氷と光
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第十八話 氷と光
危機的状況に追い討ちをかけるように、事態は急変する。
咆吼による轟音は地響きを呼び、空気を大きく振動させる。その中で、鋭く研ぎ澄まされた眼光を光らせたバルディアスは標的をアチル一人に絞り、強靱な鉤爪を彼女目掛けて振り下ろす。
「っ!?」
寸前の差で後方に跳び、アチルは直撃を回避することはできた。
だが、地面に力強く叩きつけられた鉤爪は同時に衝撃波の爆風を生み、その地点から破裂する。
小さな悲鳴すら呑み込む風は、アチルの体を大きく吹き飛ばし、地面を何度も打ちつかせけながら岩壁に激突させた。
「っぁ‥‥かっ!」
思考と視界が揺さぶられ、同時に口の中に鉄の味が濃く広がる。
肺溜まった空気と一緒に吐血したアチルの体は岩壁によたれ掛かる形で崩れ落ちる。下手をすればあの一撃で全てが終わっていたかもしれない。
だが、それでも、アチルにとってかろうじで意識が保てていたのが幸いだった。
手元に転がっていた魔法剣を掴み取り、両四肢に力を込め、アチルは立ち上がる。
苦痛により荒い息が口から洩れ、二本の足が小刻みに震える。加えてコートの節々には掠り傷が生まれ、そこから血が滲み出ていた。
バルディアスの一撃は強大だった。
直撃はしなかった。それにも関わらず、このダメージだ。
(…あれを、直接食らっては‥‥‥ダメだ……)
その場一帯に砂煙が舞う中で、バルディアスを強く睨みつけるアチル。
何故、このタイミングで目の前の怪物が現われたのか、その理由はすでに検討がついていた。
そもそも、考えてみれば何もおかしいことはなかった。
男たちとの戦いで使用した氷魔法の広範囲攻撃魔法。そこから発生られる騒音は岩壁に囲まれた洞窟にとっては大きく響き渡る音だった。
人間なら未だしも、視界のは不自由な洞窟に生息するモンスターなら、その音に気づかないわけがなかった。
そして、それが普通のモンスターよりも更に上位の存在であるバルディアスなら、尚更だ。
バルディアスの敵意ある鋭い瞳はアチルに向けられ、その威圧感は息苦しさを感じさせる。
だが、何もそれはアチルだけではないはずだ。
この場所にいる男たちもまた同じように重圧を感じているはずだ。
そう思い込み、アチルは警戒を続けながら離れた場所にいる男たちに視線を向けた。
だが、
「なっ‥!?」
そこには口元を緩ませながらアチルとバルディアスの戦いを観戦する男たちの姿があった。
凶暴モンスターと対面しているにも関わらず、男たちは恐怖すら感じていなかったのだ。
どうして‥っ、と眉間を寄せるアチル。だが、その背後で小さな足音が聞こえた直後、そんな考えは一瞬にして吹き飛んでしまった。
次の瞬間。
鉄と鉄、二つの魔法剣と細剣が甲高い音を上げせめぎ合う。
咄嗟に振り返り、魔法剣を盾にしたアチル。
そして、細剣の持ち主である主である氷魔法の影響を受け、片腕が氷に覆われた男ーーーーーーープリーチャイルは怒りの形相でアチルを睨む、声を上げる。
「あぁーうざってえ‥‥うざってえんだよ、テメッ!!」
「ッ!」
あまりに豹変した表情と態度を放つプリーチャイルは、怒りにまかせに細剣を振るう。
その動きは、見るに耐えない感情に任せた切り返しだった。
だが、
「ッ! ッ!!」
男女の差に加え、剣の技術を持っていないアチルにとっては十分なダメージに至る。剣を防ぐ度に体に痛みが走り、体力が削られていく。
アチルは歯を噛み締めると同時に、観戦を決め込んでいる男たちのニヤニヤとした笑い顔に苛立ちを募らせる。
隙を見て魔法を唱えようとするも攻撃は止まず、岩壁に激突した際に受けたダメージが今頃になって詠唱の邪魔をするように頭痛を引き起こす。
アチルは抵抗する術を持たず、ただ攻撃を耐え続けるしかできない。
「はッ、こんなもんかよ! 魔法使いッ!!!」
「くっ!!」
だが、それでも。
劣勢に立たされてなお諦めた表情を見せないアチル。勝機が乏しいにも限らず、その瞳は未だ死んですらいなかった。
「クッソ! クッソ!! クッソォッ!!!」
プルーチャイルは顔が更に歪ませ、大声を上げる。
この窮地の場面において未だ諦めないアチル。そんな彼女に苛立ちと殺意を募らせる。
そして、プルーチャイルは考える。
目の前のアチルを殺すために。
何か、その心を砕く言葉がないか、と考え、
「‥!」
ーーーー見つけた。
ニヤリ、と悪魔のように左右に口元を裂かせ、プルーチャイルは言葉を吐く。
「……おい、魔法使い。テメェ、さっきこっちが当たりとか言ってたよな?」
「…ッ!! そ、それが何」
そう言い返そうとしたアチル。
だが、プルーチャイルの顔を見た瞬間、彼女の動きは硬直する。
蒼く見開いた瞳が捉えた、そこには、
「いやいや………それは本当に、残念だったなって思ってなぁ」
ーーーープルーチャイルの笑う顔が映し出されていた。
あれだけ怒りに顔を染めていた男が一変して勝利に酔った表情を浮かべている。
そして、同時にアチルの頭にある疑問が過った。
何故、プルーチャイルが今になってそんなことを話し始めた‥‥‥?
その瞬間、全身を震えさすような悪寒がアチルを襲い、そんな彼女の反応に対し、プルーチャイルはさらに笑みを強める。
「魔法使い、お前の読みは外れだよ。本命はここじゃなく、もう一つの班なんだよ」
人の不幸を楽しむ悪魔のように顔を歪ませ、間違いのないはっきりとした声でーーーその言葉を突き付ける。
「それも、お前が親しげにしてた、あのダガー使いの女のいる班なんだよなぁあ、これがぁあ!!」
「………………………………………………………………え」
その言葉はまさしく、絶望へと誘う禁断の言葉だった。
カラン、と音を立て、地面に抜け落ちる魔法剣。
ヨロヨロと後退りながら、アチルは目を見開き震えた唇を動かす。
「……そ‥‥そんな、…ぅそ‥」
「嘘じゃねえよ! 今頃、あの女は俺たちの仲間相手に一人のはずだぜ? それも、上位ランクの武器を持った俺達の仲間となぁ!」
「ぅそ‥‥ぅそ‥‥‥‥‥‥ぅそ‥」
ぎゃはははははは!!! とバルディアスという驚異がすぐ側にあるにも関わらずプルーチャイルは達成感を味わうかのように高らかに笑い続け、アチルの心を打ち砕かれたことに大いに喜びを感じる。
その声は酷く耳障りで雑音にしか聞こえない。
だが、その事実を前に愕然とした表情を浮かべるアチルにとっては何一つ、周りの音が頭に入ることはなかった。
ベタッ、と地面にへたり込んでしまった彼女の脳裏に男の言葉が渦巻く。
ーーー嘘だ。
周りの音が次第に小さく、そして、聞こえなくなる。
アチルは目の前が真っ暗になるような思いで何度も心中で呟く。
ーーー嘘だ‥嘘だ‥
それはどれだけ思っても足りないくらいに‥。
アチルは、絶対にその事実を認めたくなかった。
ーーーーそんなの、嘘だ‥嘘だッ!!!
アチルは脳裏に浮かぶ、喫茶店で働く一人の少女との思い出。
初めての出会いから、短い時間の中で、笑って、怒って、一緒に料理や討伐にも出た、思い出。
そして、彼女のーーーー
『アチル』
美野里の顔が、次の瞬間ーーー粉々に砕け散った。
「ぃやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?!」
その直後。
アチルの中心に白の霧が吹きあがり、それと同時にその場一帯の地面が一瞬にして凍りつく。
詠唱や仕草すらないその現象は、精神の崩壊に近づいたことにより起きた事態。
これはーーーーーーー魔法の暴走だ。
咆哮にも似たアチルの叫びがその場一体に響き渡る。
危険を即座に察知したプルーチャイルは、直撃を回避する。だが、その顔にはさっきまでの優越に浸った笑みはなく、引きつった表情が浮かべられていた。
暴走とはいえ心を砕くまで至ったにも関わらず、ろくに近づかない。
舌打ちをつくプルーチャイル。
だが、その視線の先でプルーチャイルはこの場所に、ある存在がいたことを思い出し、その口は悪魔のように再び裂け開く。
「やれぇえ、バルディアスッ!!!」
命令にも似た声が放たれた、直後。
アチルは頭上に大きくのしかかるように、巨大な鉤爪。
バルディアスの一撃が振り下ろされる。
顔を上げ、目を見開くアチル。
だが、そこから逃げることも、構えることもできなかった。
暴走した魔法によって、ただ漏れとなった魔力。
過度な放出による力の衰退が身体を硬直させ、アチルはただ静かに死を待つしかできなかった。
視界全てを支配する、重圧を添えた鉤爪。
涙がこぼれ落ちる中で、アチルは乾いた唇を動かし、
「(‥…美野里)」
そう呟くしかできなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーザンッツ!! と、その次の瞬間だった。
バンッッ!!! という音と共にバルディアスの巨体が衝撃を受け宙を浮き、悲鳴と共に、その体は地面に堕ちた。
轟音をたて、真横に倒れたバルディアスの胴体には暗闇を照らすような眩い六本の光の剣が突き刺さっている。
巨大な体が転倒したことによって引き起こされた地震は洞窟内部に響き渡り、男たちは慌ててふためく声が聞こえる。
(‥‥‥‥‥‥‥‥何が‥)
アチルは呆然とした様子で、一体何が起きたのかわからなかった。
だが、その時。バルディアスに刺さった光剣の柄に一本の長く伸びた縄が括り付けられていることに気づいた。
そして、その一直線に伸びた縄が引き合う物をなくしたように弛んだ、その直後だった。
トン、とアチルの目の前に、一つの影が着地する。
アチルを守るように立つその影は、人だった。衣服に数か所の傷がつき、ローブや防具にも大きな損傷が見える。
だが、それでもバルディアスから引き抜かれた一本の光剣を引き寄せ掴み取る少女は健全と立つ。
眩い光を放つ、六本のダガーを扱うハンター。
衝光使い、町早美野里はアチル元に辿り着いた。
信じられない、その光景に言葉をなくすアチル。
だがそこで、彼女は気づいてしまった。
ポタッポタッ、と音を立て、地面に落ちる紅の液体。それは、空中からここに着地するまで地面に道しるべを作るかのように続いている。
そして、その液体の出所は、他でもない町早美野里の背中ーーーー防具を通り越し肉体まで到達した大きな切り傷からだった。
「!?」
ローブから衣服へと、血の痕がくっきりと残っている。
アチルは震えた声が漏れる。
「み、美野里ッ‥……そ、その傷は‥‥」
「アチル」
だが、その先を美野里は言わせてはくれなかった。
顔を後ろに振り向かせた彼女は口元を緩ませながら、笑みを作り、
「大丈夫だった? 怪我とかしてない?」
「ッツ!!」
いつもと変わらない、美野里は微笑みと共に言葉を添える。
出血量は尋常ではなく、いつ意識を失ってもおかしくない量だった。
怪我をしているのは、彼女の方なのに。
それなのに。
美野里は友達である、アチルのことだけを考えここまでやって来たのだ。
「‥美野里‥‥‥美野里ッ‥‥」
目に涙が溜り、口から嗚咽が漏らすアチルは歯を噛み締め、非力な自分を憎んだ。
何もできなかった自分に対し、悔しくて、しかたがなかった。
バルディアスに敵対するように、美野里は辿り着いた。
ただ、それだけのはずだった。
「おい………あれ、ってまさか‥」
「んなわけがねえだろ‥‥ば、馬鹿言ってんじゃねぇ‥ぞ‥」
それなのに、男たちが美野里の姿に対し、信じられないといった表情を浮かべている。
最初はその重傷の体でここまで来たことに対しての動揺かに思えた。
だが、彼らの目に映っていたのは少女の手にある存在ーーーーーーーそこに握られる、刀身が光輝くダガーだった。
「は、ははは…」
小さな笑い声が聞こえる。
周囲の男たちや美野里たちの視線がその声に引き寄せられるように集まる中、笑い声を出すライザムの大剣を持つ大男は顔に手を当てながらその声を徐々に大きくさせる。
「はははは! はははははははッ!! ーーーはぁ、……そうか。あのクソヤロォ、これを隠してやがったんだな」
言葉に続き、大男はライザムの大剣を軽いおもちゃのように地面に突き刺す。
「っ!」
その瞬間、美野里の瞳が殺気を放つ物へと変質し、殺気に当てられた周囲の男たちは、アチルも含め背筋を凍らせるような冷たさを感じていた。
しかし、そんなことなど御構い無しに大男はその口を開く。
「まさか、ここでソレを目に出来るとは思わなかったが‥‥‥‥‥‥‥‥‥なぁに、歓迎するぜ」
「…………………」
周りが動揺する中で。
大男は両手を広げ、大いに感謝するかのように叫ぶ。
「インデール・フレイムの四人目の衝光使いさんよぉ!!」
衝光使い。
町早美野里と大男。二人の火蓋がその瞬間、切って落とされた。