溺れる人魚3
私の周囲の環境は大きく変わった。それは良くも悪くもだ。まずはじめに不良みたいな武内大雅というクラスメイトが私を王子から助けてくれた。誰も差し伸べてくれなかった手を初めて差し出してくれた人。それから、荒牧望という同級生が私の状況を変えるための提案をしてくれた。その案はちょっと予想し得ないもので、どうなるのかわからなかったけど、確かに変化がもたらしてくれた。
常に隣に誰かいるようになって、王子が私に話しかけてくることは少なくなった。だけどその反対に私は男の人を侍らしていると思われるようになっていた。それもそうだ、女子の友達は相変わらずいないのに、強面ながらキリッとしたイケメンの大雅と、優しげな面立ちで癒し系な荒牧君はひそかにファンがいるような人たちが私のそばにいるようになったのだ。
正直王子が二人になった、とまではいかないがそれに近いものがある。どうしよう。悪化してる。でも二人を拒絶することも今の私には難しかった。
また一人に戻るのは、辛い。
唯一の味方を失うのと、誰かに憎まれてもなおその手を離さないのは、どちらの方が辛いだろうか。両方を天秤にかけた時、私の心は離さないに傾いた。
「どうしたの、体調悪い?」
「え、ううん。そんなことないよ」
「でも箸止まってる」
「ちょっと考え事してただけ」
「そう? 僕、なんでも聞くし誰にも言わないから、よかったら教えて」
「……うん。ありがとう」
荒牧君はいつも穏やかで私が悩んでいるとすぐに気がついてくれる。優しくて温かい。とてもいい人だ。だけど、なんでだろう。時々すごく苦しくなる。優しさが辛い時がある。贅沢な悩みだと思う。でもつい、考えてしまう。
──まるで囲まれているみたい。優しさという檻で。
そんなわけ、あるはずないのに。
「ねえ大雅」
「なんだ?」
「優しいことが辛いってどういうことだろう」
「急にどうした」
「なんか、なんかさ……」
「荒牧か」
「なんでわかるの」
「お前に優しくするのは俺かあいつくらいだろ。本人に言えるわけないから俺に言ったってことは荒牧のことってことだ」
「すごいね」
私のことなんでもわかるんだ。ほんとにそう思ったから、そのまま伝えると大雅は複雑そうな顔で、「ほんとうに知りたいことは俺にもわかんねーよ」と言った。
大雅の知りたいことがなんなのか気にはなったけど、それよりもまずどうしたらいいのか、聞いてみたかった。
「与えられるものの大きさにびびってるだけじゃねーのか」
「どういうこと?」
「みのるは与えらるとそれを同じだけ返そうと思う善良な人間ってことだ」
「そうかな」
「もしくは返せないとわかってるのに受け取っている卑怯者か」
「急にランクダウンした!」
「ま、どっちになるかはお前次第だろ」
「そっか……私次第か……」
「でも、」
大雅が続けた言葉は、私を真っ暗な水の中に突き落とすようだった。
──願ったものが、必ずしも与えられるとは限らないからな。
そう。私はそのことをよく知っている。
命を賭した思いは誰にも届かず、どこにも行けないまま、終わるしかなかった。
私は、急に息の仕方がわからなくなって、陸の上にいるのに、まるで溺れているみたいに苦しくなった。
だけど人の体は勝手に息をしていて、尾びれも鱗もない下半身を見て、溺れる幻影は掻き消えた。
「みのる? どうした」
「……ううん、なんでもない。大丈夫」
大丈夫。もうあの頃の私は、いない。だからもう。
「やあ姫ちゃん」
最近はあまり見ることもなかった王子が不意に現れた。荒牧君は用があると先に帰ったので一人で帰ろうとしていたところだった。大雅はどこにいるかわからない。
「……なんですか」
「俺のこと、まだ許せない?」
「何を、言って」
「君をずっと好きだった。でも言えなかった。そのせいで君を失ったんだ、笑えないよ」
「…………」
「だからさ、今度こそ君を幸せにしたい。お願いだよ。その権利を俺にちょうだい」
「…………………あなたが求めているものを、私が返すことはできません。もし本当に私を好きで幸せにしたいというのなら」
「なら……なんだい?」
「私にもう構わないでください。あなたに構われるせいで私はいらぬ妬みを買うんです」
あの頃みたいに。ぽっと出の、得体の知れないそれに口もきけない人間に向けられる態度などろくなものではない。あのときは王子が好きだから我慢できた。今はもう、そんな気持ち。…………忘れたい過去のことだ。
「そんな……俺は償いもできないのか」
「なんのことかわかりませんが、そんなもの忘れてしまってください。あなたはあなたの幸せを探してください」
「君はそれでいいの。俺を許せると?」
「……許すも何も。私にはわかりません」
「……そう。それが君の答えなんだね」
もう許すとか許さないとかの話ではないのだ。私は一度死んでしまった。あの話はそうして終わりを迎えた。今更蒸し返して、どうなるというのか。人魚姫の悲劇は悲劇のまま。ハッピーエンドにはならない。
だからこそ、今世では、幸せな恋をしたいと思ったんだ。その相手は、王子じゃない。周りから祝福されない相手なら、私の望むべく相手ではないのだ。
彼には私とは関係のないところで幸せになってもらいたいと思う。恨む気持ちがなかったと言えば嘘になる。どうして気づいてくれないのと嘆いたこともある。でも王子に気づけというのは酷な話だったとも思う。誰も知らなかったんだ。私は口がきけなかった。それでもそばにいたくて、選んだのは私だ。
巻き込んでしまったのは私のエゴだ。魔女に願ってまで私に会いたいと思ってくれたのは胸が張り裂けそうなほど嬉しかった。馬鹿じゃないのと思ったのは呆れもあったけど、それほど私に会いたいと思ってくれたことへの裏返しの気持ちでもあった。
──王子。あなたと私はいつまでもすれ違ってしまうのです。きっとそういう運命だった。




