遠ざかる幻想
元漁師視点
人ならざるものが住むという海のそばで生まれた俺は、親父やその祖先と同じように漁師になった。
海で生きるものにはいろんな言い伝えがあって、人魚の話もその一つであった。
曰く、人魚に魅せられてはならぬ。魅了されたが最後、海に囚われてしまうからと。
俺はそんな馬鹿な話があるのもかと馬鹿にしていた。そんなものよりよっぽど高波の方が怖いとさえ思っていた。いもしないものより目の前のものだ。でも人魚はいた。
美しい鱗と肢体を持った魅惑的な女の容姿をした人魚を見てしまった俺は、言い伝えの通り、海に囚われた。
──人魚に魅入られたものは、自らを海に捧げるのだ。俺は魔女に頼み、人としての体を失う代わりに海に適応した体を得る。
人を捨てて得た鱗とエラは人魚とは程遠いものだったけれど、俺は嬉しかった。彼女と同じ世界で生きれるのだと思ったから。だがそんな幻想はすぐに壊れてしまうのだった。
「君が追い求めていた姫は人になったよ」
魔女は意地悪そうに笑う。人を貶めることを生業にしているような奴だということは知っていたが、まさか俺が惚れた人魚……人魚姫が人になる手助けをするとは。
一度きりの契約を交わしてしまった俺は人の身に戻ることもできず、人魚姫と二度と交わることもなく、魚の身で短い生を終えることになった。
死の間近、現れた魔女は「君の境遇には哀れみを覚えないこともないから、おまけをしてあげよう。次はまた人になれるようにね」そう言った。
そして生まれ変わった俺は、前世のことすべて覚えたまま、再び人として生を受けた。……今度こそ。願わくば、彼女と共に。
「最近どうだ」
「王子のこと? 最近は大雅が一緒にいてくれるからマシ」
「そうか」
「でも大雅こそいいの?」
「何が?」
「他にも友達とかいるでしょ、私と違って」
渡瀬みのる、同じクラスの普通の女子。だが何故か学校内でも有名な王子……桜花幸輝に言い寄る不届きもの、なんて言われていた。事実は一方的に付きまとわれてるだけなのにな。
それゆえ友達も仲間もなく、孤独に過ごすしかない彼女を助けたのは気まぐれとかそんなものではなかった。
「俺みたいなやつにダチがいるわけないだろ」
「えっ……」
「なんでそんなショック受けたみたいな顔してんだ?」
「私って友達じゃなかったの……?」
「はっ? あ、いや、うん。そうか、そうだな……悪い、ちょっと予想外で」
「私のことなんだと思ってたの」
「……幻想?」
「なにそれ意味わかんない」
嘘じゃないんだ。俺にとってお前は幻想のなかの人だったから。こんなにそばにいられるなんてまだ夢を見てる気分なんだ。……そんなこと可笑しくて言えないけど。
彼女を初めて見た時、すぐに気づいた。
姿形は違うけれど、ずっと求めていた人だと。桜花がみのるに付きまとうのにも検討がついた。あいつも自分と同じなのだ。役割はきっとそう、あだ名の通り“王子”だったのだろう。前世から面識なんてないけれど、見た目と態度からしてすぐに察せられた。あいつも無くした幻想にすがりついているのだ。
でもこうしてそばにいる彼女は人魚姫なんかじゃない。ただのどこにでもいる女子高生で、俺も元人間の魚なんかじゃなくてお前と同じ時間を生きるただの人間で。それがどんなに幸運なことか、俺は知っているからこそ。
「大事にしたい相手ってことだ」
「全然意味がわからないよ……」
「だよな。俺にもわからん」
なんて今は誤魔化してしまうけど。いつかは本当のこと言えたなら。そう思う気持ちが確かにあった。
「ねえ」
みのると別れたあと一人で歩いていると見知らぬやつに声をかけられた。見知らぬはずなのにどこか懐かしい感じがしてならない。と同時に嫌な予感がする。
「誰だお前」
「君は知ってるの」
「は?」
「彼女……渡瀬みのるのこと」
「……なんなんだお前」
突然出てきたみのるの名前に不信感が高まる。本当になんなんだ。
「──魔女、って言ったら君は信じる?」
俺が知っている魔女は一人しかない。チャラい格好の男子生徒とはどう見ても似ても似つかぬ容姿でそもそも前世での話な訳で。こいつが魔女だとは到底思えないけれど、さっきの既視感が訴える。こいつは、魔女だと。
「……で? あんたが魔女だとして、俺に何を言いに来た?」
「……そうか、君もやっぱり覚えてるんだね」
「覚えてるさ。あんたに煮え湯を飲まされたこともな」
「だからかい?」
「何が」
「彼女に近づくのは」
魔女がどんな思惑を持ってるかなんて知らないが、俺には関係ない。俺があいつのそばにいるのは、俺がそうしたいからってだけだ。
「いいや? 一人くらい味方がいたっていいじゃねーか」
みのるを取り巻く環境は良くない。王子が周囲の状況を鑑みずに行動するものだから、王子に好意を寄せるものは面白くないし、関係ないものはかかわり合いになりたくないと距離を置く。教師陣は王子のバックにあるものを見て下手な手出しすることを避けている。そうしてますます彼女は孤独になっていく。
俺にはそんな状況を放っておくことなんて出来なかった。正直チャンスだと思う疚しい心もあった。遂げられなかった思いを、ようやく叶えられるかもしれないと。
でもそれを抜きにしたって誰も救いの手を差し伸べない現状に無性に腹が立ったんだ。
「やめた方がいいって言っても君は聞かないよね」
「何故やめるべきなんだ?」
「彼女には多くの因縁がつきまとってる。君や俺みたいなね。どう転んでも面倒にしかならないよ」
「そうだろうな」
──だからって今更伸ばした手を突き返すことなんて出来るわけないだろう?
「……そうだね、彼女は確かに君の手を取った。取ってしまったからね」
魔女は少し寂しそうに笑って、好きにするといいとだけ言って去っていった。
全くもって余計なお世話だ。
俺も彼女も、昔とは違うのだから。




