白金
討伐部隊の五人と雪音は、管制室の中で直立して護衛対象を待っていた。雪音が前に立ち、五人は彼女の後ろに立っている。
六人とも固い表情をしている。特に恵良の顔は引きつっており、脚が少しだけ震えている。三年ぶりに父と兄に再会するのだ。緊張していない筈がなかった。今の自分の姿を見たら、父や兄はどう思うのだろうか――恵良はそのことばかりを考えていた。
コツコツと、革靴が床を打つ乾いた音が少しづつ聞こえてくる。管制室の中の空気が、さらに引き締まる。音の多さから察するに、複数人が歩いて此方へと向かってくると、勇気は思っていた。
すると、足音が管制室のドアの前で鳴りやんだ。恵良がゴクリと生唾を呑みこむ。
「失礼する」
ドアの向こうから、老けた男の声が聞こえてきた。恵良だけが、背筋をピンと伸ばす。
「どうぞお入りください」
雪音が声をかける。彼女が声をかけた一瞬後、ドアが開いた。
そこから現れたのは、白髪をオールバックに纏めた風格のある老人と、黒い短髪のがっしりとした体格を持つ男であった。後ろから、ボディーガードと思しきサングラスをかけたスーツ姿の二人の大男と二人の背広姿の老人も出てきた。
恵良は二人の姿を見た途端目をつぶりたい衝動に駆られたが、場が場なのでぐっと堪える。自身を非人扱いしてきた父と兄が、彼女の前に現れたのだから。
白髪の老人が、雪音に近づいていく。
「これはこれは、水城雪音少佐」
「お会いできて光栄です、白金龍一会長」
二人が握手をした。しかし、会長の握力は強く、握られた雪音は少し顔を顰める。手を離すと、今度は短髪の男が近寄ってきた。
「……久しぶりだな」
「お会いできて光栄です、白金高良社長」
雪音が握手をしようと手を差し伸べたが、社長はそれを乱暴に払いのけるという形で拒絶した。勇気が社長にムッとした顔を向けたが、隣に立っていた礼人に尻をつつかれて元の表情に戻った。
社長が下がると、雪音が男たちに向かって敬礼をした。
「本日から、会長と社長、および白金の役員様と株式会社フォローの社員の皆様を、我々討伐部隊が護衛させていただきます。よろしくお願いいたします」
雪音が言い終わると、後ろの五人も敬礼をした。後ろの役員たちは顔をほころばせたが、白金の会長と社長の表情は固いままだ。
「万が一『ナンバーズ』の奴らが襲ってきても、守ってくれるんだな? そういう条件でここに来てやっているんだぞ」
「お任せください。我々は常に万全を期しています」
雪音が自信ありげに答える。しかし、二人の固い表情は変わらない。
すると、雪音が二人に近づいた。彼女の顔はにこやかだ。
「それでは、私がお二人様を来賓室にご案内します」
しかし、雪音が言っても二人は動こうとしない。彼女が訝しんで会長の方を見る。
「……どうなされたのです?」
「ここに来るために、『日本自由の会』の奴らにもう一つの条件を呑んでもらった」
「何です?」
すると、話している会長の隣で社長の口角が吊り上がった。
「この任務の間は、私がこの部隊の指揮を執る。これは決定事項だ」
社長が雄弁になり始めた。まるで勝ち誇ったかのような顔で雪音を見ている――見下しているという感じが強いが――。
しかし、雪音はそのことは織り込み済みだった。元々彼女は事を荒げたくなかったので、彼が隊長を務めたいと言えば素直に階級だけ譲るつもりであった。
「どうぞ。私はエンジニアの仕事に戻ろうと思います」
「……随分と物分かりがいいじゃないか」
「上の決定事項なのでしょう? 我々下っ端は、従わざるを得ませんよ」
社長が拍子抜けしたような表情で、自虐的に微笑んでいる雪音を見つめる。しかし、社長が見つめたすぐ後、雪音は真面目な表情に戻った。
「しかし、緊急事態の時には私が出張る可能性もありますので、頭の片隅にでも置いておいてください」
「……ふん。緊急事態など、私でも片づけられる。それに、私は全権を一任されている。貴様が出張る暇などない」
「然様ですか」
雪音が社長の見下したような言葉をさらりと受け流す。すると社長は憮然とした顔で彼女から背を向けた。
「それでは、行きましょうか」
雪音が男たちの前を歩く。その後ろから、ボディーガードらしき男二人を先頭に、会長と社長、役員たちが歩き出した。
それを見届けた五人は、全員が出ていきドアが閉まるのを確認すると、ガックリと肩を落とした。特に恵良はぐったりとしている。それを見た勇気は、恵良を気にかけた。
「大丈夫、恵良?」
恵良は胸に手を当てて、深呼吸をしていた。勇気の声に気が付いた彼女は、彼の方を見る。
「う、うん。大丈夫……」
恵良は勇気に笑いかけたが、彼の心配は消えなかった。その笑顔はすぐにかき消されそうなほど弱々しかった。勇気にとって、そんな彼女を見ることは辛かった。
数分後、雪音が管制室に戻ってきた。その中で待機していた五人は再び姿勢を正し、彼女を敬礼で迎えた。
「これから準備をして、一時間後にはここを発つ。アメリカのニューヨークの空港に着陸予定だが、およそ一五時間といったところだ。ちなみに、フォローの奴らはもう乗り込んで格納庫で待機している。見たところ、あいつも呼ばれてた」
五人が頷く。すると、雪音が踵を返してドアの方へと向かった。
「ちょっ――どこ行くんだよ?」
礼人が雪音を引き止める。彼女は振り向いただけで、身体は此方に向けなかった。
「言っただろう。私はエンジニアの仕事をしてくる」
雪音は素っ気なく返すと、ドアを開けて出ていってしまった。礼人がため息をつくと、再びドアが開かれた。
そこから出てきたのは、雪音ではなく高良社長であった。黒いスーツ姿で五人の前に現れる。彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。礼人はすぐに姿勢を正し、社長の方を見る。
「今から、私が討伐部隊の全指揮を執る。これからは私の命令に従ってもらうぞ」
五人は、了解、と口を揃えて大きく返事をした。
しかし、勇気は社長を隊長だとは認めなかった。これは他の四人も同じように思ってはいるが、彼だけは特段社長を嫌っていた。いきなり全権限を雪音から掻っ攫い、隊長面しているこの男を、勇気は許すことができなかった。
さらに、社長は『白金』の人間であるので、当然恵良のことを見下していると彼は思った。彼女のことを悪く思う人たちに、勇気は我慢ならなかった。その場で問い詰めてやりたいと彼は考えたが、折角雪音が事を荒げないように引いたのに自分が事を荒げてどうする、と冷静になって思い留まった。
勇気が様々な思いを巡らせて社長を睨みつけていると、社長が《オーシャン》の操縦パネルを弄り始めた。慣れた手つきでパネルとキーボードを弄り、発進の準備を進めている。
「なあ……。あいつって航空艦いじれるんだな」
「元々軍に所属していたし、何より『白金』の製品だし、そこら辺の扱いは慣れてるんじゃないか?」
礼人と雪次がひそひそと話をしているが、社長の耳には届いていない。賢は、礼人の社長を小馬鹿にしたような口調に苦笑していた。
「オールグリーンだ。これから発進する」
雪音より時間はかかったものの、社長は《オーシャン》の発進準備を済ますことができた。社長が操縦桿を動かすと、《オーシャン》が動き出した。
討伐部隊と『白金』の関係者たちは、アメリカに向けて飛び立った。
討伐部隊の面々は、いつも通り訓練室のシミュレータで模擬戦を行っていた。しかし、雪音にも説明されたとおり重力粒子の発生装置が取り付けられていないので、いつも通りの模擬戦の感じが出なかった。それには五人とも不足を感じている。
「……はあ、今までのヤツがどんだけやりがいがあったかが分かるなぁ。Gを感じねえと物足りねえや」
シミュレータ内での訓練を終えた礼人がため息をついて愚痴を漏らす。ともにシミュレータを動かしていた恵良と勇気がそんな彼に苦笑する。
「そうですけれど……ここは我慢しましょう」
恵良が拗ねたような態度をとっている礼人を宥める。訓練室で待機していた賢と雪次も、そんな彼を見て苦笑している。
「まあまあ、我々の身体の負担が減ったと思えば」
「訓練は負担掛けて何ぼだろ? それこそ病み上がりの勇気にはちょうどいいかもしれねえが」
礼人と賢が話していると、突然訓練室のドアが開いた。五人が驚いて其方を向くと、ドアが開いたところに会長と社長のボディーガードらしき男が立っていた。無表情と黒いサングラスが、無機質さを強調している。
「……何の用だ?」
礼人が怪訝な顔をして男に突っかかる。しかし男の顔は、礼人を無視して恵良を向いている。それに気づいた恵良と勇気はハッとした顔をした。
「白田恵良。社長と会長がお呼びだ」
「……私が、ですか?」
「ああ。早く来い」
恵良が頷いて、男の下へ歩み寄る。そこに、勇気も付いて行こうとした。しかし、彼が恵良に追いついたところで、男が彼を呼び止めた。
「お前は呼んでいない」
「でも……、恵良に何かあったら――」
すると、男が勇気ににじり寄ってきた。軍人である勇気でも思わず身じろいでしまうほどの威圧感を出している。
すると、恵良が毅然とした態度で二人の間に割って入った。迷いのない表情をしている。
「勇気に手を出さないでください。私一人で行きますから」
「恵良――」
勇気が呟くと、恵良が振り向いて彼のほうを見る。
「私は大丈夫。ちゃんと話してくるから」
恵良は勇気に微笑んだ。彼は恵良に言われると、大人しく引き下がった。
恵良には勇気の心遣いをありがたく感じたが、今の自分は彼に甘えてばかりはいられないとも感じていた。
「では、行こうか」
「はい!」
恵良は威勢よく返事をした。そして彼女は、男に連れられて訓練室を出た。
勇気はそれを、肩を落としながら見ていることしかできなかった。彼のもとに礼人が近づき、肩に手をポンとやった。
「あいつはお前が思ってるよりもずっと強えよ。親父さんと兄貴の前でも頑張ってたしな」
「……そうですね」
勇気は自虐するような笑みを浮かべた。助けようとするだけじゃなく、少しは恵良のことを信じてあげなければ――そんなことを考えていた。
《オーシャン》の来賓室は、管制室とほど近いところにある。恵良は男とともにそこまで来ていた。彼女の胸の鼓動が速く強くなる。
男が恵良の前に立ち、ドアを二回ノックした。恵良が両手でこぶしを作る。
「白田恵良をお連れしました」
「入れ」
ドアの向こうから、会長と思しき老けた声がした。許可を取った男はセンサを触り、恵良とともに来賓室へと入る。
そこには、高級そうな革のソファにどっかりと座った会長と、ソファの横に立っている社長がいた。会長が座っているソファの前には、ファイリングされた大量の書類と一台のノートパソコンが置かれている。彼ら以外には誰もいない。席を外すように言われているのだろうかと、恵良は緊張しっぱなしの頭で考えた。
「ご苦労。外に出て見張っててくれ」
「かしこまりました」
会長が指示を出すと、男は機械のような抑揚のない声で返事をした後会長の言われたとおりに動いた。
ドアが完全に閉まり、外の物音が聞こえなくなったのを確認すると、会長がソファを少しきしませて恵良の方へ身を少し乗り出した。社長――今の肩書は隊長だが――の視線も彼女を向いている。恵良は二つの視線に曝され、背筋をピンと伸ばした。
「……三年ぶりか」
会長の冷ややかな声と目つき。恵良は身震いしそうになったが、なんとか堪える。背中に汗が伝う感触を覚える。
「まさか女のお前が、討伐部隊にいるとはな。隊長が女だから、同類だと思われて拾われたんだろうが」
恵良は罵りの言葉を言われても動じないように努めた。すると、会長がソファにふんぞり返る。
「……お前は『白金』として我々に認めてほしいために軍に入り、こうして討伐部隊にいる。そこにいる以上は、憎き『ナンバーズ』と戦わねばならん」
恵良が頷く。社長の方は、会長の意図を掴めずにそちらに視線を移した。
「今回も、奴らは襲ってくるだろう。そこで、だ」
恵良が会長に注目し始める。一体何をしろと言うのだろうか。
「今回もしも奴らが襲ってきた場合、お前一人で戦え。そして生き残ったら考えてやる」
恵良は、希望の光を見つけたような気がしていた。『考えてやる』というフレーズは、あえて彼女は気にしなかった。
三年間軍で頑張ってきて、討伐部隊に入り、着実に力をつけてきた恵良にとって、父親のその言葉には何かこみ上げるものがあった。しかし、彼女はそれが自分の身体の外に出てくるのを必死に堪え、父である会長の目をじっと見つめている。
――これで、認められるのなら……
恵良は拳をぐっと握りしめる。もう、迷いはなかった。
「分かりました。それで認められるのならば、私は全身全霊尽くします!」
恵良が宣言すると、会長と社長の口角が吊り上がった。それにつられるようにして、彼女も笑みを見せる。
「よし。私からは以上だ。引き続き、任務に励んでくれ」
「はい! 分かりました!」
恵良は顔をほころばせて来賓室を出た。彼女は今にもスキップをしそうなほど舞い上がっていた。頑張った甲斐があったと、彼女は自身の嬉しさを早く報告するために訓練室へと急いだ。
恵良が出た後の来賓室は、不気味なくらい静かになった。
その中で、二人は笑みを崩していなかった。彼らは恵良の実績を邪険に扱うどころか、今までの扱いとは思えないほど彼女を優遇している。
「……見事に我々の口車に乗ってくれましたね、父さん」
恵良をせせら笑うように、社長が会長に話しかける。
「ああ。女というものは扱いやすいものだよ、まったく。少しでも温情を見せればつけ上がってくれるからな」
「後は、私がうまくやりますよ。『隊長』として――」
二人は、先ほどとは違う黒い笑みを浮かべた。
そして、社長は再び肩書を隊長に変えて、来賓室を出た。