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夢に向かって/三人の“ヒロセ”

 電話が切れたあとには、プーッ プーッと虚しい音だけが受話器から聞こえてくる。

受話器を耳に当てたまま、しばらくは立ちすくむしかなかったが、諦めて受話器を置いた。

全てが終わった…いや、そんなことを考える気力もない。

体の中から力という力が徐々に失われていくことに何の抵抗もできなかった。

電話ボックスのガラスの壁にもたれて、そのまま崩れ落ち、しゃがみ込んだ。

どこから湧き出て来たのか、目の表面を覆う液体越しに見る空の色は、どんよりとした灰色で、ずっしりと重く、今にもこの世界を押しつぶしてしまいそうだった。



 目の前には、れんが造りの重厚で歴史を感じさせる趣のある門がどっしりと構えている。

門には、緑青によって見る者に威圧感さえ与える銅版のプレートが埋め込まれている。

プレートには『國立聖都大學』の文字が刻み込まれている。

門の脇には平屋建ての守衛所があり、小太りの守衛が一人門のそばに立っている。

建物の中には他に二名の守衛がおり、外来者の受付を行っている。

門をくぐって、両側にまっすぐにのびる桜並木には、まだほんのかすかにつぼみと呼べるようなものが、かろうじて芽生え始めた頃だった。

 3月の終わりではあったが、今日は少し風が冷たい。

彼はVネックのセーターにジーンズ地のジャケット、綿のパンツに、かなり履き込まれたバスケットシューズを履いていた。

正面には蔦が絡まる校舎が厳かにそびえ立つ。

春の日差しを浴びて、この門をくぐる者全ての者に、未来を約束してくれているかのようだった。

名門中の名門といわれる、この聖都大学には、そんな雰囲気が漂っていた。

初めて受験のためにここを訪れたときは、廻りに目をやる余裕などなかった。

今、こうして、改めて見てみると、その存在感に圧倒される。

聖都に入学することは、受験戦争を勝ち抜いて選ばれた、ほんの一握りの人間だけに与えられた特権なのだ。

そして、今、まさに彼は、この門をくぐることを許されたのだ。

もともと、そこそこの成績ではあったが、小学校・中学校のときはそれほど勉強に対して強欲だったわけではない。

普通のサラリーマン家庭に生まれ、普通に過ごしてきた。

彼が中学を卒業する間際に、父親が病気で他界した。

残されたのは、世間知らずの母親と小学校にあがったばかりの弟と、わずかばかりの生命保険金だけだった。

会社でもたいした出世をしていなかった父親の死に対して、会社側からは、お見舞い程度の手当てだけしか誠意と呼べるものの形はなかった。

不景気だから申し訳ないが…ということであったが。

借金がなかったのは不幸中の幸いであった。

このときに彼は痛感した。

普通の人生を必死に生きてきた結果がこんな寂しい結末を向かえるなんて。

死んでしまった本人は悔いもあっただろうが、それなりに満足していたかもしれない。

残されたものは、どうだ?路頭に迷うことはないにしても、苦労からは逃れられるはずがない。

こうならないためには、どうすればいい。

ある程度の社会的地位と富を蓄えておかなくてはならないだろう。

そのためには…今からでも間に合うだろうか?いや、何とかするしかない。

高校は地元の公立校に既に決まっていた。

私立の進学校を受験するには遅すぎるし、間に合ったとしても、もはや経済的な余裕などあるわけがない。

ここへ入るために、猛勉強をした。

家計を助けるためにアルバイトをせざるを得なかった。

はやりのゲームや人気者のアイドル、お笑いタレントの名前も知らなかった。

学校ではそんな話題についていけなかったし、そんなたわいもない話しをするために時間を費やす気にもならなかった。

カラオケボックスにも行ったことがない。

クリスマスやバレンタインもなかった。

その甲斐あって、ようやく夢が現実に一歩近づいた。

聖都に入ることが夢だったわけではない。

この大学で過ごす4年間、そして卒業してから社会に出て生きる場所。

夢はその先に待っている。

人並み以上の“社会的な地位”と“富”そして、誰もが羨む“幸せな家庭”である。

そんなものが“夢”か?とバカにされるかもしれないが、たいした才能も、名門と呼ばれるような家柄もないものにとっては、それ以上の“夢”があるものか。

3年間の高校生活を犠牲にしただけの見返りは、それだけ価値があるものだと思っている。

 そんな風に、将来の自分を想像しているところへ、長身でがっしりした体格の男が現れた。

「やぁ、よく来てくれたね。」

綿のパンツに白いポロシャツ、エンブレムの入ったブレザーを羽織ったその男はそう言うと伊達めがねの真ん中を左手の中指で押し上げた。

 

 ほんの2週間ほど前、この辺りには一喜一憂する受験生達と、彼らを獲得するために、さまざまなパフォーマンスを繰り広げている倶楽部のスカウト達が溢れていた。

この年はもう3月のはじめだというのに、まだコートが手放せないくらい寒かった。

彼も、学生服にベージュのコートを着込んで、首からマフラーを垂らしていた。

人並みをかき分けながら、まだ枝しか見えない桜並木を抜けて、本館の前に出ると合格者の番号が貼り出された掲示板がある。

合格したと見える…いや、間違いなくそうであろう、学生服に身を包んだ男の子が、友達に胴上げされて歓喜の声を上げている。

不合格だったらしい女の子が、付き添いの母親の胸に顔をうずめて泣いている。

テレビのニュースでよく見かける光景だが、あれはニュース画像のために、芝居でもやらせているのだろうと思っていたが、実際にそんな光景を目の当たりにしてちょっとビックリした。

ようやく掲示板の前までたどり着くと、合格者は学部別に分けられて貼り出されていた。

経済学部の掲示板の前まで行くと、自分の番号を再確認してから、掲示板に目を移す。

あった。自分の番号が確かにあった。

にわかに慶びがこみ上げてくる。

やるべきことは全てやった。そこそこの自信もあった。

合格していても、派手に喜んだりはしない。さらりと引き返そう。そう思っていた。

しかし、無意識のうちに小さくだが、左手でガッツポーズをしてしまった。

向こう側で、喜びを余すことなく表現している彼らの気持ちがよく分かる。

 声を掛けてきたのは、背が高くがっしりした体格のいい男だった。

濃いグレーのパンツにカラフルなシャツを着てブランド物のパーカーを羽織っている。

「合格おめでとう!」左手の中指で伊達めがねを押上ながら彼は自己紹介を始めた。

「おれは日下部良介くさかべりょうすけ。経済学部の…今度、四年になる。CIP…つまり、ガレッジイベントプロデュース部の部長をやっている。他の大学も含めて、学園祭やら体育祭やら、とにかく学生がやるイベントなら何でもプロデュースするってヤツなんだけど。よかったら、一緒にやらないか?」

日下部良介の第一印象は、いわゆる…“いかにも大学生活を謳歌している学生”の典型でもあり、裕福な家庭で何の不自由もなく生きてきた“おぼっちゃま“という感じがした。

きっと、女の子にも、もてるのであろう。

彼の話…つまり、イベントのプロデュースというのと、他の大学のものも、という話しには少し興味を覚えた。

将来役に立つであろう“人間関係”を築いておくため…のものだ。

しかし、気になったのは日下部良介の後で、無理やり引き込まれたらしい二人の女の子だった。

その内の一人には特に驚いた。

紺のダッフルの下に白い手編みのセーター、ジーンズに革のブーツ、そしてこれも手編みのいかにも暖かそうなマフラーを首に巻き付けた女の子だ。

一見、おとなしそうではあるが、きりっとした表情の“美人”だった。

もう一人の方は、シュートカットでジーンズにスニーカー、赤いスタジアムジャンパーを着ていて、活発そうで、どちらかというと“かわいらしい”感じの女の子だった。

「君は…」彼女達に見とれている間、一瞬別の場所に意識が飛んでいたが日下部良介の声に、我に返った。

「君は、もう、どこか入るところが決まっているのかい?」

女の子の見とれていたことを悟られはしなかったかどうか気がかりではあったが、彼の問いに応対した。

「べつに…」子供の頃からスポーツというものには縁がなかった彼は、今更運動部に入ろうという考えはなかったが、なにか今後の役に立ちそうな人付き合いの出来そうな倶楽部には、入っておこうと思っていた。

「べつに決まっているわけではないけど…」言い終わるより先に日下部が次の言葉を繰り出した。

「そうか!じゃぁ話しは早い。CIPに入りなよ。この子達も今日から仲間だ。」

後にいた二人の女の子の肩をポンと叩いてウインクをして見せた。

どうやら、日下部良介は彼の下心に気がついていたらしい。

「まずは、君の名前を教えてくれないか?」

自分の気持ちを見透かされていたことに気まずさを覚えながらも名を告げた。

広瀬孝太ひろせこうた。」だが、まだ入ると決めたわけではない。

日下部良介は指をパチンと鳴らしてから、孝太に右手を差し出し握手を求めた。

「ひろせ君よろしく。君も今から僕らの仲間だ。」

ためらっている孝太の右手を、半ば無理やり掴んで握手をした。

「これは運命だよ。今日ここでボクに会ったことを必ず感謝する日が来るよ!」

孝太は一方的な展開に憤りを感じながらも、CIPへの入部を承諾するしかなかった。

だが、まぁいい。

この日下部良介という男、付き合っておいて損にはならないかもしれない。

イベントプロデュースというのも、いい経験になるだろう。

要は、ボクがこれから、それを、どう生かしていくかだ。

そもそも、どの倶楽部で何をやるかということより、どんな人間とどんな付き合いをするかということが問題なんだ。

「よしっ!これから4人で飯でも食いに行こう!腹へってるだろう?」

日下部良介が二人の女の子の背中を押しながら歩き始め、孝太の方を振替ってウインクをして見せた。


 もっとおしゃれなカフェみたいなところを想像していた。

そこは学校の近くの小さなビルの1階にある。

出入口の引き違いドアの脇の外灯にペンキで直接『大学堂』と店の名前が書かれている。

いかにも学生相手の定食屋といった風な店だった。

「おや?今年は3人も入ってもらえたのかい?」

白い割烹着に三角巾をした50歳くらいの、いかにもお節介が好きそうな、その女店員は、日下部達が店に入るなり、なれなれしく声を掛けてきた。

店の中は、日下部と同じように新しい部員を獲得した学生達で賑やかだった。

「そうさ!そのために今年は、合格発表のこの日に、わざわざ出向いたんだから。」

そう言って、孝太と二人の女の子を奥の座敷へ案内した。

入って右側に厨房があり、それに接したカウンターに10席ほど、中央から左側が4人用のテーブル席になっている。

テーブルは中央に三列、左側に三列あって左側のテーブル席の壁際は、ベンチ式のイスが一列に備え付けられている。

その奥に座敷があり、6〜8人程度が座れる座卓が置いてある。

女の子二人と孝太を座卓の向かい側に座らせて、日下部良介は手前側に陣取った。

「今日はボクがごちそうするから、何でも好きなものを注文するといい。安くてうまいのがこの店の売りなんだ。中でもハヤシライスは絶品だよ。」

まるで、自分の店であるかのように自慢しながらメニューを渡した。

女の子達はメニューを一通り眺めたあと、ハヤシライスを注文した。

孝太もそれに従った。

日下部良介が、大きな声でカウンターの奥の厨房に向かって叫んだ。

「ハヤシ4つ。二つは大盛りでね!」

すると、厨房から主人が野太い声で「ハヤシ四丁、大二丁毎度あり〜」と繰り返し、注文を確認した。

「大盛り?ですか…」孝太が尋ねると、日下部良介はウインクをして見せた。

「そう!ボクと君の分ね。食べられるだろう?あっ!君たちも大盛りがよかった?」女の子二人にも冗談半分で尋ねたが、二人の女の子は声を揃えて「いいえ、大丈夫です。」と首を横に振った。

 日下部良介は、孝太に二人の女の子を紹介した。

「彼女たちは、同じ高校の同級生なんだそうだ。」

「初めまして。」孝太のとなりに座っていたショ−トカットの方の女の子が向き直り、軽くお辞儀をして言った。

廣瀬温子ひろせあつこです。」

「えっ?ひろせって?」孝太は彼女の名字が自分と同じ“ひろせ”と聞こえたのでちょっと驚いて聞き直した。

「そう!同じなんですよ。でも、私は難しい方の“廣”なの。“ひろせ”さんもそうかしら?」

「残念!ボクは“広“の方なんだ。」

たとえ字が違っても、同じ名字なんて何かの運命なのか…だとしたら、もう一人の子と一緒だったら良かったのに…と思いながら「だけど、こんなかわいらしいお嬢さんと同じ名字なんて光栄です。」と言って、顔を赤らめた。

「そう!ちょっと残念。」

そう言うと、廣瀬温子は、もう一人の女の子と顔を見合わせながら、ニヤニヤしている。

孝太はふと、我に返り、“軽いヤツ”だと思われたかな?と後悔した。

実は、彼女たちはそういうことでニヤニヤしていたのではなかった。

そのことが分かったとき、孝太はもっと驚いた。

続いて、もう一人の女の子が孝太の方に向かってお辞儀をした。

「初めまして。広瀬涼子ひろせりょうこです。」

「えっ?またひろせ?」

「そう!私はあなたと同じ広い方の広瀬ですよ。」

二人は、また顔を見合わせながら、今度はケラケラと笑った。

日下部良介が、指をパチンと鳴らし、「驚いただろう?ボクも最初にこの子達が両方“ひろせ”だと言うのには、それほど驚きもしなかったんだ…はら、よくあるだろう?たまたま、名字が同じで、席も隣同士だから必然的に仲良くなるってこと。それなのに、偶然声を掛けた赤の他人の君まで“ひろせ”だったんだから。これは、もう、運命としか言いようがないね!」

そう言いながら、日下部良介が、なんだかいちばん嬉しそうにしている。

そこへ、ちょうど先ほどの女店員が、ハヤシライスを4つトレーに乗せて持って来た。

「はい!おまちどおさま。」

女店員は、ハヤシライスをトレーごと座敷の端におくと、あとを日下部に任せるというような合図をして、他の客の注文を取りに行ってしまった。

「さあ!食ってくれ。このハヤシは本当にうまいんだ。毎日食っても飽きないくらいだ。まぁ、毎日食ったことはないけど…それから、二週間後に、今年度最初のイベントの企画会議があから是非参加してくれよ。その時に、他のメンバーも紹介するから。」

「最初のイベントですか?」3人は聞き返した。

「そうさ!君たちの入学式だよ。」


 構内は正面にそびえる本館と、各学部ごとに独立した建物がある。

本館には事務局や医務室、図書館などがあり、医学部が1号館、工学部が2号館、経済学部が3号館といったかたちで、合計9棟の建物で構成されている。

その他に、入学式や卒業式が行われる講堂、ちょっとしたコンサートもできる設備を備えた小ホール、学生食堂や売店がある厚生棟などの独立した建物がある。

本館の裏手、北側になるが公園のような中庭があり、学生達の憩いの場でもある。

この庭を挟むようにして両側に各学部の建物は建っている。

更に北側、敷地の南側には陸上競技場、野球場、テニスコートなどのグランドが連なっている。

陸上競技場はフィールド内がサッカー兼ラグビー場になっているが、実際に使用しているのは陸上部の学生だけで、サッカー部やラグビー部は郊外に専用グランドと寮があるため、ここで練習することはない。

それ以外の倶楽部の部室は厚生棟の2階にあり、中庭のほぼ中央に立てられている。

グランドの向こうの国道を隔てた第二の敷地には屋内スポーツのための体育館が3棟と屋内プールがある。

講堂と小ホールは本館前の桜並木の両側にそれぞれ建てられている。

 孝太と日下部は、中庭に出るため本館を突き抜けた。

真ん中に初代学長の銅像が鎮座する大理石貼りのホールを横切り、中央の廊下をまっすぐ進んだ突き当たりに中庭への出入口がある。

中庭に出ると、ジーンズに白いパーカー姿の廣瀬温子と薄いピンク色のブラウスに茶色のカーディガン、カーディガンより少し濃い茶のひざ下ほどの丈のスカートをはいた広瀬涼子が、噴水のそばにあるベンチに腰掛けているのが見えた。

廣瀬温子が、二人に気付いて立上り、手を振っている。

広瀬涼子は、座ったままお辞儀をした。

「やぁ、お待たせ!」日下部も軽く左手をあげて応えた。

噴水を回り込むと、そこに立てられているのが厚生棟だ。

伝統ある聖都大学の建物の中にあって、この厚生棟は5年ほど前に立てられたばかりの近代的な建物だった。

正面はカラーステンレスのフレームに、ガラスがはめ込まれたカーテンウォールになっていて、左右両側に5メートルほど折り返されている。

他の面の外壁は、目地の深いれんがタイルが施されている。

全ての窓は、ブロンズカラーのアルミサッシで、各部屋の両側がフィックスされていて中間に、引き違いの障子がはめ込まれているように見えた。

屋根は両側がフラットで、中央部が天窓のようにせり出している。

中にはいると、エントランスは吹抜になっており、正面に学生食堂の入口があり、右側にカフェ、左側に売店が並んでいる。

エントランスからは2階のテラスが見渡せる。

まだ、春休み中なので営業されていないが、カフェだけはボランティアの学生達によって営業されていた。

左右の売店とカフェの前には、2階のテラスへ上がる階段がそれぞれある。

 孝太達は、日下部のあとに続いて左側の階段を2階へと上がっていった。

2階のテラスからは、ガラス張りの壁面を通して中庭の噴水を見ることが出来る。

両方の階段を上がった場所からそれぞれ奥に向かって廊下が延びており、その両側に部室が連なっている。

CIPの部室は、東側の外に面した側の部屋の一番奥で、部屋の二面に窓がある。

マンションで言うなら、値段の高い東南向きの角部屋だ。

建物の中央側にある部室には窓こそないが、天窓があり昼間なら照明が必要ないくらいの明かりが入ってくるようになっている。

西側の外に面した側の部屋は、会議室で各倶楽部の合同会議や部長会議の時に使われる。

部室の広さは10畳程度だ。

CIPのメンバーは、全員で7名。

3人が卒業したあとに、孝太達3人が入部して、変わらず7名ということになる。

部屋に入ると他のメンバーは既に揃っていた。

「おっ!揃ってるね。」

部屋の中央には小さめの机が3つづつ向かい合わせて置いてあり、そのうち、奥の二つと右側の真ん中の席には、他の3人のメンバーが席についていた。

部屋の中央にある入口の両側には二段重ねになった書庫が置いてあり、それぞれ上の段にはガラス入リの引き違い扉がはめ込まれた書庫があり、中に書籍やカタログの類がぎっしり詰め込まれている。

下の段には鍵付の引き出しが組み込まれたものが置かれている。

おそらく、中にはイベントで使用する備品などが保管されているのであろう。

奥の窓際には、この部屋には到底似合わないカナディアン調の木製の両袖机と机の脇には4人ほどが座れる応接セットがある。

ソファーは革張りで、日下部は、その革張りのソファーの奥のほうに、こちら側を向いて腰掛け、入り口付近で立ち止まっている3人を手招きした。

「空いてるところに適当に座ってくれ。」

女性が座っている左側二つの席に広瀬涼子と廣瀬温子が順に座った。

孝太は、二人の男性が並んで座っている、右側の端の席に着いた。

「まずは、みんな自己紹介をしよう。」

最初に立ち上がったのは、黒のスーツに白いブラウス、ロングヘアーの大人の女性といった感じの、左側の奥の席に着いていた女性だった。

「副部長の七瀬望ななせのぞみです。法学部の4年よ。彼とは幼稚園からの腐れ縁なの。ここでは機材のリースやテキ屋の手配も含めて総合的企画と経理をやっているわ。なにか、困ったことがあったら何でも聞いてね。」

もしかしたら二人(日下部と望)は付き合っているのかもしれない…孝太はそう思った。

次に手を挙げたのは、右側の奥の席に着いていた、白とグリーンのラグビージャージに白地のジーンズをはいた、短髪のいかにも体育会系といった男だった。

高倉伸一たかくらしんいちです。工学部。2年です。ここでは開場のセッティングなど現場の仕事がメインだ。君たちの一つ先輩になるわけだけど、しばらくは俺が色々教えるからよろしくな。」

厳しいが、面倒見のいい人のように思えた。

最後は、孝太のとなりに座っていた、サングラスをして素肌に黒いシルクのシャツを着て、ジーンズに黒のジャケットを羽織ったホスト風の男だった。

「医学部3年の鵬翔晃ほうしょうあきらです。ここでは営業みたいなことをやってます。宜しくお願いします。」

鵬翔はそう言って、サングラスを外した。

サングラスを外した顔は、以外と人の良さそうな感じで、それまでのイメージとのギャップで思わず笑ってしまいそうになった。

「さあ、今度は君たちの番だ。」

孝太達は、誰が最初に自己紹介するか3人で顔を見合わせながら、孝太が最初に立ち上がった。

「広瀬孝太です。経済学部です。最初は何も役に立てないかもしれませんが、頑張ってやっていきたいと思いますので宜しくお願いします。」

深く頭を下げて着席した。

続いて廣瀬温子が立ち上がった。

「廣瀬温子です。法学部に入学します。広瀬君とは同じ“ひろせ“でも字が違うんです。親戚でも何でもありませんので宜しくお願いします。」

「へぇ、同じ名字が…佐藤や鈴木ならともかく、二人同時に入るなんて偶然にしてもすごいわ!」

望がそう言うと、日下部と孝太達はクスクス笑った。

最後に、広瀬涼子が挨拶をした。

「法学部に入学することになりました。広瀬涼子です。」

他の3人が一斉に「おぃ、おぃ、全部“ひろせ”かよ」というような、驚いた声を上げた。

笑いながら涼子が続けた。

「そうです。私は広瀬君と字も同じですけど、赤の他人です。宜しくお願いします。」

孝太達3人は、揃って立上り再度「宜しくお願いします!」と声を合わせていった。

今度は、日下部良介が立上った。

「顔と名前は分かっているだろうけど、ボクがCIP部長の日下部良介だ。まずは簡単に説明しておこう。」

日下部良介は、身振り手振りを交えながら、CIPについて語り始めた。


 CIP…カレッジイベントプロデュースには、三つの仕事がある。

この大学で行われる、学園祭などのイベントを企画・運営したり、他の倶楽部で行われるイベントをプロデュースしたりする事が一つ。

学園祭では、各倶楽部の出し物や会場の割り振り、チケット類の発行、当日の交通整理から後片付けなどの管理、準備段階に置いては実行委員会の仕切、学校側との調整、近隣やOBとの連絡、食材の買い付けや小道具の手配まで全てを取り仕切る。

各倶楽部でやることもあるが、CIPに依頼した方が安く手に入る場合が多いのだ。

これはもちろん、日下部良介のネットワークによるものなのだ。

それから、倶楽部単位で実施される発表会、運動部においては、自分たちのホームゲームの時などに実施するハーフタイムショーを依頼してくることもある。

これらの経費は、各倶楽部が自分たちに割り当てられた予算の中から捻出しなければならないので、かなり厳しいものがある。

チケットを売って利益を得られるものであれば、その中から20%を手数料として得ることが出来る。

しかし、これらの収入はたいした利益にはならない。

事実上、CIPとしては大幅な赤字が計上される。

経理担当の七瀬望はいつも電卓を叩きながら頭を抱えている。

大学から支給される活動費では、最低限の備品の購入くらいしかできないのだ。

それでも、日下部良介はどうせやるなら中途半端にやりたくないという信念を貫いている。

次に、大学として執り行われる入学式・卒業式などの手伝い…手伝いと言うより、今では殆どCIPで取り仕切ってやっているが…のような、半ばボランティアのようなもの。

必要経費は大学から支給されるが、それこそ鼻くそほどのものしかない。

せいぜい、事務長が毎年式の後にごちそうしてくれる『大学堂』のハヤシライスの方がよっぽどありがたかった。

それでも、みんな文句も言わず、やっているのはこの仕事が心底好きだからだ。

最後に、他の大学で行われるイベントを請け負ったり、合同コンパから、個人的な…例えば、バースデーパーティーのようなもの…まで請け負っている。

もちろん、CIP主催のイベントもある。

これらは、基本的に大学とは関係のないところで運営されている。

全て利益を得ることを目的として運営されている…というより、経営されている。

いわば、企業といってもいい。

プランによって金額も千円単位から、数千万の金が動く場合もある。

学園祭や大学行事が表の家業だとしたら、こちらは完全に裏の家業と言うことになる。

日下部良介は、ここで得た金を、表の方につぎ込んでいる。

当然、全てつぎ込んでいるわけではない。

日下部良介は、CIPに入ってからは、もっぱら、この裏の仕事にいそしんできた。

もちろん、表の仕事も先頭に立ってやってきた。

日下部良介が3年になって部長を引き継いだ昨年から、2年間裏で蓄えた金を表にも、つぎ込み、その企画力と行動力、ネットワークの大きさを表でアピールしてきた。

今や表の世界でも、「聖都に日下部あり」と、大学はおろか業界の間でも名前を知らないものがないほどになっていた。

 「…と、まあ手短だがこんなところだ。ボクはもっぱら縁の下の力持ち的なことをやっているから。あとは、部長としての挨拶回りだな。君達もこれから少しずつ覚えていけばいい。」

それだけしゃべり終わると、再びソファーに腰を下ろし、望に向かって合図した。

望はうなずいて…「じゃぁ、入学式の詰めにはいるわよ!あなた達も一応、聞いておいてね。式典の時は当事者だからいいけど、準備と歓迎会では働いて貰うわよ。だから、あなた達は歓迎会ではくつろげないけど、後で私たちが丁重に歓迎してあげるから…」

どうやら、この件に関しては望に全て任せてあるらしい。

熱弁を振るう望と、熱心に打合せを進めるメンバーをよそに日下部良介は窓の外の景色をボーっと眺めていた。


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