決意の飛翔
恵良は、訓練室に笑顔で入った。今にも小躍りしそうな足取りで、彼女の胸は高鳴っている。その様子を、男四人は彼女をキョトンとした表情で見つめることしかできなかった。
恵良は先ほど父親に言われたこと――もし『ナンバーズ』が襲撃してきたとき、彼女が一人で戦い生き残ることができたら、『白金』として認めることを考えるということを興奮しながら説明した。
その話を、勇気たち四人は驚きの表情で聞いていた。特に勇気は、まるで自分のことのように顔をほころばせて恵良を見ている。
「凄いよ! よかったじゃないか! これで恵良も差別されなくて済むんだね!」
嬉しさのあまり詰め寄ってきた勇気に、恵良は苦笑しながら頷く。
しかし、礼人・賢・雪次は何かを考えているのか押し黙ってしまった。それに気づいた恵良は三人の方を見て、恵良の視線を追うように勇気も振り返った。
「……どうしたんですか?」
勇気が疑問に思い、三人に尋ねる。
「いや……少し、ってかかなり引っかかることがあるんだが」
「何ですか?」
勇気は途端に不安になった。恵良も表情を曇らせる。
「一人で『ナンバーズ』と戦って生き残れ、だあ? いくらお前だからって、かなり難しいぞ。単機なら分からなくないが、複数機襲ってくる可能性だって十分にあるんだぜ? というか、複数機の可能性の方が大きいぞ」
「それに……恵良には水を差すようで悪いが、俺はあいつを信用できない。いくらお前が実績を残しているからとはいえ、あの堅物が簡単に考えを変えるとは思えない」
矢継ぎ早に、礼人と雪次から疑問の声が飛ぶ。厳しい言葉の数々に、恵良は俯いてしまった。勇気も現実に引き戻されたのか、彼女にシンクロするように俯く。
「恵良さんを責めてるわけではありませんよ。ただ、その条件はいくら何でも厳しすぎるかと。我々でもう一度高良隊長にかけあってみましょうか?」
賢の言葉に、勇気が顔を上げた。何かを決めたような目をしている。
「……やりましょう。あいつに言ってみましょう!」
「まあ、言うだけ言ってみるか?」
しかし、恵良は俯いたまま此方を見ようとしない。訝しんだ勇気は、もう一度彼女の方を向いた。
「……恵良?」
勇気に声をかけられた恵良が顔を上げる。
「――お気遣い、ありがとうございます。ですが、私は父と兄と約束したんです。どうか……一人でやらせてください」
恵良の目には、迷いがなかった。その意思を感じ取った四人は皆一斉に黙ってしまった。
しかし、そこで恵良が申し訳なさそうな顔をした。
「ですが、複数機に囲まれてダメだと思ったら、その時は助けに来てください。身勝手なお願いですが、どうかよろしくお願いいたします」
「その時はどうするの?」
頭を下げた恵良に、勇気が尋ねる。しかし、それは彼女を現実に引き戻し、心を抉る代物だった。
ダメだと思われて救援が向かえば、そこで失敗になってしまう。だが、討伐部隊として戦う以上は任務の成功を最優先させなければならない――そもそも彼女の挑戦も、任務を妨げてしまうようなものであるが――。彼女の頭の中で、どっちを優先させなければならないのかは決まっていた。
「その時は……認めてもらうのを諦めます。討伐部隊として活動すれば、チャンスは巡ってくると思いますから。お父様は、私が討伐部隊に入ったことは認めていたような口ぶりでした」
恵良が暗い顔をしている反面、礼人はニッと笑っていた。
「決まりだな。あいつらが襲ってきたら恵良がまず出て、ピンチになったら俺たちが出る。そのために、俺たちはSWに待機する。後はあいつに発進をごねればいい」
恵良は笑顔を見せた。その笑顔を見て、勇気も微笑む。
「皆さん、ありがとうございます!」
「決まりですね。さて、そろそろ訓練終了の時間です。ミーティングが始まると思うので、管制室に行きましょうか。あとは僕がごねます」
賢が礼人に向かって笑いかけると、彼は賢に向かってサムアップした。
五人は訓練室を出て、管制室を出た。
時計は、昼の三時を指している。五人は社長が入室する前から直立して彼のことを待っていた。
数分後、相変わらずの黒いスーツ姿で社長が姿を現した。微動だにせず直立している五人を見て、満足気に笑みを浮かべている。
「感心感心。流石は軍人だ。躾けはなっている」
大袈裟なふるまい。勇気には社長の行動一つ一つが鼻についていた。
「ふむ、ミーティングか。私からは話すことは特段ない。お前らからはどうだ?」
社長から振られると、五人の予定通り賢が手を挙げる。
「……なんだ?」
「少しお願いがあります」
「お願い、とは?」
社長が賢を冷徹な目で見つめる。賢はそれにひるむことなく社長と向かい合う。
「今から、我々をSWの中にて待機させてください」
「……なんだと?」
「『ナンバーズ』はいつ襲ってくるか分かりません。ですので、初めから待機していた方が我々も出撃しやすいと思った次第です」
社長の冷ややかな視線は変わらない。それでも賢は冷静に振る舞う。
すると、社長が目を瞑りため息をついた。そして目を開けると、五人に呆れているかのような表情を向けた。
「ダメだ。私のプランに従ってもらおう」
「……プラン、とは?」
賢は社長に、怪訝な表情で訊いた――といっても、そのプランとやらは彼らには概ね想像がついているのだが――。社長は冷徹な表情を崩さない。
「もし奴らが襲ってきたら、その時は先鋒として白田に向かってもらう。白田が敵を疲弊させてから敵を叩く、という算段だ」
「ですが、敵が複数で来るという可能性も考えられます」
賢が食い下がる。四人が二人を緊迫した空気の中交互に見つめる。その中で、恵良の顔色が悪くなっていく。
すると、社長が賢の方へと歩み寄り、彼の胸倉を掴んだ。賢が顔を顰め、四人の顔が引きつる。特に恵良は彼が掴まれた瞬間に、自分がされていないのにも拘らず短い悲鳴を漏らした。
「私が全て決めるといわなかったか? 貴様らに口出しする権利はない!」
社長は、今まで口出しされていた怒りをぶちまけた。勇気たちは、この男を下手に刺激しない方がいいことを学んだ。
「……分かりました。隊長に従います」
「……ふん。初めからそうすればいいのだ」
社長が賢の胸倉を乱暴に手離す。賢は襟を整えると、そのまま直立した。
「ということで、だ、白田。お前は先にSWに乗ってもらおう」
念を押すように恵良に言うと、彼女はビクリと痙攣したように震え、硬直した。まるで蛇に睨まれた蛙である。
「……分かりました」
恵良は意気消沈して社長に返事をして、管制室を出ようとした。四人の目論見は、見事に失敗した。
すると、彼女がドアを開けようとした時勇気が呼び止めた。
「恵良!」
恵良が振り向くと、四人が彼女を心配しているような顔が彼女の目に映った。
「勇気――」
「……死なないで。俺たちも助けに行くから」
恵良は勇気の言葉に頷いた。その顔は、どこか悲壮感が漂っている。
恵良は頷くと、踵を返して管制室を出た。ドアが閉まると、気まずい沈黙が四人にのしかかってきた。勇気は、ドアの方をじっと見つめている。あたかも、主人を待つ忠犬のように。
「恵良……」
格納庫の中にある、整備された純白のSW。そのコクピットの中に、既に恵良は待機していた。《ウォリアー》は既に起動しているが、待機状態になっており、動いているのはメインカメラと外部の音を拾うための装置だけである。
恵良は覚悟を決めていた。どうしてもやらなければならないのだ。大きく息を吸う。
「……見てて下さい、お父様、お兄様」
吸った息を吐きだしながら、恵良は決意した――何機だろうと、自分一人で撃墜してやる。
ミーティングが終わって、自由にしていてもいいと社長に言われても、四人は訓練室にいた。しかし、彼らは訓練をせず座り込んで話しているだけである。四人は共通して、げんなりとした顔を見せている。特に勇気は訓練室に入ってから一言も言葉を発さず俯いて体育座りをしているだけである。
「……あいつ、恵良をどうするつもりなんだ?」
「戦いが始まらないと分かりませんね。何かよからぬ事を考えているんじゃないんでしょうか」
賢の返事を聞くと、礼人は頭をボリボリと掻いた。
何もかもが解らない――四人は共に思っている。何故恵良にこのような条件を取り付けたのか、そして実績を残しているとはいえ何故今頃になって恵良を赦そうとしているのか……。会長と社長の真意は四人には兎も角、恵良にとっても闇の中だった。
勇気は、ミーティングが終わったころからずっと恵良のことを考えていた。彼にとって、恵良が管制室を出ていった時の沈鬱とした雰囲気は耐えられないものがあった。恵良に何かあったら――彼はそのことばかりを気にしていた。
「恵良……無事でいてくれ。どうか――」
「まだ戦いは始まってないぞ、勇気」
雪次が勇気に笑いながら話しかけると、彼の上半身がバネのように伸びあがった。その反応に、雪次と傍から見ていた礼人と賢はクスリと笑う。
「す、すみません。そうですよね……」
「恵良のこと、ずぅっと考えてたのか?」
礼人がやけにニヤニヤとしながら尋ねる。それに勇気はぎこちなくではあるが、素直に頷いた。
「賢から聞いたぞ。お前、恵良につく悪い虫を追っ払ったんだって?」
「えっ……?」
言葉に詰まった勇気は、思わず賢の方を向いた。賢は申し訳なさそうに微笑んでいる。
「ごめんなさい。勇気君が横田という男から恵良さんを守ったこと、礼人に言っちゃいました」
「あ、あのことですか?」
勇気の頬は俄かに赤くなった。自分が『嫉妬』の気持ちから横田を追い払ったことを思い出してしまったからだ。
礼人はまだ勇気を突き続ける。
「そういやお前、復帰してから何か変だぞ。特に恵良が近くにいると、な」
礼人は全て分かっているという風に笑みを浮かべながら勇気を見つめている。
「あのお見舞いの時に元気になったって隊長から聞いたが……そん時に何かあったのか?」
勇気は全てを思い出して口を噤んでしまった。彼は耳まで赤くして俯いてしまった。礼人はこの反応が面白かったのか、それ以上は訊かずに唯々笑い転げている。
その時だけ、四人の周りの空気は和んでいた。恵良が欠けていても、勇気が心配をしないように努めて話題を振った。その結果、勇気は恵良の心配こそしなくなったものの、彼女に関する別のことで煩ってしまったが。
しかし、心を休める時間は突如終わりを告げた。
《オーシャン》の中で、けたたましくアラームが響き渡っている。管制室の中で空の状況を見張っていた社長が大慌てでキーボードを叩いてレーダを確認する中、恵良から通信が入った。
『お兄様、私を出撃させてください!』
「何を言っている? 私が確認するまで待て」
『もし奴らなら、確認している間に来ます。ですから――』
恵良の必死の懇願もむなしく、社長は苦虫を噛み潰したような表情で彼女からの無線を切った。自分の行いを恵良に否定されるのが面白くなかったのだ。
そうこうしているうちに、訓練室にいた勇気たちが息を切らして管制室に入ってきた。社長がきつい表情のまま彼らの方を向く。
「奴らが来たんですか!?」
開口一番、勇気が尋ねた。彼の気持ちは逸っている。
「……反応が出た。相手は『ナンバーズ』だ」
社長が淡々と答えると、四人の中に緊張が走った。特に勇気は、心臓を強く掴まれたような感触を覚えた。
すると、今度は社長が恵良に無線を繋いだ。
「白田。相手は『ナンバーズ』だ。今から発進の準備をさせる。拘束具を解くぞ」
『了解!』
恵良の威勢の良い返事が聞こえると、社長は無線を切った。その様子を、勇気は両の拳を握りながら見守っていた。
これから恵良が一人で『ナンバーズ』と対峙するのだ。四人は彼女を信頼していたが、それでもまだ不安は残っていた。特に勇気は、不安とも心配とも言い難い感情がしこりのように胸中に留まっていた。
――無事に帰ってきてくれ、恵良。俺は……
《ウォリアー》は拘束具を解かれ、カタパルトまで移動していた。発進口が開き、暗がりの発射台に目映い光が差し込む。それがつるりとした純白を一層映えさせていた。
恵良は《ウォリアー》のコクピットの中で、深呼吸を繰り返していた。彼女にとってこの出撃は、初めての実戦のときよりも緊張するものであった。心臓は彼女にとって気味が悪いほどに大きく速く拍動し、操縦桿を握る手も少し震えている。
だが、やるしかない。達成して、父と兄に自身を『白金』として認めてもらいたい、女だから低くみられるようなことは自分の代で終わらせたい――恵良は決心していた。止まらぬ震えを抑えるように、操縦桿をギュッと握りしめる。
発進口が完全に開き、シグナルが緑色になる。恵良は意を決した。
「白田恵良、《ウォリアー》、発進します!」
純白の機体が加速する。
《ウォリアー》は白鳥のように美しく、空に解き放たれた。