表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

昨日のカレーは愛情のスパイス入り


 部屋にはビートルズの“IN MY LIFE”が流れている。

孝太は、入学式の後“F&N”へ向かうとき、日比野が運転する車で流れていたビートルズのメロディーが耳に残っていたので、後日、日比野に聞いたのだ。

孝太もビートルズはもちろん知っていたが、曲は“YESTERDAY”しか知らなかった。

「アルバムを初めて買うなら、“RUBBER SOUL”がいいかなぁ。」と、日比野のおすすめで“RUBBER SOUL”を買ってきた。

バイトの金も入ったので中古のレコードプレーヤーも買った。

初めて買ったレコードには青リンゴのラベルが貼られていた。

B面には半分に切ったリンゴ。

 孝太は、待望の炊飯器に米をといで仕込んだ。

曲は“RUN FOR YOUR LIFE“に変わっていた。

アルバムの最後の曲だ。

冷蔵庫をのぞいたら空っぽだったので、食料を仕入れに行くことにした。

レコードプレーヤーのアームを固定して電源を切った。

レコードはそのままにして、白いパーカーを羽織った。

部屋を出て、ドアに鍵をしたとき、鉄骨の階段を上がってくる足音が聞こえた。

足音がする方に顔を向けると、温子が買い物袋を両手に抱えて上がってくるところだった。

「あっ!孝ちゃんどこ行くの?」

「ああ、ちょっと買い物…でも必要なくなったみたいだな。」

温子から買い物袋を受け取ると、閉めたばかりのドアの鍵を回してドアを開けた。

温子を先に部屋へ入れてから、自分も入った。

「ねぇ?これどうしたの?」

部屋に入ると温子がレコードプレイヤーに置かれたままのレコードを手に取り、聞いた。

孝太は、キッチンの流し台に買い物袋を置くと中を確認した。

タマネギ、人参、じゃがいも、豚のこま切れ肉…カレーの材料だった。

「買ったんだ。ほら、この前、事務長が車で聞いてたやつ。なんか気に入っちゃって。」

「ふ〜ん。ねぇ?聞いていい?」温子は言うより先に、アームをレコードにそっと降ろした。

アルバムの最初の曲“DRIVE MY CAR”が流れ始めた。

「昼飯は食ってきたのか?」

今からカレーを作ると、昼飯には間に合いそうにない。

「まさか、こいつのつもりじゃないよなぁ!」

孝太はそう言って、温子が抱えてきた買い物袋を掲げて見せた。

「それはそれ!お昼の分は、今、そこのおそばやさんに頼んできたわ。」

温子は孝太のアパートに来る途中、商店街のスーパーで買い物をした後、角のコンビニの隣にある“長寿庵”でカツ丼ともりそば、鍋焼きうどんを頼んで来たと言った。

「そりゃあ、気が利いてるね…って言うか、俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「そしたら、一人で全部食べるわ。」

「そうじゃなくて、部屋に入れないだろう?」

「それもそうね!そしたら、部屋の前に座って食べればいいでしょう?だけど、それじゃあ、ご近所に迷惑だから、そんなことがないように合い鍵をちょうだい!」

そう言って、温子は両手を会わせて“おねだり”のポーズをして見せた。

孝太は、あきれて、温子の手をパチンと叩いた。

そうこうしているうちに、長寿庵の出前が届いた。

B面の2曲目“GIRL”が流れ始めたところだった。

温子は自分で鍋焼きうどんを取り、孝太にはカツ丼と盛りそばを手渡した。


 部屋中にカレーのいい匂いが漂ってきた。

台所に立っているのは、もちろん孝太だ。

今夜、温子と“昨日のカレー”を食べるために、昼飯を食ったらすぐに支度にかかった。

一旦仕上げてから、夕食の時間まで冷ましておくためだ。

温子はカレーを作っている孝太の横に来て、鍋のふたを開け、カレーの臭いを一杯吸い込んだ。

「楽しみ〜!夕方まで時間があるから、散歩にでも行こうよ!」

「いい気なもんだなぁ。普通、こういうのって、女の子が彼氏のためにやってくれるもんじゃないのか?」

「そのうち、何か作って上げるわ。だけど絶対、孝ちゃんが作った方が美味しいよ!」

まあ、いつの話しか分からないけど、孝太は料理をするのも嫌いではないし、温子が喜ぶ姿を見るのも悪くないと思ったので、それ以上のことは言わなかった。

孝太は、カレーが仕上がったので、一旦、火を止めて、温子と散歩に出掛けることにした。

 駅とは反対の方角へ歩けば公園があるが、温子が「色々お店を見て回りたい」というので、駅前の商店街の方へ行ってみることにした。

途中、長寿庵の器を店に返して、駅前商店街を手前の端から見て歩いた。

孝太は普段、用のある店にしか行かないし、その殆どはスーパーなので、こうして一軒々々

みて廻ることなどなかったせいか、いろんな種類の店があることに驚いた。

駅までは、線路際に店がなく、通りの片側にだけ店が並んでいる。

まず、コンビニの隣が長寿庵で、もんじゃ焼きや、酒屋、薬屋、駄菓子屋、洋服屋、本屋、コンビニ、洋服屋、洋服屋、布団屋、八百屋、ラーメン屋、雑貨屋、喫茶店、ケーキ屋、和菓子屋。

ここまでが、駅のこちら側になる。

駅からまっすぐに延びる大通りを渡ると、そこから先は通りの両側に店が建ち並ぶ。

駅の脇に立ち喰いのそば屋、隣接したビルには居酒屋、和風の小料理屋、本屋、ハンバーガーショップ、洋風レストランなどが入っている。

その奥には木造2階建ての長屋のような住居兼店舗になっている店が建ち並んでいる。

向かい側のビルには、バーやスナックなどの飲み屋が入ったビルがいくつか建てられている。

 孝太と温子は、駅前まで来ると、右に曲がって大通りに入っていった。

デパートや大手のスーパーなどの他に、銀行や郵便局などの主要施設が集中している。

二人は、家電製品の大手量販店へ入った。

時間をつぶすには、この手の店がもってこいなのだ。

特に何かを買うわけでもないのだが、店員に“何にいたしますか?”などとつきまとわれる煩わしさもなく、新しい製品を見て回るだけでもけっこう満足感に浸ることが出来る。

温子は、今まで使っていたものが壊れたと言い新しいウォークマンを買った。

孝太は3口のコンセントと延長コードを買った。

 次に、レコード店へ入った。

孝太は、ビートルズのレコードが並んでいる洋楽のコーナーを探した。

今日は買うつもりはないが、“次に買うとしたら何がいいだろう?“などと考えながらレコードを手に取って見ていると、温子が耳にイアホンを差し込んできた。

孝太は一瞬ビックリしたが、聞こえてきたのはまだ聞いたことがない洋楽の曲だった。

温子がカセットテープのパッケージを見せてくれた。

ビートルズのベスト盤の赤だった。

流れている曲は“LOVE ME DO”だった。

「私も買っちゃった!」

そして、もう一方の手には青のベスト盤のカセットテープを持っていた。

 その後は二人でイアホンを片方ずつ付けて歩いた。

温子は、孝太の腕にしっかりと自分の腕を巻き付けている。

「少し休もうか?」

そう言って、孝太は路地の方に目をやった。

温子が孝太の目線の先を見ると“ホテルラガール”のネオンが見えた。

「いやだ〜、孝ちゃんったら何考えてるの?真っ昼間から〜。」

「昼間っからコーヒー飲むのがそんなに変か?」

そう言って孝太は路地の手前にあった喫茶店のドアを開けた。

「な〜んだ、そっちか。」

温子は、店に入る前に、ちょっと残念そうに路地の奥のネオンを見た。

 喫茶店を出ると、温子が孝太の腕をひっぱて指さした。

そこには“合い鍵”と書かれた看板を出している金物屋があった。

孝太は、アパートの鍵を取りだし店の店員に差し出した。

店員は馴れた手つきで、鍵を削っていく。

二人は感心しながら鍵が出来上がるのを見ていた。

温子は、合い鍵を手に取ると、嬉しそうにそれを眺めてからジーンズのポケットに突っ込んだ。

 その後、二人は大通りをそのまま進んでビジネス街に入る手前を右に曲がって、アパートの前の通りと交差するところにある公園にさしかかった。

ちょうど焼き芋やの軽トラックが通りかかったので、1本買って半分ずつを公園のベンチに座って食べた。

兄妹らしき男の子と女の子が、ブランコで遊んでいる。

お兄ちゃんの方が妹の背中を押している。

 温子は、ポケットから孝太の部屋の合鍵を出してうれしそうに眺めては鍵の凹凸を触っている。

「わたしね、鍵を持つのって初めてなの。家には必ず、おかあさんか、泊まり込みのお手伝いさんがいて、家に誰も居ないってことがないの。わたし、いい子にしていたから、夜遅くに帰ることもなかったから、鍵が必要なかったの。だから、うれしくて…」

ビルの影が二人の座るベンチの辺りにまで延びてきていた。

孝太は、そっと温子の肩を抱き寄せた。

「さあ、そろそろカレーが食べ頃かな。」

二人は立ち上がると、アパートの方へ向かって歩き出した。

ブランコには、もう兄妹の姿はなかった。


カレーの出来映えはまずまずだった。

温子が買ってきたカレーのルーは二種類のメーカーのどちらも辛口だった。

どちらかというと、辛いものが苦手な孝太はヒーヒー言いながらも2杯食べた。

温子は、辛いものが大好きだと言って、1杯と半分をぺろっとたいらげた。

「孝ちゃんのカレー美味しいわ。家で食べるのとは、また違った美味しさだわ。」

温子がティッシュペーパーで口元を拭きながらそう言うと、孝太は、コップの水を一気に飲み干してから言った。

「市販のカレールーを使って作るんだから、だれが作っても同じ味になるんじゃないか?」

事実、変わった味付けは何もしていない。

温子は、孝太の言葉を否定するように首を横に振りながら「そんなことないわ。もし、そうだとしたら、きっと、愛情のスパイスがいっぱい入っているんだわ。」

“愛情のスパイスか…”孝太は、微妙な違和感を覚えながらも、照れたように笑って見せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ