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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
第三幕 黄塵の激闘
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9-01 砂漠に吹く風

『――気が済んだか?』


 はっとした。片腕に抱えた黒猫がじっとシャナトリアを見つめている。

「ティノ! あなた生きて……」

 何かがおかしいことに気づいた。ティノの声じゃない。

 驚いて黒猫を放し、シャナトリアは素早く身構えた。


「お前!」

 黒猫は器用に着地すると、彼女を振り返った。

『ひどい扱いをする』

 まただ。この低い声。黄金色の瞳。

「……ドレイク」

 黒猫がシャナトリアを見てにやりと笑う。

『狂おしいほどの悲憤に酔い、激情の中で荒れ咲き乱れる。変わらないな、お前は昔から。どうだ、ひと暴れして満足したか?』

「あんたのその無駄に詩的で嫌味ったらしい態度も相変わらずのようね。反吐が出るわ」

『そう尖るな。仕事の話をしよう。どうやら首尾よく魔獣を片付けてくれたようだな』

 シャナトリアは人の目が気になった。まわりは真っ白の霧で何も見えない。


『心配するな。すこしの間、時を止めてある』

「時を……!?」

『不思議か? 停滞(ステイシス)はお前たちも得意とするところではないか』

「…………」


 黒猫はあごを軽く持ち上げると、前を向いた。

『本題に移ろう。あれを見ろ。お前の倒した、あの魔獣だ』

 ドレイクは霧の向こうにそびえる黒い影を見据えた。大氷槍に貫かれ、もはや動かぬ塊りとなった女王蟲が横たわっている。

「あのデカブツは、やはり悪霊の仕業なの?」

『そうだ。見ろ、繋ぎ止められなくなった体から逃げ出ようとする悪霊の姿が見えるはずだ』


 シャナトリアは目を凝らした。さきほどは気付かなかったのに、女王蟲の遺骸から染み出るかような黒いもやが目にとまった。

「あれが……?」

『ここからは俺の出番だ』

 ドレイクは蟲の亡骸に歩み寄って身構えた。

「ちょっと、なにする気!?」

『すぐに終わる』

 黒猫の影が揺らめいた――そう見えた次の瞬間、その影から闇が噴き出した。

「きゃっ!」

 煙のように吹き上がる闇は、ひとつの大きな塊となって空に漂い、枝のように伸びて地面まで根をおろした。やがてそれはひとつの姿を(かたど)りはじめた。


 四本の肢に長い尻尾、一対の翼。そしてその頭には天を穿(うが)つ凶悪な角――

 まぎれもない竜の姿だった。

 シャナトリアは戦慄した。それはかつて姉妹が倒した()の黒竜そのものだった。

 とっさに身構えるシャナトリアだったが、黒猫がそれを(たしな)めた。

『なにしている。これはただの影だ』

 黒猫はさきほどの同じ場所に居る。よく見ると黒猫から生じた闇が伸びに伸びて竜の姿を形作っているのだ。

「嘘……」

 幻術なのだろうか。知らない間に竜の言霊(ことだま)にのせられて暗示に掛かってしまったのか。

 でも、シャナトリアは目の前の圧倒的な存在を肌でひりひりと感じていた。


『闇は、闇へと還る――』

 巨大な影の竜が前に踏み出ると、蟲の亡骸に喰らいついた。

 嚙み付かれた蟲はビクともせず、どうということはない。しかしよく見れば、この影の竜は蟲の(むくろ)から染み出た悪霊〝だけ〟を喰らい、引きちぎっているのだ。

 黒いもやは竜の口の中に吸い込まれるように消えていく。乱暴な咀嚼(そしゃく)もそこそこに、悪霊を一呑みにした黒い竜は、天にむかって一声ほえた。それと同時に役目を終えた影の竜は風が吹くように消えてしまった。


 ドレイクは大きく一息ついた。

『これでひとまず安心だ。手間を掛けたな』

 ドレイクは目を(つむ)って、たった今取り込んだ魂を吟味しているかのようだ。

「今ので……終わり?」

『ああ。この調子で次もよろしく頼む』

 さらりとそんなことを言うドレイクにシャナトリアはの神経はささくれ立った。

「次も? またこんなのが出てくるっていうの? あんた一体なに企んでるのよ!?」


 ドレイクは不機嫌そうにあごを持ち上げた。

『企む? なにを言っている』

「すっとぼけんじゃないわよ! あんたが裏で糸引いてんでしょ。今回の悪霊だって……」

『俺がけしかけているとでもいうのか? お前たちの命を狙うために?』

「そのとおりよ。あんたのせいで……」

『悪霊とて突き詰めればひとつの神性だ。どうしてそれを自在に支配できようか。俺は神でも悪魔でもないのだぞ』

 ドレイクは笑っていた。

『仮にそれができたとして――お前の言う回りくどい方法でお前たちを葬ったとしよう。

 それで俺に何の益があるというのだ? それも復讐のため、とでもいうのか? 復讐は人や獣だけが持つ感情の類と理解していたが』

「世界を焼きまくったクセしてよく言うわよ! あんたの企みってのは結局――」

『無意味だ! 過去のことを持ち出してそれがどうしたというのだ。いいか、俺の行動原理はただひとつ。生きるためだ。我々は生きるためにここに在る。俺も、お前も、等しく今を生きているのだぞ』

「――――」


 ドレイクの黄金の瞳にまっすぐ射抜かれて、シャナトリアは睨んだまま沈黙してしまった。

『フン、ならばやるか? お前が生きる以外に動機があるのならば。その復讐とやらをお前が恐れるのならば。今一度、俺をその石に封印すればよかろう。もっともそんなことをすれば、この小僧がどうなるか知ったことではないがな』

「こんの……」

 シャナトリアは腰に吊り下げた宝石籠に思わず手を触れた。

 金属で出来た環状の(かご)の中には水晶のように透明な珠が入っている。魂を封じることができる神秘の石であり、魂石(こんせき)と呼ばれる呪物だ。かつてこの珠の中には(ドレイク)の魂が封じこめられていた。


「卑怯者! そんなこと……できるわけないじゃない」

 シャナトリアは怒りに震えながら声を絞り出す。ティノを殺すなんて絶対にできない。

 それどころか、肝心の封魂の術を思い出せないのだ。過去のソルフィスとシャナトリアはなんらかの手段で竜の魂をこの小さな石の中に封じ込めたはずだ。しかし、今となってはそれを思い出すことができない。この事実だけは竜に悟られてはいけなかった。

 ここでも皮肉なことに、ティノがドレイクを呑み込んでしまったことで、ティノの身の安全を理由に封魂を行使せずに済む、という苦い言い訳が成立してしまっているのだ。


『……いずれにせよ』

 ドレイクは目を細めた。

『この俺を封じ込めたとしてもだ。今日のような悪霊どもはこの世界に残り続け、災禍をもたらすだろう』

「なんですって?」

『今回の手応えでわかった。どうもあれは、俺を狙っているというわけでもないようだ。

 奴らはただひたすら呪い、(たた)ればそれで満足なのだろう。いや、満足することはない。奴らはただただ餓えていて、狂っている。飽くなき渇望に身を任せるだけの存在だ。それが悪霊たる所以(ゆえん)だからな』

「そんな……」


 シャナトリアはうつむいた。己の置かれた状況に困惑し、叫び出しそうになる。

 ふとソルフィスの笑顔が(まぶた)に映った。こういうとき、ソルフィスならどうするだろう。

 愛する姉はもう居ない。彼女の居ない世界になんの意味があるのだろう。ソルフィスだけが自分の生きがいだったのに。

 どうしよう。これから私はどうすれば……

 シャナトリアは心が締め付けられ、またあふれそうになる涙を必死でこらえた。


『それはそうとお前、さっきは何故泣いていたのだ?』

「え!? うっ……これは、な、なんでもないわよ」

 不意打ちのような竜の言葉にシャナトリアは取り乱した。あわてて目元を手で覆う。

 こいつの前では絶対弱いところを見せちゃいけないのに、さっきからまるでダメだ。

『涙……それもお前たち人間が持つ感情のあらわれか』

「うるさいッ、見るな」

 ドレイクは興味深そうにシャナトリアの顔を覗き込んでいたが、ゆっくりと座りなおすと、彼女の心を見透かすような驚くべきことを口にした。


『お前は大変な思い違いをしているかもしれないが、お前の姉はあれぐらいでくたばるような(ヤワ)ではないぞ』

「え……? ええっ!?」

 シャナトリアは驚きのあまりドレイクに詰め寄った。

「ソルは、……生きてるの?」

 金色の瞳の黒猫は落ち着き払ってそれに答えた。

『あの娘に礼を言っておいてくれ。身を挺して俺を、いや、小僧を護ってくれたのだからな』

 シャナトリアの胸のうちに歓喜があふれてくる。


 黒猫の口端が吊り上がり、微かに笑ったようにみえた。

『話は終わった。また会おう』

 言うだけ言い放って、ドレイクはふいっと顔を背けた。

「えっ、ちょっと! ……あっ」

 まばゆい光が視界を包んだかと思うと、シャナトリアは目眩んだ。

 乳白色の茫漠(ぼうばく)とした世界は(かす)んで消えた。


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