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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
第三幕 黄塵の激闘
39/51

8-04

「――いける!」


 水の精霊に満たされ、溢れんばかりの魔力を最高潮まで練り上げたシャナトリアは瞑想から覚醒した。

 そこで最初に耳にしたのは、絶叫する女王蟲。そして目に飛び込んできたのは、その巨体の激突をもろに喰らい、あわれに宙に投げだされる最愛の者の姿だった。


 ――!?


 ソルフィスの体は弧を描いて落下し、民家の壁を突き破ってけたたましい音を立てながら視界から消えた。

「そんな……、うそ……嘘っ!?」

 シャナトリアは悲痛に呻き(うめ)、血相を変えて駆け出した。

 路地の角を曲がり、民家の敷地に入った。納屋の中に入った瞬間、打ち捨てられたようにぴくりとも動かないソルフィスの姿が目に飛び込んできた。


「うあ……うぅ」

 声が出なかった。シャナトリアはよろめきながらソルフィスのそばに駆け寄った。

 わななく手でソルフィスのうつ伏せに倒れた体を抱き起こすと、彼女はうっすらと目をあけた。ソルフィスは消え入るような声で妹の名を呼んだ。


「ティノを」

 それだけ口にすると、ソルフィスは懐に大切に抱えられた仔猫を差し出した。彼女が身を挺して護ったのだ。だが、その黒猫もぐったりとして目を閉じたまま動かない。

 シャナトリアは震える手でティノを抱き上げた。


「……ごめんね」

 最後にそのひと言を絞り出すと、ソルフィスは糸が切れたように(こうべ)を垂れ動かなくなった。

「……ソル?」

 姉の肩を揺り動かしてみる。しかし、ソルフィスの閉じられた瞳が開かれることはなかった。

「嘘……、冗談でしょ?」

 シャナトリアは目の前の現実が受け入れられない。

「やだ……、やだぁ。目を開けてよ。起きてよ、ソル」

 未だ(ほの)かに紅く染まる柔き頬の白い肌を、閉じた瞳の儚げな睫毛を見ていると――シャナトリアの目に涙が溢れた。言い知れようのない悲しみがシャナトリアの心を包み込む。

 最愛の者を失った。体の震えが止まらない。息が苦しくて胸が張り裂けそうだ。

 シャナトリアは己の無力さを呪わずにはいられなかった。

「姉様……」

 幾筋もの涙が頬を伝い、愛する姉の横顔にはたはたと落ちた。


 シャナトリアの後を追って飛び込んできたアイシャはその光景を見て愕然(がくぜん)とした。あまりの衝撃に声もなく立ち尽くす他なかった。

 女王蟲の叫びが聞こえる。魔導士たちの度重なる懸命な攻撃と拘束を払いのけ、見失った獲物を追って執念深く迫ってきたのだ。

 姉の身体をやさしく横たえると、シャナトリアはゆっくりと顔を上げた。動かない黒猫を腕に抱えたまま、ゆらりと立ち上がった。その瞳は怒りの炎に燃えたぎり、掌が白くなるほど固く握り締められていた。


 シャナトリアは納屋の扉を蹴破ると、巨大な敵の前に立ちはだかった。

 彼女の存在に気付いた女王蟲が大口をあけて飛びかかった。しかし、喰らいつけなかった。

 その巨体が宙に浮いたのだ。

 突如現れた大木のような氷槍が女王蟲の腹下から背中に向かって貫いていた。

 女王蟲は激痛に混乱してその場で暴れまわったが、その肢は虚しく空を掻くだけだ。


 途方もない力の奔流がシャナトリアを取り巻いていた。大気と河から呼び集めた無数の水の精霊を取り込み、彼女自身の持つ力をより合わせ、魔力へと昇華させたのだ。もはや彼女に太刀打ちできるものは居なくなった。

 シャナトリアの指がくいっと上を向くと、地面から新たな蒼い氷槍が現れ、浅い角度から(えぐ)るように蟲の腹下に突き刺さった。女王蟲は軋むような叫びをあげ、裂けた部分から体液と砂煙が噴き出た。


「それでもお前は」

 シャナトリアは体の芯から凍りつくような眼光で語りかける。

「平気なんだろ? どこまで持ち堪えるんだ、見せてみろ」

 指をすとんと下に向ける。

 天より降ってきた氷槍が蟲の最も硬い背甲をぶち破り、大地を穿(うが)った。

 氷槍の応酬は続く。針山のような姿と化した女王蟲はもはや抵抗することはおろか動くこともかなわず、最初のうちは気が狂わんばかりに暴れまわっていたものの、その動きは緩慢(かんまん)になっていく。

「見せてみろよ」

 蟲の体に突き刺さった氷槍に爆雷が落ちた。巨大な体が躍り上がり、不気味にのたくった。

 周囲の魔導士たちは固唾をのんでこの惨烈な光景を見守った。シャナトリアの魔術の強大さに圧倒されたというのもあるが、この目を背けたくなるようなあまりにも凄惨な光景に誰もが眉をひそめ、畏怖の眼差しを向けざるを得なかった。


「もうやめろ、シャナトリア! こいつはもうくたばってるぞ」

 アイシャの叫び声が聞こえた。

「くたばった?」

 シャナトリアの眼はどこも見ていないかのようだ。

「アイシャさん、こいつ許せないんです。死んでも許せない。こいつは、こいつはあたしのソルを……、ティノまでもっ……! 死んでも許さない。絶対に!」

 もうアイシャの声は聞こえなくなっていた。

「潰す!」拳をぐっと握り締めると氷河のように巨大な氷の塊が四方から現われ、女王蟲を両側からがっしりと挟み込んだ。女王蟲は完全に動きを封じられた。

 そしてシャナトリアは右腕を大きく引いた。


「消えてなくなれっ!」


 脚を踏み出し、五指を束ねた手刀をまっすぐに突き出す。

 その瞬間、世界が真っ白になった。ほとばしる冷気が瞬時に霧と化し、見渡す限りの大地を真っ白な霜が覆った。

 シャナトリアの白い指先の示す先に一本の氷塊が現出した。

 これまでにない、極めて大きな――かつて栄華を誇った、古代文明の万神殿にそそり立つ巨大な石柱の如き氷槍が女王蟲の口腔を捉え、頭から尾まで貫き徹した。

 女王蟲の体は内側から引き裂かれ、ほとんど両断された状態で動かぬ肉の塊となった。

 シャナトリアは大きく息をもらすと、よろめき崩れ、力なく両膝をついた。

 なぜか涙があふれ出てきて、シャナトリアは声をころして泣いた。

 霧がどこまでも白かった。


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