てが失われるところまで遠退いていた意識と熱が、その声によって唐突に僕の体を奮い立たせる。


「僕は――!」

 足の裏がしっかり地面と触れ合っていることを実感し、僕は声を張り上げた。


「貴方の妄想によって作られた人間じゃないッ!」


 否定と拒絶。僕が僕で在ることを、僕が僕で在り続けることを示す言葉。誰にも消させない。揺るがない確かな存在を僕は言葉にして叫んだ。

 彼は僕の予想外な抵抗に心底驚いていた。赤い瞳が驚愕によって揺らいでいる。透明さんは僕の前から急速に動いた。床を蹴り、彼の背後に回り込んで腕を締め上げる。


「ギアンツ・フェダー! 貴様を共謀罪及び麻薬取締違反によって逮捕する!」


 カシャリ、と鉄の枷を手首に掛けられ、彼は崩れ落ちるようにその場に跪いた。抵抗する気はないらしい。事件の終幕を感じさせた。そして、ようやく終わったのだと安堵と共に実感する。長い一日だった。これほどまで濃密な日を過ごしたことはない。僕の心が達成感で満たされる。

 不意に――視界が歪んだ。平衡感覚を失ったらしく、僕は立っていられなくなって倒れ込む。意識が混濁した記憶に引き摺られていく。早々に思考が働かなくなり、僕は大嫌いな暗黒の世界に誘われた。




-To Be Continued-



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