F&N/日下部家と七瀬家
3
門には『昭和六十年度聖都大学入学式』と書かれた看板が立てかけられていた。
その付近には、真新しいスーツを身にまとった新入生とその父兄達で賑わっている。
本館までの桜並木は満開となり、桜吹雪を散らして彼らを歓迎しているようだった。
CIPのメンバーは、講堂のステージ上で最後の調整を行っている。
高倉と鵬翔はCIPのロゴが入ったスタッフジャンパーを羽織っている。
日下部と七瀬望はブレザーを着ている。
日下部が、両手を頭上で大きく会わせ、○(OK)のサインを出した。
「オーケー!伸一と晃は引き続き、学食の方へ廻ってくれ。恵はケータリングの確認と荷受けを頼む。」
「イエッサー!」高倉と鵬翔は声を揃えてそう言うと、歓迎会の会場となる学生食堂がある厚生棟の方へ向かっていった。
望は良介をにらみ返し、「誰に向かって物を言ってるのよ!ぬかりないわよ。」そう言うと、孝太達三人に近づいてきて、「ご苦労様ね。式典が終わったら、一旦、部室に来てね。」と告げ、式典に出席する教授達を呼んでくるため、本館の方へ歩いていった。
「お〜怖っ。君達にはあんな風になって欲しくないなあ。」
良介は温子と涼子に向かってウインクをした。
講堂には、式典に出席する新入生や父兄達が、ぼちぼち入ってきていた。
「さあ、そろそろ時間だ。君達も席について。式典が終わったら部室で待機しておいてくれ。」
望が教授達を引き連れて戻ってきたので、日下部は恵と共にステージ脇の機械室へ入っていった。
孝太達も席に着いた。
席に着くと、温子が孝太に「孝ちゃんのお母様は来ているの?」と、聞きながら後の方を気にしている。
両親の姿を見つけると、「うちは、両方とも来ているわ。」と、最前列の中央に陣取った両親を指し示し手を振った。
孝太は、ちらっと振り返り「うちは遠いし、仕事休めないから。」と、そう言って温子の両親を確認した。
温子の両親は品が良く、“仲の良さそうな夫婦”といった感じがした。
父親とおぼしき男性は、濃紺のダブルのスーツを着こなしている。
体格が良く、柔道でもやっていたのだろうというようながっちりとした体つきだった。
母親はベージュのスーツで胸元には値の張りそうなコサージュを付けている。
髪をアップにして、やや後の方で束ねている。
温子は孝太の母親の顔を見ておきたいと思ったが、「そっか…」と残念そうにつぶやくと、今度は涼子の方を見て「涼子のお母さん来てるよ。」と一人ではしゃいでいる。
マイクのスイッチが入る音がすると、ポンポンとマイクを叩いた後「アーアー」とマイクが入っていることを確認する声が聞こえた。
場内に緊張と静寂が走り、事務長の日比野貴が、開会を告げた。
事務長は式次第に沿って式典を進めていった。
国歌斉唱、校歌斉唱、学長挨拶。
学長の宮田誠一郎は、本館のホールに鎮座する銅像にそっくりだったが、ひげは生やしていなかった。
式典は厳かに執り行われ、第一部の終了を向かえた。
一呼吸置いて、静かなBGMが流れ始め、日下部良介がマイクを手にステージ上に現れた。
正面まで進むと、深くお辞儀をし、「おめでとうございます。これからは在学生による第二部を開催いたします。」そう告げると再びステージの袖に引っ込んだ。
と同時に、BGMが一変し活気のある曲調に変わった。
すると、倶楽部のリーダーらしき人物達が一斉にステージに現れ、聖都大学応援歌を歌い始めた。
歌い終わると、各倶楽部の代表が順番に「野球部主将、松本直樹、今年こそリーグ優勝目指して頑張ります。皆さんの応援で盛り上げて下さい。」というように、自己紹介と抱負を述べていった。
ステージの後のスクリーンには、発言している倶楽部の活動風景のスライド画像が流れていた。
一通りの紹介が終わると、再び日下部良介が登場し、この後の歓迎会の趣旨を説明した。
説明し終わると、マイクを日比野に返し、受け取った日比野は式典の終了を告げ、退場を促した。
歓迎会は強制ではないので、父兄と一緒にお祝いの食事などをするものは、そのまま大学を後にした。
CIPのメンバーに入った温子と涼子は、それぞれ両親と母親に事情を説明し、先に帰って貰うことにした。
温子の母親はすごく残念そうだったが、父親が「小学生じゃないんだから…」と母親を説得し、温子に手を振って二人で大学を後にした。
涼子も母親に来て切れたことに礼を言うと、孝太、温子と共にCIPの部室がある厚生棟へ向かった。
部室に戻ると七瀬望が待ちかまえていた。
「さあ、これを着て!」
そう言って、高倉や鵬翔が着ていたものと同じスタッフジャンパーを手渡された。
望も上着を脱いで同じものを着ていた。
良介は、奥の応接セットで誰かと談笑している。
良介は孝太達が戻ってきたので「やあ、入学式はどうだった?」と声を掛けた。
すると、良介と談笑していた女性が振り返った。
その女性の顔を見たとたんに温子が興奮して声を上げた。
「きゃっ!氷室あすか。」
彼女は、今、最も人気があり、男女のツインヴォーカルが売りのロックバンド“万葉集”の女性ヴォーカルだ。
温子は彼女の大ファンだった。
涼子も驚いて目を丸くしている。
孝太は、彼女も“万葉集”も知らなかったので呆気にとられていた。
温子と涼子の反応に満足した良介は、氷室あすかに「さすが、あすかちゃん。人気者だねぇ。」と、ひたしげに声を掛けた。
望が孝太達に、「あなた達、今日はこの後、彼女のアシスタントをして貰うから。」そう告げると、温子は信じられないと言う表情で孝太の肩をポンポン叩いた。
良介曰く、彼女とは遠い親戚にあたるそうで、プライベートではよく酒を飲んだりする仲なのだそうだ。
彼女は、良介の依頼で今日の歓迎会のシークレットゲストとして来てくれたと言うことだった。
「うれし〜い!万葉集と競演できるなんて最高!」
無邪気に喜んでいる温子に、望が釘を差した。
「誰が競演するって?勘違いしないでちょうだいね。アシスタントといっても護衛みたいなものよ。それに、万葉集ではないわ。今日は彼女一人なの。分かったら、さっさと支度をしなさい。」
そう言って温子をにらんだ。
「すいませ〜ん。」
温子は望の視線を避け、孝太の後に隠れた。
「そろそろ時間だから行くわよ。良介。男の方の“ひろせ”君。君は彼女の出番が来るまで、ここで待機していてちょうだい。女の子の“ひろせ“さん達は私たちと一緒に来てちょうだい。」
孝太と氷室あすかを残して、望達は部室を後にした。
温子も、後ろ髪を引かれる思いで従った。
学生食堂は歓迎会に出席する新入生と、歓迎する側の在学生でほぼ満席になっていた。
会場となる学生食堂は、入り口の両側にメニューのサンプルが陳列されたケースがある。
向かって右側はラーメンなどの中華と和食が、左側には洋食のメニューが並べられており、その種類はデパートのファミリー食堂並みだ。
入り口を入ると、左側に券売機が4台、右側にはジュースとタバコの自動販売機が置かれている。
テーブル席との間には1メートル50センチほどの高さの観葉植物が植えられたプランターがいくつも置かれて仕切られている。
プランターの壁を左へ回りこむと、その左手にジャンル別に分かれたメニューを受け取るためのカウンターがあり、カウンターの奥が厨房になっている。
テーブル席は6人ずつ向かい合わせで12人分の席がある。
それが5列ずつ4ブロックある。
テーブル席の奥にはステージがあり、簡単な音響設備とカラオケの機会がある。
そして、壁面にはスクリーンが設置されている。
日下部良介と七瀬望はこのカウンターの前を奥のステージへ向かって歩いていく。
温子と良子も二人の後に続く。
演題の脇には高倉と鵬翔が既に控えていた。
演題の前に日下部良介が立ち、マイクのスイッチを入れた。
「静粛に…」良介が第一声を放ち、会場内が静まり返るのを確認して続けた。
「…これから皆さんの歓迎会を開催します。聖都へようこそ!本日司会を務めさせていただくCIPの日下部良介です。宜しくお願いします。そして、このイベントの準備を一緒にやってくれたCIPのメンバー紹介します。」
そう言って、良介は外の6人を紹介した。
「今日は、君達がこれからここで楽しく過ごしていくために先輩達が何でも教えてくれるから、遠慮なく聞くといい。それから、豪勢とは言えないが料理と飲み物も用意してある。但し、浪人して二十歳を超えた新入生以外はアルコール禁止で頼む。」
ジョークを交えた良介の挨拶に開場はどっと沸いた。
「今日はみんなのために特別ゲストも控えているので、後ほどそちらの方でも楽しんでいただけると思います。それでは以後、無礼講ということで…」
良介の挨拶が終わると、開場にはアップテンポの曲が流れ始めスクリーンには聖都の各施設やクラブの活動の様子を紹介する映像が映し出された。
部室で氷室あすかと待機していた孝太は、どうしていいのか分からず、ただ無言で入口のドアの前に立っているしかなかった。
しばらく何とも言えない気まずい雰囲気が続いていたが、あすかが孝太に声を掛けた。
「ねぇ?さっき望ちゃんが男の“ひろせ”とか、女の“ひろせ”とか言っていたけど、どういうこと?」
突然だったので孝太はビックリしてあすかの方を見た。
あすかはソファーの背もたれに両手を添えて上半身だけ孝太の方に向き直って微笑んでいる。
「え〜と…その〜…つまり…」
緊張してしどろもどろの孝太に、あすかはソファーの方へ来るように促した。
「いいから、とりあえず、こっちへ来て座りましょうよ。ねっ!」
孝太はあすかの向かい側に座り質問の返事の続きを喋り始めた。
「僕たちは今年入ったばかりの新入生なんですが、三人とも名字が“ひろせ”なんですよ。だけど親戚でも何でもなくて、本当に偶然で…」
あすかも外のメンバー達と同じように驚いて浩介の話を聞いていた。
それから、色々と聞かれたことに答えていた。
孝太があすかや“万葉集”を知らないと言うと、あすかが怒り出すかと孝太は心配だったが、以外にも笑って「私たちもまだまだね。」と言ってくれたので安心した。
一時間ほどそんなやり取りをしていると、突然電話の呼び出し音が鳴り響いた。
孝太はビックリして辺りを見回すと、良介の机の上に電話があった。
この部屋に電話があることに、初めて気が付いたのにもまして、部室に電話が引かれていることに驚いた。
あわてて、受話器を持ち上げると望の声が聞こえてきた。
「孝太君?そろそろ彼女を連れてきて。」
受話器を置くと孝太はあすかの方を見た。
あすかは既に立ち上がっていた。
「それじゃぁ、ご案内します。」
そう言うと、孝太は部室を出て、いつもとは逆の方へ向かった。
望の指示でそうしたのだ。
非常口を出て、外階段を下りると、厨房の通用口があり、そこから入って厨房を通り抜けステージ脇へ来るように言われたのだ。
二人が厨房を抜けて、ステージ脇のスゥイングドアの手前まで来たときにあすかを紹介する良介の声が聞こえた。
「それでは、皆さん本日の特別ゲストにご登場願いたいと思います。何があっても落ち着いていて下さいね!では、どうぞ!」
良介がタイミングを見計らって、スゥイングドアの方を向いて合図した。
「ありがとう!それじゃあ行って来るわね。」
あすかは、孝太に礼を言ってウインクして見せた。
あすかがステージに登場すると、場内は騒然として一気に絶頂を迎えた。
BGMが“万葉集”のヒット曲に切り替わり、スクリーンにはライブのビデオが映し出された。
「初めまして。氷室あすかです。みなさ〜ん、聖都大学ご入学おめでとうございます。」
あすかのトークの間中、開場は興奮のるつぼとかした。
後の席にいた学生達は前へ前へと押し寄せ、高倉と鵬翔を始め運動部の面々が最前列でこれらの学生達をガードしなければならないほどだった。
あすかのトークは絶妙だった。
次第に気持ちも盛り上がってきたので、今日は歌わないはずだったのに、最後に一曲だけアカペラでバラード局を披露してくれた。
あすかが厨房へ引き上げてくると、孝太と高倉が厨房の通用口まで誘導し、その後は温子と涼子が変装して、数人のガード役の学生達と時間をおいて抜け出した。
何人かの学生が彼女たちの後を追ったが、あすかではないと分かると諦めて引き返していった。
その間にあすかは服を着替え、男装して、裏門から手配してあったタクシーで引き上げた。
歓迎会が終了して、後片付けをしている間中、温子は上の空で仕事にならなかった。
日が暮れて、辺りが暗くなった頃、ようやく後片付けが終わった。
良介はメンバーを集め、「ごくろうさん」と労をねぎらった。
一旦、部室に戻ってから、メンバーによる孝太達の歓迎会をやるために、良介が予約している店へ移動することになった。
「まさか“大学堂”じゃないですよね?」
温子が尋ねると、望が答えた。
「まさか!今日は特別よ。さあ、早く乗ってちょうだい。」
そう言って、望は駐車場のマイクロバスを指し示した。
マイクロバスの中は、ちょっとしたバーさながらの内装が施されていた。
メンバー全員が乗り込んだのを確認してから、良介が最後に乗り込んできた。
運転席には、事務長の日比野が座っていた。
「タカさん、それじゃあ、お願い。」
そう言って、良介は日比野に白い封筒を手渡した。
「おやすいご用だよ。どうせ帰り道だし。まあ、あまり羽目をはずしすぎるなよ。」
そんなやり取りをしてから、日比野は車を出した。
良介は席に着く前に冷蔵庫から缶ビールを取りだし、高倉と鵬翔に投げてよこした。
「君達は何がいい?」孝太達に聞き、孝太は缶コーヒー、温子と涼子はオレンジジュースを貰うことにした。
それぞれに飲み物が行き渡ると、良介はカクテルの小さなボトルを望に渡して、隣に座った。
「それじゃあ、みんな、今日は本当にお疲れさま。とりあえず乾杯しよう。」
一同、感を掲げて「乾杯!」
BGMにはビートルズが流れている。
「先輩、この車って事務長のものなんですか?」
涼子がそう尋ねると、「いや、車はボクのだが、使わないときはタカさんに預けてあるんだ。その替わり、こういうときには協力して貰う契約でね。」と良介が答えた。
「事務長と、良介のお父様は聖都の登山部で先輩後輩の仲なのよ。」望が付け加えた。
車は首都高速に入り、多少渋滞していたものの、三十分ほどで、目的地に着いた。
店は、周りに有名高級ブランドを扱うブティックや洋風建築のしゃれたバーなどが建ち並ぶ、おしゃれで、且つ、高級な雰囲気が漂う通りの中ほどにあった。
凝ったデザインの白いフェンスの向こうに、オープンデッキのテーブル席がいくつかあり、入り口のゲートをくぐると、緩やかなカーブを数段上る階段になっていて、そこには黒い御影石が敷き詰められている。
その奥には大きな扉があった。
扉はステンレスのフレームにブロンズ色のガラスがはめ込まれている。
庇に埋め込まれた間接照明が、柔らかな光とともに、来店者をやさしく迎え入れようとしているかのようだ。
扉のガラスには、アルファベットで“F&N”の文字が白いカッティングシートで貼られている。
扉を開けて店に入ると、二人のウエイターがお辞儀をして迎えてくれた。
その奥に、この店の主人と思しき女性が待ち構えていた。
彼女はシックな黒いドレスを身にまとい、妖艶な雰囲気を漂わせていた。
「お待ちしておりましたよ。良介さん。」
良介は右手を軽く上げて応え、みんなを引き連れて店の中へと入っていった。
店にはいると、両側に、待合室のようなスペースがあり、迎えてくれた女主人の後には、もう1枚、天井まである、大きな木製の扉があった。
木製の大きな扉を開けて店内に入ると、正面にレジカウンターがあり、カウンターの後ろには、さまざまな種類のワインが並べられている棚がある。
更にその奥が厨房になっているようだった。
店内の内装は、白を基調にした明るい空間に観葉植物のグリーンと暖色系の間接照明でアクセントがつけられている。
所々に海外の有名画家の絵が飾られている…飾られていると言うよりも、店と一体化している。
おそらく、どの絵も数十万で済む物ではないのだろうと、孝太は思った。
レジカウンターを左へ進むと、通路の左側のスペースには4人掛けのテーブル席がいくつかあり、天井まであるガラス窓の外が、先ほど見えたオープンデッキになっている。
外に客の姿は見あたらない。
どうやら今日は良介が貸し切りにしているらしい。
通路の突き当たりが化粧室になっていて、その手前右側にVIPルームの入口がある。
アーチ型の入口を入ると、黒いレザーを貼った分厚い扉があり“VIP”の文字が書かれた金のプレートが付けられている。
VIPルームは30帖程もあろう広いスペースを、ボックス席が取り囲むように設置されており、中央部分はダンススペースとも言うべき空間になっていて、天井にはミラーボールがぶら下がっている。
奥には小さなステージがあり、ギターやドラムセット、キーボードなどの楽器が置かれている。
更に、レーザーディスクのカラオケ機が備え付けられていて、その脇にはDJブースまで設けられている。
黒とシルバーを基調にした内装にブルー系の間接照明が調和して、リッチで落ち着きのある空間を演出している。
BGMにはイーグルスのホテルカリフォルニアが流れていた。
部屋に入ると、氷室あすかがシャンパンの入ったグラスを掲げて迎えた。
「遅い、遅い。待ちきれなくて先にやっちゃってるよ。」
良介は、両手を会わせて「ごめん、ごめん。高速の出口でちょっともたついちゃって。」と詫びて、あすかの隣に座った。
続いて望がその良介の向かい側に、高倉と鵬翔は良介達の奥隣のボックス席に並んで座った。
言うまでもなく、温子は良介と反対側のあすかの隣に陣取った。
孝太と涼子は高倉と鵬翔の向かい側に並んで座った。
テーブルの上には豪華なオードブルが並んでいる。
全員が席に着くと、ママの奈津美が先ほどのウエイターを従えてドンペリニオンのボトルとシャンパングラスを運んできた。
奈津美は望の隣に座るとウエイターに合図をした。
それぞれのグラスに、そのピンク色のシャンパンを注ぐと良介が立ち上がって簡単な挨拶をしたあと、乾杯の音頭をとった。
乾杯が終わると奈津美は望になにやら耳打ちしてから、「それではどうぞ、ごゆっくり。」と言い残し席を立った。
向かい側の席では、あすかが望にウインクをしてみせた。
七瀬奈津美は、望の10歳ほど年の離れた義理の姉だ。
母親は同じだが、父親が違う。
二人とも戸籍上は同じ父親と母親の間に生まれたようになっている。
母親の芙佐子は、望みの父親である恵一と結婚する前に良介の父親である日下部良太郎の秘書をしていた。
小さな広告代理店から始めて、一代で国内トップクラスの会社に押し上げた日下部良太郎は、仕事もやったが、会社が軌道に乗ってくると、金に糸目をつけずに遊び歩いた。
その頃芙佐子はまだ大学生だったが、良太郎が企画した有名お嬢様学校とのお見合いパーティーで良太郎に見初められ、秘書として良太郎の会社に採用された。
良太郎は商談の場には必ず芙佐子を同席させた。
プライベートでもかなり親密な仲になっていた。
だが、良太郎は会社をさらに大きくするために、得意先の一人娘と婚約した。
芙佐子は、黙って身を引いたが、そのとき既に芙佐子のおなかの中には奈津美いた。
もちろん、父親は良太郎に他ならない。
良太郎は、芙佐子と別れたものの、芙佐子を愛する気持ちまで切り捨てることは出来なかった。
そこで、芙佐子に密かに想いを寄せていた部下の七瀬恵一に託すことにした。
恵一はすべての事情を知った上で、それでも、芙佐子と一緒になることを望んだ。
七瀬恵一は良太郎と違って、真面目を絵に書いたような男だった。
しかし、芯が強く良太郎とは何かと衝突することも多かった。
恵一はマーケティングにおいては良太郎も一目置くほどのスペシャリストだった。
良太郎も恵一を信頼して、重要な商談においては恵一の意見を無視することが出来なかった。
恵一は、商談の席で、いつも良太郎に同行していた芙佐子に、いつしか惹かれるようになっていた。
芙佐子は、夫として、父親として生涯を伴にするのなら、七瀬のような男の方が良いと判断した。
一人で奈津美を育てていくことも考えてみた。
おそらく良太郎は、充分な援助をしてくれるだろう。
しかし、父親の存在は必要だ。
それが実の父親ではないとしても…
七瀬は夫としても父親としても申し分なかった。
会社の方は相変わらず忙しかったが、極力家族と過ごす時間を作ろうと努力していた。
会社が今の地位を確立してからは、良太郎の片腕として専務職にまで昇進を果たした。
この頃から、多少の余裕が出来た。
そして、望が生まれた。
“F&N”は良太郎が芙佐子と奈津美のためにオープンした店だった。
“F&N”のFは芙佐子、Nは奈津美のイニシャルから取ったものだ。
奈津美は、望とも良介とも異母兄弟になるが、望みは良介と血のつながりはない。
良介の父、良太郎は大手製薬メーカーの一人娘、香苗と結婚してからも、相変わらず豪遊を続けていた。
数人の愛人もいたが、結婚してからは一線を越えることはしなかった。
香苗との結婚は、ある意味、政略結婚とも言えたが、香苗の方が良太郎を、ことのほか愛していたので、いつしか良太郎も妻としてではなく、一人の女として愛するようになっていた。
そして、良介が生まれてからは、一切の豪遊を慎むようになった。
恵一の助言もあったのだが、父親としての自覚と共に、我が子のために今の会社を出来るだけ大きくしておきたいと思うようになったのだ。
元々、一代で築き上げた会社であったため、“今が楽しければ、それでいい”というような考え方をする性格だった良太郎は、広告のキャッチコピー一つをとっても、クライアントの企業イメージとはかけ離れた文句を打ち上げ、それがまたヒットした。
何事にも恐れを持たず、ひたすら自分の感性だけで突き進んできた。
“宵越しの金は持たない“それでも使い切れないくらいの金が転がり込んできた。
芙佐子と出会ったのはそんな頃だった。
良太郎に金目当てで近づいて来る女は五万といた。
芙佐子はそんな女達とは少し違っていた。
家柄こそ、そこそこの、いわゆる上流階級とまでは行かなくても、それに近いものだった。
故に、金に対する執着心もなかったが、なによりも良太郎が気に入ったのは自分を特別扱いしないところだった。
香苗と結婚してからも、部下の七瀬共々ホームパーティーに招いたりして交流を保ち続けていた。
決して、お互いが、ぎくしゃくすることのないよう、七瀬を立て、七瀬の妻としての芙佐子を敬うように、心がけていた。
奈津美が二十歳になったとき、七瀬に言って奈津美のために“F&N”をオープンさせた。
芙佐子は、最初良太郎の申し出を断ったのだが、奈津美がどうしてもやりたいと言うので、芙佐子本人は、店には顔を出さずに、全てを奈津美に任せるという条件で申し出を受けることにした。
奈津美は、自分の本当の父親が良太郎だということを、高校を卒業したときに両親から聞かされて知っていた。
その時は、相当落ち込んでいたが、良太郎の血が濃いのか、“悩んでいても仕方がない”と前向きに考えることに決めたのだった。
望はそのことをまだ知らない。
小さい頃から、家族同士で付き合っていたので、“腐れ縁”とは言え、望がいつしか良介に対して男友達以上の感情を持つようになったのは当然といえば当然の結果だった。
奈津美は、そんな妹の気持ちを良く理解していた。
また、弟の性格や人柄も知り尽くしていた。
良介も、“F&N”の常連ではあったが、聖都の入学式の後、CIP歓迎会を“F&N”で行うよう提案したのは奈津美だった。
この日は、一足先にやって来た氷室あすかにも協力して貰い、望と良介を正式に恋人同士と呼べるような関係に持ち込もうと打ち合わせしていた。
作戦はこうだ。
あすかが良介を酔わせてしまう…あすかは酒がものすごく強い…。
そして、他のメンバーを引き連れて、とっとと消えて貰う。
酔っぱらって取り残された良介を、望が介抱しながら、奈津美が予め予約しておいたホテルへ連れて行かせる…そんな作戦だった。
乾杯が終わると、奈津美は望の耳元でささやいた。
「今日こそ、良介君をものにしちゃいなさい。あすかちゃんも協力してくれるから…それと、プリンスホテルのスゥイートを取ってあるわ。」そして立ち上り、良介に向かって言った。
「それではどうぞごゆっくり。」
そしてその場を後にした。




