模擬戦の後に
模擬戦で頭部を負傷した勇気は、一緒に模擬戦をしていた恵良とともに隊長の雪音に連れられて、航空艦の二階の中央部に位置する医務室へ入った。彼は頭の怪我に加えて全身を強く打っているらしく、痛みのせいでまともに動くことができなかった。なので、彼は先輩である礼人に背負われて医務室へと入った。
医務室は小さく、ベッドは四床しか置いていない。ドアを開けて左側にベッドが四床並んでおり、それぞれの間には仕切りとしてカーテンが用意されている。医者と思しき者はこの部屋の中に誰もいない。医務室というより、休憩室のようである。
恵良は一番通路側のベッドに寝かせられ、勇気は恵良の隣のベッドで寝かされた。二人を寝かせると礼人は無言で退室し、雪音が二人と向かい合った。
「お前たちは今日から一週間、シミュレータの使用は禁止にする。また怪我でもされたら困るからな」
二人は、すみません、と雪音に謝り肩を落とした。それでも雪音は怒っている様子を見せない。
「恵良は半日寝てれば回復するだろう。勇気は……、身体の痛みは医者が来ないと分からんな。問題ないとは思うが、医者を呼んでくる」
二人にそう告げると、雪音は退室した。彼女が退室してドアが閉まるのを見た勇気は、大きくため息をついた。まさかシミュレータで気絶して頭から流血するとは思っていなかったのである。その上、自分の上官や先輩、そして同僚である恵良に対しても迷惑をかけてしまった。彼の心の中は、羞恥心で傷ついていた。
しかし、勇気には一つ気になることがあった。
「……そういえば、恵良さんは大丈夫なんですか?」
勇気は、一緒に模擬戦をしていた恵良がどうなったかを知らなかった。勇気とともに医務室のベッドに寝かされているので、自身と同じく何かあったことは彼には容易に想像できたが、具体的なことは何も分かっていない。
「起きた直後は頭がくらくらして身体も少し痛かったですけど、今は大丈夫です」
「――そうですか。一緒に大破したはずなのに、なんでこうも違うんでしょうかね?」
勇気は、ベッドの端に座っている恵良を見て呟くように言った。
すると、医務室のドアが開き雪音と白衣を着て聴診器を首にぶら下げた医者らしき長身の女性が姿を現した。背中まで伸びている黒のロングヘアーで薄化粧の色白な肌、目はパッチリとして整った顔立ちをしている。背が小さくて童顔な雪音の隣に立っているせいか、勇気と恵良には彼女がかなり大人びて見えた。医者らしき女性は二人と目を合わせると、小さくお辞儀をした。
「医者を連れてきた。討伐部隊の専属医だ」
「はじめまして、柊澄佳といいます。普段は横須賀の基地にいるけど、この部隊の専属の軍医です。新入隊員のお二人さん、これからよろしくね」
澄佳と名乗った女性が二人にニッコリと笑いかける。
「じ、自分は、灰田勇気といいます。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!」
「白田恵良といいます。よろしくお願いします!」
二人は、澄佳と名乗った女医に敬礼をした。特に勇気は、痛みを忘れて飛び起き、ドギマギとした様子で応えた。案の定、勇気は敬礼をした後に痛みに呻いた。
「ここにはレントゲンとか手術台とかの医療設備が揃ってないから、今いる横須賀の医療施設を借りてきましょうか?」
「そうしてくれ。貸すようにちょっと電話してくる。待っててくれ」
澄佳が雪音に頼むと、雪音は再び医務室を出た。雪音が医務室を出ると、澄佳がハイヒールをコツコツと鳴らしながら歩き、二人と向かい合う。彼女は、柔らかな微笑みをいつも浮かべている。
「あなたたちは、いつから入ったの? 少なくとも五日前には見なかった顔だけど」
澄佳は二人のことに興味津々である。初めての新入隊員なので色々と訊きたいことがあるのだろう。
「自分たちは、今日ここに入隊したばかりであります。訓練で早速怪我をしてしまいまして……」
勇気の答えを聞くと、澄佳は感心したような声を上げた。今日入隊したばかりだということに驚いている。
「で、早速痛めちゃったと?」
「はい、恥ずかしながら――」
「ここの訓練は少しきついからねぇ。礼くんも賢くんも雪くんも、最初のうちはここのお世話になってたから」
澄佳の口から、しれっと二人の先輩たちの愛称らしきものが飛んできた。あの三人が愛称で呼ばれていることを知った二人は思わず顔を見合わせた。
すると、医務室のドアが開いて雪音が入ってきた。
「使ってもいいとさ。行こうか」
「分かりました」
澄佳が雪音に返事をすると、澄佳は医務室の奥へと歩いていき、設置されている倉庫から何か大きいものを引っ張り出してきた。勇気と恵良が見たものは、車いすだった。澄佳はそれを勇気のベッドの方へ持っていったので、勇気はこれに乗って横須賀の医療施設に向かうようだ。
「勇くん、申し訳ないけど、これに乗ってちょうだい。骨折しているかもしれないから」
「わ、分かりました」
突然『勇くん』と愛称のようなもので呼ばれた勇気は困惑し、顔を少し赤くして俯いた。澄佳はさらに、恵良の方を向く。
「それと、恵良ちゃんは勇くんを押してあげてちょうだい。あなたは比較的ピンピンしてるから」
「え? 私が、ですか」
恵良はいきなり澄佳に指名されて困惑した。恵良は上官の雪音や澄佳に代わってくれるように頼むわけにもいかず、分かりました、と了承した。
「それじゃ、私についてきてね」
澄佳が先頭を歩き、車いすに座った勇気と彼を押して歩く恵良がついていく。その後ろを雪音がついていった。こうして二人は、横須賀の医療施設へと出向くこととなった。
横須賀の医療施設に出向いた勇気と恵良は、そこで男女に分かれて――二人を診察するのはどちらも澄佳であったが――レントゲン検査やMRI等の様々な検査を受けた。
結果として、二人とも身体の異常は殆どなく、恵良は一日休めば訓練に復帰してもよいと澄佳に言われた。勇気は全身の打ち身と診断されたものの骨や脳、内臓に異常は見られず、三日間安静にしていれば治癒するだろうと言われた。勇気は胸を撫で下ろしたが、後でこのことを聞いた恵良もまた安心したような表情を見せた。
横須賀の医療施設から帰ってきた勇気と恵良は、雪音と澄佳に医務室のベッドで安静にするように言われた。勇気は未だに身体が痛むので横になったまま黙っている。一方で恵良は、ベッドの端に座って脚を所在なさげに動かしながら彼のほうを見ている。
「ところで――」
突然、恵良が何かを思い出したように口を開いた。勇気が彼女のほうにゆっくりと身体を向ける。
「勇気さん、どうして澄佳さんが来た時に慌てたんですか?」
「えっ? 俺、別に慌ててないですよ」
慌てていないとは言ったものの、勇気は早口で反応し、口調は上擦っていた。彼のわかりやすい反応に、恵良は微笑んだ。
「確かに綺麗な人ですよね、澄佳さんって。ひょっとして、惚れちゃったんですか?」
「い、いや、そんなことは! 俺、女の人とあまり話したことがなくて、それで――」
恵良が悪戯っぽく言うと、勇気は顔を赤くしてどもり、恥ずかしいのか恵良に背を向けて口をつぐんでしまった。まるで子供のような仕草を見せた勇気に、恵良は優しく笑った。
すると、医務室のドアが開いて澄佳が姿を現した。彼女は左手に、何か物が入ったビニール袋を持っている。
「お昼ご飯、買ってきたよ」
澄佳がそう言いながらビニール袋を揺らす。恵良が壁にかけられた時計を見ると、時間は正午を過ぎていた。勇気は上半身を起こし――腕を使って起き上がることはできるようになっていた――、恵良とともに笑顔で礼を言った。澄佳はビニール袋の中からサンドウィッチを二つ取り出すと、一つずつ勇気と恵良に渡した。
三人が昼食をとっているとき、勇気と恵良は澄佳の質問攻めに遭っていた。生年月日・年齢・好きな食べ物といったありきたりな質問ばかりで――生年月日と年齢は医療施設に出向いた際に問診票に書いただろうと二人から突っ込みを受けたが――、どうしてこの部隊に入隊したのか等の踏み込んだ質問はされなかった。
三人が昼食を終えると、澄佳は横須賀の持ち場に戻るといって席を立った。彼女が医務室を出る際に、二人は厚く礼をした。
「今日は本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「自分のために車いすまで用意していただき、感謝しています」
「どういたしまして。また怪我したら呼んでね」
二人の礼に冗談めかして答えた澄佳は、医務室を出た。澄佳が医務室を出ると、またも静寂が二人に訪れた。勇気はまだ痛む身体を休ませるために、恵良に背を向けて寝始めた。
二人は暇を持て余していた。こと恵良に関しては、身体の痛みは殆どなくなり、ほぼ自由に動けるようになっていた。そのせいか彼女は眠気を感じるくらいに暇を感じていた。安静にしていなければならない勇気にあまり話しかけるわけにもいかない――彼女は気を遣い、勇気の背中を見つめているだけに留めた。
勇気に至っては、この場の雰囲気に気まずささえ感じていた。
彼は静寂が苦手である。誰かがいても、場が静かだと自分がその場で一人になっていると感じてしまうからだ。後ろで恵良が彼のことを見つめているのに、彼は振り向くことをせずに悶々としている。
結局、二人は今日の模擬戦で溜まった疲れのせいでともに眠りに落ちてしまった。恵良が先に眠り、彼女の寝息を聞いた勇気が安心して目を閉じた、といったところである。
先に目覚めたのは勇気であった。重くなっている瞼を徐々に開いていく。
「……いつの間に寝てたんだ? 俺――」
寝ぼけながら呟いて瞼を完全に開けると、勇気の視界に入ったものは恵良の寝顔であった。どうやら寝返りを打って体位が変わったらしい。
勇気は、安眠している恵良の寝顔を見てドキリとした。本人の自覚なしに、心臓の鼓動が速くなる。彼はなぜ恵良の寝顔を見ただけでこのような気持ちになるのかが分からなかった。とりあえず落ち着こうとして、彼は上半身を両腕で持ち上げた。身体の痛みとベッドが軋む音とともに、上半身が持ち上がる。
すると、勇気が出した音に気付いたのか恵良が目覚めた。彼女は重たくなっている瞼をこすると上半身を起こし、思い切り身体を伸ばして腕を高く上げて大きく欠伸をした。勇気がその様子を見ていると、恵良が勇気の方を向いた。
「……起きてたんですか?」
勇気が呆然として顔で頷くと、恵良は両手で口を押え、頬を赤く染めて俯いてしまった。彼にはその意味が分からず、唯々訳も分からず恵良を見ている。
「すみません……、恥ずかしいところ見せちゃいました!」
「い、いや、俺は全然恥ずかしくないと思いますよ! むしろ、可愛らしいというか、なんというか――」
勇気がしどろもどろに答えた言葉に反応し、恵良は顔を真っ赤にして彼を睨むように見つめた。
「か、からかわないでくださいっ!」
「えっ。からかってるつもりなんて全然――」
勇気は恵良を茶化しているつもりなど毛頭なかった。彼は女性と話したことが殆どないだけである。
すると、医務室のドアが開いて、いつもの白衣姿に加えショルダーバッグを肩にかけた雪音が現れた。雪音は二人の夕食が載ったプレートを載せたワゴンを押している。
「なんだ。喧嘩か?」
雪音は、先ほど上擦った大声を上げた恵良の方を見て訝しんだ。外に漏れるほどの彼女の大声を聞いて、理由は分からないが喧嘩をしていると思ったのである。
「ち、違いますよ。私たち、喧嘩なんてしてません!」
「ふーん、そうか。とにかく、夕食を持ってきた」
恵良が顔を真っ赤にして否定すると、それに軽く返事をしながら雪音が夕食のプレートを二人のベッドに取り付けられている小さいテーブルに置いた。壁にかけられた時計の針は、六時三〇分を指していた。二人は雪音に礼をした後、夕食に手をつけ始めた。夕食のプレートには、カレーライスが盛り付けられていた。
「食べながらでいいから聞いてくれ」
雪音が医務室の奥から備え付けのパイプ椅子を引っ張り出し、二人のベッドに向かい合うようにして座る。二人は雪音に顔を向けた。
「お前たちの初めての模擬戦の録画を見せてもらった。率直な感想は、だ。お前たちは模擬戦だからと言って突進しすぎだ。こんなんじゃ、命が幾つあっても足りないぞ」
雪音が半ば呆れたような口調で言うと、二人は肩を落として、はい、と返事をした。確かに礼人に、互いに殺すつもりでやれ、と言われたが、二人が主観的に考えても互いが気絶するまでやるのはやりすぎだと感じた。
「これからは、死にたくなければもっと相手の動きをよく見て慎重に動け。いいな?」
二人は雪音の目をしっかりと見て、はい、と大きな声で返事をした。すると雪音は、ショルダーバッグからノートパソコンをおもむろに出して開き、画面を二人に見せるようにして雪音の太ももの上に置いた。
「これから、お前たちにさっきやった模擬戦の録画を見せる。見た感想を率直に聞かせてくれ」
雪音が二人に言うと、ノートパソコンを操作し、動画を再生した。
その録画の内容に、二人は絶句し、夕食を食べる手を止めた。突進しすぎとか、命が幾つあっても足りないと言われても無理がない内容であった。いくら模擬戦だからとはいえ、相手の攻撃を直接食らっても相手に食らいついたり、反動覚悟で最大チャージのビームライフルを放つというのはやりすぎだったと、二人は感じた。本当に自分たちが成したことなのかと半信半疑にさえなっていた。
さらに勇気は、何故自分だけが頭部から流血するほどの怪我を負ったのかを少しだけ理解した。勇気の《燕》は、恵良の機体から最大チャージのビームライフルの弾を食らった。それが直撃して後方に大きく吹き飛ばされたのだ。それが原因でコクピット内に強烈なGがかかり、勇気は頭部を大きく座席に打ちつけて気絶、そして頭部から流血した、と、彼は推測した。
「感想は?」
録画を一通り再生し終えると、雪音が二人に尋ねた。少し間が空いた後、恵良が先に答える。
「……模擬戦だからと言って、調子に乗りすぎたと思いました。以後気を付けます」
「調子に乗りすぎた、か。自分のSWの動きを見て、何か思うことは無いか?」
「自分のSWの動き――」
考える素振りを見せて少し黙った後、恵良は答える。
「具体的には言えませんが……、勇気さんの方が動きがいいように見えます。私はまだまだ未熟です」
恵良が答えると、雪音は、そうか、と言った後勇気の方を向いた。
「お前はどう思う? 勇気」
「自分は――」
そう言うと、勇気は雪音の方を向いたまま黙ってしまった。恵良が怪訝に思い、勇気の方を見る。
「どうした? 考えてるのか」
「いえ、もう言いたいことは用意できています」
何だ、と雪音が尋ねると、勇気が再び口を開く。
「自分はSWの操縦技術も未熟で、周りが見えてませんでした。だから、気絶して、身体を痛めて、挙句澄佳さんや隊長、先輩の皆さん、恵良さんにまで迷惑をかけたんだと思います。だから、この部隊に、この国に役立つために、もっともっと強くなって、でも周りの状況を冷静に判断できるような軍人になりたいと、この録画を見て思いました」
勇気がきっぱりと言い終えたとき、恵良はおろか雪音も口を半開きにして彼の方を見つめていた。恵良は彼に感心したと同時に、自分が漠然と抱えていた未熟な点を指摘されたように感じて、心の中で彼に感謝した。
「……まあ、お前たちが考えていることは分かった。自分が未熟だと思うなら、一週間後にシミュレータが使えるようになってから先輩たちにしごいてもらえ。私からは以上だ。邪魔したな」
そう言って雪音は、ノートパソコンの電源を切ってショルダーバッグにしまい、パイプ椅子を片付けて医務室を出ようとした。すると雪音が医務室を出る間際、勇気の方を向いて悪戯っぽく笑った。
「勇気、お前カッコいいこと言うな。こんなこと言って、実行できるのか?」
「じ、自分は何もそんな、カッコつけたわけではありません。自分が行ったことは、実行するつもりであります」
そうか、と半笑いで勇気に返すと、雪音は医務室のドアを開けた。すると、恵良が雪音を呼び止めた。
「今日は、散々迷惑をかけたのにも拘らず、面倒を見ていただき本当にありがとうございました」
「自分も、隊長と先輩の皆様や澄佳先生には感謝しています」
勇気と恵良が雪音に厚い礼の言葉とともに敬礼をすると、雪音は二人に向かって敬礼を返して医務室を出た。雪音が医務室のドアを閉め、勇気が夕食のカレーライスに手をつけ始めようとすると、恵良が彼を見ていることに気が付いた。
「恵良さん、どうしたんですか? 早く食べましょうよ」
「――え、あ、はい。そうですね。いただきましょう」
こうして、二人は模擬戦の反省をした後、仲良く夕食に手を付けた。二人の心の中は、何か温かいものに包まれていた。
勇気と恵良が仲良く夕食を食べているころ、雪音は管制室に戻って未だに二人の模擬戦のデータを眺めていた。しかし、彼女が眺めているものは映像ではなく数字の羅列であった――二人が模擬戦をしているときに出た、《燕》の性能に関する諸々のデータを数字で表したものである。彼女はそれらを、通常の日本軍の兵士の平均のデータと、礼人・賢・雪次の三人の平均のデータ、そして《燕》が理論上引き出せる力の最大値と比較してみていた。二人がどれだけ《燕》の性能を引き出していたかを調べているのである。
「――まあ、無茶してたからこんなもんか。それにしても凄いが」
雪音の口角が上がった。
二人が出したデータは、通常の日本軍の兵士の平均のデータと礼人・賢・雪次の三人の平均のデータはおろか《燕》の理論上の限界値を超えていた。二機とも大破する直前に最大値を出しており、戦闘開始直後ですら限界の値を超える値を出していた。二人はその気になれば機体の性能を限界以上まで引き出すことが可能ということである。
「まったく、面白い奴らに目を付けてしまったな、私は……」
この二人が『ナンバーズ』との闘いの行方を左右するかもしれない――雪音はそう思い始めていた。