訪れた休息
勇気が目覚めると、彼は医務室のベッドで寝ていたことに気が付いた。目を開けて、上半身をガバリと起こす。何故自身がここにいるのかが分からずに、彼は混乱したような顔で辺りを見回した。ベッドの軋む音が周りに響く。
すると、誰かが勇気が寝ているベッドに歩み寄った。勇気はポカンとした表情でその人物を見つめる。
「おはよう、勇君!」
にこやかに挨拶を勇気にしたのは、澄佳だった。しかし彼は何が何なのか分からず、顔を彼女に向けるだけである。
「……どうしたの?」
澄佳に問いかけられ、勇気はやっと我に返った。
「ここは、どこなんですか? 確か自分は……艦に戻って、恵良が来て……」
少し錯乱しているかのような調子に、澄佳は少し苦笑した。
「落ち着いて、勇君。ここは《オーシャン》の医務室。勇君は恵良ちゃんに運ばれてここでずっと寝てたんだよ。恵良ちゃんが言うには、エレベータで勇君のところに着いたころにはもう寝てたんだって」
「……自分は、どれくらい寝てたんですか?」
「えーっと……ざっと一日くらいかな?」
澄佳が壁にかけられた時計をチラリと見て確認する。時計の針は、夕方の六時を指していた。勇気はその事実に顔を赤くして俯いてしまった。
「こんなに爆睡してたなんて……お恥ずかしいです」
「ううん、いいの。貴方は今回の最大の功労者だから、隊長さんは問題にはしてないみたい。それに、勇君の寝顔が可愛かったから、あたしも満足だな」
澄佳が小鳥のさえずりのような笑い声を上げると、勇気は火がついたように顔を赤くした。
しかし、勇気には一つ気になることがあった。恵良が澄佳に言ったことと勇気の記憶では、辻褄が合わないのだ――勇気は彼女に抱きしめられて思考停止しそのまま意識を失ったが、彼女は勇気を眠っている状態で見つけたと澄佳に証言した。
しかし、彼はそれ以上は考えることができなかった。恵良に抱擁されたことを鮮明に思い出してしまったからである。あの優しくて柔らかい感触と甘い匂いを想起するだけで、彼は身体がくすぐったくなる感触を覚えてしまう。彼は呻き声を上げながら顔を両手で覆い、蹲ってしまった。
「どうしたの? どこか痛いの?」
澄佳が勇気の様子を怪訝に思って尋ねたが、彼は何も言わずただ首を横にブンブンと振って答えるだけであった。少し落ち着こうと、勇気は再びシーツに潜った。しかし、未だにそれを思い出してしまいベッド上でもんどりうっている。
「隊長さんに勇君が起きたこと知らせといたから、もうじき様子を見にくるかも」
「……ありがとうございます」
勇気はシーツを被ってくぐもった声を出した。一日寝ていた彼にとって、今の状態は分からないことだらけであった。自身が寝ている間に何が起こったかは隊長に訊こう――勇気は幾分落ち着いて、ため息をついた。
勇気が大人しくなってから数分後、医務室のドアがノックされた。澄佳がドアの前まで駆け寄る。
「水城隊長ですか?」
「ああ。それと、付属している奴らもいる。そいつらも入れていいか?」
「勿論です! 勇君は大人しくしてますよ」
澄佳が笑顔で応対し、ドアを開ける。
そこから、雪音の他に、礼人・賢・雪次がぞろぞろと入ってきた。勇気は目を丸くして彼女らを見つめる。
「隊長、それに、皆さん……」
「勇気、元気そうで何よりだ」
雪音が微笑むと、後ろの三人も勇気に向かって笑顔を見せた。それにつられるようにして、勇気も笑った。
「申し訳ありません……自分だけのうのうと寝てしまって――」
「いや、私たちは気にしてない。それより、ここがどこだか分かるか?」
「……《オーシャン》の中ですか?」
勇気の発言に、四人が吹きだした。彼は口を噤んで雪音を見つめる。
「そうじゃない。……ここは横須賀基地だ。我々は日本に着いたんだ」
勇気は目を見開いて雪音を見た。無事に日本に着くことができたことが分かり、勇気の顔に自然と笑顔が浮かび、ようやく安心することができた。
紆余曲折あったが、一人も欠けることなく『ナンバーズ』との戦闘を乗り切って帰ってくることができた――勇気は今にも泣きそうになった。
「よかった……。皆で帰ってこれたんですね」
「ああ。だが……我々にはまだまだやることがある」
勇気の顔から、笑顔が消えた。雪音の顔も神妙になる。
「やること、とは?」
「以前にも言ったが、猿ヶ森のメガフロートが壊滅状態になっている。その復興に人員が割かれるから、我々が防衛に専念せねばならん。お上たちは太平洋上で撃墜したものが『ナンバーズ』の本体だと考えていたから、私がさっき行ってきた会議で話してきたよ。あれは無人機で、本体は別にいる、とな」
勇気がコクコクと頷く。
「それに関してだが……」
「……何でしょうか?」
すると、雪音がにっこりと笑った。
「この会議で、奴らに対抗するために新しいSWのフレームを開発する許可と予算をもらった。討伐部隊のSW五機が一斉に新しくなる。《剱》のカスタム機ではない。もしかしたら、重力粒子を使えるようになるのかもしれん」
雪音の話を聞き、勇気の胸は高鳴った。思わず彼の口からため息が漏れる。重力粒子の件は、おそらく『白金』の護衛の成功報酬だろう。
「本当ですかっ!?」
「重力粒子の件はまだ判らないが、我々オリジナルの機体は造ることが決まった」
「えらく嬉しそうじゃねえか、勇気」
子供のようにベッド上ではしゃぐ勇気を、礼人がからかう。
「これで……もっと強くなれるんですね!」
「ああ。だが……お前たちはもう十分強い。技術の差を皆の力で跳ね返したんだからな」
雪音が討伐部隊の隊員を褒めちぎった。そこで、礼人が彼女の方をまじまじと見つめる。今までこれほどまでの褒め言葉を聞いたことがなかったからだ。
「隊長が俺たちのことを褒めるのも珍しいな……。どうしたんだ?」
「私の気持ちを伝えただけだ。それとも、何か不満か?」
「……いや、何でもねえ」
礼人が視線を逸らすと、雪音が咳払いをした。
「さて……我々はここまでだ。邪魔したな」
「いえ……、来てくださり、本当にありがとうございます!」
勇気は四人に向かって敬礼をした。後ろの男三人は彼に向かって手を小さく振り、雪音は彼に笑顔を見せて踵を返して医務室を出ていった。
勇気は息をフッとつき、医務室のドアを暫くの間眺めていた。自身が日本を守ることができたことを知り、彼は誇りに思っていた。特に『ナンバーズ』を実質二機撃墜することができたことは、彼にとっても自信になっていた。
しかし、彼はこの一週間で起こったことに手放しでは喜ぶことができないことも知っていた。猿ヶ森のメガフロートが陥落し多数の死者が出たこと、『白金』が彼の大切な人に害を及ぼしたこと――勇気は奥歯を噛み締めた。
さらに、相手の圧倒的な技術力と本気の抵抗も見せつけられた。そして、彼はそれに一人では太刀打ちできなかった。この事実も彼の心に残り続けている。
「もっと、強くならなきゃ――」
勇気は呻くように呟いた。両の拳には、無意識に力が入っていた。
勇気はその後、シャワーを浴びて身体を一日ぶりにリフレッシュさせ、再びベッドに戻っていた。壁にかけられた時計は、八時を指している。ベッドに戻った彼には未だに疲れが残っているのか、寝転んだ直後に眠気が襲ってきた。大きく欠伸をして、背伸びをする。
すると、医務室のドアがノックされた。いつも通り、澄佳が駆け寄って応対する。
「誰でしょうか?」
「……恵良です。今、大丈夫でしょうか?」
勇気の眠気は瞬時に吹き飛んだ。上半身を勢いよく起こし、目を見開いてドアを見つめる。それに気が付いた澄佳は彼の方を向いてニッコリと意味ありげに微笑んだ。
「大丈夫だよ。勇君、起きてるから」
澄佳が許可を出すと、失礼します、と断りを入れて恵良が入ってきた。
恵良の姿を見て、勇気はドギマギとした。彼女は彼同様にバスローブ姿で、彼の姿を見るなり笑顔でベッドサイドに駆け寄ってきた。そんな彼女に、勇気は緊張して目を合わせることができないでいた。
「勇気!」
恵良に声をかけられた勇気は、身体をビクリと震わせて慌てて彼女と目線を合わせた。しかし、彼女の満面の笑みで今にも頭の中がオーバーヒートしそうになる。
「……恵良!」
「何?」
勇気はガチガチに緊張したまま、恵良と話し始めた。
「……お、俺を医務室まで運んでくれてありがとう! それと、恵良が来てくれた時、……ホントにホッとした! 恵良が元気になってくれて、本当によかったっ!」
勇気の必死な言葉を聞いて、恵良は少し茫然とした表情になった後涙ぐんだ。
「ううん……私こそ謝らなきゃいけない。感謝しなきゃいけない。あの時は、私のこと必要としてくれて、本当にありがとう! それと……勇気の手、振り払っちゃってごめんなさい。言い訳になるんだけど、あの時は混乱していて――私も、勇気のこと、大切に思ってるから!」
恵良は目を擦りながら、勇気に謝り感謝した。彼が気絶してまともに聞いていなかったことを、改めて言った。勇気も顔を真っ赤にしながら、意識を保ってコクコクと頷きながら彼女の言葉を咀嚼する。
「……俺だって、恵良のこと、必要だと思ってる! 恵良は俺の命の恩人だから!」
勇気が叫ぶように言い放つと、恵良は彼同様に顔を赤くして俯いた。改めて『君のことが必要だ』と言われ、彼女は自身が何を言ったのか、何を言われたのかを冷静に理解した。
すると、澄佳がニコニコしながら二人の様子を覗きこんだ。それにいち早く気が付いた恵良が、ギョッとした表情で彼女の方を向く。
「……なんですか?」
「二人とも、本当に仲いいね! もしや……、もはやそういう関係だったりする?」
悪戯っぽい言葉と笑みを澄佳に投げかけられ、恵良の頭は沸騰した。赤かった顔は耳まで真っ赤になる。
「ち……、違います! 決して、まだ、そういう関係では――!」
大慌てしている恵良を、勇気は不思議そうな表情で見つめている。
「恵良……、そういう関係、って――」
「勇気には関係ない話! 大丈夫!」
恵良は無理矢理引きつった笑顔で勇気を黙らせた。その気迫に圧され、勇気は思わず黙ってしまった。
すると、恵良が席を立ち、澄佳に深々と頭を下げた後そそくさと医務室を出ていってしまった。その光景に勇気が呆然とする中、澄佳は微笑みながらうんうんと頷いている。
「恵良ちゃんも、そういう気持ちになったのかな?」
「……あのぉ、そういう気持ちとは?」
勇気が尋ねても、澄佳はにっこりと笑うだけで教えてはもらえなかった。彼女がそのまま自身のデスクに戻っていくのを茫然として見つめた後、彼は頭をボリボリと掻き毟りながら唸った。以前よりも、恵良を見ると動悸と顔面紅潮が激しくなっているのを、彼は感じていた。
「何なんだ、一体……」
その夜、勇気は上手く寝付くことができなかった。
『白金』の護衛任務が終了した日は、彼にとって休息の日と同時に、色々なことを考える日になった。




