11-02
指差された建物をまじまじと眺めてシャナトリアは眉をひそめた。
「あの……アイシャさん、まさかこれは……酒場ですか?」
「うん、まぁ、そんなもん」
「そんなもんって……」
子どもたちはその建物をしげしげと眺めた。木造二階建て、厩無し。一階部分の壁は石垣でできている。高原であるこの地方独特の造りだ。質素だが暖かみのある小さな宿屋だった。
「下が酒場で、上が宿まるトコになってんだ。表通りの旅館と比べりゃ小ぶりだけどさ、ちゃんとした宿屋だよ。ここの二階の部屋をうちらの事務所として借り受けた」
「ほぇー」
「ティノ、見てみて! ほら、ティノがいる!」
ソルフィスが指差す先の、ドアの上のところに黒猫に蔦をあしらった飾りの宿看板が吊り下げられていた。
「うは。これはどうもご丁寧に……」
「看板になにか書いてある。なんて読むのこれ?」
「宿屋の名前だろ。えーと……《魔導士の隠れ処》?」
「ねぇ、これ……マ・ギ・ン(MAGIN)ってなあに?」
ソルフィスが看板に刻まれた文字についてティノに訊ねた。
「それが魔導士って意味だよ。しかも〝偉大な〟魔導士ってね。うーん、いいじゃないの」
「《偉大な魔導士の隠れ処》ね。なるほど、確かに良さげな響きよね」
「ムフフ、これからここが僕たちの砦になるのか。胸がときめくね」
ヴィヴィアンもカイトも妖しげな笑みを浮かべて楽しそうだ。
「お前ら、入るぞ」
アイシャが木の扉をギイと開けて先に中に入り、続けて子どもたちが後に続いた。
午前中で酒場の客は誰一人居らず、中は暗くて静かだった。きっと準備中なのだろう。
「おーい、アイシャだ。帰ったぞー」
「ん?」「帰った?」
奥から小さな人影が歩いてきた。トテトテと、可愛らしい足取りで小さな子が歩いてきた。
「アイやー!」
「おぉー、アシュリー。おはようさん。さぁ、おいでぇー!」
「あいっ」
小さな子はアイシャの胸に飛び込んできた。
「か、かわいいいぃぃ」
ソルフィスとシャナトリアが目を輝かせて、その小さな子の前に屈みこんだ。
アシュリーと呼ばれたその子はアイシャの肩の上に居る黒猫ティノに興味を持ったようで、指でちょいちょいと触れてみたりした。
「ほれ、アシュリー、お姉ちゃんたちにご挨拶しな」
「うぃおー」
アシュリーが小さな手をシャナトリアに向けてぶいぶいと振ってみせた。
「ふむむむむ!」
「はうぅぅうぅ」
ソルフィスもシャナトリアもたちまち耳を真っ赤にして大興奮状態に陥った。
「なぁ、アシュリー、お前いくつになったんだ? ん? 二才だっけか?」
「ふたっちゅ」
「おおー、二才か、二才」
「にしゃぃ」
「そーそー、えらい!」
「かわいいですね、ひょっとしてアイシャさんのお子さんですか?」
カイトが訊ねる。
「馬鹿、ちげェよ。あたしの姉貴の子どもだよ。お、アシュリー、お前のママはどこだい? ママ、どこ?」
「アイシャさんのお姉さん……?」
「ちなみにアシュリーは男の子だからな」
「えー!?」
そのとき、店の奥から女性の声がした。
「あらぁ、来てたの? アイちゃん」
「ぬおっ」
カウンターの奥から黒髪の美しい女性が現われた。この人がアイシャの姉君のようだ。
「やぁ、姉貴。突然な話で悪いね」
「んーん、いいのよぉ。アイちゃんの顔が見られるのは嬉しいもの。あら……? そちらの方々がもしかして?」
「ああ、昨日話してた、あたしの後輩たち。ほれ、これがあたしの姉貴、ミーシャだ。
あたしらに〝無償〟で仕事場を提供してくれることになった大家さんだ。ご好意に感謝して、粗相のないようにな」
五人は騒然となった。まさか無償とは……まるで神様のようなお方だ!
ソルフィスたちは慌ててスカートのすそをつまんで不器用にお辞儀する。カイトは魔導士の礼だ。こういう一般の人との付き合いは慣れないものだ。
「は、はじめまして、これからお世話になります」
「よろしくお願いします」
「よろー」
「アシュリー、お前はちがう」
「あらぁ、ごていねいにありがとう。話はアイちゃんから聞いてるわよ。みなさん魔獣をやっつけるお仕事なさるんですってね。タフよねぇ。くれぐれも気をつけて頑張ってねぇ~」
「あ、ありがとうございます」
ミーシャはほがらかに笑っている。とても人当たりのよさそうな人物だ。
(ちょ、アイシャさん。いいんですか一般の方に話しちゃって。たしか秘密のはずでしょ?)
ミーシャに聞こえないようにしてシャナトリアがささやく。
(概要だけ、な。いいんだよ、どうせすぐに発表されることだし。タダで借りるからにはちゃんと事情を伝えておかないとダメだろ。ああ見えても姉貴は勘がいいからな、嘘言ってもすぐバレる)
「アイちゃん?」「うィ!?」
「部屋はお二階のほら、昔アイちゃんが使ってたトコあるでしょ、あそこでいいでしょ?」
「う、うん、屋根裏もまだ使えるよね?」
「掃除すればね~」
アシュリーがさっきからシャナトリアにぶいぶいぶいぶいと手を振っている。
「あはは……、シャナトリア、お前気に入られてるみたいだな。ほれ、だっこしてみろ」
「い、いいんですか?」
「どうぞぉ」
シャナトリアはおずおずとした手でアシュリーをだっこしてみた。
「はうぅ、どうしようソル。この子かわいいよぉ」
「うん、うん、うん!」
ソルフィスは辛抱たまらずアシュリーをなでなでなでなでしている。
「あらぁ、あなたたちもとても可愛いわよ。貴方とあなた、お顔そっくりね。ひょっとして姉妹?」
「はい、あたしたち双子で……」
「まぁ~、奇遇ねぇ! わたしとアイちゃんも姉妹なのよぉ~」
「オイ、姉貴」
どうもこのアイシャの姉、ミーシャはすごくほがらかで好感の持てる人物なのだが、ひどくマイペースのようだ。なにか独特の空気感を持っていて、近寄ればすぐに取り込まれてしまいそうな……そんな抗い難いオーラを持った人だった。
「ねぇねぇ! あなたたち。よかったらうちで給仕のお仕事やってみない?」
「えっ、え?」
「私の目に狂いはないわ! あなたたち四人ともすっごく可愛いし、きっとお店繁盛すると思うの! ドレスも仕立てるからぁ、それ着てもらってねぇ。どうかしら~?」
「ぇ、ええ~、どうしよう。えへへ……えへ」
「あの、僕は男ですんで……」
「オイ、姉貴。そのへんにしとけ」
「ネコちゃん! あなたお店の看板にそっくり! あなたもうちで働いてみない? ほら、ここに座ってるだけでいいから!」
ミーシャはカウンターテーブルをばんばんと叩いて、ティノを手招きした。
「ティノ、今はなにもしゃべるな。面倒になる。ほれ、みんな上に行くぞ」
アイシャは強引に一行を引き連れて階段へと向かった。
「あらぁ、もう行くの? ざんねん~、みんなまた後でね。ごゆっくり~」
「アシュリー、またね」
「あいっ」
酒場の壁面に設えられた階段を二階へとあがってゆく。
「ああ見えても姉貴は昔、うちの魔導士だったんだ。つまり、あたしやお前らの先輩さ」
「そうなんだ」
アイシャは自身が城の護り手を解任され、魔獣討伐専門の遊撃隊となったことをミーシャに伝えたという。その助手として修練生たちを使うのだ、と説明していた。悪霊の存在やそれに纏わる事情、そしてこの問題に学院長が直接関わっていることは伏せている。
おっとりした性格のように見えて、ミーシャは勘が鋭く、切れ者でもあったらしい。古巣の些細な変化を訝しく思われたかもしれないが、特に詮索されるようなことはなかった。
ミーシャにとって学院の問題はあまり重要ではなく、それよりも修練生たちをこの春から仕事に雇ってもよい、という話に食いついていたようだ。
「あそこでもたもたしてたらお前らを給仕人にされちまう」
「あら、あたしはすっごく興味あったんだけどなぁ」
「お前、さっきずっと恥ずかしそうに師匠の後ろに隠れてただろ」
「だ、だってあんなこと面と向かって言われたことないんだもん」
「おやおや、ヴィヴィアンちゃんは可愛いと声掛けられたことないの?」
アイシャがいたずらっぽく笑みを浮かべてヴィヴィアンの顔を覗き込んでくる。
「あああ、あたしはほら、違うの。ソルフィスお姉さまのドレス姿見てみたいなぁ、なんて」
ヴィヴィアンがちらりとソルフィスを見てそんなことを言う。
「いやぁヴィヴィアン。お前はイケてると思うよ。見てみたいね、お前がドレス着てるとこ」
「う、えええぇ!? あたしは、そそそ、そんな……」
意外にもめずらしく顔を真っ赤にして照れまくるヴィヴィアンが可愛らしくて可笑しくて、シャナトリアは少しだけ噴き出してしまった。
「チッ、ほんとはこーいうセリフ吐くのはお前らの領分だぞ、しっかりしろ男ども」
「え、ええ~……」「いや~……」
「ぬゎにが、いや~、だ。照れんなっ」
カイトはティノの分まで罪をかぶって頭ぐりぐりの刑に処された。
「ところでミーシャさんって、優しそうな人ですよね~」
ソルフィスがにこにこ顔でいう。ミーシャのおっとり口調が伝染していた。
「なー、そんな風に見えるだろ? でもな、あれがまたキレるとすげー怖いんだ。だから絶対にミーシャ姉さんを怒らせるんじゃあないぞ。これは生き残るための知恵だからな」
「ははぁ、それでアイシャさん、さっきは少し張りつめたような顔してたんだね」
「うっ。顔にでてたか? うーん、昔から姉貴はどうも苦手なんだよな……。あ、でもな、姉貴の作る料理は絶品なんだぞ。そういやソルフィス、シャナトリア、約束したっけな。美味い料理、今晩ここでごちそうしてやるからな」
「わぁっ、やった~!」
アイシャは二階の廊下の突き当たりにある、一番奥の部屋に皆を案内した。もらった鍵で扉を開いた。
「わっ、結構広い!」
「ここ僕たちが使っていいの!?」
子どもたちが歓声をあげて部屋の中を走り回った。
そこは南西向きの日当たりの良い角部屋だった。くの字型に曲がっているが、ちょっとした会議と休憩にも充分使えそうなほどの広い間取りだ。その昔、駆け出しの頃のアイシャが寝泊りに使っていた部屋らしい。
寝台と猫脚のついた上品な家具がちょこんと置かれてある。あとは応接用のソファとテーブル、ワークデスクを揃えたら、とりあえずは事務所として機能するだろう。
窓からの眺めも気持ち良い。すぐ下の裏庭から石垣を越えて、その先一面に高山植物の花畑が広がっていた。
ソルフィスはこの部屋がすっかり気に入ってしまい、部屋の中をうろうろ歩き回った。
「よーし、お前ら。ここの掃除が最初の任務だ。でもその前に、まずリーダーを決めろ」
「ぬ、リーダー?」
「そだよ。これからチームで行動するってのに、リーダーがいないと始まらんだろ」
「リーダーはアイシャさんじゃないの?」
「あたしは、お前たちの雇い主で管理者みたいなもんだよ。指示は出すが、細かい方策については基本的に口出ししないつもりだ。だから、お前たちで考えて動くんだ。そのために、お前たちの中でリーダーが必要だろ?」
「そっか……!」
皆がお互いの顔を見合った。
「最初のうちはあたしも面倒みるが、事務処理の方が増えそうでね。この先ずっと手を貸せるかどうか見当もつかん。だから基本的にはお前たちだけで頑張れるようにしてほしい」
「なるほどわかりました……!」
「ここはやはり俺が!」
さっそく両肢あげて立候補するティノ。
「なに言ってんのよ、あんたじゃダメよ!」
「そうよそうよ! ここは当然ソルフィスお姉さまに決まってるでしょう!」
大方の予想通りソルフィスを支持するヴィヴィアンとシャナトリア。
「むむ、わたしはティノにリーダーしてほしいな」
「でしょ? さすがっ!」
これで二対二。見事に候補がふたつに分かれ、自然と皆の視線が残ったカイトに集まる。
「え……やだな、ちょっとそんな見つめないでよ」
「カイトぉ、もちろんソルフィスお姉さまよね?」
「カイト、お願い……ねっ?」
「何が、ね? だよ。おいカイト、耳貸すんじゃねえぞ。よく考えろ」
「あ、あうぁぅ……」
ソルフィスが必死の瞳でカイトを見つめてくる。
「カイト、キミの信じたとおりにすればいいんだ。自分を信じて、ね」
女の子三人に大接近されてカイトはしどろもどろだ。彼はうつむいて必死に邪念を払った。
「僕は……」やがてカイトは顔を上げた。「ティノがリーダーをするべきだと思う」
「おお!」
「ななな、なんでよっ。こらカイト、説明しろっ」
ヴィヴィアンの睨みにたじろきながらも、カイトは自分の意見をのべた。
「行動力ならダントツでソルだよね。これはリーダーに必要な素質だと思う。それでも僕はティノがいいと思うんだ。ティノは体の都合で出来ることが限られてる……。でも、その分みんなのことをよく見てて、いろんなところを観察してる。そこから最適な考えをだして、道を示すことができる。その思考力をティノは持ってると思うんだ。だから、ティノを選ぶ」
「カイトぉ、お前って奴ぁ」
ティノは泣いていた。
「…………。カイトがそこまで言うんなら、仕方ないわね。いいわ、認めてあげる。ティノ、あんたがリーダーやんなさい」
シャナトリアも少しは思うところがあったのか、そこまで聞くとついに折れた。
ヴィヴィアンも、ぐぬぬ……とこぶしを震わせていたが、シャナトリアに肩を叩かれるとしぶしぶ承諾した。
「やったねぇ、ティノ。リーダーがんばってね!」
「おうっ、俺ぁ、がんばるぜ!」
ソルフィスはティノを抱えて大喜びだ。
「決まったか?」
奥で椅子に座ってやりとりを眺めていたアイシャがやってきた。
「俺だぜ、師匠。俺が! この俺が! リーダーなのだ」
「ほお?」アイシャは少し驚いているようだった。「それだけ期待されているんだな、ティノ。あたしも嬉しいぞ。もう分かってるな、お前の力でみんなを導くんだ。立派に務めを果たせ」
アイシャは黒猫をなでた。
「みんなもどうかコイツの力になってやってくれ。よろしく頼むな」
皆は元気よく返事した。ここに初めて、修練生だけのチームが誕生したのだった。




