レオ(いぬ)
6月1日午後。雨。
思うぞんぶん池でペンと戯れた、そろそろ自分が女だと自覚したほうがいい十八歳の湊は、天兵の家で昼ご飯を食べたあと家に帰った。まさか風呂場に全裸で突入してくるとは思わなかったので、天兵どころかぎんまでも「こいつ正気か!?」と目を見開いていた。
湊がいなくなってすぐに、検診を終えた宇美が結果の報告をしてくれた。うちの動物たちはみんな健康だという。天兵がわからない危険のサインも見逃さないのが彼女だ。むかしから宇美にはお世話になっているし、彼女は天兵たちをまとめる姉のような存在なのだ。
「宇美さんもご飯食べていく?」
「ううん。つぎの仕事があるから。でもペンちゃんはぎゅっとしたかったなぁ」
「湊に襲われた日は、もう人間不信が治らないからしょうがないよ」
天兵と宇美は苦笑して顔を見合わせた。
そのまま宇美を見送って、天兵は自室に戻った。
ベッドで昼寝をしているぎんを横目に、天兵は庭を見下ろした。
雨だからか、小屋から出てきている姿はほとんどない。ペンは池で泳いでいるが、あと姿が見えるのはひとりだけ走り回っているちっさな茶色い子犬――豆柴のレオくらいだ。
レオは尻尾をバタバタ振りながら広い庭を縦横無尽に駆け回っていた。
窓から顔を出している天兵に気付くと、天兵に向かってキャンキャンと吠える。
「……あいつ、ほんと雨が好きだよね」
ひさしぶりに、散歩でもいこう。
天兵は長靴とレインコートを用意してから、レオを迎えに行った。
うろな町の住宅街のなかで、大きな敷地を持つ家はいくつかある。
そのひとつが住宅街のはずれにある草薙家。
そしてもうひとつ、そこからわりと近い場所にある大きな邸宅には、『椋原』という表札がかけられている。
草薙家と比肩する大きさの敷地には、幾棟かの建物があり、すこし前まではそのひとつのプレハブ小屋を使って小学生向けに塾を開いていたらしいが、最近は放置しているらしい。
なぜ天兵がそんなことを知っているかといえば――
「あ、レオ! きょうもテンション高いね~っ!」
その椋原家の前を通りがかると、赤い傘を差した中学生の少女が駆け寄ってきた。
椋原真帆。
レオは散歩していると頻繁にはぐれて迷子になるのだが、それをいつも拾ってくれるのが真帆だった。彼女は困っている動物を見ると放っておけないらしい。良い子だ。
真帆はキラキラした笑顔でレオを抱きあげた。濡れているが気にする様子もない。
「真帆ちゃん、学校は楽しい?」
「うん。天兵はどう?」
「僕も楽しいよ。なんたって飼育小屋があるのがいい」
うろな高校には飼育小屋があるのだ。
しかもそこにはウサギが飼われている。天兵はウサギを飼っていないから、羨ましい。
とはいえ誰が飼っているのかは不明慮で、いつのまにかブクブク太ってしまっている。
「ふうん。変な高校だね~」
「変な部活もあるしね。真帆ちゃんも悩みがあったら僕の高校に来るといいよ」
「なんで? なにかお悩み解決してくれるの? スケット団てきな?」
「ちょっと違うかな。クールな一年生が悩みを聞いてくれる部活があるんだよ。本人は解決なんかしてないって否定するんだけど、こっちは話すだけで、悩みを解消してくれるんだ。面白い部活だよ」
「へえ面白そう! 中学も楽しいけど、はやく高校いきたいな」
真帆がはにかんで言う。
と、レオがいきなり「キャンキャンっ!」と大声で吠えだした。
「わ、わ、どうしたのレオ!?」
真帆の腕のなかで尻尾を振りまくるレオ。
顔をこっちにむけたりあっちに向けたりとせわしない。
「ああ、これ、かまってほしいんだよ」
「え、かまってほしいの?」
「キャンキャンキャンキャンっ!」
『ふたりばっかり楽しそうでずるい!』
レオは羨ましそうに天兵と真帆を見比べた。
「キャンキャンキャンキャン、クゥゥゥン!」
『かまってかまってかまってかまって、かまってよ~~!』
尻尾をビチビチビチビチ振りまくるレオ。
「はいはい。ごめんねレオ。よしよーし」
真帆は微笑んで、レオの鼻に自分の鼻をおしつける。
愛情表現が上手な子だ。
こんな良い子に遊んでもらえて、レオは嬉しそうだった。
天兵が見守っていると、真帆がふと思い出したように言った。
「あ、そうだ。このまえ川で新しい子拾ったんだよ」
「また拾ったの? こんどはなに?」
「人間」
「は?」
きょとんとする天兵。
「だから人間だよ。髪がボサボサで、マサムネっていうの。いまプレハブ小屋にいるんだよ。見てく?」
新しいペットを紹介するノリで話す真帆だった。
拾い癖がある子だから、いつか妙な動物を拾わないか心配だったんだけど……。
まさか人間を拾うとは思わなかった。
「……いや、今日はやめておくよ」
紹介されても、って感じだし。
なにより天兵は、人間にはそこまで魅かれない。
それよりも。
天兵は気になることを聞いたので、言う。
「真帆ちゃん……川で拾ったって、川に入ったりしたの?」
「うん、すぐそこだけどね。住宅街抜けたとこにあるやつ。マサムネってば犬を助けようとして溺れたんだよ。なんとか助かってよかった」
ああ、あそこか。
比較的流れはゆるやかだが、深さはある。
山の渓流が早いところほどではないが、溺れるには十分な場所だろう。
天兵はわずかに顔を沈めて、
「あんまり川とか、そういうところには近づかないほうがいいよ。まあ、マサムネくんを助けるためだったら、仕方がないのかもしれないけど……」
「……天兵、どうしたの?」
声が低くなってしまったのを、敏感に勘付いた真帆。
この子は他人の感情に敏感だ。優しい子だから、そういうことにも気付いてしまう。
「……いや、ちょっとね……川にはいい思い出がないから」
天兵は苦笑した。
真帆は心配そうに顔を覗き込みながらも、それ以上は聞いてこなかった。
川にはいい思い出がない。
レオがいつの間にか吠えるのをやめ、じっと天兵の後ろを見つめていることに、天兵はまだ気付かなかった。
引き続き宇美ちゃん登場です。
今回は椋原真帆ちゃんをお借りしました。ディライトさん、なにか修正が必要でしたらおっしゃってください。
次回の話は、ちょっと過去に戻ります。
プロローグででてきたカエデちゃんもいるお話です。