もう一つの恋/司と洋子
15
知美は、いつものように、教室で、洋子とコンピューターの画面を眺めていた。
「ねえ、どんな感じ?」
「なにが?」
「ムササビよ!」
「すごいわよ!佐々木純子。あの若さでカリスマ的存在でいられるわけがよく分かったわ。」
「そんなにすごいんだ?」
「もう、言葉では説明できないわね。あのすごさは。」
「それって、なんか、話しをするの面倒くさがってない?」
「うん!そうね。半分はそうかな…でも、半分は、何というか、本当に説明できないの!」
二人は、コンピューターの画面からは目を離さずに、軽快にキーボードを操作している。
「ところで、彼とは、その後、どうなの?」
「彼って?」
「聖都の彼よ。孝太っていったっけ?」
「まだまだ、かな…でも、諦めないわよ。三年間、待ったんですもの。孝太君あの子とは、元々合わないと思うわ。だから、もう少し待つわ。」
「以外と、一途なのね。」
「以外とって、どういう意味よ?」
「あなたって、信長タイプだと思っていたのよ。」
「信長?」
「そう!とても家康タイプには見えないもの。」
「家康?」
「あら、知らないの?」
「知ってるわよ!ホトトギスでしょう?」
「なんだ、知ってるんじゃない。」
「失礼ね。そのくらい知ってるわよ。洋子が、そんな例え話をすることが、私にとっては意外だわ。」
「私、日本史、大好きなの。NHKの大河ドラマは欠かさず見ているわ。」
「ほー、大河ドラマは私も大好きでね。」
いきなり、二階堂教授が、後から声を掛けた。
二人は、ビックリして、振り向いた。
「先生、忍者になれるわよ。」
洋子の言葉に、二階堂教授は、笑って答えた。
「君達こそ、私が近づいて来たことにさえ気が付かないほど集中していたのなら、すぐにプロのグラフィックデザイナーになれそうだな。と言うより、漫才師にでもなった方がいいかな。」
中庭を囲むように建てられている校舎の東棟二階部分にある渡り廊下を進むと、高台になっている中央広場がある。
そのほぼ中心に位置するのが“サンライズ”と、学生達に呼ばれている、コミュニティースペースだ。
1階には、売店や図書室、卓球やビリヤードが出来る娯楽施設などがある。
2階は、学生食堂になっており、床面積の3分の1を占めるオープンテラスは開閉式の屋根がついている。
テーブルの椅子を向かい合わせて、三列ほど並べて仰向けに寝転がっていた横山司は、開放された屋根から、わずかに射し込んでくる夕日の光を、避けるように、顔に雑誌を被せた。
その瞬間、何者かが雑誌を取り上げ、替わりに自分の顔で日陰を作った。
河合洋子だった。
「もう、日が暮れるわよ。」
洋子は、そう言って、司のおでこにキスをした。
慌てて、起きようとした司は、バランスを崩して、向かい合わせにした椅子と椅子の間に、回転しながら吸い込まれていった。
「きゃっ!」
洋子はビックリして、司を支えようとしたが、一瞬早く、司は洋子ではなく、コンクリートにキスをする羽目になった。
「痛ってえなあ!」
「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。コンクリートは君の唇より固いってのがよく分かったよ。」
鼻の頭と、唇に砂を付けたままの顔で、司は答えた。
その司の顔を見て、洋子は、悪いと思いながらも、つい、吹き出してしまった。
洋子が、知美に付き合って“磯松”に行った翌日、知美は司に、「いい先輩だとは思うけど、どうしても、恋愛対象としては見ることが出来ない。」と、告げた。
司は、相当落ち込むかと思ったが、以外と、サバサバした表情で、「ああ、そのようだな。いくら、頭の悪い俺でも、いい加減、諦めた方がよさそうだと思えてきたところさ。」そう言った。
そのやり取りを横で聞いていた洋子は、「そうよ!いい女は、廻りに、いくらでもいるんだから。」そう言って司を励ました。
ルックス重視で、男を評価する洋子にとって、司は、上の下といったところなのだ。
洋子も、自称“いい女”なのだが、実際、誰が見ても、充分“いい女”だ。
花に例えるなら、知美が、棘のあるバラなら、洋子は、いつも太陽の方を見ているひまわりだと言えるだろう。
ただし、洋子の廻りには、太陽がいっぱい廻っている。
最も、その太陽のほとんどは、既にこの世に存在しない歴史上の人物だったので、生きてこの世に存在している司は、今や、いちばん大きな太陽になりつつあった。
洋子は、哀れな横山先輩が、自分の中で悲劇のヒーロー明智光秀のように思えて放っておけなかったようだ。
その時以降、洋子は、司を励ますことで、自分をアピールすることに成功して、今では、誰もが認める、公認のカップルになっていた。
知美も二人を祝福してくれた。
亨は、意外な結果に、「やるじゃないか。」と冷やかしていたが、いちばん喜んでくれたのは彼かもしれない。
司は、右手の人差し指で、洋子のおでこを軽く押してから、自分の顔についた砂を落とした。
「さあ、それじゃあ、行こうか?」
そう言って、司が歩き始めると、洋子は司の腕に、つかまってついて行った。
孝太は、温子、涼子、鵬翔とともに、西東京国際大学に来ていた。
温子の手伝いで、合コンラリーの参加メンバーの面接を行っている。
鵬翔は、先方のリーダーに三人を紹介すると、先に一人で帰った。
温子が、「もう帰っちゃうんですか?」と、聞いたら、「野暮用があってね。」と、珍しくデレデレした表情で答えた。
入り口の外には、ごく普通のという言葉がよく当てはまる、女の子がいた。
ここの学生のようだった。
「あの二人、付き合ってるのかなあ?」
温子が、そうつぶやくと、国際大のリーダーが咳払いをし、小声で教えてくれた。
「君達知らないのかい?あの二人は、ここ(西東京国際大学)では結構、有名なカップルなんだよ。」
「え〜っ!」
三人は、声を上げて、お互いの顔を見合わせた。
リーダーは、再び咳払いをして、「本題に戻ろうか。」と冷ややかに言った。
西東京国際大学からは、10人の男子学生が参加する。
合コンラリーのルールはこんな具合だ。
エントリーしているのは、男・女4つずつ、8つのグループだ。
それぞれ、総当たりで、4ラウンド実施される。
エントリーするグループは、予め、メンバー表とメンバーの写真を提出しなければならない。
1回の合コンに参加できるのは、各グループ男女共5人だ。
メンバーは、ラウンドごとに入れ替えることが出来る。
参加メンバーは、CIP発行の参加証とナンバープレートを受け取る。
気に入った相手がいれば、合コン終了時に、レフェリー(CIPメンバー)立合のもと、電話番号を書いたメモを相手に渡し、ナンバープレートをレフェリーに返却する。
渡す相手は、1ラウンド一人だけだ。
受け取る方は、何人からでも受け取ることが出来る。
渡された方は、以後、その相手との交際権を得ることができ、その証のカードを受け取る。
カードを受け取っても、次のラウンドには参加できるが、交際を決めた場合には、参加証とカードをレフェリーに返却し、以降のラウンドには参加できなくなる。
渡した方は、その次点で、次のラウンドには参加できない。
ただし、渡した相手が、他の相手と交際を決めたときは、その次のラウンドから、ナンバープレートを返却して貰い、復帰することが出来る。
電話番号を渡すと、マイナス5ポイント、渡された方は、プラス5ポイント。
カップルが成立すると、お互いにプラス10ポイントになる。
従って、電話番号を受け取ってカップルになれば15ポイント、渡した方も、カップルになれば5ポイントが入る。
4ラウンド終了して、最もポイントの高かったグループが合コンチャンピオンの称号とチャンピオンカップを得ることができる。
まあ、ざっとこんな感じだ。
西東京国際大学は、前回初めて参加し、最下位に終わっている。
今年は、少しでも順位を上げようと、オールラウンダーを6人と、特定の相手にターゲットを絞ったスペシャリストを4人用意した。
温子は、参加メンバーを見て、会場を選ばなければならないので、真剣に質問を繰り返しては、写真を貼り付けたメンバー表にメモを取っている。
孝太と涼子は、メンバーの癖や性格を観察して、温子のメモに付け加えていく。
孝太は男の目で見た意見を温子に伝える。
涼子は女の目で見た意見を温子に伝える。
みっちり1時間の面接を終えた温子は、その足で、部室に戻ってデータを整理すると言った。
涼子は付き合うと言い、温子と一緒に聖都へ戻った。
孝太はバイトがあったので“磯松”に向かった。
温子は、涼子が“磯松”に行ったことがないので、後で涼子とご飯を食べに行くと言った。
“磯松”は、今日も繁盛していた。
孝太が、レジで帰る客の勘定を清算していると、知美がやってきた。
洋子と横山司、それに皆川亨、石川若菜、米村綾も一緒だった。
「いらっしゃませ!」
そう言うと、孝太は店内を見渡して、4人用のテーブル席が、二席空いているのを確認して、知美達を席に案内した。
「係の者がまいりますので、少々お待ち下さい。」
そう言って、一旦、下がろうとしたら、亨が、腕を引っ張った。
「とりあえず、先に生ビールを6杯大至急持ってきてくれ!のどがカラカラだ。」
それを聞いた孝太は、知美を睨んだ。
知美は、微笑んで頷いた。
「亨先輩、私たちは未成年なんですから、ウーロン茶にして下さい。」
「えっ?いつも、1杯くらいは飲んでるじゃないか。」
「孝太君に辞めろと言われたから、もう飲まないわ。」
知美は、そう言って、孝太にウインクした。
「じゃあ、私たちも、ウーロン茶で!」
若菜と綾も賛成した。
洋子だけは、「生ビールがいい。」と言った。
パッと見た目には、洋子は、充分、大人の女に見える。
「了解!じゃあ、生ビール3杯に、ウーロン茶3つだ。つまみは今から考えるから、大至急な!」
「それでは、すぐにおしぼりをお持ちいたしますので。」
孝太は、深々とお辞儀をして、その場を去った。
孝太が去ってから、亨が知美を冷やかした。
「すっかり、あいつに飼い慣らされているじゃないか。」
「そんな言い方はよせよ。」
司が、気を使って、知美をかばった。
若菜と綾も、「そうそう、亨ちゃんの悪い癖よ。」と、たしなめた。
亨は、“やれやれ”といった仕草で、知美を見た。
知美は、この三人の不思議な関係に、思わず、吹き出した。
すぐに、孝太が、生ビールと、ウーロン茶をもってやって来た。
「なあ、お前さん、藤村のことはどう思ってるんだい?こんなに健気に愛してくれる女なんて滅多にいないぞ!あの元気印も悪くはないがな。」
孝太は、一瞬表情がこわばった。
知美は、それを見逃さなかった。
「孝太君?どうかしたの?」
孝太は、ためらったが、正直に話した。
「温子にはふられたよ。」
「えっ?」
知美は驚いた。
「なんだって?」
亨が口を挟んだ。
「きっと、こんなにいい子をほったらかしにいていたから、ばちが当たったんだな!」
「そうかもしれませんね。」
孝太は、そう言うと、伝票を手にして、つまみの注文を取った。
「ありがとうございます。それでは、ごゆっくり。」
そう言って、再び、厨房へ消えていった。
孝太がいなくなると、洋子が目を輝かせて知美に言った。
「知美!チャンスじゃない。」
「そうかもしれないけど、ダメよ!」
「どうしてよ。」
「そんなことで、つき合い始めても、長続きしないわ。」
「そんなの、付き合ってみなければ、わからないじゃない。」
「だけどダメなの。」
「まったく、あなたって子は…」
洋子は、半分諦めて、生ビールを口にした。
「いけない!先に飲んじゃった。」
亨が、額に手を当て、「やってくれたよ。」そう言って笑った。
「じゃあ、改めて乾杯!」
「乾杯!」
みんなでグラスを合わせて、それぞれ一口飲んだ。
「しかし、お前がふられたのも分かる気がするよ。」
亨が司に向かってそう言った。
「だから、俺は惚れたんだ。」
「何を言ってやがる!一目惚れだったくせに。」
亨が、司にそう言うと、みんな一斉に、吹き出し、大声で笑った。
CIPの部室では、温子と涼子が、先ほどの、西東京国際大学のデータをまとめていた。
涼子は、温子が孝太をふったと聞いたときには驚いたが、その後、二人がいつもと変わらないのを見て安心した。
あの日…孝太が電話ボックスの中でうなだれていた日以外は…
「あー、やっと終わった。ありがとうネ!ねえ、涼子?久しぶりに、ご飯食べて帰ろう!」
「いいよ!温子と二人でご飯食べるのって、本当に久しぶりだね。」
「そうよね。大学に入ってからは、ずっとバイトだったしね。まあ、そのおかげで、孝ちゃんと知り合えたんだけどね。」
「え〜?知り合ったのは、合格発表でしょう?」
「へへ、そうだったね。よし!“磯松”へ行こう!」
「“磯松”?孝太君がバイトしているお店?だって居酒屋でしょう?」
「そうよ。でも、ご飯ものもおいしいのよ。ねっ!いいでしょう?」
「そうね。一度くらい行ってみたいわね。」
「よし。決まり!」
温子は、涼子を部屋から出すと、部室のドアにカギを掛けた。
“磯松”へ向かう道すがら、涼子は温子に確かめた。
「あなた達って、本当に別れたの?」
「ええ、そうよ。もう、恋人同士ではないわ。だから、あなたともライバルね。正々堂々とやりましょう?」
なんだかよくわから無いけど、涼子は嬉しかった。
孝太が温子の恋人でなくなったことにではなく、温子が今までと変わっていないことに。
そのことで、二人が気まずくなっていないことに。
二人が店にやってきたことに、最初に気が付いたのは、亨だった。
「おっ!元気印がやってきたぜ。」
それを聞いて、知美は入口の方を振り向いた。
すぐに温子と目が合った。
知美達に気が付くと、温子は、レジの店員に、知美達の席に合流すると告げた。
店員は、温子達を、その席に案内した。
「皆さんお揃いで、どうしたんですか?」
温子がそう声を掛けると、すぐに亨が答えた。
「今日は、こいつらのカップル成立祝いなんだ。」
そう言って、前の二人を指した。
亨の前には、司、洋子、知美の順に座っている。
詰まり、こいつらというのは、司と洋子のことらしい。
温子が、二席空いている、4人用のテーブルの亨の隣に座ったので、涼子は、知美の隣に座った。
席に着くと、温子は店員に、頼むものが決まったら呼ぶと告げた。
店員は「分かった。」と言い、一旦下がった。
二人並んだ、知美と涼子を見比べて、温子と亨は同時に口を開いた。
「改めて、二人並べてみると、本当にそっくりだなあ。」
「本当!」
他のメンバーもみんな二人を見比べた。
飲み物のお代わりを運んできた孝太は、温子と涼子が同じ席にいるのを見て、ギョッとした。
近づいてくる孝太に気が付くと温子は、孝太に向かって、手を振った。
「孝ちゃ〜ん!」
孝太は、苦笑いを浮かべて、生ビールを二杯テーブルに置いた。
「孝ちゃん、涼子が、一度、来たいっていうから連れてきたよ。私、レモンサワー!薄くしてね!もう、酔っぱらっても泊まるところないから!涼子は?」
涼子が、何か、頼もうとすると、孝太が、先にこう言った。
「ここは、アップルティーは置いてないんだ。」
涼子は、微笑んで、「グレープフルーツジュースにして。」と言った。
「了解!」
孝太は、他に頼むものがないか、亨達に確認して、厨房に戻った。
「ねえ?ねえ?ねえ?今のなあに?」
温子は、目を輝かせて、涼子に尋ねた。
「今のって?」
「孝ちゃんが、アップルティーはないって言ったでしょう?」
「ああ、あのね、孝太君が、言うんだけど、私、いつも、お茶を飲むときは、アップルティーを飲んでいるって。」
「へ〜!それ、孝ちゃんが言ったの?」
「そうなの!」
そう言った、涼子の表情が、照れくさそうで、しかし、嬉しそうに笑みがこぼれているのを見て、温子は、ご機嫌になった。
なんだかんだ言っても、孝太は涼子のことをちゃんと見ていた。
横で、二人の会話を聞いていた亨が、口を出した。
「おい、おい、どういうことなんだ?説明してくれよ。元気印は、あいつをふったんだろう?」
「元気印って、失礼ね!私には温子っていう名前があるのよ!」
温子はおしぼりで亨のほっぺたを軽くたたいて、「そうよ。ふったわ。」と言った。
「まあ、それは分かった。それで、今あいつは、このそっくりさんと付き合っているのか?」
「どっちがそっくりさんよ?私に言わせれば、藤村さんの方が涼子のそっくりさんなんだけど!」
涼子と知美以外は、吹き出して笑ったが、二人は、ちょっと複雑な思いだった。
知美は、今の涼子と孝太の会話を聞いていて、孝太の心の中で、涼子の存在が大きくなっているんだと思った。
涼子は、“F&N”の件もあって、知美の孝太に対する思いを知っているから、気まずかった。
本当は、遠慮せずに、「今は、私が孝太君の彼女よ。」くらいのことが言えたらいいのに。
そう思っていた。
すると、温子が替わりにこういった。
「確かに、私は孝ちゃんをふったけど、振り出しに戻しただけ。だから、私たち三人ともライバルね。今は、涼子が一歩リードってところね。」
知美は、ピンときた。
温子は、ああ言っているが、それは、たぶん、涼子のために、身を引いたに違いない。
亨と司は、「訳が分からない。」と言ったが、温子は、亨に、「訳が分からないのは、キザオ達も同じでしょう?」と反撃した。
「誰がキザオだ!」
亨はムキになって怒ったが、温子は更に追い打ちをかけた。
「同じキザオでも、うちの部長はもっと格好いいけどね!」
「かー!頭に来た。」
そう言って、亨はジョッキを持つと、残っていた生ビールを一気に飲み干した。




