コミュニティ生物学
Abstract:
進化論もインテリジェント・デザイン論もどこかに「試行錯誤の空間」を仮定していることは同じわけです。一方の進化論では「試行錯誤の空間」が地質学的時間であり、他方のインテリジェント・デザイン論では「神の心のなか」であるという違いがあるだけです。
いちお、ぼくも文化人なので、ぼくはFSM-ism(空飛ぶスパゲティモンスター教)に組するのですが、これからのFSM-ismはどのような戦略をとるべきか。どのように、進化論や特殊創造説に対抗していくべきか。
そう考えたときに、ぼくは「試行錯誤の空間」を「歴史社会」にかぎるべきだと思います。そして、歴史社会の範囲は「現在までの6千年」に限定するのです。そうすることで、「全生物種を生みだすために苦闘する人類史」のカンプ・イマーゴがはじめてくっきりと像を結ぶのです。
「びりになるのは-学ばなかったことを知らないとあっさり白状するのは、わたしの恥だ」(オーラティウス)
たとえば、ドーリア人の侵入、という歴史的出来事の意味は、ドリス方言における蛸のイメージと、蛸にまつわる伝承、を派生させた、ということを含めて考えなくてはなりません。そしてそれは、ドーリア人にしかない、かけがえのないものです。生物民俗は、恐竜からタコ焼きまで、あらゆる人間存在について回るのです。その民俗を、分岐分類学みたいな強力な合理で割ってもいいし、観光的にソフトに扱ってもいいのですが、「人間にとっての生物」という視点がないと、クロマグロ一種、ニホンウナギ一種も守れないのではないでしょうか。