降伏と再会
勇気が横須賀基地へ到着し母艦に収容された時、現場では《オーシャン》のメカニックたちと外部から呼び出された医療関係者たちが待機していた。その人ごみの中には、恵良と雪次も紛れて固唾を呑んで彼の帰りを待っていた。
恵良、雪次、そして舞香を含むメカニックたちは、《ライトブリンガー》の惨状に絶句していた。装甲の大部分は熱で融けて所々が癒着しており、一目でコクピットのハッチが内側から開かないことが分かった。パイロットである恵良と雪次は、彼らのSWの外見と比べたときに勇気がどれだけ壮絶な戦闘を繰り広げていたのかに気付かされた。
「勇気……」
恵良が泣きそうな顔で呟く。この状態では、中にいる勇気もきっと深い傷を負っているに違いない――彼女は胸が締め付けられる思いで《ライトブリンガー》を見ていた。
機体が無事に格納されると、すぐにメカニックたちが動きだした。すぐにハッチを切り開いてパイロットを救出する作業に取り掛かる。作業は懸命に行われ、そのおかげか数十分でハッチの切り離しは完了した。その時はその場にいる全員が歓声を上げて喜んだ。
「勇気さん! 大丈夫ですか? しっかりしてくださいっス!」
コクピット内でぐったりとシートに凭れかかっている勇気に、舞香が大声で呼びかける。勇気は僅かに頭を上げて舞香の顔を確認すると、目を細めて口角を上げた。それをバイザー越しに確認した舞香の目から、涙が零れ落ちた。
「皆さん……、勇気さんは……生きてます!」
下で待機していた医療関係者と雪次、恵良は胸を撫で下ろした。恵良から深いため息とともに涙が流れる。
すぐに勇気が降ろされ、待機していた医療関係者がストレッチャーに乗せられて運ばれる。恵良は彼の姿を一目見たいと駆け寄ろうとしたが、彼はすぐに救急車へと乗せられたのでそれは叶わなかった。
「勇気……」
「あいつが無事と分かっただけでも、良しとしようじゃないか」
雪次が笑みを浮かべながら恵良を励ますと、彼女は彼に顔を向けて笑顔を作り、頷いた。
「そう……ですよね。大丈夫ですよね!」
「大丈夫だ。あいつはきっと、俺たちがお見舞いに行ったら元気な顔を見せてくれるさ」
格納庫には、半壊した《ライトブリンガー》や既に格納されているSWたちが勇気を見送るように直立していた。その中で、恵良と雪次、そしてメカニック全員が、救急車に乗せられて運ばれる勇気を見送っていた。
最終決戦が終わって数日たった頃、《オーシャン》の管制室には雪音一人が椅子に座って事務作業をしていた。
彼女の目からは生気が失われており、目の下にはくまを作り、頬はこけ、口を半開きにして体幹は殆ど動いていない。ただ淡々と書類に目を通してはサインをしている。
七海が死んで以降、彼女はずっとこの調子だった。《オーシャン》に残っている恵良や雪次が心配する中で彼女は、何でもない、と答え続けた。最終的には雪次が、今までの尋常ではない戦いから解放されて疲れて燃え尽きてしまったのだろう、と結論付けた。その結論には恵良も納得し、これ以上雪音への詮索はしなくなった――それでも彼女を気遣い、二人は定期的に彼女の下を訪問しているが――。
しかし、そんな雪音でも動かざるを得ないことが起こった。
いつものように独りで管制室の中で佇んでいると、突如無線が入った。
画面を見た雪音は、死人のような表情を一変させた。
――識別信号が表示されていない……。
雪音が恐る恐る無線を開く。
「……誰だ?」
掠れた声での応答。彼女は声をまともに出すのも久方ぶりであった。
『討伐部隊の方ですね? 我々は『ナンバーズ』。貴方たち日本国防軍に、降伏します』
この口ぶりからすると、《オーシャン》にしか繋がれていない――雪音は漸く頭を働かせ始めた。
『これから我々の母艦、《ゴルゴロス》を、横須賀基地に着艦させたいのです。武装は使用しません。七海さんから、自分たちが死んだら降伏するように伝えられているのです』
『七海』という名前が出てきて、雪音は唇を噛んだ。途端に胸の痛みが彼女を襲う。それに耐えながら、彼女は無線に注目し続ける。
「少し待っていろ」
雪音は無線を保留し、横須賀基地へと別の無線を繋げた。そこで『ナンバーズ』が降伏した旨と、此方への着艦の許可を申請した。その知らせを聞いた本部は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、様々な指示が飛び交い始める。その中には、SW部隊で艦を撃墜するという物騒なものまで含まれていた。
「皆さん、落ち着いてください。奴らは武装を放棄しています。余程の馬鹿でもない限り、攻撃はしないでしょう」
『……念のため、君たちで出られる隊員を出して警戒してくれ。着艦は許可しよう』
「分かりました」
本部にいる司令官と思しき人物が、あっさりと着艦の許可を出した。その旨を保留していた『ナンバーズ』へと伝えると、此方もすんなりと位置情報を提示した。
「無線は切るな。今から我々のSWを此方に向かわせる」
『分かりました』
相手は二つ返事で了承した。もはやあちら側には戦力が無いのだろうかと雪音は思案し、次に艦内に放送をかけた。
「恵良、雪次。すぐに管制室に来てくれ。それとメカニックの皆は、すぐに《ドリームキャッチャー》と《陰陽・甲》を出せるようにしてくれ」
それだけ言いつけて、雪音は無線を切った。
討伐部隊の最後の大仕事になるだろう――彼女は僅かに生気を取り戻した気がしていた。
雪音の指示に従い、恵良と雪次はそれぞれ《ドリームキャッチャー》・《陰陽・甲》に搭乗して『ナンバーズ』の母艦なるものを捜索、そして何も危害を加えさせずに横須賀基地に着艦させる任務を始めようとしていた。二人は既に上空へと撃ちだされており、上昇しながら位置情報にしたがって《ゴルゴロス》という名の航空艦を捜索している。
「奴らの母艦……」
「その母艦は、奴らの拠点か。まあ、拠点が無い方がおかしいからな」
「これで、『ナンバーズ』討伐は……完全に終わるんですね」
恵良が呟き、彼女が戦った赤い機体――《バーニング・ボディ》とそのパイロットである我那覇を思い出した。音声での交流のみではあったが、それを思い出すだけで彼女の胸は締め付けられているかのように痛み出す。彼女は暫く無言になった。
すると、目標の位置に近くなったところで二機が強大な熱反応を感知した。二人がモニタを凝視すると、此方に何かが近づいてくるのが見える。
「あれが……」
「おそらくそうだろう」
二機が加速して前進すると、それははっきりと見えた。
日本の航空艦である《鷲羽》に酷似したスタイル、不気味なほど真っ黒なそれ――《ゴルゴロス》は、上空を悠々と飛んでいた。しかし、今は迷子のようにあてもなく彷徨っている。
二機は念のためにウェポンベイにマウントされているビームソードを取り出して展開する。すると、二人のもとに雪音から通信が入った。
『恵良、雪次。武器をしまえ。奴ら、抵抗する気は全くなさそうだ』
「……どうして分かるんですか?」
雪次がその状況を訝しむ。それでも二人は雪音の言う通りに武器をしまった。
『私にも分からん。ソ……七海空哉を失って戦意を喪失しているのかもしれない。……とにかく、合流したな。私の指示に従ってくれ』
「了解!」
「分かりました」
二機は《ゴルゴロス》に随伴して、空中を漂い始めた。
それから二機と一隻の黒い航空艦は、雪音の指示通りに動いて横須賀基地の滑走路へと到着した。二機はぴったりと《ゴルゴロス》の横につき、無事に着陸した後にもその場を離れることは無かった。緊急の事態に備えてのことである。
《ゴルゴロス》の周りは、地上にはアサルトライフルを構えた迷彩服姿の兵士たちが、空中には横須賀基地に配備されていた《燕》や《剱》が周りを取り囲んでいる。報道規制が敷かれているのか、マスコミの類のものは一切見られない。
それに防護されるようにして、雪音もそこに立っていた。何か少しでも下手な真似をすれば、引鉄を引くことができるようになっている。この物々しい雰囲気を、恵良と雪次も固唾を呑んで見守っていた。
すると、《ゴルゴロス》から黒ずくめの男たちがぞろぞろと出てきた。出てくる男たちは両手を挙げて、抵抗する意思がないことを示している。
男たちが両手を挙げながら、一列に並んだ。総数は七人。俯きながら銃口に囲まれているので、表情は分からない。
すると兵士たちをかき分けて、雪音が男たちの前に出た。それを見た恵良と雪次は目を丸くして彼女を見つめる。
「……お前たちが、『ナンバーズ』か?」
「そうです。我々には抵抗の意思はありません」
それだけを確認すると、雪音は引き下がった。
「確保してくれ」
雪音の一言で、兵士たちが黒ずくめの男たちに殺到した。一人一人が地に伏され、手錠をかけられて連行されていく。その物々しい雰囲気を、討伐部隊はただ見守ることしかできなかった。
黒ずくめの男たちはものの数分でその場から消え去り、残ったものは彼らの母艦のみになった。それを見届けた《燕》と《剱》は早々と撤収していく。
『隊長……』
オープンチャンネルで、恵良が雪音に話しかける。
「何だ?」
『これで、終わりなんでしょうか? 『ナンバーズ』はこれで壊滅したんですよね?』
その問いに、雪音は黙ってしまった。首謀者は死に、残りのメンバーも軍に連行され、この艦はおそらく軍に接収されて闇へと葬られるだろうと雪音は推測した。
しかし、それでも引っかかっていることが、彼女の中にあった。
『……隊長?』
「ん、ああ。おそらく、これで終わりだろうな。皆、よくやってくれた」
雪音が返すと、《ドリームキャッチャー》から安堵のため息が返ってきた。
「さあ、戻ろうか」
雪音が微笑むと、二人は、了解、と大声で返事をしてSWを動かし始めた。
『ナンバーズ』が壊滅して一週間が経った頃、漸く勇気、礼人、賢のお見舞いの許可が討伐部隊の隊員たちに下りた。この一週間、怪我持ちの三人に取り調べを行うまでは面会が謝絶されていた――残っていた討伐部隊のメンバーの取り調べは既に終わっている――。
勇気、礼人、賢は病院着の姿で同じ病室で入院していた。勇気と礼人は胸部を保護するコルセットを巻いており、賢はくるぶしから大腿部までをカバーしている下肢装具を装着している。そんな状態の三人がまともに動ける筈もなく――唯一室外に出たのは取り調べの際に別室に連れていかれた時のみであった――、礼人と賢は暇を持て余していた。
しかし、そんな中勇気だけは浮足立っていた。漸く恵良たちがお見舞いに来てくれると分かり、彼の心拍数は上昇している。彼はその様子をおくびにも出さず、黙ってシーツを首までかけて寝ている。
「勇気……どうした?」
不意に礼人に声をかけられた勇気は、ベッド上でビクリと動いた。その後、恐る恐る向かいのベッドで手持ち無沙汰にしている礼人の方を見る。
「何でも、ないです」
「ふうん。それならいいんだけどよ」
不思議と礼人の口数も少なくなっていた。声のトーンも低い。それに、彼の隣のベッドで大人しく寝ている賢が反応した。
「礼人こそ、どうかしたんですか? いつもの元気が無いように見えますが」
「……っせえな。どうだっていいだろ」
礼人が不機嫌そうに小声で返すと、それっきり黙ってしまった。賢はそれを見て何故か微笑んだ。
ふと、三人の耳に複数の人の足音が聞こえてきた。やたら急ぎ足の人物が一名いるが、礼人はそれが誰だか容易に想像できてしまった。
「来ましたね」
ドアの前で、足音がピタリと止む。その直後、落ち着いたノックの音が聞こえた。
「入ってもいいか?」
声の主は、雪音だった。その声に、三人の頬が緩む。
「どうぞお入りください」
賢が声をかけると、ドアが開かれて雪音、雪次、舞香、そして恵良の姿が見えた。舞香は礼人の姿を見るなりすぐにベッドサイドまで駆け寄り、彼の腕にしがみついた。
「礼人さん……、礼人さん……」
「あまり乱暴に扱うなよ。これでも一応怪我人なんだから」
「一応ってなんだよ? それと舞香、離れてくれ。傷に響く……」
礼人が雪音の言葉にツッコミを入れつつ、顔を顰めて舞香を離す。彼が舞香をもう一度見ると、彼女の目には涙が溜まっていた。その姿に、彼はホッと息をついて笑った。
「……心配してくれてありがとうな」
礼人が舞香の頭をくしゃくしゃと撫でると、彼女は満面の笑みを浮かべて涙を滲ませた。
「女を泣かせちゃダメだぞ、礼人」
「うるせえ」
雪次が笑って礼人を茶化すと、彼は途端に仏頂面になってしまった。それを見て、雪音が微笑んだ。
「それと勇気」
突然雪次が自身を名指ししたので、勇気は目を丸くして顔を向けた。
「お前もだ」
「自分も……?」
勇気が顔を向けた先には、笑っている雪次とその横で何故か赤面して俯いている恵良がいた。その様子を訝しみ続ける勇気に、雪音が前へと出る。
「恵良はお前のことを心配して、生きて帰ってきたときには泣いてたんだぞ」
「えっ――」
意味を知った途端、勇気の顔も茹でられたタコのように真っ赤になった。恵良が勇気のベッドへと近づくと、それだけで彼はベッドに倒れ伏しそうになる。
「勇気……」
「……恵良?」
互いの目が合う。思えばこんなキラキラとした恵良の瞳を見るのはいつぶりだろうかと勇気が余計なことを考えていると、恵良の口が開いた。
「……お帰り。本当に、生きててよかった。無事でよかった……っ」
泣きそうな表情で、恵良が勇気の両手をとった。その手の温かさは勇気にとってじんわりと広がり、彼も泣きそうになる。
「……俺も、恵良が無事で……本当に良かったって思ってる」
勇気はあまりの緊張で、言葉を出すことが難しくなっていた。だが彼がやっと絞り出した言葉に、恵良は優しく微笑んだ。
すると、雪音が手を一回叩いた。その場にいる全員が彼女に注目する。
「さて……三人とも。怪我の調子はどうだ?」
雪音が三人を見回すと、勇気は落ち着きを見せ始めた。
「俺はあと数週間リハビリすれば大丈夫らしい」
「自分は……まだまだ時間がかかりそうです。なんでも、脚の筋まで損傷しているらしく、復帰できるのは最短で半年ほどだそうです」
「自分は……礼人さんと同じくらいで復帰できそうです」
怪我の具合を訊いた雪音は数回頷き、後ろに下がっていた三人は顔を曇らせた。それほどの重傷だったことを知らず、浮かれてお見舞いに来たことを恥じた。
それでも勇気たち怪我人は嬉しそうに笑っていた。お見舞いに来た三人とは対照的に、怪我のことをあまり気にしていないように見える。
「……気を取り直そう。お前たち、実は何日か前に『ナンバーズ』が降伏した。奴らの母艦が横須賀に下りて、搭乗員は全員拘束された。これで、本当に終わりだ」
そのことを聞いた三人は呆然としながら、淡々と説明をする雪音を見つめていた。
「これで……終わりですか?」
「ああ、……終わりだ」
勇気が再度確認すると、雪音が微笑んで肯定した。
その途端三人は喜びを爆発させた。怪我をしているので身体的には控えめに表現したが、心の中では今にも小躍りしそうな嬉しさに包まれている。その様子を見ている恵良たちも、つられて笑みを見せた。
「お前たちに言いたいことがある」
雪音は漸く、笑顔を取り戻していた。三人が頷く。
「よく帰ってきてくれた。お帰り」
三人は揃って、ただいま戻りました、と返した。




