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入れ替わり/涼子と知美


濃いグレーのパンツに、エンブレムのついた紺のブレザー、黄色いワイシャツにグリーンのストライプが入ったネクタイ。

皆川徹は、かの有名な“F&N”の扉の前に立っていた。

チェックのスーツを着た、小田切薫も一緒だった。

やがて、黒のパンツスーツを着た石川若葉いしかわわかばと白いミニスカートにベージュのジャケットを羽織った米村綾よねむらあやがやって来た。

「お待たせしちゃって申し訳ありません。」

若葉が、綾を指さして、付け加えた。

「綾が、何を着ていけばいいのか迷っちゃって、待ち合わせに遅れちゃったものですから。」

すると、綾も若葉を睨みつけて言い返す。

「だって、ドレスコードがあるから、おしゃれして行かなきゃって、悩んじゃったんだもの。」

しきりに頭を下げている綾を見て、亨は人差し指を顔の前に差し出して言った。

実は、薫が伸一に“F&N”がどんな店かを尋ねた時に、午後7時からはドレスコードがかかって男性はネクタイ着用、女性はスーツかジャケット、またはイヴニングドレスに相当するものを着用しなければ門前払いだと聞かされていたのだ。

「ノープロブレム!まだ時間はある。それに、もっと遅いヤツがあそこにいる。」

藤村知美が、辺りをきょろきょろ見回しては、地図と見合わせながら近づいてくるのが見えた。


 知美は、講義を終えてから、一度家に戻った。

この日は、結局、司とは一度も顔を合わせなかった。

洋子にあんな話を聞かされてからは、“気にするな”と言われても、気になって仕方がなかった。

だが、孝太とまた会えると思うと、そんな気持ちもいつの間にかどこかに消えてしまった。

 クローゼットの扉を開いたまま、しばらく立ちすくんで目の前にぶら下がっている服を着た自分を想像してみる。

「よしっ!決めた。これにしよう。」

知美は、黒いワンピースとお揃いのボレロを取り出した。

大きく背中が開いたその服は、父親が、大学に合格したお祝いにあつらえてくれたもので、従兄の結婚式の時に、一度来ただけだった。

こんな服、そんなときしか着る機会はないと思っていたが、いま、知美が持っている服の中では、いちばん高価で、大人びたものだった。

服を着替えて、鏡の前に立つ。

「なんか違うなあ。これじゃあ、まるでお葬式だわ。」

悩んだあげく、知美が選んだのは、薄手の白い生地に黒の花柄をプリントした、膝下までのスカートに、デニムのジャケットだった。

ちょっとカジュアルすぎるかな?とも思ったが、着ていく服のせいで、“お高い”イメージを与えるのは嫌だった。

少し、ヒールの低い白い靴を取りだし、玄関へ向かった。

 地下鉄の駅を出てから、しばらく地図を見ながら、どちらへ行けばいいのか迷っていた。

結局、お店を知っていそうな若いカップルに、尋ねることにした。

若いカップルは、たった今“F&N”に行って来たところで、今日は貸し切りだから行っても無駄だと教えてくれた。

知美は教えられたとおりの、道順を進んできたつもりだったが、一向に見つけることが出来なかった。

焦っているところに、聞き覚えのある声で話しかけられた。

「お嬢さん、どちらへ?」

振り向くと、司だった。

白いパンツに濃い青のジャケットを羽織っている。

司は、軽く笑みを浮かべながら、知美の手をとった。

「急がないと遅れちまうぜ!」

そう言って、司は、亨達の方を指差した。

“F&N”は目の前だった。

「まったく二人とも世話がやけるぜ。」

亨は、司に目で合図を送って、“F&N”の扉を押し開けた。

「お待ちしておりました。お客様。」

二人のウエイターが、亨達を迎えてくれた。

全員が店内にはいると、ウエイターの一人が外に出て、“close”の札を掛けた。

そして、奥の“VIP”ルームへと案内した。

小田切は、店内を見回して、「すごいなあ!」を連発していた。

若葉と綾も、雑誌などで見たことはあるが、実際に来たのは初めてだったので、キャアキャア騒いでいる。

もちろん知美もそうだった。

聖都の面々は、既に来ていた。

「ようこそ!CIPへ!」良介が亨達を迎えてくれた。

奥で、伸一が笑いながら、手を振っている。

伸一は、ジーンズにTシャツ、革ジャン、鵬翔は綿のパンツにポロシャツ、孝太もジーンズにTシャツだ。

温子は短めのスカートにデニムのブラウス、涼子はベージュのフレアスカートに襟なしのシャツとガーディガン姿だった。

望は、黒のパンツスーツで、良介は、ブレザーを着ていたが、ノーネクタイだった。

亨達は“どういうことだ?”と言うような顔で、入口に立ちすくんでいた。

そして、一斉に薫の方を見た。

「クソッ!かつがれた。」と薫。


 薫は、バドワイザーを一気に飲み干すと、向かい側に座っている伸一を睨みつけた。

もはや、上着も脱ぎ捨て、ネクタイも外し、ワイシャツは二つ目までボタンを外して袖をまくっている。

「バカにしやがって!よくもやってくれたな。」

伸一は、未だに笑いをこらえながら、かろうじて答えた。

「まあ、勘弁してくれよ。逆のパターンなら洒落にならないがな。それに、けっこう格好いいぞ。薫。あの娘らも可愛くてモテモテじゃないか。」

隣のテーブルでは、良介と鵬翔が若葉と綾、それに知美ををもてなしている。

亨と司は、望と涼子がいるテーブル席で談笑している。

「ひろせさんだっけ?」亨が涼子に尋ねると、望みが口をはさむ。

「うちは、“ひろせ”だらけだから、下の名前で呼んでちょうだい。彼女は涼子。涼ちゃんにしましょう。」

「そう言えば、お前のライバルも“ひろせ”だったな。」

亨が司の方を見て言う。

「ライバルって?」涼子が聞き返す。

「ああ、そう言えば、君は…涼ちゃんは、うちの藤村さんに本当によく似ているね。」

「そうですね。ボウリング場で初めてあったときにはビックリしたわ。」

「それで、ライバルってどういうこと?」

「失礼!こいつ、その藤村さんにメロメロなんだ。それが、あの日以来、藤村さんの心があいつんとこに行っちゃったんで、気が気じゃ…」

そこまで喋ったたところで、司が亨の口を押さえて弁解した。

「そんなんじゃないさ。俺はただ…」

そう言って、司は知美の方を見た。

「あら、やっぱりそうなのね!でも、見て分かるとおり、孝太君は温ちゃん(あっちゃん)とアツアツだから、気にすることもないんじゃない?そのうち彼女の熱も下がるわよ。」

望が、孝太達の方を目で指した。

司も、二人で話しをしながら飲んでいる孝太と温子の方を見た。

「ほらみろ!だから、そんなに思い詰めるなっていっただろう。」

亨が司の肩をポンと叩いて言った。

「そうかしら?藤村さんの気持ち、わたし、よく分かるような気がする。横山さん、藤村さんのこと、しっかり捕まえておいてあげないと、今のままじゃ…」

珍しく涼子が、熱い口調で話に割り込んできた。

望さえ、初めて見せる涼子の表情に驚いた。

「へぇ〜、あいつは、そんなに女たらしなのか?」

亨が、冗談めかして言うと、涼子はムキになって反論した。

「違うわ!孝太君はそんな人じゃないわ。だけど、藤村さんのことは、高校生の時からずっと、好きだったみたいだし…この間、再開してからちょっと変なの。今のままじゃ、温子がかわいそうだもの。」

「まあまあ、個人的なもめ事はその辺にして、もっと楽しみましょう。」

そう言って、望は席を離れた。

替わりに、鵬翔が若葉と綾を連れてやって来た。

「恋の悩みならボクが相談に乗るよ。」

そう言って、サングラスを外した。

雰囲気が、がらっと変わった鵬翔の顔を見て、若葉と綾は大いにうけた。

「キャア!鵬翔さんかわいい〜」

険悪なムードが一瞬にして変わった。

司は、白けた気分で席を立ち、知美の隣に座った。

良介の隣にいた望が、司にウインクして「しっかり!」と言うような目配せをした様に見えた。

涼子は、温子の隣に座って、孝太に「美大の女の子なんかに浮気しちゃダメだよ。」みたいなことを言うと、温子と二人で盛り上がり始めた。

孝太は、「やれやれ」と言う表情で席を立つと、温子に手を振り、トイレへ向かった。

孝太がトイレから出てくると、トイレ脇にある電話が鳴った。

VIPルーム用の内線電話だ。

「ど〜お?盛り上がってる?」

声の主はあすかだった。

「あらっ、孝ちゃん?レコーディングが早く終ったから、今からそっちに向かうよ。良介によろしく言っておいて。それから、温っちゃんにお土産があるから。」

「温子に?」

「そう!楽しみにしておいてって。」

孝太はトイレから戻って、温子を捜した。

温子は涼子と一緒に亨達の席に移っていた。

孝太は温子に、あすかの伝言を耳打ちした。

温子は、感激して、いつものハイテンション娘になった。

「さあ、盛り上がりましょう!皆川さん歌唄って下さいよ。」

若葉と、綾も亨の歌を聴きたいとせがんだ。

「よしっ!一丁やるか。吉川なんて、どうだい?」

孝太は、温子にウインクしてから、良介に「あすかさんが来るそうです。」そう伝えた。

「分かった!孝太、まあ、ちょっとここに座れよ。」

良介は、孝太を自分の隣に座らせた。

知美の前だった。

知美は、怒ったような表情で孝太を見ている。

さっき、温子に耳打ち話をしたのが、ここからだと、キスをしているように見えたのだ。

「広瀬君が、こういうところで女の子にキスをするような人だとは思わなかったわ。」

「キス?」

「そうよ!今、向こうのミニスカートの娘にキスしたでしょ?」

「違う、違う!伝言を伝えただけだよ。」

孝太は、必死に手を振って弁解した。

「藤生村さん、安心してよ。こいつは、そんなに大胆なことなんて出来ないよ。」

隣で良介が弁護してくれた。

「そうよね!昔からそう…」

そう言って、知美は顔を曇らせた。

そんな知美の表情を、司は複雑な心境で見守った。

良介は、そんな二人を見て、興味津々と言った顔で口を挟んだ。

「おやおや、なんだか意味深だねえ。そう思わないかい?横山君。」

不意に話しを振られて、司は飲んでいたカクテルをのどに詰まらせた。

ステージでは亨のワンマンショーが繰り広げられている。

望が、良介の腕を引っ張って、怒鳴りつけた。

「バカ!この鈍感男!」

良介がキョトンとしていると、ジーンズに黒のデザインシャツを着て、スポーツキャップを目深に被りサングラスを掛けた、あすかが入ってきた。

武蔵野台美術大学の連中は、まだ、彼女が、氷室あすかだと気が付いていないようだった。

手を振って、良介に挨拶をすると、あすかは温子の隣に座った。

「彼、だれ?なかなか、いい線いってるじゃない?」

そう言って、いきなり現れた女性はサングラスを外した。

ステージにいた亨が、歌うのを中断して叫んだ。

「ひ、ひ、氷室あすか!」

若葉と、綾も同時に「キャア〜」と悲鳴を上げた。

知美だけは、“我関せず”と言った感じで、久しぶり…と言うより、こうしてゆっくり話しをするのはたぶん初めて…の孝太との時間を惜しむかのように、話しを続けた。

司も、時折、話に割り込もうとするが、なかなか共通の話題にたどり着けなかった。

「どう考えても、同じ土俵じゃ分が悪い。こりゃあ、作戦を立てて、仕切直しだなぁ。」

司は、そう悟ると、席を立ち、亨達の席に移った。

入れ替わりで、温子が知美の隣にやってきた。

もちろん、孝太と知美が高校の同級生で、知美が孝太に好意を持っていることも知っていたので、偵察に来たといったところだった。

温子は、アニメの話しで知美の気を引き、孝太と知美が二人だけの世界に浸ることのないよう、その場の主導権を握った。

温子と知美の間では、緊迫した空気が張り巡らされている。

さすがに、この頃には、鈍感な良介にも、4人の四角関係が理解できるようになっていた。

「そういうことなのか?」

良介は、そっと、望に確認した。

そんな空気の中、温子と知美はお互いに、起死回生の逆転ホームランを狙っていた。

ちょうどその時、知美は、トイレに立つ涼子の姿を目にした。

知美は、ふと、ひらめいた。

「ちょっとごめんなさい。私、トイレに行って来るわ。」


 VIPルームのトイレは、かなり広かった。

黒い御影石が敷き詰められた床には、真鍮の目地棒で幾何学的な模様がデザインされている。

壁には、白い大理石が貼られていて、マーブル調のカウンターにはワインレッドの洗面ボウルが埋め込まれている。

二人が同時に入っても、充分、余裕がある広さだった。

 涼子が、鏡の前で、髪型を整え直していると、知美が入ってきて涼子の隣に並んだ。

「こうして見ると、本当によく似ているわね。」

鏡を見たまま、知美が言った。

「本当…なんだか、とても不思議。」

涼子も、鏡に映った自分と、知美を見比べながら言った。

「ねえ?」

知美は、ニヤッと笑い、涼子の方を見た。


 知美はトイレから出てくると、亨達の席に着いた。

ライバルの戦線離脱に、温子は、ホッとすると同時に、「勝った!」心の中で、そう思った。

しばらくして、涼子がトイレから出てくると、手を振って、「こっち、こっち!」と呼んだ。

涼子が来ると、温子は、席を一つずれて、孝太の前に来た。

さっきまで知美が座っていた席だ。

そして、涼子を隣の席に座らせた。

涼子は、席に着いたとき、温子に気付かれないように、孝太にウインクした。

孝太は、少し、違和感を覚えた。

「大丈夫だった?温子と、孝太君と、あの人が、3人でいたから心配だったんだよ。」

涼子は、温子を気遣った。

「全然!藤村さんって、とても素敵な人ね。きっと、高校生の時からもてたんでしょうね。」

温子は、一応、ライバルに敬意を表して、さりげなく孝太の気持ちを確認する。

「さあ…ほとんど喋ったことないから。今も、ほとんど藤村が一人で喋ってただろう?」

「それにしても、あの子、本当に涼子にそっくりね。同じ服を着ていたら、たぶん私でも見分けられないわ。」

温子の言葉に、涼子は、一瞬ドキッとしたが、すぐに落ち着いて頷いた。

「わたしも。さっき、トイレで一緒に並んで鏡を見てたんだけど、信じられなかったわ。」

「確かに、入学式の時、涼子ちゃんにあったときは驚いたよ。あの時はまだ、藤村とはクラスメイトだったからなあ。」

「わたし、その時の孝ちゃんの顔覚えてる!まるで、お化けでも見たような顔をしていたわ。」

「えっ?そんなことがあったの?」

涼子は、気が付かなかったと言って、ちょっと嬉しそうな顔をした。

「だけど、藤村さんは孝太君のことを、好きみたいな感じだったよ。」

涼子が誘導尋問とも言える質問を返す。

「そうだったのかもしれない。卒業式にメモを渡されたんだ。」

「えっ?何それ。ラブレター?そんな話し初めて聞くよ。」

温子は、ちょっと怒った声で、聞き返した。

「わざわざ、話すようなことではないだろう?それに、ずっと忘れていた。」

「なあ〜んだ。そうなの?」

温子は、ちょっと安心して、オレンジジュースを口にした。

「ちょっと待って。孝太君、そのメモ、まだ持ってるんでしょ?」

涼子に指摘されて孝太は焦った。

涼子のいうとおり、そのメモ…知美の東京での連絡先が書いてあるメモ…はまだ捨てきれないでいた。

「ま、まさか?とっくに無くなったよ。」

涼子は、孝太がそのメモをまだ持っているのだと確信した。

温子は、素直に孝太の言葉を信じているようだった。

孝太は、とりあえず、一安心といった顔で、グラスを口にしたが、思わず吹き出した。

自分のグレープフルーツジュースのつもりで飲んだそれには、アルコールが入っていた。

さっきまで、知美が飲んでいたグラスを間違えて口にしたのだ。

「孝ちゃん、大丈夫?」

温子が心配して、ハンカチをよこした。

温子のハンカチで口元を拭きながら孝太は呟いた。

「酒?これあいつの…」

「どうしたの?」そう言って、うつむいた涼子の口元に笑みが浮かんでいるのを孝太は見逃さなかった。

「…」やっと孝太は気が付いた。

良介や望、親友の温子でさえ気が付いていないようだが、今、温子の横にいるのは、涼子じゃない!知美だ。

「お前…(お前藤村だな!)」そう叫ぼうとした瞬間、知美が人差し指を口に当て“内緒”のポーズを取って、ウインクをして見せた。

良介は、望に、この前のホテルでの一件を責め立てられてこちらの様子には気が付いていたかった。

当然、望もそれどころではなかっただろう。

今、このことを知っているのは、孝太と知美、それに涼子だけに違いない。

知美は、孝太が、まだ自分のことを忘れてはいないということを確信して席を立った。


 「ねぇ?ちょっと服を交換してみない?ゲームよ!何人が入れ替わったことに気が付くか。面白そうじゃない?」

知美は、涼子にそう持ちかけた。

「そんなのダメですよ。すぐにばれちゃうって。」

涼子は、反対した。

そんな涼子に、知美はこう耳打ちした。

「広瀬君の本当の気持ちを確かめたいと思わない?あなた、広瀬君のこと好きなんじゃない?」

知美にそう言われて、涼子は動揺した。

孝太は親友の恋人だ。

そのことは充分に分かっている。

いや、分かったふりをしていただけなのかもしれない。

実際に、知美に言われて、動揺している自分がいる。

思い出してみれば、いつもそうだった。

温子とは正反対の性格。

親友同士でいつも一緒にいても、決して温子には影響されない。

マイペースで、自分は自分のつもりでいた。

むしろ、それは温子の方で、自分はいつも温子に振り回されていたのではないか?

最近そう思うことがよくある。

「広瀬君のこと好きなんじゃない?」

会ったばかりの知美に、心の中を見透かされていたと思うと、何も言えなくなってしまった。

涼子は、知美の申し入れを承諾し、服を着替えた。

それから、会話で困らないように、ある程度の情報を交換してから、まず先に涼子がトイレを出て、今まで自分がいた席に戻った。

表向きはは、涼子と入れ替わりで“知美”が戻ってきたことになる。

実際、涼子の時に、話を聞いていたので、“知美”になってからも、ある程度、話を合わせることが出来た。

どちらかと言えば、引っ込み思案の涼子が、積極的な知美を出すことに不安はあったが、演技と割り切ってやってみたら、以外とうまくいった。

途中、知美の方が気になったが温子ともうまくやっているようだったので、涼子は“知美”を演じることに専念した。

もはや、ゲームというノリでは無くなってしまったので、涼子も必死だった。


 知美の計画は、見事に成功だった。

涼子も、誰にも疑われずに、知美を演じることに成功した。

そして、孝太以外に、このことを知る者は誰もいないまま、二人は元に戻った。

その際、お互いが入れ替わっている間に誰とどんな話しをしたのかを確認しあった。

「ありがとう。大収穫よ。私にも、あなたにも、まだチャンスはあるわ。最終的に広瀬君が誰を取るかは分からないけれど、どうなっても、お互い恨みっこなしにしましょうね。それから、広瀬君にだけは、ばれちゃったから。ゲームとしてはあなたの勝ちね。でも安心して。広瀬君は、このこと温子さんには言わないわ。だから、あなたも余計なことは言わない方がいいと思うわ。」

「私からも言っておきたいことがあるんだけど…横山さんのこと。あの人、真剣にあなたのことが好きみたいですよ。」

「分かってるわ。でも、実感がないのよ。告白されたのはあなたが演じた“わたし”でしょう?確かに、親切で、いい先輩なんだけど、それ以上はないわ。そんなに気になるのなら、あなたが付き合ってあげれば?」

はっきりと、ものを言う、知美は温子に似ているような気もしたが、温かみのある温子とは違って、どこか冷たさが感じられるような気がした。

「藤村さんって、冷たいんですね。」

涼子に、そう言われると、知美は、弁解もせずにあっさり言い切った。

「そうかもしれないけれど、かわいそうだからって、いちいち付き合ってあげなければならないのなら、自分が本当に好きな人と結ばれることなんか、一生無理だわ。それに、情けで付き合うなんて、相手に対しても、よっぽど失礼だと思うわ。」

知美のいうことにも一理あるが、涼子には、知美の考え方が理解できなかったけれど、否定することもできなかった。

 知美と涼子は、席に戻った。

知美は、今まで涼子がいた席へ、涼子は知美がいた温子の隣へ。

涼子は、すぐに、孝太の顔を見た。

孝太は、何事もなかったかのように、涼子に目で合図をした。

すると、あすかが涼子のあとからやって来た。

涼子は、一瞬ドキッとしたが、あすかは温子にお土産だといって、封筒を渡した。

「あの席でこれを出したら、きっと、大騒ぎになると思ったから。」

温子は、知美とのバトル以来、気を抜けずにいたので、あすかの贈り物は絶好のタイミングだった。

中に入っていたのは、新曲の手書きの楽譜だった。

“万葉集”のメンバー全員のサインが書き込まれてある。

温子は、家宝にすると言って、カバンにしまった。

あすかは、チラッと涼子の方を見ると、ステージの方へ向かっていった。

アコースティックギターを手に取り、バラード曲を弾き語りで唄い始めた。


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