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いつか、きっとその約束は

作者: 千歳命

「……明日、帰るんだ」

 ――。

 思いがけない言葉に、ワタシは咄嗟に何も言えずにいた。

 真っ赤に燃える夕焼けが煌々と瞳に映っては、哀しみで少し滲む。

 二人の影が、のっぽになっては繋がっている。

「ボクは、まだ帰りたくないって言ったんだけど……」

 ――うん、分かっている。

 何時かこうなってしまうことも、なんとなく想像はしていた。

 ただ、その時間があまりにも早まってしまって、ほんのちょっとだけ――ううん、ほんの少しだけ残念とは思うけれど……。

 いたし方のないことだって、十分に分かっていた。

「……あ、でも心配しないで。またきっと会いに来るから、絶対会いに行く!」

 気を使ってくれたのだろうか、そう言っては必死に励まそうとしてくれる。

 ホントに優しい彼だと思う――。

 大丈夫、慣れているから……。

「嘘じゃないヨ? ホントだよ、きっと必ず来るからっ」

 ホント……に?

「うん、ホント。なんなら、ボクが約束を破らないように指きりげんまんをしよう。そしたら安心だね」

 うん……。

 別に、ホントは約束が欲しかったわけではない。

けれども、その時はまだそうすることしか知らなかった……。

「指きりげんまん嘘付いたら針千本のーます。指きった!」

 そう言って彼との指が離れてしまうと、なんだかもう二度と彼には会えなくなってしまうような気がしてしまい、胸の奥がきゅっと苦しくて痛くなってしまった……。

「絶対に、また来るから!」

 念を押して言って来る。

 うん、待っている……。

 きっとまた、来てくれるって……。

 その時はまだ、その言葉を信じるしか術はなかった――。

 夕焼け空が、二人を赤く寂しげに照らし出していた――。



「――おい、いい加減起きたらどうだ?」

「……?」

 目覚めは最悪だった……。

 つかの間のまぶしすぎる真っ青な大空を薄目でぼんやり眺めて、深間太一であるオレは手の甲を顔に当てて光りを遮ってみた。

まだ七月の初めごろだと言うのに、梅雨の湿気で服が汗ばんでしまっている。

 いつの間に、屋上で寝てしまっていたのだろう……。

 それに今さっき見ていた夢は、一体……。

 そう思ってすげえ気だるげな身体を無理やり叩き起こしてみると、悪友である藤眞が太一を見てはニタニタ笑っていた。気味が悪い……ふと時間を確認して携帯を見てみると、また八時を十分ばかり過ぎた辺りだった。

「なんだよ、まだ予鈴もなってないじゃんか。起こしやがって……」

「何ほざいてやがるんだ? どうせボクが起こしに来なけりゃあ、このままサボる気まんまんだったくせに」

 そう言われてオレは鼻で笑った。

 ああそうなのだ、オレはわざわざサボる気で屋上に来て居眠りをしていたのだ。

それを邪魔されたのだから、不快極まりないのだ。

 ていうか、オレはこの街が大嫌いだった。いつか出て行きたい、もっと都会に行ってみたい。そう普通に憧れを抱いている若者だった。

「それより聞いたか?」

「何を、だよ」

 ぶっきらぼうに答えながら頭をバリバリかきつつしぶしぶ教室へと戻っていくオレに対し、悪友の藤眞はやれやれと言いたげに溜息を付く。

「何をって……転校生が来るってことだよ」

 藤眞がふいに太一の顔を見てはニヤリと不気味な笑みを見せてくる。

なんだ、それでニヤけてたのか気味が悪い。

「しかも、女の子らしいぜ?」

「あっそ」

 興味なさげにぼやいて見せる。

 正直言って、そんなんどうでもいいのだった。

 問題は、このつまらなすぎる日々をどう送るか。

 それが問題だった――。

 頭にはまだ、眠気が残っていた。

 それに先ほどの夢……。

 それは過去の記憶だった。――年位前の記憶か……。

 小さい頃、誰かと交わしたはずの約束……。

 あれ――?

 ボクは誰と、約束したんだっけかな……?

誰かと大切な約束をしていたような気がして、けれども思い出そうにも誰だったのか思い出せなくて太一はもどかしさに顔をゆがめる。そんなことをしても、記憶が戻るわけがないと分かっていながら……。

 そう――、太一は小さい時の記憶がない。

 十一歳の時に不慮の交通事故に遭ってしまったのだ。そしてそれが元で、太一はその前の記憶を全て失くしてしまっていた。

 だから、太一には小さい時の記憶がないのだ。

 それにしても、あの夢は……。

 そんなもやもやしたわだかまりを心の中に秘めながら教室に入り自分の席に付くと、ちょうどナイスタイミングで頭がおめでたになってきた担任の泉先生が、いつになく真面目な面持ちでドアを開けて入って来た。

「はーい、ホームルーム始めるぞう」

 泉先生の合図に学級委員長が全員を立たせ挨拶をする。

 全く持って、ボクらは機械みたいだと太一は思っていた。

「皆ちゅうもーく!」

 挨拶を終えると泉先生が手を鳴らしこんなことを言って来た。

「もう知っているヤツもいるかと思うかもしれないが、ホームルームの前に新しい転校生を紹介しようと思う」

 ああ、さっき藤眞が言っていたっけ……。

 ホントにどうでも良かった。

「ささキミ、入って来なさい」

「はい」

 開いたドアの奥からか細いけれど高くて可愛らしい返事が返ってきた。そして彼女がみんなの前に姿を現した。

「――」

 一瞬はっとさせられるようなおっとりしずしずとした、それでいてスラリとした立ち振る舞いに、クラスの男子たちは全員釘付けになっていた。女子たちも彼女の声に一瞬で魅了されていたようだった。もちろん、それはボクも例外ではなかった。

 はっきり言って可愛らしい。いや、可愛らしいどころではない。今の言葉で直すなら、キレカワ。それと同時に、女の子も魅了する高くて可愛らしい声……。

 目の前に現れた彼女は顔立ちもスタイルも良く、申し分なし。けれども透き通ったような真っ白な肌に何処となく幼顔で、ぽっと熟れた薄紅色の頬がとても魅力的だった。当然のごとくながら、男子たちがアイドルと彼女を認定するのは時間の問題であろう。

 それほどまでに、彼女はみんなを魅了していた。

「……白河(しらかわ)梅花(うめか)と申します」

 そうおしとやかに言ってきた彼女に、男子たちの顔がでれでれだった。

「こらこら、そんなに見るんじゃない。彼女が怯えてしまうだろっ」

 そう言って泉先生が慌ててたしなめた瞬間だった。ふいに彼女が何か重要なものを見つけてしまったのだろうか。驚いたといわんばかりに目を大きく見開いたかと思うと、突然泉先生の横を飛び出して走り出していた。

 その娘はしかも、一心不乱に真っ直ぐ向かってやって来る――。

 躊躇なく、太一の元へ――。

太一の――。

 えっ、つか何故にボクの元に――?

 ちょっ、おまっ……!

「――っ」

「――深間様!」

 がばっ、と思い切り抱きつかれてその娘から、ぎゅう~っとすごく激しいハグをされてしまった。しかもその重さと勢いに耐え切れなくなった太一の椅子が、ガタンッと折れるように倒れ二人はそのまま床に寝そべる形になっていた。

「……」

 一瞬、何が起こったのか太一はてんで理解が出来なかった。その場に居合わせていた皆も、理解出来ずにあんぐりと口を大きく開け、寝そべる形になっている二人を覗き込んでは驚いていた。

「いてててぇー……」

 思い切り抱きつかれた本人さえも何がなんなのか理解出来ず起き上がろうとして、またギョッとしてしまった。白河梅花――突然抱き付いて来た彼女がなんと、太一の顔を見ては瞳をウルウルと潤ませていたからであった。彼女はゆっくりと呼吸を整え、太一の瞳を真っ直ぐに見据えてくる。まるで偽りのないような綺麗な瞳……その瞳に、太一は一体どのように移りだされているのだろう……。

「えっと、大丈夫……か?」

 ふわり――。彼女のことを心配してそう言った瞬間、すごく良い匂いが彼女の髪からして来た。太一はその香りに心臓がバクバクと緊張してしまい、彼女に聞こえてしまわないかと不安で仕方がなかった。

「深間様、とてもお会いしとうございました――」

 はひ――っ?

 彼女がようやく放ったその言葉に、教室全体が一瞬にしてどよめく。

まさかの発言に太一も、目をぱちくりとし頭が真っ白になってしまったかのように固まるしかなかった。

フカマサマ――。

 ああ、この娘は一体何を言っているのだろうか……。

 聞き間違いってことは――やっぱないんだよな……?

 えっ、と言うかなんでいきなり……?

 考えようにも頭の回転がうまくいかない。思考回路はもはやショート寸前だった。

 周りのざわめきに、なんだか分からない脂汗がどっと出て来る。

「おい、ちょっ……まっ――!」

 そう叫び、悪友である藤眞に助け舟を出してくれと言わんばかりに顔を見てみた。が、ところがあのアホ、何を勘違いしやがったのか助けてと言いたげな太一の顔を見ては、にこやかに微笑んできやがった。そして挙句の果てに、

「……おめでとう! お前ら実は付き合ってたのか!」

 とほざきやがって、勝手にぱちぱちぱちと拍手までしてきやがった。

「なっ――!」

「ごっ、誤解だ! ボクはっ……!」

 そう慌てて否定してみせたが、太一の話を聞くヒトは誰もいなかった。

 むしろ、

「おめでとう!」

「おめでとー!」

「幸せになれよ!」

 と、それに合わせるようにみんなもパチパチパチと拍手をしてきやがった。

 何事かと現れて来た先生や隣のクラスからも、野次馬丸出しでわけも分からぬ間に祝福されて、太一と梅花の関係はすぐに学校内に広まり有名人になってしまった。

「ちょっ、待てよコラー! ボクの話を聞けっての!」

 そして否定するように叫ぶ太一の声だけが、校内に思い切り寂しく響き渡った……。



 クスクス――。

 クスクス――。

 廊下を通りかかるの女子たちや男子たちが、太一の顔を見かけては影で可笑しそうに笑っている。

 一種の箱庭とも取れる閉鎖的な場所、それが学校だ。朝の一件のおかげで太一と梅花のことは、瞬く間に校内全体へと瞬く間に広がることとなった。何処の教室でも全然ありがたくもないことなのだが有名人扱いされるようになってしまったと言うわけである。

 美人である彼女を転校させやがった男――などと言う、座右の銘と言うかむしろ汚名と言うべきものなのか、とにかくあらぬ噂を流されてしまって太一は迷惑極まりないことこの上なかった。

 だいたい、最初から言っているのだが太一は彼女のことを今まで一切知らなかったのだ。いや、覚えていないだけなのかもしれない。確かに、小さい頃祖父の家に行き別れる際「必ず会いに来る」と誰かに言った覚えはあったかもしれないのだが……。

しかしながら、それにしたってこの仕打ちはどうかと思う。

 突然、太一の目の前に現れてきて「将来を約束した彼女です」なんて言われたとしても、当然のごとくすぐ「はい」と肯定出来るはずもない……と言うか、誰だって出来るはずもなかろう。いいや、出来るはずがないのだと断言する。

 それなのに――。

 ってか、ボクはあの時本当に彼女と会っていたのだろうか……?

 今更だけど、なんだかたぬきに化かされているような感覚を覚えてしまった。

 はっ、たぬきだって――?

 一瞬、そう考えてしまった自分にドキリとしてしまった。

 いやいや、何だってんだ全く……。

 それにしても、厄介なことに巻き込まれてしまったなあ……。

 もちろん太一だって、あの時のことは思い出したいと正直のところ思っている。しかしながら、思い出そうとしてみるも肝心なところだけどうしても思い出すことが出来ず曖昧なままなのである。

 やはり、あの事故のせいなのか……。

 くそっ、なんとも腹立たしい……。

「――深間様」

 肝心なことを思い出せずガリガリと頭をかきながら廊下を歩いていると、突然目の前に現れて言って来た彼女に、名前を呼びかけられた。その瞬間、周囲からすごい熱い視線を浴びせられて、太一はとてつもなく居心地の悪さを感じてしまっていた。

 むすーっ。

 こう言う時は聞こえなかったと言わんばかりの無視にかぎる。

 そう言わんばかりに、太一は目の前の梅花を通り過ぎた。

「――深間様」

 むすーっ。

 後ろから声をかけられるも、無視を決め込んだ。

「――深間様」

「う……」

 もう一度、梅花に名前を呼ばれた瞬間だった。じと~っと、梅花以外廊下にいる全員のただならぬと言うか嫌な視線を感じてしまい、太一の額から大粒の冷や汗がだらだらと零れ落ちてきた。

 さすがに、これ以上無視を決め込むにも無理があるようにも思えた。しかしながら、その嫌な視線が怖くて簡単に返事をしてしまうのも、なんだかしゃくだと太一は思って耐えしのいでいた。

「――深間様、深間様」

「なんだよっ!」

「ひゃうっ……!」

 とうとう耐えられなくなってしまい、振り返りざま牙を剥いたようにそう怒鳴った後で、太一はハッとしてしまった。太一の怒鳴り声に驚いてしまい、白河梅花がひどく怯えたように泣きそうな顔をして見せてしまったからである。

「ごめん……なさい」

 そう言った瞬間、梅花が瞳からポロポロと大粒の涙を零し始めた。

「……っ!」

「なっ――、怒鳴られたくらいで何も泣くことないだろうがっ!」

 慌ててそう言ってみせ、なんとか泣き止ませようと太一はおどおどして見せる。と言うのも、こんなところをまた誰かに見られてしまった暁には、太一の命の保障は多分ない……と言うか、ここの近くのB湾にチンされてしまうこと間違いないだろうからだった。

 梅花も太一には迷惑を掛けまいと、涙を拭い必死に泣き止んで見せた。

 それを見て、ようやく太一はほっと安堵のため息を付く。

「あのぅ……」

 ようやく泣き止んだ梅花がおどおどしながら尋ねて来る。

「やはり……ご迷惑でしたか?」

「……」

 今さら迷惑だったかと聞かれても、太一にはなんとも言いようがなかった。

 と言うか、始めからそう思っていたのならばどうしてこの娘は――。

「もしかして、やはりこのことが原因で怒っておられるのですか?」

「……それも、ある」

 その問いに、太一は苦々しい顔をするしかなかった。

「ご迷惑でしたのなら、申し訳ありません……」

「……」

「でも、これは深間様とお約束したことですから――」

「やく……そく?」

「ええ――。あの時の深間様の言葉は、良く覚えております。深間様はおっしゃられました『絶対に会いに行く』と――」

「――っ」

 その言葉に、太一は口を噤むしかなかった。

 このことを聞かされても、太一の頭には何一つ浮かんでこなかった。

 梅花との、思い出さえも……。

 梅花とともに過ごした、記憶さえも……。

「ごめん――」

「え……?」

「――忘れちまったんだ」

 太一はそう言うと、深くお辞儀をした。

 それに梅花は、呆然としていた。

「……嘘、ですよね? あの時の『約束』を忘れただなんて。あまり笑えない冗談は辞めてくださいよ」

「……」

 彼女を、梅花をホントは悲しませたくはなかった……。

 けれども、だからと言って嘘を付くのはもっと嫌だった……。

 そう、例え彼女を喜ばせるような嘘偽りであったとしても――。

 だから太一は、嘘偽りなく断言して見せた。

「……ああ、覚えていない。過去のことなんか忘れちまったよ――」

 廊下の窓から吹き付けて来た風が、かすかに啼いた気がした……。



「……涙は、おさまったか?」

 深間様はワタシに向かって申し訳なさそうに、そして哀しげにそう謝って来てくれました。それにワタシはただ、

「はい……」

 と答えながらも、まだ競りあがって来るこの苦しい思いを必死に堪えるしかありませんでした。

 ワタシはあの衝撃的な言葉を聞いてしまって、人目もはばからず大粒の涙を零して泣いてしまったのです。ポロポロと、ポロポロと大粒の涙を止めどなく……。それに驚いてしまった深間様は、慌ててワタシを人気のない屋上へ連れ出してくれて、そこでワタシが泣き止んでくれるまでずっとそばにいてくれたのです。

「……ホントに、ごめん」

 深間様が思いつめたような表情で謝って来ました。

きっと、忘れてしまったことに後悔しているのかもしれません。

きっと、覚えていないことに自分を責めているのかもしれません。

けれども、それは違います……。

そう否定するように、ワタシは首を小さく横に振って見せました。

「いえ、いいんです……」

「むしろワタシの方こそ突然に、学校まで訪ねて来てしまってスミマセンでした……」

 そう――。

 もう、何年も前のことなんですもの。

 さすがに覚えているはずがないです……。

 ううん、分かっていました。気付いてたことですもの。

 悲しいけど、仕方がない……ですよね?

 寂しいけど、仕様がない……ですよね?

 それでも、やっぱり――。

 そう思ってしまうと、枯れたはずの瞳からまた涙が零れ落ちそうになってしまい、ワタシは慌てて深間様に心配させまいと瞳をゴシゴシとすごく強く擦りました。

「あ……れ?」

 けれどもゴシゴシと擦っているにもかかわらず、ワタシは不思議な感覚に囚われている事に気づきました。

 ゴシゴシと強く擦れば擦るほど、涙がポロポロと零れ落ちる不思議な感覚に。

 カレタハズノナミダガ、マタポロポロトコボレテイマス……。

 先ほどいっぱい泣いたはずなのに……。

 泣き止みたいはずなのに……。

 止めたい、はずなのに――。

 だけど、涙は止まるどころかどんどんとあふれ出てきます……。

 それは悲しいからではありません。

 それは寂しいからではありません。

 それは、漠然とした不安からだったと思われます――。

 深間様がワタシのことを覚えていらっしゃらないのであれば、ワタシはここにいても仕方がないことなのです……。

 もし、忘れてしまっていたとしたら――。

 そう言う不安が、ワタシの中に渦巻いていたのです。

 あの時の約束……。

 幾年前かの七月七日に交わした、あの約束……。

 約束――?

 そんな約束、ワタシにはホントのところどうでも良かったのです。

ただただ深間様に今一度会えさえすれば、ワタシにはなんでも……。

 だけど――。

 でも――。

 深間様はワタシのことを覚えていませんでした。ワタシのことなど全くもって――。

 もう、何年も昔のことですもの。

 覚えていないのは、当たり前だと気付いてはいました。

 忘れていたのは当然のことだと、ホントは知っていました。

 けれども、ワタシは心の何処かでそれも認めたくなくて実のところ、我が侭を言っていたのかもしれません。

 ……ううん、もう良いことなのです。

 素直に、このことは認めましょう……。

 ……覚えていないなら、ワタシがここにいても仕方がないのですから。

 それなら、ワタシは深間様の前から消えてしまった方がとても良いのです……。

 ワタシが深間様のそばにいては迷惑になってしまいますから……。

 ならば、ワタシはここから立ち去ることにしましょう……。

 悲しいけれど、それが父母との約束だったのですから……。

 寂しいけれど、その条件を飲んでワタシは上京してきたのですから――。

 ぐいっと零れ落ちる涙をぬぐい、ワタシは決心して深間様の顔を見ることにしました……。



「深間様……」

「ん、何だ?」

呼ばれて太一は梅花の顔を覗きこんでみた。しかしながらそれに、呼んだ方の梅花は妙にもじもじとしてしまっていた。

言おうと決めていたはずなのに、いざ言おうと思うとどうしても臆してしまったのだ。

けれども、それじゃあダメなのです……。

ちゃんと、面と向かって言わなきゃ。それが、けじめなんですもの。

 もう一度覚悟を決めて、梅花は太一の方を見てみた。太一は不思議そうに、けれども梅花の表情を伺っている。意を決して重い口を開けることにした。

「……お別れしなくてはなりません」

「――はっ?」

 突然のことに太一はきょとんとしてしまう。当然のことながら、話しの意図がつかめていないらしかった。

 突然のことだもの、驚くのは無理もない。

「今、なんて言ったんだ……?」

 太一が話の内容を理解しようと、耳をそばだてる。

「お別れしなくてはならない……と」

「どうして、また――?」

そう尋ねて来る太一に、梅花はゆっくりと話しを進める。

「父母との、約束なのです……。もし、深間様があの時の約束を覚えていないならばすぐさま帰郷するようにと――」

「なっ――!」

 その言葉に太一は眉をひそめ、わけが分からないと言った表情を見せ付けた。実際、本当にわけが分からなさそうにしていた。そしてそれと同時に、先ほど「忘れてしまった、覚えていない」とはっきり言ってしまったことにすごく後悔していたようにも見て取れる。

それもそう――。

突如、昔の知り合いと名乗る梅花が訪ねて来たかと思えば、あの時約束していたことを覚えていなかったせいですぐさま実家へと連れ戻されてしまう。そんな理不尽な話しに、太一をすごく困惑しつつとても腹を立てていた。

「ふざけるなっ……!」

 太一の怒声に、梅花は目を見張った。

「なんだよ、それ……? 急に訪ねてきて、あんな風に抱きついて――それで、あの時の約束を覚えていなかったから、もう帰りますだと?」

「……」

「もう一回言うけど、ふざけるなっ……! 記憶を亡くしてしまったのはボクの責任であって、あんたがそれで気負いをすることなんて何一つないんだ! せっかく会いに来て、くれたんだろ? ボクの過去を知っているんだろ? なら、もうちょっといろよ!」

 それは確かにそうなのかもしれない。けれども、約束した以上それは――。

「――すみません、それは出来ないのです。条件を飲んで上京して来てしまった以上、この約束は守らなければ……」

「だけど――!」

 太一が反論しようとした時だった。

突然、校舎に入るドアから、野次馬根性丸出しのクラスメイト達がわらわらと屋上に飛び出して来たのである。どうやら、二人の会話を盗み聞きしていたらしいのだが二人の会話を良く聞こうと押し合いになって、それに耐え切れなくなって二人の前にわらわらと飛び出してしまったと言う次第だった。

 みんなに見られてしまったと言う恥ずかしい気持ちになってしまい、また大勢の人たちに見られて梅花はボンッと顔を真っ赤に赤らめてしまった。そしてそのまま屋上にも居づらくなって、また頭が真っ白になってしまいこの場からすぐにいなくなってしまいたい気持ちに刈られ、梅花は「うきゃー!」と叫びながら校舎の中へと逃げてしまった。

「ちょっと白河さん、まだ話がっ……!」

 そう言って話の途中で校舎へと逃げてしまった梅花を、太一は何故か必死に追いかけていた。それと言うのも彼女が何処か遠くへ逃げて行ってしまいそうで、このまま彼女を追いかけなければもう二度と会えなくなってしまうような、そんな嫌な感覚に囚われてしまったからである。

 しかし、追いかけようとしても追いかけようとしても、何故か彼女に追いつけるはずもなく逆に太一は彼女を見失ってしまっていた。

「一体何処へ行ったんだ?」

 教室に戻っているのかと思って行ってみたのだけれども、教室にもいなかった。仕方なく友達などに彼女を見かけなかったかと色々尋ねてみると、なんと意外な言葉が返ってきた。

「白河……? 誰だそれ」

「白河さん? そんな人、このクラスにいたっけ?」

「……ふざけてんの?」

「頭打って幻覚でも見たのか?」

 口々にそう言うみんなの言葉に、ボクは愕然としてしまった。まるで今まで夢を見ていたような感じだった。

 みんながみんな、彼女のことを知らないと言うのである。知らないだけではない、白河梅花と言う女の子がいた記憶すらみんなの中にはないのだ。

 そう、それはまるで……

みんなの記憶の中から、白河梅花と言う少女の存在だけが消された――

そこだけ、ぽっかりと穴が開けられたような感覚――

 昼下がりの陽炎が、瞬きをした瞬間――



「……」

 夢を見ていたような感じだった。

それはまるで、一炊の夢をみていたような……。

――けれども、それは本当に夢だったのだろうか?

まるで、たぬきに化かされてしまったよう……。

 またたぬき――?

ボクは頭が混乱してしまっていた。

「……あれ?」

 なんだ――これ?

 なんで、彼女のことをみんな……。

「お前、少しおかしいぞ?」

「熱でもあるの?」

「保健室で少し横になった方が良いんじゃないか?」

 そう思っていると、友人らがボクの曇った表情を覗いては顔を見合わせて心配そうに尋ねて来た。そんな気休めのような言葉に、ボクは無性に腹が立っていた。

 大丈夫か、だと……?

 おかしいのは、お前らの方だろ?

 彼女は確かにいたんだ。

 彼女は確かに……。

 そんなボクの気持ちなど露知らず、友人らはボクを心配してくる。

「おいおい、ホントに大丈夫か?」

「やっぱり、少し休んだ方が……」

「何処か具合でも悪いの――」

「――うるさいっ!」

 口々になんかうざったく言って来やがる友人に対し、ボクは大きな声で一喝していた。思ってもみなかった言葉に、みんなが驚いた表情でボクを見て口を噤んでしまった。みんなのボクを見つめる視線が痛い……。

 なんだ、これ……?

 小さい時も、こんなことなかったか……?

 なかった……?

 否――。

 もはや、冷静でいられるはずがなかった。

 頭が、めちゃくちゃにぐちゃぐちゃになってしまう……。

 どちらが正しいのかどちらも正しいのか、それともどちらも間違っているのか、ボクには判断が付けようもなかった。判断が付けられるはずもなかった。

 ただ一つ言えることは、彼女は幻でも何でもなかったと言うこと……。

 あの温かさ、香りは本物だった――。

 けれども、どうすれば良いのか分からなかった。

 ホントに、どうすれば良いのか――。

 だけど……。

「くそっ……!」

 何処行ったんだよ――!

何処行ってしまったんだよ――!

 そう思って何気なく窓の外を眺めて見てみると、なんと彼女らしき女の子の影がちょうど校門辺りをふっと曲がっていったような、そんな気がしてしまった。

 それは幻だったのかもしれない。それは見間違いだったのかもしれない。

 けれどもボクは、それが彼女だったのだと信じて「授業が始まるぞ!」と叫ぶ、友人の静止を振り切り、追っていた……。


 帰らなくちゃ……。

 帰らなくちゃ……。

 そう思いながら、ワタシは学校から飛び出して必死に逃げていました。

 何から、逃げているの?

 そう、現実から――。

 ワタシは必死に現実から逃げていたのです。耳を覆いたくなるような現実から。迫り来る現実からワタシは今……。

 ああ、やっぱり――。

 父母の心配は当たっていました。

 恐れていた心配が現実のものになってしまったのです。

 悲しかったです……。

 ホントに、哀しかったです……。

 スゴク、カナシカッタデス……。

「はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……!」

 何処からかカラカラに渇き切ったあえぎ声が聞こえて来ていました。

 ようやくゆっくり立ち止まってみますと、なんとそれはワタシから零れ落ちていることに気が付きました。

「うっ……うっ……うぅっ……!」

 どうしようもなく嗚咽が出てしまって仕方がありません。

 どうしようもなく、涙があふれてきて止まらないのです。

 どうしようもなく……。

 どうしようもなく――。

 ……ホントは分かっていました。

 ……ホントは気が付いていました。

 でも、分かっていないつもりだったのかもしれません……。

 けど、気付いていないフリをしていたのかもしれません……。

 深間様がワタシのことをを覚えていない――忘れてしまっていることを、ワタシは信じたくなかったのです……。

 けれども、それは淡い想いでした……。

 けれども、それは儚い奇跡でした……。

 大粒の涙が頬を伝い、ポロポロと止めどなく落ちて来ます。ワタシはその涙をもはや拭うことが出来ませんでした……。

 幾年か前の約束……。

 七月七日のあの時の約束……。

 ワタシは声を出し、涙を流して泣いていました――。



 夢は何処で終わりを告げる……?

 夢は覚めなくてはいけないのか……?

 夢は、夢のままであって欲しいのに――。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 胸がドキドキと高鳴っている。探していた白河梅花を、とある公園でようやく見つけ出してボクは夢でなかったことに、幻でなかったことにほっと安堵した。しかし、それと同時に梅花の言葉が未だ頭の片隅にあって不安で仕方がなかった。

 息を整えてゆっくりと梅花の座っているベンチへと向かってみる。良く見てみると梅花は、すごく沈んだような哀しい表情をして座っていた。やはり、彼女も本心は帰郷したくないのかもしれない。

「……」

 それを垣間見て、ボクはゆっくりと梅花の元へ歩み寄り横に立った。気配に気が付いて、不安げな梅花の瞳がボクを静かに見上げて来る。真っ直ぐに向けられたその瞳の奥に、哀しみと切なさと不安がすごく混じり合っていた。

「……隣に座っても良いか?」

 梅花を真っ直ぐに見つめつつそう問いかけてみると、梅花はふいっとボクから視線をそらしながらも小さく頷いて来た。今更何も話すことがないのか、口は真一文字に噤んでいる。それとも、何か言いたくても何も言えないでいるのか……。

「……」

 けれどもそれと同時に、ボクも梅花に対し何も言えないでいた。今更何をしゃべればいいのか分からなかったからだった。いきなりの連続。仕方なく梅花の隣に腰を下ろしてみると、前にある砂場で小さな女の子と男のが楽しそうに、仲良く遊んでいるのが目に入った。ホントに微笑ましく、和気藹々と遊んでいる。

「……微笑ましいな。ボクらも、あんな風に遊んでいたんだよな――」

 そうぼやいてみると、俯いていた梅花もふと顔を上げて砂場で仲良く遊んでいる男の子と女の子を見てみた。多分、小さかった頃のボクらと重ねているのかもしれない。その瞳は、何か昔を懐かしんでいるような、そんな気がした。

「――」

「……ごめん」

 申し訳なく思ってボクは自然と謝っていた。その言葉に、梅花がまた哀しみと切なさと不安ですごく混ざり合った瞳をボクに向けて来る。

「今まで思い出せなくて、ホントにごめん……」

「……」

「……やっと思い出したんだ。やっと、ね」

 その言葉に梅花の瞳が大きく開かれる。

「そう――ちょうど、ボクがじーちゃんの家にいた時だったな。まだ、小学校に上がる前だったから、多分五、六歳だったと思う。田舎だったから友達もいなくてさ、ボクは一人で寂しく遊んでいたんだ……」

「そんな寂しそうに一人遊んでいるボクを見かねて、声をかけてくれたのが白河さん――梅ちゃんだったんだよな?」

 そう静かに尋ねてみると、梅花がそれに相槌を打つように小さく頷いてくれたような気がした。あの男の子と女の子はもう家に帰ってしまったのか見当たらない。

「――それでさ、ボクが何もいえずにいると一緒に遊ぼうと誘ってくれて、それで仲良くなったんだよな。色々悪戯してじーちゃん怒られたことも、思い出した……」

「――そして、七月七日に交わしたあの約束も……」

「七月七日のあの時の約束……。ちょうどこんな時間帯に『また一緒に遊ぼうって言う約束』をボクらはした……。けれど叶えられなくて、約束破ってごめん――。十月頃にじーちゃんが病院に入院してしまって、結局それ以来行くことがなくなってしまったし、ボク自身交通事故にあってしまって、今までの記憶を亡くしていた……。言い訳かもしれないけど、ごめん」

 そう言うと、初夏の風が二人の頬を撫で付けた。真っ赤に燃える夕日が、二人の背中を赤く照らし出している。公園には、ボクと梅花を除いて誰もいなかった。首を横に振りつつ梅花の重い口がゆっくりと開く。

「いいんです。……あの時のことを思い出してくださっただけでも、ホントに良かったです」

「うん、だから学校に戻ろう?」

 そう言う彼女の言葉が、何故か重い。梅花は一呼吸おいて気丈に振舞った。

「――本当に思い出してくださって良かった。これで心置きなく、帰郷することが出来ます」

「――っ!」

 思ってもみなかった言葉にボクは耳を疑った。と言うのも、前に言った「もし、ボクがあの時の約束を覚えていないならばすぐさま帰郷せよ――」と言う言葉が頭の片隅をまたよぎってしまったからである。

「どう言う意味だ? 帰郷するって――」

「もとから、するつもりではなかったんです……。いいえ、出来なかった――と言った方が正しいのかもしれません」

 ますます意味が分からなかった。そう思っていると梅花の身体が徐々に小さくなっていったと思ったら、手足から毛などが生え出していき、なんと梅花はケモノの姿に変わってしまった――いいや、元の姿に戻ってしまったのだ。

「……」

 梅花は元の姿に戻ってしまうと、いたたまれない気持ちからか俯いてしまい、かき消されてしまいそうなか細い声でまたしゃべって来た。

「……これが本当の理由です。今まで、隠していて申し訳ありませんでした」

 そう言って来たのは、人間の姿をした梅花ではなくたぬきの格好をした梅花だった。そう、彼女はたぬきだったのである。

「ワタシは……たぬきなんです。人間に化けることが出来る化けだぬきです。ですから、深間様とは――」

 俯き加減にそう言い、申し訳なさそうにする。たぬきになった梅花の姿にしばし呆然としていたが、ボクはふっと微笑むと梅花の頭をそっと撫で付けた。

「――そんなの、関係ないよ」

「えっ……?」

 意外だった言葉に梅花が驚いたように顔を上げる。梅花の瞳には涙が溜まっていた。ボクはその梅花の瞳に溜まった涙も人差し指で軽く拭やる。夕日が沈み、街灯がほのかに二人を照らし出して来た。夜空を見上げてみれば、一番星が淡くぼんやり瞬いている。

「……梅ちゃんがたぬきだってこと、実は出会った時になんとなくだけど気付いていたんだ。多分、幻術かなんか使っていたんだろ? だから、何があっても大丈夫、絶対に驚かないよ」

「……」

「それに梅ちゃんがたぬきだったからって、だからどうしたと言うんだ? 梅ちゃんは、梅ちゃんなんだから、そんなの全然関係ないだろ――」

「深間様――」

 言葉一つ一つが、心に染み渡って来る。

 涙がどうしてか止まらなかった。

 深間様はどうしてこんなにも優しいのだろう……?

 深間様はどうしてこんなにも温かいのだろう……?

 ああ、だからなのかもしれない――。

 ワタシが、深間様を好きになったのは……。

 深間様に会いたいたかったのは……。

「……深間様」

「ん?」

「やっぱり、家に帰ります」

 彼女の言葉が、先ほどとはまるで別人のように明るかった。

「……そっか」

「家に帰って、正式に転校の手続きをいたします」

「え、それって――?」

 残念だと思っていたボクにとって、予想外な展開だった。

「父母は人間界の学校に転校させることに反対すると思いますけれども……でも、きっとワタシは転校してみせます」

「深間様のそばにいたいから――」

 そう力強く言う梅花が、なんだかすごくたくましく思えてならなかった。それはきっと迷いだとか、気持ちがすっきりとしたからに違いない。

 ボクが彼女に言うことは一つしかなかった。

「うん、待っている――」

「ここで、ずっと梅ちゃんのことを――」

「深間様、あの時交わした約束をもう一度……」

 その言葉を聞くと梅花は、そっと小さな小指を差し出して言って来た。指きりをと言うことらしい。その言葉にボクも小指を差し出し梅花の小指と絡ませる。

『指きりげんまん嘘付いたら針千本のーます、指きった!』

 そう歌って指が離れてしまうと、なんだか二人共とてもこそばゆいような気分になり、お互いクスクスとしばし笑い合った。

「深間様……きっと、会いに来ます。ですから、また今度のように忘れないでくださいね?」

「ああ――今度は絶対に忘れない。今度こそ決して忘れない。この星空に誓って」

 そう言うと、ボクらは手をつなぎ夜空に幾億も瞬く星空を見上げた――。



 七月七日――

     二つの影を写した蒼い幻燈は、

これでおしまいです――

               

                                         完


すんません。七夕からだいぶたちましたが、七夕小説です。


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