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革命ガ始マリマシタ  作者: XICS
船出と始まり
9/72

孤独からの解放

 医務室の中で模擬戦の反省をした勇気と恵良の二人は、澄佳に言われたとおりに医務室の中で夜を過ごした。夜が明けて朝になり、二人のうち先に勇気が起床した。痛みが幾分か引いた上半身を起こし、伸びをした後目をこする。

 こすった目を開いた勇気は、眼前の光景で驚きの声とも悲鳴とも判別しがたい素っ頓狂な声を上げた。

「おはよう、勇くん」

 勇気の眼前には、医務室の奥から引っ張り出したと思われるパイプ椅子に座った白衣姿の澄佳が微笑んでいた。予想外の光景に、彼はベッドから転げ落ちそうになった。

「そんなに驚かないでよぉ」

「いや、ビックリしますよ! いつからいたんですか?」

 澄佳は勇気の質問に答えず、彼の反応が可笑しかったのか、ただ鈴を鳴らしたような笑い声で笑うだけである。すると、周りの喧騒で恵良も覚醒した。不機嫌そうに唸り、目をこすって目を開いた恵良は、先程の勇気と同じような反応をした。

「なんで、澄佳さんがここに――」

「恵良さんが『退院』できるかどうか診にきたのよ」

 だからってこんなに早く来ることないでしょう、という溜息交じりの恵良の苦言には耳を貸さず――壁に掛けられた時計の針は六時を指している――、澄佳は恵良のベッドの周りのカーテンを閉めた。

 澄佳の診断の結果、恵良は無事に本日から訓練に復帰できることになった――シミュレータ使用は一週間禁止されているが――。一応、ということで勇気も診断してもらったが、診断の結果、澄佳からの許可は得られなかった。彼の背中には、まだ痛みが少しだが残っていた。

「俺の分まで、訓練頑張ってください」

「はい。勇気さんも早く治して復帰してくださいね!」

 恵良は勇気に応えた後、ベッドを使う前の状態まで整えてから、澄佳とともに医務室を出た。

 医務室のドアが閉まると、勇気の周りを静寂が包み込んだ。彼はゆっくりと身体をベッドに任せ、仰向けになって朝食が運ばれてくるのを待つ。あまりに医務室の中が静かなので、廊下で恵良と澄佳が何かを話している声が聞こえてくるが、彼はそれが聞こえていないのかどこか物憂げな表情で天井を見つめている。

 七時になって、朝食が勇気の下に運ばれてきた。朝食をワゴンで押して運んできたのは雪音であった。雪音が勇気に朝食を届けに医務室の中へ入ると、彼は上半身を起こして雪音に朝の挨拶とともに敬礼をした。

「おはよう。恵良はこの部屋にいないみたいだが、もう復帰したのか?」

「はい、六時くらいに澄佳さんが来て、恵良さんはオーケーをもらってここを出ました」

 そうか、と、雪音が勇気に返すと、彼女はワゴンから朝食が載ったプレートを取り出し、ベッドに取り付けられている小さなテーブルにそれを置いた。プレートには、一個のクロワッサンとベーコンエッグ、ドレッシングのかかったサラダが載っている。

「お前一人か」

「……はい」

 雪音が勇気にポツリと呟くように言うと、彼は朝食を食べようとした手を止めて雪音のほうを向いた。

「どうしたんですか?」

「……一人は、やはり寂しいか?」

 唐突な質問に、勇気は不意を突かれて黙ってしまった。『一人』という言葉が、頭の中で繰り返される。雪音は白衣のポケットに両手を突っ込んで、硬直している勇気を見つめている。

「大丈夫か?」

「――大丈夫です、寂しくありません。子供じゃあるまいし……」

「それならいいんだが。悪かったな、こんなこと訊いて」

 いえ、と返事をした後、勇気は朝食に手を付けようとした。しかし、雪音がこちらをじっと見つめており、彼は気になって手を付けることができない。

「……隊長?」

「私は気にせず、早く食べろ。食器を片付けたいんだ」

「分かりました……」

 そう返事をすると、勇気はプレートに載っているクロワッサンにかじりついた。

 おそらく自分は寂しがり屋だと思われているのだろう、だからこうして雪音は自分と一緒にいてくれているのか、と勇気は思った。と同時に、彼はこれまでの自分を思い返した――彼は一人になるといつもそれを思い出してしまう――。寂しがりやとか、そのような生易しい言葉では片づけることができない何かが、彼の心の中に存在していた。



 ――勇気が物心ついたころには、保育施設の中で生活していた。彼はその中で何不自由なく過ごしていた。自分が生活している空間が国が運営している保育施設、もとい孤児院であることや、その中以外の世界を何一つ知らなかった。その時の彼は、まだ幼かったこともあるが、毎日笑顔を絶やすことは無かった。施設の中で他の子供と寝食を共にし、施設の中の教育施設で義務教育を受けることに何も疑問を感じていなかったし、ここに自分の世界が集約されているとさえ思っていた。

 しかし、それも勇気が十歳になるまでの話であった。

 勇気が十歳の頃、一人の男子が勇気が入っている施設の居住ブロックに新しく入った。その男子が施設の職員に案内されているところを見たとき、彼は子供心に怪訝に思い、その男子に思わず視線を釘づけにされてしまった。

 その男子の表情が異様に暗かったのである。また、その男子は何かに憑りつかれているかのように口をモゴモゴと動かしていた。さらに、傍から見れば浮浪者のような見た目をしている。奇しくもその男子は、勇気と同じ部屋で生活することになった。

 別の日、『学習の時間』――施設の中では、子供たちが学校の教育を受ける時間をこう呼ぶ――が終わったあと、勇気は例の男子が部屋の隅でうずくまっているところを発見した。彼はその男子の下に駆け寄り、しゃがんでうずくまっている男子と同じ目線になって尋ねた。

「どうしたの? 具合でも悪いの?」

 しかし、男子はうずくまったまま勇気の質問に答えようとしない。勇気は問いかけを続けながら、その男子の身体を揺さぶった。するとその男子は勇気の手を邪険に振り払い、血色の悪い顔を上げて勇気を睨みつけた。彼はその男子の瞳の奥の感情を読み取ることはできなかったが、直感でその男子から後ずさって離れた。それ以来、彼はその男子に話しかけることはなくなったが、彼のことがますます気になってしまった。緊張しているのか、落ち込んでいるのか、怒っているのか、悲しんでいるのか、その時の彼には分からなかった。



 それから一週間が経った日の夕方の五時頃、勇気は職員にちょっとした用があるために職員室に向かっていた。勇気が居住ブロックから職員の駐在しているブロックまでたどり着き、職員室の目の前まで来ると、職員たちが何かを話しているのが勇気の耳に入ってきた。一体何を話しているのかと気になった勇気は、ドアについている小窓から、背伸びをして職員室の中の様子を覗いた。

 彼が見たものは、椅子に座って神妙な面持ちで何かを話している職員三名であった。白髪交じりの老けた男性職員、まだ若く見える男性職員、茶髪の若い女性職員の三名であった。

 勇気は職員がいることと彼らの顔を確認すると、すぐに頭を引っ込めた。まだ話声が聞こえるので、職員会議か何かだろうと勇気は思ったが、彼はそこを離れなかった。若い女性職員に勇気の用事があったからである。

「一週間前に入所してきたあの男の子の状態、まだ芳しくないようだね」

 老けた男性職員が、若い二人の職員に意気消沈気味に言った。

「仕方ありませんよ。咲宮さきみや君は両親を亡くしたばかりなんですから。心のケアにはまだまだ時間がかかると思います」

 若い女性職員が一週間前に入所した男子の名前を口にしながら、老けた男性職員を宥めるように言った。しかし、老けた男性職員はその言葉が言い訳がましく聞こえたためか、顔を顰めた。

「ここの子供たちは両親と死別してる子が殆どだ。要するに孤児だな。あの子と同じだ。五歳でここに入った子もいるが、その子供ですら一週間かからずここに順応できた。早く順応してもらわにゃ困る」

「ですが、その子は家庭内暴力のせいで引き取られた子供ですよ。咲宮君とは事情が――」

「とにかく、心のケアでも何でもして、あの子を順応させてくれ」

 そう嫌味っぽくぶっきらぼうに言い放つと、老けた男性職員は席を立って職員室の奥のほうへと消えていった。若い女性職員は老けた男性職員を呼び止めようとして席を立ったが、先に若い方の男性職員が追いかけていったので、奥に消えていく二人の背中を見つめてただ立ち尽くしてしまった。

 勇気もまた、会話の内容に呆然として立ち尽くしていた。まだ十歳なので語彙が少ないが、『死』や『両親』という単語は彼自身理解していたので、彼の頭でリピートされた。施設の中で暮らしていた彼でも、『死』や『親』の概念は教えられていた。

 彼の胸は『死』という単語によってにわかに騒ぎ始めた。

 この施設に入っている子供は――物心ついてから入った子供は除く――、親は仕事などで子供たちになかなか会うことができないと教えられてきていたのである。勇気のその考えの中に、『死』という単語が割り込んできた。

「両親が、死ぬ……」

 その時、勇気の目の前のドアが開き、若い女性職員が出てきた。彼女は、ドアのすぐ前にいた勇気を見つけて驚いた。

「どうしたの。何かあったの、灰田君?」

「あ……」

 勇気は女性職員と目を合わせたが、頭の中をグチャグチャにされたような感覚に囚われて、口をパクパクとさせたまま立ち尽くしていた――彼は女性職員に対する要件をとうに忘れていた。その状況を察した女性職員は口をつぐみ、勇気と同じ目線になるように屈んだ。

「今の話……聞いてたの?」

 女性職員が声を潜めて勇気に尋ねると、彼は無言で頷いた。彼は、自分の中を掻き回す気持ちの悪いものを取り去るため、泣きそうになりながら女性職員に尋ねた。

「両親が死別って、どういうこと?」

 勇気が尋ねた途端、女性職員はばつの悪そうな顔をして彼から顔を逸らした。それを見た勇気は、『両親が死ぬこと』を自分にとって何か不吉なものだと容易く捉えることができた。

 彼はまだ幼かったので、職員の気持ちを考えることができなかった。なので、必死の思いで女性職員を見つめて真実を聞き出そうとした。しかし、女性職員は勇気の予想外の行動をとった。

「……ちょっとこっちに来て」

 女性職員の声のトーンが急に下がったことに気付いた勇気が呆気にとられているうちに、女性職員は姿勢を戻し廊下を歩きだした。それに気が付いた彼は急いで女性職員の後を追った。



 勇気たちが付いた先は、職員室があるブロックの一番奥の書庫だった――そのドアには『関係者以外立ち入り禁止』の張り紙が貼ってある。女性職員は持っていた鍵でそのドアのロックを開けると、重そうなドアを開けて勇気と一緒に書庫の中に入った。勇気が訳も分からずキョロキョロと暗がりな辺りを見回す。半ば混乱気味の勇気を尻目に、女性職員は書庫を歩く。

「ここは、どこ?」

「灰田君のことが知れるところだよ」

 女性職員は勇気の質問に答えたが、その声は今にも消えそうで、悲しそうで、弱々しかった。すると、彼女は膨大なファイルが詰まった書棚の前で立ち止まった。

「……先生、どうしたの?」

「灰田君、これは、先生と灰田君の二人だけの約束だよ。ここのファイルを人に見せるのも、ここの子供をこの中に入れるのも絶対にダメなことだから」

 勇気の質問には答えず、女性職員は『ハ行』とタグのつけられた棚から膨大な数のファイルの中から、『灰田勇気』と表紙に書かれた分厚い紙ファイルを抜き取った。勇気がファイルを開き、女性職員が持ち出した懐中電灯を頼りに読み始めた。

 その中には、彼にとって衝撃的なことが書かれていた。

 勇気の両親は彼が生まれて間もないころに飛行機の事故で死んでしまったこと、それから自分がこの施設に引き取られて今日まで育てられたことが書かれていたのである。

 そしてそれらの情報から、勇気は自分はずっと一人ぼっちであり、この施設の人たちから嘘をつかれていることを悟った。勇気の親は遠くに行ってなかなか会えないと言われていたが、十年前にはこの世にはもういなかったのである。

 そして、勇気を不意に孤独感が襲った。自分の内面がぽっかりと空いた気分になり、頭の中も空虚になった。その中を、孤独感と怒り、そして大きな悲しみが満たしていく。彼は手に力が入らなくなり、大きな音を立ててファイルを床に落としてしまった。

 もはや周りが眼中に入っていない勇気は、女性職員をおいて書庫から全速力で走って出ていってしまった。

「――灰田君!」

 女性職員が大声で呼んでも勇気は振り向かず――彼には女性職員の声が聞こえてさえいない――、そのまま勇気の居住ブロックまで走った後トイレに篭り、声を殺して泣いた。勇気がトイレから出てきたとき、壁にかけられた時計は夜の九時を指していた。その後勇気は自分の部屋に戻ると、死んだように眠りに就いた――



 過去の自分を思い返しているうちに、勇気は朝食をすべて食べ終えて俯いていた。朝食の味を全く覚えていないほど、それどころか朝食が腹の中に入った感覚すら忘れているほど、彼は考え事に没頭していた。朝食のプレートは既にワゴンの中にしまわれており、勇気が顔を上げると雪音が彼を見つめていた。

「私はもう戻る。お前はゆっくり体を休めてくれ」

「……分かりました」

 雪音が勇気に戻ることを伝えて席を立つと、彼はワゴンを押して去っていく雪音の後ろ姿に敬礼をした。すると、雪音が彼の方を振り向いた。ハッとしたような顔をして敬礼を解き、彼は雪音としばらく見つめ合う。

「……辛いことがあったら、私たちにいつでも言ってくれ。私含めて、ここの奴らはああみえて面倒見がいいからな」

「……はい」

 勇気の目には、雪音が彼に少しだけ笑っているように見えた。そう見えたことに閉口している間に、雪音はワゴンを押しながら医務室を出ていった。彼女が医務室から出ていったことを確認した勇気は、ベッドに横になり考え事をし始めた。

 勇気には、雪音の気遣いが十分すぎるほど伝わっていた。自分と共に戦っていく人たち――少なくとも以前に所属していた部隊よりは信用できる――が増え、サポートまでしてくれている。しかし、それでも自分は一人であるということを払拭することができずにいた。何せ、周りの大人たちから十年間も騙され続けてきたのだから。上官である雪音の多大な優しさや慈悲の中にすらも、自分の上に立って監視している大人だという理由だけで一抹の疑念を彼は持ってしまった。彼はそのような自分に嫌気がさしていた。

 勇気は身体をギュッと縮こまらせて、もう自分の過去のことは考えまいと目をつぶった。



 壁にかけられた時計の針が正午を指してから少し経つと、医務室のドアが開けられて、昼食が載ったワゴンを押しながら雪音が入ってきた。勇気は彼女に敬礼をする。

「ありがとうございます」

「礼はいい。調子はどうだ?」

「良好であります。今からでも訓練に参加したいです」

 身体を左右に大きく捻って見せた勇気に対し雪音は、そうか、と返し笑顔を見せた。勇気は未だに気持ちが晴れていなかったが、討伐部隊の人たちの前では明るくふるまうように努めていた。

 それから勇気は、昼食に手を付けながら雪音と少し会話をした。しかし、雪音が気を遣ったのか彼の口数が少なかったのか、その両方なのか、少し会話をしたのみで彼と雪音が一緒に過ごす昼の時間は終わった。

「夕食の時にまた来る。お前なら大丈夫だろうが、大人しくしてろよ」

「分かりました」

 昼食のプレートを片付けた雪音は、医務室を出た。医務室から雪音が出るのを見た勇気は、すぐさま嫌悪感に襲われた。優しく接してくれていた上官とまともに話もできない自分に対しての嫌悪感だった。今までのような大人ではない筈なのに、彼は素直になることができないでいた。



 勇気は夕方まで、何もすることなく医務室のベッドで大人しく寝ていた。しかし、その日の夕方はまだ夕食が来る時間ではないのに医務室のドアがノックされた。彼は上半身をベッドから起こし、ノックをした主に応答する。

「誰でしょうか?」

「……私です。恵良です」

 思いもよらない声の主に、勇気は驚いた。勇気がキョトンとした顔で沈黙していると再び声が聞こえてきた。

「大丈夫ですか? 入ってもいいですか?」

「え? は、はい。大丈夫ですよ。入ってもいいですよ」

 勇気が少しオロオロとしながら返事をすると、恵良がドアを開けて医務室に入ってきた。恵良はパイロットスーツを着用しており、そのクタクタ具合から勇気に訓練が終わったことを窺わせた。彼の姿を見た恵良は、にっこりと微笑んだ。

「よかった。元気そうですね」

「……どうして、恵良さんがここに来たんですか?」

 勇気は思っていたことを口にした。恵良は、以前彼女が使っていたベッドの縁に腰かけて勇気と向かい合った。彼もまた、膝に手を置き恵良と向かい合う。

「澄佳先生に許可を頂いたんです、お見舞いの」

「……お見舞い?」

 勇気は恵良に思わず聞き返した。突然恵良が自分を見舞うということに唯々オロオロとするばかりであった。

 早朝恵良が医務室を出た後、澄佳と何かを話していたが、その内容が勇気のお見舞いをしてもいいかどうか、そしてそれの理由というものであった――勇気の耳には入っていなかったが――。恵良は澄佳に二つ返事で許可をもらった。しかし、これはお見舞いに至る過程であり、理由ではない。

 恵良は勇気の目をじっと見つめた。勇気はそのことにすら戸惑い、視線を逸らしてしまった。しかし、視線を逸らしながらも彼は彼女に見舞いの理由を尋ねた。

「どうして……俺の見舞いを?」

「……淋しそうだったから」

 恵良がポツリと口にした言葉に勇気は動きを止め、彼女の方へ視線を戻した。恵良が話を続ける。

「私、勇気さんが寝ている後ろ姿をみて、淋しそうだな、って思ったんです。なにか、一人で深刻な考え事をしてる感じがして……。一人で深刻なことを抱えているような気がして……。私、人の気持ちが――勇気さんの気持ちが沈んでいくのを見たくないんです! だから、勇気さんの気が紛れればいいな、って思って、それで……。余計なお世話、だったでしょうか――」

 恵良は勇気に真剣な表情で理由を伝え、唇を噛み締めた。声は言い終わりに近づくにつれてか細くなっていった。勇気には彼女が今にも泣きそうになっていると感じた。彼は、理由を言い終えて俯いている恵良をただ見つめている。

 しかし同時に、勇気は自分の心の中に再び現れた空虚さが次第に埋まっていくのを感じていた。何故かは彼でも理解できていないが、彼は恵良にお見舞いをされて安心感や嬉しさを感じていた。雪音と接した時には感じることのなかった感情が、彼の中に現れていた。彼は膝に置いていた手をギュッと握りしめた。

「……恵良さん、ありがとう」

「え?」

 勇気の突然の感謝に、恵良が顔を上げる。彼は恵良に笑顔を作っていたが、声は小さく、震えていた。

「俺、確かに『深刻なこと』を考えていました。それも、自分が勝手に思いだしたことがきっかけで……。正直言って、とても寂しかったです、とても悲しかったです。……でも、恵良さんがこうして見舞いに来てくれて、このことを忘れられそうな気がして……。だから俺、恵良さんに物凄く感謝してます」

 勇気は自分の気持ちを声に出すことで、心の中の安心感や嬉しさの理由を理解することができた。また、彼は自分の気持ちを恵良に吐露することで、自分にのしかかっているものをいくつか取り除くことができたような解放感に浸ることができた。

――もう、一人ぼっちじゃない。

「勇気さん……」

 すると恵良は、汚れを拭うように勇気の頬を両の親指で軽く触った。勇気は恵良の不意の行動に驚き、悲鳴のような声を上げて身体がばねのように跳ねた。

「勇気さん、涙がこぼれてました。……そんなに辛かったんですね」

「え――」

 勇気は、泣いていた――正確に表現すれば、涙一粒を両の目からこぼした、だが。彼は恵良に指摘されて茫然としていたが、その直後には目の周りをごしごしと拭い、彼女に笑顔を作って見せた。

「……もう大丈夫です」

 勇気のその言葉に、恵良も笑顔を作った。彼女自身も、勇気と話して彼が元気になったことを確認して嬉しさと安心感を得ることができていた。

 すると、医務室のドアがノックされた。勇気と恵良が壁にかけられた時計を見ると、その針は六時を指していた。夕食を運んできた雪音がノックの主だと彼は確信した。

「勇気、開けてもいいか?」

「はい、大丈夫ですよ」

 声の主は勇気が思った通り雪音であった。勇気と恵良が雪音に敬礼をする。雪音がドアを開けて夕食を載せたワゴンとともに医務室に入ると、少し驚いたような表情で中にいた恵良を見つめた。

「なんでお前がここにいるんだ、恵良」

「澄佳先生にお見舞いの許可を頂きました」

 そうか、と雪音が彼女に軽く返すと、ベッドに取り付けられている小さなテーブルに夕食の載ったプレートを置いた。

「勇気、恵良がお見舞いに来て、少しは落ち着いたか?」

「落ち着きました。隊長との時間も落ち着きましたけど」

「そうか。まあ、お前たちは同い年で同じ勤続年数だから、話しやすかろう」

 勇気と恵良は、初めて知った事実に驚いた。勇気と恵良は同じ一八歳で、軍に入ってから三年ということも共通しているが、互いにそのことを知らなかった。雪音は、二人が彼女を驚きの表情で見つめていることに気付いた。

「なんだ。お前ら知らなかったのか」

「……はい」

「初耳でした」

 二人は初めて知った事実に驚き、顔を見合わせた。すると、雪音が手を叩いた。手を叩いた音につられて、二人が雪音の方を向く。

「ほら、夕食の時間だ。早く食べろ、勇気。恵良もここで食べたかったら食堂からプレートを持ってくるといい」

「良いんですか?」

 恵良の問いに対し、雪音はただ無言で頷いた。恵良は、失礼します、と断りを入れてから夕食を食堂まで取りに行くために医務室を出た。彼女が医務室から出たのを確認した雪音は、勇気と向かい合って彼に向かってニッコリと笑った。いきなり笑みを見せた雪音を、勇気はただキョトンとして見つめているだけだった。

「いい同僚を持ったな、お前は。お前が泣いてたのを優しく宥めてくれたんだろう?」

 雪音の言葉で、勇気は全てを悟った。すると途端に、勇気の頬が赤く染まった。

「……まさか、全部聴いてたんですか?」

「勿論。恵良を見て驚いたのは演技だ」

 雪音がニッと歯を見せて悪戯っぽく笑うと、勇気は顔を両手で覆い、呻き声のような声を上げながら背を丸めた。この歳になって自分が涙を見せたと知られたのは、彼にとってとても恥ずかしいことであった。彼は悲しさとは別の意味で泣きたくなっていた。

 しかし、雪音はそれ以上勇気に向かって笑うことはなく、彼の頭にポンと右手を載せた。勇気がポカンとした顔で顔を上げる。

「泣いたっていいんだぞ。余程のことがない限り、私は咎めない。それに、泣きたくなることだって沢山あるさ」

 勇気は雪音の言葉にコクリと頷くだけである。雪音が勇気の頭から手を放し、さらに話を続ける。

「私だって辛い思いをしたことがある。周りに慰めてくれる人が誰もいない状況で、だ。お前は恵まれてる。悲しいことがあったら、皆に相談してみるといい。溜め込むのは身体に毒だ」

「――分かりました」

 勇気が雪音の言葉を一言一言噛み締めるように頷く。今日の恵良のお見舞いがきっかけで、彼には大切なパートナーがいることを知った。自分の哀しみを和らげ、心を軽くしてくれるパートナーである。

 恵良さんが困っていたら、自分が恵良さんを助けよう、恵良さんが悲しんでいたら、自分が相談役になって恵良さんに優しくしようと、勇気は心の中で誓った。

 すると、医務室のドアが開き、夕食の載ったプレートを持った恵良が入ってきた。彼女は先ほど彼女が座っていたベッドに座り、そこに取り付けられている小さなテーブルの上にプレートを置いた。

「揃ったな。じゃあ、食べようか」

 雪音の言葉に、勇気と恵良は揃って、はい、と返事をした。

 勇気は、今まで苦悶していたとは考えられないような晴れやかな表情で、雪音と恵良と夕食の時間を過ごした。




勇気の回想シーンのイメージソング

アーティスト:Favorite Weapon

曲名:Hollow

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