パーティーの後/あすかの企み
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“F&N”のテラスには西陽が差し込んで白いテーブルをオレンジ色の空気が染めている。
マイセンのティーカップを口に運びながら、楽譜に音符を描き込んでいる。
白いスポーツキャップの後から下がったポニーテールが揺れている。
おしゃれな黒縁の伊達眼鏡越しに、眉間のしわが時折のぞかせている。
氷室あすかは、アルバムのための曲を描いている。
春の風が楽譜をテーブルから持ち去って、新曲を吟味するかのように吹き付ける。
あすかは、あわてて押さえようとしたが、楽譜はひらりと宙に舞う。
その瞬間、細くて綺麗な指をした手が差し出され、楽譜をつかみ取った。
あすかが振り返ると、望が苦笑いしながら立っていた。
「少し肌寒くなってきたわね。“万葉集”のリードヴォーカルにはよろしくないんじゃなくて?」
楽譜をあすかに渡すと、望は、同じテーブルに座った。
「そうね。そろそろ中に入ろうかしら。」
あすかは、楽譜をA3サイズを二つ折りにした図面ケースにしまうと、望を見て微笑んだ。
「さて、それじゃあ、これからたっぷり聞いてあげるわね。」
望は、プイッと顔を背けるそぶりをして席を立った。
そして、二人は店内のテーブル席へ移った。
いちばん奥の、観葉植物に囲まれた席につくと、ウエイターがやってきた。
望は、マティーニをオーダーした。
「少し濃くしてくれる?」
あすかは、テキーラサンライズをオーダーした。
「…あと、モッツァレラチーズとサーモンのマリネをお願いね。」
オーダーを聞き届けると、ウエイターは軽くお辞儀をして下がっていった。
「その態度からすると、うまくいかなかったのね。」
あすかにそう切り出されると、望はテーブルに肘をつき顔をもたげて長い髪をかきむしった。
「良介ったら、頭に来ちゃう。」
それから少しの間、天井を眺めて、冷静さを取り戻そうとした。
カクテルと料理が運ばれてきた。
望は、マティーニを一口飲むと話しを続けた。
「お店にいたときは、あんなに元気だったのに、タクシーに乗せた途端に意識が飛んじゃって、ホテルについても一人で歩けないくらい…ホテルの人が二人掛かりでようやく部屋まで連れていったのよ。もう、それから先のことなんて言うまでもないでしょ!」
そこまで話すと、望は残りのマティーニを一気に飲み干した。
あすかも額に手を当てて、“やれやれ”という表情をして逆三角形をしたグラスを口に運んだ。
「ごめんなさいね。ちょっと飲ませ過ぎたみたいね…」
「も〜う!思い出しただけでも腹が立つわ。こんなにいい女と一夜を伴にしたというのに…」
良介はご機嫌だった。
乾杯とともにピンクのドンペリニオンを一気に飲み干すと、ウォッカトニックをオーダーしハイペースで3杯飲み干した。
次第に顔が赤くなり、ろれつが回らなくなってきた。
ステージに上がってギターを手にとり、明日香を誘って演奏し始めた。
ローリングストーンズの曲を2〜3曲やった頃には、ミラーボールがかすんで見えるようになった。
そして、ホールの真ん中に大の字になって寝転がってしまった。
温子と良子が心配して駆け寄ったが、「大丈夫!ちょっと休憩。」と言って立上り、ソファーに横たわった。
鵬翔と高倉は“やれやれ”という顔をしてカラオケの本を広げた。
鵬翔はレーザーディスクのリモコンを操作して、尾崎豊の“I LOVE YUO”を登録した。
鵬翔の歌声は甘く切なく、なかなかの歌唱力だった。
高倉は横浜銀蠅の“つっぱりハイスクールロックンロール”を熱唱した。
メンバー達にせっつかれて、温子と涼子は、あみんの“待つわ”を二人で歌った。
カラオケなど経験したことのなかった孝太は、西条秀樹の“YMCA”を直立不動で歌った。
すると、他のメンバー達もステージに上がってきて、Y・M・C・Aの振り付けをして、盛り上がった。
温子は、あすかを拝み倒し、一緒に“万葉集の”ヒット曲、“遙か”を男役で披露し、あすかに誉められると上機嫌で「私たちもバンドやろう!」などと孝太に持ちかけたが、孝太は取り合わなかった。
少し酔いが醒めた良介が、「腹が減った。」と言い、ウエイターに寿司を頼むように伝えた。
特上の寿司が大皿で三台届くと、その内のほぼ一皿分を一人でたいらげた。
腹が一杯になると次第に睡魔がおそってきたので、そろそろお開きにすることにした。
当初の作戦通り、あすかは他のメンバーを誘って、“万葉集”がアマチュアだった頃、出演していたライブハウスに行こうと持ちかけた。
時間はまだ九時を過ぎたばかりだった。
鵬翔と高倉は、それぞれ約束があると言って、店を出るとお互い手を振って反対方向へ消えていった。
温子と涼子は、良介のことを心配しながらも、あすかについて行く気満々になっていた。
孝太も、一人で帰っても仕方ないので同行することにした。
良介は、望の肩につかまりながらようやく店の外に姿を現した。
「お〜い!お前ら、二次会に行くぞ〜…あれっ?」
店の外には既に他のメンバーの姿はなく、発進しようとするタクシーの助手席から、あすかが手を振っているのが見えた。
良介は、ヨタヨタしながらタクシーを追いかけ、「なんだ?お前ら、付き合い悪いじゃないか。」と悪態をついて、足で蹴飛ばす仕草をした。
そして、望を振り返ると「望は付き合ってくれるよな?」そう言って、通りかかったタクシーに向かって手をあげた。
タクシーが止まった。
二人はタクシーに乗り込んだ。
「さて、どこに行こうか…とりあえず、六本木の方へやってくれ。」
運転手に指示をすると良介は望に寄りかかった。
5分もしないうちに良介は、熟睡してしまった。
「すいません。行き先を変えてもいいですか?プリンスホテルまでお願いしたいんですけど。」
望はタクシーの運転手に行き先を変更するように頼んだ。
運転手は、ちらっとミラーを見て酔いつぶれた良介を確認すると、控えめな笑みを浮かべて頷いた。
タクシーは程なく、プリンスホテルのアプローチに入っていった。
望みは、良介の体をゆすり「良介、着いたわ。起きて!」と怒鳴ったが、良介は一向に起きる素振りを見せない。
仕方なく、タクシーの運転手に手伝って貰い良介を引きずり出した。
ボーイがすかさず、そばに寄ってきて手を貸してくれたが、一人では手に負えないと思ったのか、一旦フロントの方へ駆け寄り、マネージャーを連れて戻ってきた。
「七瀬です。この人を部屋まで運んでおいて下さい。」
ボーイにそう言うと、タクシーの運転手にチケットを渡し、後を追った。
エレベータの前で、追いつくと、一緒のエレベーターに乗り込んだ。
マネージャーが、部屋のキーを望に番号が分かるように示すと、望は36階のボタンを押した。
部屋の前まで来ると、望はキーを受け取り部屋の扉を開けた。
良介をマスターベッドルームのダブルベッドに寝かせると、ボーイとマネージャーは、望に一礼して部屋を後にした。
とりあえず、望みはシャワーを浴びた。
良介は起きる気配が一向にない。
冷蔵庫からカンパリソーダを取り出し、一口飲んだ。
しばらくの間、ベッドで横たわる良介を見ていた。
時折、寝返りを打っては、なにやらうめいている。
「これじゃあ、何のための作戦だったのか分かりゃあしないわ。」
そうつぶやくと、ゲストルームのベッドに一人で潜り込んだ。
明け方、目が覚めた良介は、一瞬、ここがどこで、どうしてここにいるのか理解できなかった。
時計を見た。4:56。
夕べのことを冷静に思い返してみる。
“F&N”を出て、誰もいなくなったから望とタクシーで六本木に行こうとした。
タクシーには確かに乗った覚えがある。
それから先の記憶がどうしても思い出せない。
「望はどうした?」
良介はマスターベッドルームから出て、キッチンに向かい、冷蔵庫からコカ・コーラを1本取り出した。
栓抜きで、線を開けると、一口飲んだ。
カウンターに飲みかけのカンパリソーダがある。
口紅の跡がついている。
どうやら、望も一緒にここへ来たことは間違いないようだ。
ゲストルームの扉を開ける。
望は一人で寝ている。
そっとドアを閉めると、コカ・コーラのビンを持ってバルコニーへ出た。
空はうっすりと明るくなりつつある。
外の空気は、まだいくらか肌寒い。
コカ・コーラを一気に飲み干してから、マスターベッドルームへ戻った。
少し頭痛がする。
「やっちまった。」
そうつぶやいて、再びベッドに潜り込んだ。
アラームがなった。
8:30。
望は、ベッドから出ると、服を着替えてマスターベッドルームの扉を開けた。
「良介、起きてる?私先に帰るわよ。」
良介からの応答はない。
そのまま、マスターベッドルームの扉を閉めるとバッグを手にとり、部屋を出た。
フロントで精算を済ませると、地下鉄の駅まで歩いた。
良介は眠っていたわけではない。
ばつが悪くて寝たふりをしていたのだ。
部屋のドアが閉まる音を聞き届けてからバスルームに入っていった。
あすかは、モッツァレラチーズをひとかけら摘むと、口に放り込んだ。
「それで良介をおいて一人で帰ってきたわけね。」
「そう!あなた達の作戦は見事に失敗したわ。」
望は二杯目のマティーニを飲み干した。




