ペンちゃん(ぺんぎん)
6月1日午前。雨。
週末の雨は嫌いじゃない。
柊湊は雨の中を歩いていた。
短く切りそろえた茶髪に、薄いシャツとパーカー。白いホットパンツの下は素足で、スタイルの良い足の下には黒いスニーカー。背はわりと高くボーイッシュな格好をしているがほんのりと胸は膨らんでいる。
湊はうろな高校3年の女子高生だ。周囲からは姉のような存在として認められている……と自負している。彼女は足元の水たまりを軽くジャンプしてよけて、傘をたたんで足を止めた。
うろな町はもう梅雨に入ったらしい。おかげで電車などの交通機関は混雑しているらしく、きのう偶然会った遠縁の親戚であるエレナから「ほんとヤな客は増えるし同僚はキモいし後輩はどんどん汚されていくし……ああ、もう! 湊ちゃんはアニメなんか見たらダメだからね!」と説教されてしまった。エレナの仕事は雨だと鬱憤が溜まって大変らしい。
でも、湊にとっては悪くない。
なにが悪くないかって、涼しい日に元気になる動物もいるということだ。
「天兵、いるか?」
住宅街の奥にはひときわ大きな建物がある。
『うろな町の動物園』と呼ばれるこの一軒家は、湊の幼馴染である草薙天兵の家だった。
彼女が裏口のインターホンを押して話しかけると、天兵の声が返ってきた。
「ミナト、いつも言ってるけど、勝手に入っていいから」
「そんなわけにはいかねえ。ここは私の家じゃねえからな」
「あいかわらず律儀だね」
「礼儀正しいと呼べ」
インターホンが切れるのを確認してから、湊は通用門を開けて裏口から中に入る。
裏口だが、ここが正面玄関でもある。
庭に面している表の門をあけるわけにはいかないからだ。
湊が裏から家に入ると、天兵が玄関先で出迎えてくれた。
「ヒナは来てねえのか?」
「ハム太と喧嘩中らしいよ。ハム太ハウスから出てきてくれないらしい」
「そうか。ならあの軟弱者に外出は無理だな」
もうひとりの幼馴染、向日葵ひなたは愛ハムスターがいないと喋れないのだ。
「……で、今日は雨だけどやっぱり?」
「ああ。もちろんペンちゃんに会いにきた」
「ほんとミナトは好きだね、ペンのこと」
「可愛いからな。ダントツで」
「ぎんだって可愛いよ。ねえ、ぎん」
天兵が呼ぶと、いつの間にか天兵の足元にいた小柄な猫が「にゃお」と鳴いた。
「ほら、ぎんもこう言ってる」
「……私には『はやく飯よこせ』って言ってるようにしか見えないんだけどな。やはりおまえはぎんの感情だけはさっぱりわかってねえな。鈍感」
ぎんは天兵の足を猫パンチで殴っているのである。
しかもわりと本気のパンチだった。ゴスゴスと音がなっている。
しかし天兵はものともせず、
「ぎんはツンデレなんだよ」
「ほんとおまえの頭のなかは都合がいいな。うらやましい」
「そんなこと言ってたらペンの居場所教えないよ」
「そんな愚行は許さねえ。はやく教えろ」
「はいはい。ペンなら、いつものところにいると思うよ。僕はいまからぎんと一緒に朝風呂に入るし、ミナトは勝手に遊んできていいから」
それを待っていた!
湊はその言葉を聞くと、傘を放りだして一目散に駆けた。
家を迂回し、庭を仕切る柵を飛び越える。
雨のなかで、草木が静かに生い茂る、庭。
庭。
ここ草薙家の敷地の八割を占め、そしてここが動物園と呼ばれるゆえんでもある疑似自然空間。
様々な動物が放し飼いにされている庭。理想郷のような庭。
庭。
その中央にある池に、湊は猛烈な勢いで迫り、
「ペンちゃーーーーーーーんっ!」
ザップーン!
池のなかにダイブした。
水が盛大に飛び散る。
そして水面に浮上した湊が抱えていたのは。
「きゅきゅっきゅーーーーっ!」
暴れまわるペンギンだった。
「ははははは! やっぱりおまえは可愛いなあ!」
「きゅーーーーーーっ!」
腕のなかのペンに頬ずりする湊。
その目はカブトムシをつかまえた少年のように輝いていた。
「ペンちゃん! どうしたそんなに鳴きやがって! 私とあえてそんなに嬉しいのかっ!? 嬉しいんだろっ!」
「きゅきゅ~~~~~!」
『やめて~~~~~~!』
ペンはあきらかに嫌がっているのだが、湊には喜びの声にしか聞こえないらしい。
両手をバタバタと振り、湊の顔面を殴打するペンだが、湊は豪快に笑うだけで離す気配をみじんも見せない。
「もっと! もっと私にその愛くるしい声をきかせやがれ~~~!」
「きゅっ、きゅきゅっきゅ~~~~っ!!」
『ふざけないで! わたしの美声はぎん様のためにあるの!』
というペンの叫びを理解できるわけがない湊。
「ほんと良い声だなこのまま私の抱き枕に――」
「――嫌がってるでしょ!」
ガツン!
「あ痛っ!」
と。
めちゃくちゃにペンを愛でる湊の頭に、傘が降ってきた。
湊はとっさに手を離してしまった。
ものすごいスピードで離れていくペンの姿を悲しげに見つめる湊だった。
が、すぐに振り返って池のふちに立つ女性を見上げた。
「こら宇美! 私の至福のときの邪魔をするな!」
「なに言ってるのよもう! ペンが嫌がってるでしょ」
なにを言っている、あんなに嬉しそうだったじゃねえか。
湊はこちらを見下ろす女性――久島宇美をキッと睨みつけながら池から上がる。
服も髪もびしょ濡れだが気にしない。
「というか、なんで宇美がここにいるんだ」
「きょうは検診の日だよーだ」
「……ああ、そうだったな」
宇美は「戸津アニマルクリニック」で働いており、月に何度かここの動物たちの様子を見に来ている。
そもそもここにいる動物の何匹かは、宇美の母が経営するペットショップから買い受けたものたちであり、宇美は彼らが生まれたときから世話をしてきたのだ。
いわゆるこの「動物園」の、育ての母のようなものなのだ。
だから幼いころからペットショップの常連(見るだけ)だった湊とは、けっこうな顔見知りだった。
宇美は湊にタオルを投げてよこした。
「風邪ひくよ」
「そうだな。ちょっと寒くなってきた」
まだ6月が始まったばかりである。当然だった。
湊は身ぶるいした。
「人間の検診に来たんじゃないんだから気をつけてよね」
「……よし、天兵に風呂でも借りっか。宇美もいっしょに入るか?」
「ざんねーん。まだ仕事中」
「そうか。じゃあ天兵と一緒に入ろう」
「それはやめたほうがいいと思うよ」
「なんでだ? 私は天兵の姉のような存在だぞ。天兵のことは弟だと思っている。姉弟が一緒に風呂に入るのはおかしくねえだろ?」
「それでもダメ」
なんでだ。
湊が首をひねると、宇美は「まあ天兵くんがいいならいいけどね~」と豚小屋に歩いて行った。
仕事熱心なことだ。趣味を仕事にできるとはいいことだ。
「……まあいいか」
湊は家のほうへと歩き出す。
「とりあえず、風呂を借りねえとな。……ん? そういえば天兵も風呂に入るっていってたな。どれどれ、乱入してやるか」
久しぶりに弟をいじめてやろう。
湊が悪い顔をしたのは、言うまでもない。
そして予想通り。
風呂場から天兵の絶叫が聞こえてきたのは、そのすぐ後のことだった。
うろな町作品です。
URONA・あ・らかるとより宇美さんをお借りしました。お仕事中の宇美さんも動物大好きオーラが出ててました。とにあさん、なにか不備がありましたら修正するのでお願いします。
エレナさんと宇美さんと知り合いの設定にしてしまいましたが……こちらも不都合がでますようなら修正いたします。とにあさん、おじぃさん、よろしくおねがいします^^